大団円

雪国匁

大団円

「おひさしゅうでございますのー!」

 

 カウンターに身長足らず、ひょこっと出てきた頭がそう言った。

 

「あ、ポエニ。久しぶりだね〜」

 

「えーと、1年くらいぶりな気がしますの! お元気でしましたか?」

 

 ちょっと敬語というか丁寧語が変に混ざった可愛い言葉で、ポエニは椅子にちょこんと座った。微笑ましく思いながら私は棚からカップを彼女の目の前に置く。

 

「うん、ちゃんと元気だったよ。ポエニは……」

 

『元気だった?』という言葉を、笑顔の彼女を見て飲み込む。

 意味のない質問だっていうことが分かっていたからだ。

 

「どうされましたの?」

 

「いや、何でもないよ。それより注文は決めた?」

 

「じゃあお紅茶を1つお願いしますの!」

 

 ふふんとでも言いたげな顔で、ポエニは指で1つと示した。

 

「そんな大人なもの、飲めるようになったんだねぇ。感動しちゃうかも」

 

「ぜひしてくださいまし! ポエニは、ちょっと前から立派な“れでぃ”になりましたので!」

 

 そういう彼女の姿は、去年と何ら変わってはいなかった。相変わらずの小さい背に高めの声、子供びた可愛い顔だ。もう一生このままなんじゃないかとさえ思ってしまう。

 

「お姉ちゃんも、雰囲気が大人っぽくなりましたの? 去年は短かった髪も結構長くなりました!」

 

「髪はね、最近切るのが面倒臭くて伸ばしちゃった。雰囲気はそんなに変わったかな?」

 

「何となくそんな気がしましたの!」

 

「ポエニが言うならそうなのかもね。嬉しいなぁ」

 

「長い髪のお姉ちゃんも、とっても可愛いですのよ!」

 

「ふふ、ありがとね」

 

 ひとしきりそんな取り留めない話を、紅茶が完成するまで続ける。こんな風に適当に喋っている時間が、この店をやってて一番好きな時間だ。

 

「はい、お待たせ。熱いから気をつけてね」

 

「がってんしょうち、ですの!」

 

 一生懸命フーフーと紅茶を冷ましてから、小さい一口でゆっくり飲む。

 

「どう? 私の紅茶は飲むの初めてじゃない?」

 

「初めてですの! とっても美味しいので、また次来た時も飲みたいと思いましたのです!」

 

「そっか。それは良かったなぁ」

 

 言いながら、私もカップに角砂糖を1,2個放り入れて啜る。

 

「お姉ちゃん、角砂糖使うんですの?」

 

「あれ、意外だった?」

 

「入れて飲んでるところを見たことがなかったのです! 昔から入れてましたの?」

 

「……まぁ、ここ最近からかな。美味しいよ、ポエニも入れる?」

 

「最近ちょっぴり虫歯が怖いので、やめとくですの!」

 

 そんな話をしながら頑張って紅茶をほとんど飲み終えたタイミングで、ポエニは思い出したように自分の鞄の中から何かを取り出した。

 

「あ、忘れるところでした! ポエニ、お姉ちゃんにプレゼントがあるのです!」

 

「プレゼント?」

 

「そうなのです! これ、どうぞ!」

 

 そう言ってポエニが渡してきたのは、『お姉ちゃんのにっきちょう』と表紙にマジックペンで書かれたノート5冊。全部色が違ってて、1から5まで番号が書いてある。

 

「日記帳?」

 

「お姉ちゃんが好きな文を書くことの、練習にでもしてほしいですの!」

 

 受け取って中を見てみれば、ページごとに日付と文章を書くスペースがちゃんと用意されている。ノート自体は日記帳でもない普通のものだから、全部が多分ポエニの手書きだ。

 

「本当? とっても嬉しいなぁ、ありがとうね」

 

「また次に来たときには、どんな感じにできたか見せてほしいのです!」

 約束、がしたいのかポエニは小指だけを伸ばして私に手を向けてきた。

 

「ゆびきりげんまん、お約束なのですよ!」

 

「……うん、分かった。約束するよ」

 

「絶対なのです!」

 

 指切ったっ! と元気良く言われて、私は小指を離してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここって何あるんだっけ?」

 

 入れた覚えのない客の声が、姿を除いて感じられた。

 

