七
廣田の家は、車で十五分程走ったところにあるマンションの十階。玄関を入ると廊下が延び、奥と右手には寝室らしいドアがあり、廊下を挟んで左手はリビングだった。
促されるまま、耕輔は大きなコーナーソファに腰を下ろす。
「飲み物取ってくるから」
「あ、おかまいなく」
テーブルや大画面のテレビ、大型のキャビネット、観葉植物などが置かれた、モデルハウスのようなリビング。
(すごい部屋だな…)
耕輔は恐縮していた。
廣田は、耕輔の隣りに座ると、ペットボトルの水とグラスを差し出した。
「ありがとうございます」
廣田がワインの栓を抜き、自分のグラスに注ぐ。
「俺は、このままで…」
と、耕輔はグラスをテーブルにおき、ペットボトルのキャップを捻った。廣田はクスッと笑って「乾杯」とグラスをペットボトルに当てた。廣田がワインを一口飲み、耕輔も喉を潤す。
「…僕の妻の話だっけ?」
「…いえ」
この部屋には、女性の気配も、なんなら廣田が生活しているという空気すら感じられない。
「今はいない。結婚してたことはあるけど」
(やっぱり…)
やはり現在、廣田に妻はいない。廣田はワインを煽るように飲んだ。
「ダメですよ、そんな飲み方」
「平気だよ」
廣田が笑って、再びワインを注ぐ。グラスの半分以上が満たされたのを見て、耕輔はさりげなくワインボトルを廣田から遠ざけた。
それに気づくと、廣田は苦笑いし、今度はこくっとワインを口に含み、ゆっくりと飲み込む。
「十年くらい前かな。一年くらいで別れたけど」
赤く揺らめくワインをぼんやりと見つめながら、廣田はゆっくりと話し始める。しかし、
その内容は、耕輔が予想していたものとは全く違っていた。
「相手は、高校の同級生。同窓会で再会してね。結婚した理由は利害の一致さ」
「利害…?」
ずいぶん味気ないことを言う、と耕輔は思った。
当時の廣田は、仕事が忙しい中、親から結婚を
催促されることに辟易していたのだという。久しぶりに会った彼女も、デザイナーとしての仕事が軌道に乗ってきたところで、耕輔と同じことで悩んでいた。
「異性から言い寄られることも多くてね。僕も彼女も」
下手にお見合い相手を見繕われる前に、と、自分から、見せかけの結婚を提案した、と、廣田は言った。
「偽装結婚…」
「そういうこと」
既知の間柄で、気心が知れていた。同窓会で再会して、恋愛関係になった、という設定で、周りは疑うことなく、トントン拍子に話しは進んだ。
仕事の忙しさを理由に、結婚式は家族だけで食事会のような形で済ませ、入籍もしていないのだという。
「お互い、家族を納得させれば良かったから」
マンションは購入したが、妻は「仕事場」に、寝泊まりすることが多く、ほとんどマンションに来たことはないのだと言う。
しかし、その内に問題が起きた。
「僕は、特定の相手は作らなかったけれど、妻には本命がいたんだ。と言っても交際していたわけじゃないよ」
気になる言葉があったが、そこは一旦流す。
妻の本命は、仕事仲間だった。お針兼マネージャーで、公私とも妻をささえている存在だった。
結婚から一年くらいして、その本命が倒れた。
「脳梗塞。それで妻は自分の気持ちに気付いたらしい」
幸い命に別状はなかったが、半身に麻痺が残ったのだと言う。それから間もなく妻から「離婚」を切り出されたのだ。
「失うかもしれない、と思ったら、『こんなことしてる場合じゃない』ってさ。今度は自分が彼女を支えるんだと…」
(ん、「彼女」?)
耕輔が軽く目を見張ったのに気付いて、廣田は付け加えた。
「元妻の恋愛対象は同性なんだ」
「そ、そうですか…」
廣田が薬指の指輪を見つめる。
「でも、仮とは言え夫婦で…、同志だったからね…」
情が沸いたのだろう。それ以上の気持ちも持ったのかもしれない。いずれにせよ、未練があるのだ。指輪を外さないのは、そういうことなのだろう。
廣田が悲痛な顔から、その事がうかがえた。
「そう、でしたか…」
耕輔も、廣田は言葉を途切れさせた。ひろたはまだ左手の指輪をじっと見つめている。
「…あの…元奥様は、今も、恋人の介護を?」
しんみりとした雰囲気の中、廣田が急に声のトーンと表情を変えた。
「ん?いや、二人ともバリバリ仕事してるよ?」
「え?」
発見が早かったため、麻痺と言っても日常生活に支障を来すものではないらしい。お針子を続けるのは難しかったが、マネージャーとしてその手腕を発揮しているとのことだ。
「え?は?」
耕輔は、唖然とした。
「そうそう、今日、君が『かっこいい』って言ったスーツ、『元妻』のデザイン」
(「似合う」とは言ったけど…「かっこいい」は口に出していない!)
いや、そもそも突っ込むところはそこじゃないが。
「指輪はねぇ、女除けになるから」
廣田は耕輔を見てさも楽しそうにしている。耕輔は、
「…からかいました?俺のこと」
「少し、ね」
「どこまで、本当なんですか?」
「それは、全部」
廣田は悪びれもせず、耕輔を見つめ、またワインを口に含んだ。
「~~っ!帰ります」
耕輔は立ち上がろうと浮かせた腰を、またソファーに沈めた。耕輔の太股に廣田がまた跨がってきたからだ。
「ちょっ、…ん!」
両頬を掴まれ、唇を重ねられた。
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