「……テルモかぁ。本当、いつからいたのさ」

 

「え〜とね……多分さっきくらい」

 

 カウンターの下を覗き込むように見てみれば、3席分くらいを悠々自適に占領している彼女がいた。他のお客さんがいないからマシだけど、いたらつまみ出しても問題ない。

 

「アバウトだなぁ……」

 

「私は時間なんて見ない主義だからね、最後に時計見たのなんていつだったか覚えてないよ。見る機会もないし」

 

「それで毎回待ち合わせとかに遅刻してくるの誰だったっけ?」

 

「え、そんな人いたっけ。知らないな〜」

 

 時間通りに来たことなんて私の記憶にはない彼女は、知らんぷりして欠伸した。

 

「それで、ここって何飲めるんだっけ。砂糖水とか置いてたりする?」

 

「作れないこともないんだろうけど、そんな注文は初めてされたかな。カブトムシ?」

 

「じゃあ、砂糖水1杯くださいな。うんと甘いのが好き」

 

「人の話聞かないなぁもう……」

 

 相変わらずの行動の自由度を誇るテルモに、私の言葉を聞く耳はたまにしか生えない。

 

「ていうか、テルモも1年振りだね。何してたの、暇じゃなかった?」

 

「うーん、何してたんだろうね。私にも分かんないや」

 

「分かんないってことは、ずっと寝てたとかでしょ?」

 

「まぁ実際、そうだろうねぇ」

 

 伸びをしようとしてバランスを崩し、彼女は急に椅子から転げ落ちた。

 

「え、大丈夫!?」

 

「いたた……。まぁ平気平気、死ぬことはないよ」

 

「その高さから落ちて死んでも、本当に笑えないからね?」

 

「私的には、こんなんだったらむしろ笑って欲しかったけどね〜」

 

 そう笑って言うテルモに呆れながら、私は砂糖の瓶を持ってきてミネラルウォーターをコップに注ぐ。

 

「何個入れる?」

 

「じゃあ7つ。これくらいが美味しいでしょ、多分」

 

 何故か少し自慢げに語る彼女を、少し呆れた目で見る。

 

「はぁ……、これで美味しいとか。程々にしないと体壊すよ」

 

「そう? じゃあ明日から気をつけよっかな」

 

 東風を馬に吹き付けたみたいな反応をするテルモを見て、私は何度目か分からない諦めを覚える。いつものことだ。

 角砂糖を7つつまんで、ミネラルウォーターに溶かす。

 

「頼んだはいいけどさ、これ溶けるの?」

 

「意外と溶けるよ。別に美味しくはないけど」

 

「じゃあ美味しいってことだ」

 

「……まぁ、テルモならそうかもね」

 

 私の分を4個取って、カップに放り入れる。

 

「それじゃお試し……うん、美味しいや」

 

「大丈夫? そんな生活してたら、本当に体壊れるでしょ」

 

「全然善処してるし、大丈夫だよきっと。それと……」

 

 笑いながら、彼女はカウンターの端の方に目をやる。

 

「気をつけるのは、君もだね」

 

 煙を消した痕跡のある皿と、それに乗ってる燃え残り。指差して、テルモは言った。

 

「……まぁ、そうかもね」

 

「前から吸ってたっけ?」

 

「最近から。依存するほどは吸ってないから、多分心配いらないよ」

 

「あはは、そっか〜。じゃあまぁ、お互い様で気をつけるっことで」

 

 あんなに入れた砂糖水を信じられない速さで飲み切って、思い出したように彼女は席を立った。そして何やら、ポケットに手を入れる。

 

「どうしたの?」

 

「すっかり忘れてたや。お久しぶりの印に、適当に何か持ってきてたんだよね」

 

 そうして彼女が出したのは、少しくしゃくしゃになった紙切れが2枚。

 

「……なにこれ」

 

「一攫千金の大チャンス。結果は3ヶ月後くらいまで見れるらしいから、まぁそれくらいになったら確認してみてよ」

 

 手渡された紙を見てみる。

『最高7億円!』なんて宣伝文句が派手に書かれていた。

 

「気休めみたいな物だよ。これで、もし君が生きてたら……」

 

 くるくる回って、ストンと座る。

 私が持ってた紙を抜き取って、表面を顔にぐっと近づけられた。

 

「宝くじ当たるかもね」

 

 一瞬呆気に取られて。その後軽く、深く、ため息をついた。

 

「……2枚だし、300円でも当たったら良い方かなぁ。あんまり期待しないで待っとくね」

 

「買ったの私だから、当たったら半分ちょうだいね」

 

「えぇ……?」

 

 贈ったはずのものに所有権を主張し始めた彼女を、半ば困惑の目で見つめる。

 ……まぁこれもまた、いつものことだ。懐かしい、いつものこと。

 

 いつの間にかいなくなっていたテルモのカップを洗い終わって、私は煙草に火を付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、先輩」

 

「あ、トロイア! 久しぶりだねぇ」

 

 先程の誰かとは違ってちゃんとカウンター席に座った彼を見てある意味安心すると共に、懐かしい昔の記憶が帰ってきた。

 

「急にいなくなっちゃって、本当に申し訳ないです」

 

「大丈夫だよ! トロイアが来る前にもちょっとは私だけでやってたし、1日に1人で対応できないくらいの人数はそんなに来ないしね」

 

「そうですか……。失礼ですけど、この店は大丈夫でした?」

 

「まぁ細々とやってるよ。私1人分が生きるくらいなら、十分いけそうかな」

 

 その言葉を聞いた彼は、満足そうに笑みを浮かべた。

 

「なら、良かったです」

 

「今日は君もお客さんだしね。何飲む?」

 

「良いんですか? じゃあ、コーヒーをお願いします」

 

「はーい、ちょっと待っててね」

 

 ここでずっと働いていたトロイアにコーヒーを淹れるなんて、少し変な感じだ。

 

「あ、手伝いますよ。先輩も自分の分の紅茶、飲むでしょうし」

 

「悪いけど、ここはお客さんが手伝える新手のサービスはないんだよね。そこで待っててよ」

 

 冗談めかしてそう言うと、彼はまた笑った。

 

「そうですか。ならお言葉に甘えますね」

 

 少しばかり沈黙が流れて、私がすぐそれを破った。

 

「……そっちは、どう?」

 

「あー……何て言うんですかね。まぁ何だか、変な感じです」

 

「テルモにも聞いたけど、特に何もしてなかったんだよねぇ」

 

「僕もそんな感じですよ。何か別にやってることもないですし」

 

 そんな感じなら少し自堕落に見た目が変わってたりするものなのかもしれないけど、割にはポエニもテルモもトロイアも、特に見た目は変わっていない。

 

 ……なんなら、髪も伸びたし煙草も吸うようになったし。

 変わっていってるのは、私だけか。

 何か悲しくて、なんとなくため息をつく。

 

「お待たせ、コーヒーだよ。まぁトロイアの方が美味しいだろうけど、勘弁してね」

 

「ありがとうございます。コーヒー飲むのなんて、かなり久しぶりですよ」

 

「そうなの? じゃあ、目一杯楽しんでくれたら嬉しいな」

 

 角砂糖を6つ取って、自分の紅茶に放り入れようとする。

 その瞬間にクラッと頭が揺れて、1つがカップの外にこぼれ落ちた。

 

「え、大丈夫ですか?」

 

「……ああ、うん。大丈夫だよ」

 

 落ちた角砂糖を拾い上げて放り込む。

 

「それより、どう? 腕上がったかな?」

 

「いや、本当に美味しいですよ。前は僕も結構自信ありましたけど、もう流石に先輩の方が上手いです」

 

「本当? なら良かったなぁ」

 

 そう談笑をしつつ、トロイアは珍しいことにそこそこ早くコーヒーを飲み終えた。

 

「あれ、もうちょっとゆっくりしてっても良いのに。どうしたの?」

 

「あんまり長居するのも申し訳ないですよ。夜も遅いですし、迷惑かかる前に帰ります」

 

「大丈夫だよ! それに、次会えるのもいつになるか分かんないんだしさ」

 

「……まぁ、そうですね」

 

 そう言ってキョロキョロと彼は部屋を見回し、戸棚に置いてある小瓶に目を留めた。

 

「あれ? あんな瓶、元からありましたっけ?」

 

「あー……、ちょっとね。最近あんまり寝れなくてさ、それ用の薬」

 

 お店の物の整理を任せてただけある。流石だなぁ、トロイアは。

 

「……薬、ですか……。えっと、体調の方は大丈夫なんですよね?」

 

「うん、元気だよ。夜に寝れないだけだから」

 

 角砂糖を6個入れた紅茶に、何度もの形跡がある煙草の吸い殻。それと睡眠薬。

 見栄えしない色の数々が、私を嘲笑っているようだった。

 

「お願いなので、健康で居てくださいね」

 

「……できるだけ頑張るよ」

 

「あ、そういえば一応お土産持ってきたんですよ! 忘れないうちに……」

 

 トロイアはそう言って、下に置いていたカバンから何かを取り出そうとする。

 

「みんな何か持って来てくれてて、本当に頭が上がらないよ。ありがとうね」

 

「いやいや、何も持たずになんて来れませんよ。ということで、僕からはこれをどうぞ」

 

 そう言って私に手渡したのは、『トマトの苗』に『アサガオの種』と書かれた小さな袋。

 

「これは……?」

 

「書いてる通りの、植物栽培キット的なやつです。植木鉢が1個しかないので、同時に育てることはできないですけど」

 

 裏を見ると説明が簡単に載っている。大体1〜2ヶ月で育ち切るとも書いてあった。

 

「まぁ適当に、その辺に飾ってくれたら嬉しいです」

 

 植木鉢と土を取り出してカウンターに置く。

 

「ありがと! ちゃんと咲かせて、飾らせてもらうね」

 

「一応育てるのは簡単な方らしいので、先輩なら多分大丈夫だと思います」

 

「枯らさないよう、頑張るよ」

 

 そう言ったら、彼は満足そうな顔を浮かべた。

 

 

 

 トロイアが帰った後に、私はアサガオとトマトになるものに目を落とした。

 

 どっちが先に枯れるか、良い勝負かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅茶に入れた角砂糖が8つを超えて、灰皿に積まれた残骸が20本を過ぎて。

 

 段々と意識が朦朧としてきても、決して眠れやしなかった。

 

 置いてあった紅茶を飲もうとして、手が当たって中身がこぼれ出る。

 

 何かする気力はとうに消え失せてて、そのまま机に突っ伏して。

 

 わけもなく、勝手に涙が目尻を伝った。

 

 

 戸棚に置いてある睡眠薬の小瓶を取って。

 

 その後ろに隠してあった別の小瓶を取り出して、開けて、何錠かを取ろうとする。

 

「……あ、紅茶……なくなったんだっけ」

 

 そんな言葉が口からこぼれ出た。

 

 

 時間をかけて、紅茶を淹れて、一口飲んで、味があることを確認して。

 

 また小瓶に手を伸ばして、掴めるだけ、目一杯……。

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶり。元気してた?」

 

 その手は、彼女の手によって阻まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……ニジ」

 

 カウンターに座っていた彼女は、何も言わずに微笑んだ。

 

 

 

「ニジ、だよね? 幻じゃないよね?」

 

「幻みたいなモノだけどね。でも、ここにいるのはホントだよ」

 

 そういう彼女の手から温もりは感じられなかったけど、確かに実体はそこにある。

 

「紅茶1杯、注文してもいい?」

 

「……うん。ついさっきに私の分作ったから、すぐに淹れるね」

 

「ありがと。やっぱり紅茶が私は一番好きかな」

 

 カップにお茶を注いで、カウンターに置く。

 

「お待たせ、しました」

 

「聞いてるかもしれないけど、飲むの久しぶりだからさ。楽しみだったんだよね」

 

 そう言って、彼女はいつもの仕草で紅茶を呷った。

 

「あー、やっぱり美味しい! 流石店主さんだね、また美味しくなったでしょ?」

 

「……ねぇ、ニジ。あのさ」

 

 言いたいことがありすぎて、決壊しようとした私の口に指が当たった。

 

「……ちゃんと、何でも全部聞くよ。当分は消えないからさ、焦らなくても大丈夫」

 

 その指を離して、ニジは肘をカウンターについた。

 

「何から話したい?」

 

 ああ、この笑顔だ。

 

 

「私さ、ずっと寂しかったんだよ。ニジもトロイアもテルモもポエニも、いきなり私の前から消えちゃうからさ。ずっと私1人で、ずっとここでさ」

 

「ゴメンね。急にいなくなっちゃって」

 

「お客さんの相手をするたびにさ、何人かで仲良さそうに来てくれた人を見てさ。ニジ達のことを思い出して、心が最悪だったの」

 

「良かった、ちゃんと繁盛してて」

 

「何とか1年耐えてさ、1年経ったらまた来てくれるって噂聞いたんだ」

 

 引いてた涙が堰を切る。前が見えなくなる。

 

 

 

「死んだ人は、命日になったら会いに来れるんだって」

 

 

 

「……そっか。待っててくれてたんだ」

 

「今まで、みんなにもう1回会うために生きてたの。みんなを思い出すたびに頭が痛んで、何も考えないでいられる時間もなくなって。眠れないからって、薬を飲んで無理に寝て」

 

 横にずらした小瓶が光を反射した。

 

「ねぇニジ。私、頑張ったよね?」

 

「……うん、とっても。私には想像できないくらい、本当に頑張ったよ」

「頑張ったんだよ? 死にそうになりながら毎日、1年生きるたびに生きてたんだよ?」

 

「うん。本当に、頑張った」

 

「だからさ!?」

 

 手を置いてた小瓶にもう1度手を伸ばし、錠剤をありったけ掴み取る。

 

 

 

「もう、良いよね?」

 

 うんざりだ。ニジのいない世界なんて、うんざり。

 

 トロイアがいない世界も。

 

 テルモがいない世界も。

 

 ポエニがいない世界も。

 

 私だけの世界も。

 致し方ないこの苦しみから、どうにかして逃げたかった。だから。

 だから。

 

 だからさ。

 

 

 辛さも、苦しみも、全部紅茶に、ありったけ溶かそうとした。

 

 

 

 

 

 

 

「ダメだよ」

 

 人に抱きつかれたのは、いつぶりだろう。

 腕の力が抜けて、掴んでた薬がバラバラと床に落ちる。

 

「──―ニジ」

 

「ダメ。それだけはダメ」

 

 囁くように、力強い声で。

 

「お願いだから、やめて」

 

 一言喋るたびに、少し力が強くなるのを感じた。

 

 

「まだ生きてなきゃダメ。お願いだから、死なないで」

 

「……嫌だよ。私だけ1人残ってさ、これ以上いたくない」

 

「じゃあ、会いに来るから。自分で死んでこっちに来ても、構ってやんないから」

 

「でも、1年に1回しか会えないんでしょ? 1年に……」

 

「1回は、絶対に会いに来るから。だから、死なないで」

 

 苦しいくらいに抱き締める力が強くなっていってるのに、心地は何故だか悪くなかった。

 

「ニジ……」

 

「絶対に。絶対に、死んじゃダメだから。私たちは、お前には絶対生きてて欲しいんだよ」

 

 体が離れていって、足がもつれる私をニジは支えてくれた。

 

 

「……なんで?」

 

「死後の世界も悪かないけどさ、生きてた方が何百倍も楽しいよ。私たちが保証する」

 

 頭を、ポンポンと優しく叩かれる。

 

 

「だからさ、死なないでよ。私たちを引きずってでも、お前は生きてくれよ。約束だ」

 

 

 

 

 

 

 

 ──―ああ、そっか、この笑顔だ。

 

 

 そう言って小指を差し出してる目の前の人は、私が大好きな。

 

 

 大大大大大好きな、私の宝物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カランカランと、小気味良く扉のベルが鳴る。

 

「はぁ〜……、今日のお客さんはさっきの人たちで最後かぁ。今日も頑張ったなぁ」

 

 そんなことを呟きながら、うーんと伸びをして、読みかけだった本に手を伸ばす。

 

「……あ、忘れちゃいけないや」

 

 そう思い立って鉛筆を取り出し、ノートの3冊目を開く。

 

「今日も色々あったよ。読むの楽しみにしといてね」

 

 誰に聞かせるわけでもなくそう口にして、私は鉛筆を紙の上に歩かせた。

 

 

 

 

 

 

 電気の光が戸棚の空っぽの小瓶に反射して、図らずも示されていた所。

 咲きかけのアサガオに、500円玉が2つ。

 

 

 それと、擦り切れるくらいに何度も読んだ、一通の手紙が置いてあった。

 

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大団円 雪国匁 @by-jojo8128

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