第2話 隠れ家の宿
だからこそ、
「警察は、何か事件が起きないと動かない」
と言われるのであって、
「事件が起こってからでは遅いのだ」
と、何度もいわれてきているはずなのに、それでも、動こうとはしない。
「何にこだわっているというのだろう」
地震などの災害は、ほとんど予知が難しいので、
「起こった後でしか、行動できない」
そもそも、地震が、
「いつどこで起きる」
などということが分かるわけもない。
しかも、地震が起こるのが、予知できたとしても、何もできないではないか。
もっといえば、予知できて、避難民を誘導しようとしても、実際に、起こっていないのだから、いくら、地震が起こるといっても、
「限りなく百パーセントに近い確率で的中する」
ということでもなければ、誰が信じるということであろうか。
住民だって、暇なわけではない。いくら、当たる確率が高いと言われているとしても。仕事を放棄して、いつ起こるか、どこで起こるか分からないものを信じて、逃げ出すわけにはいかないというものである。
そんなことを考えると、
「警察は、事件が起きないと動いてくれない」
というのもある意味、しょうがないことなのかも知れない。
しかし、実際に当事者になってみると、
「警察がいかに頼りないか?」
ということが分かる。
これは警察に限ったことではない。
例えば、
「家庭内暴力や、親が子供を虐待している」
などという状況も結構あったりするが、それも、学校の先生が、自治体の、
「児童相談所」
のようなところに連絡し、そこで、出張訪問のような形で、その実態を知ろうということになるのだろうが、相手の親も、
「自分が、子供を虐待している」
ということを悟られないようにしようと、必死になっていることだろう。
いくら、自治体からの相談員といっても、家の中までズカズカと入り込むこともできないだろう。
実際には。
「一刻を争う」
という状態になっていることもあるというではないか。
「警察の介入が、不可欠」
というほどの虐待が、今こうしている間にも、どれだけ起こっているか分からないというほどになるのではないだろうか。
実際に、
「手遅れ」
というような状態に近かったことも限りないほどにあることだろう。
それを考えると、確かに、
「プライバシーの問題」
というのもあるが、警察の捜査範囲であったり、能力をもう少し広げるということも、これから、議論があってもいいのではないだろうか?
これらは、どうしても、法律の根幹として、ジレンマに陥ることであり、それぞれにいい分もあるだろうから難しい。
ただ、エスカレートしてきて、
「誰かが、死に至る」
ということだけはあってはいけないことであろうから、警察の捜査権の拡大というのは、これから必須になってくるだろう。
もちろん、そのためには、マニュアルや法整備が不可欠となり、これ以上の被害が増えないための、
「抑止力」
ということも大切になってくるだろう。
そんな、虐待を行う、家族というのが今どれくらいのものになっているのかということは分からない。
なぜなら、分かっていることは、
「氷山の一角」
であり、実際には、その数倍の実態が隠れているのは、分かっている。
それは、学校の苛めにしてもそうである。
学校などの、隠しようのない場所であっても、先生に分からないようにしているのだから、家庭内という、
「プライバシー」
という言葉で守られているところであれば、なおさらのことである。
こういう場合のことを考えると、
「プライバシーって何なのだろう?」
ということを考えさせられる。
片方では、
「守らなければいけない原則」
のようなものなのに、実際には、それを隠れ蓑にして、犯罪行為が行われているという事実も実際にはたくさんあるのだ。
それを考えると、
「警察だけに、捜査権があっていいのだろうか?」
という、相談者の判断で行動できる範囲を増やすというのも、検討すべきではないかと思う人は、少なくはないだろう。
警察の捜査に、時間的な限界があるのであれば、捜査員にも、警察とまではいかないが、もっと踏み込んだ対応ができるようにすればいいのだろうが、これも難しいことではないだろうか?
というのも、
「警察と同じだけの権限を与えるということは、警察と同じだけのリスクを背負う」
ということである。
「相手の領域に入るということは、警察のように、日ごろから、逮捕術の研修であったり、日ごろの鍛錬によって、少々のことでも、身を守ることができる」
ということである。
しかし、家庭相談員は、そんな警察で、日ごろ受けているような訓練も受けていないし、その判断力にも、マニュアルのようなものはあっても、
「深入りしないことが前提のマニュアルしかない」
ということになると、
「相談員に何かあった時は、誰が守るというのか?」
ということになるのだ。
それだけ、今の世の中は、
「相手に踏み込めるだけの権利や力のある人は、リスクがあるので、それを払いのけるだけの力であったり、助けが必要になるということだ」
そして、基本的に、それは、
「他力本願ではいけない」
ということになるのであった。
「人に守ってもらうくらいであれば、自分で守らなくてどうする」
ということだ。
それぞれに、皆、
「いっぱいいっぱい」
で生きているので、基本的には、
「自分の身は自分で守る」
ということになる。
身体的に、精神的に、それができない人のために、相談員であったり、警察があるのだ。
特に、精神疾患を含む、障害者。あるいは、子供や老人、一部の女性などの弱者などを守るための組織が、警察以外でたくさんできているのも、無理もないことであろう。
「児童相談所」
「女性相談所」
「障害者施設」
などというものも当然のように増えてきていることであろう、
それらの施設は、実際に稼働していて、あなりの人が訪れていることだろう。
しかし、実際には、事件につながることが減ったわけではない。それは、やはり、
「相談はしても、実際に、家庭のようなプライバシーに踏み込むことは、なかなか難しい」
ということになるからであろう。
相談というと、その内容、いわゆる、
「程度」
というのにもよるだろう。
近所の人から、
「あの家から、毎日のように、悲鳴が聞えたり、父親の罵声が聞える」
という相談を受けたとしよう、
もし、その相談相手が、警察であったりすれば、警察としては、その騒音が鳴っている時間を確認し、
「その時間前後のパトロールを重点的に行う」
というくらいしかできないだろう。
時間を変えられると同じことなので、そこも難しい。
ただ警察としては、
「善良な市民からの情報を見逃したとして、それが原因で事件が起こったとすれば、その責任は、重大だ」
と言えるだろう。
だから、警察とすれば、
「市民から得た情報の範囲で、できるだけのことをすればいい」
という考えだ。
「どうせ、事件というのは、どんなに警戒しても、警察の能力にも限界があるので、防げない時は防げない」
ということである。
それをそのまま、世間に言えば、それこそ、総スカンを食らってしまうのは、当然のことで、だとすれば、
「できるだけのことをした」
というアピールさえしていれば、大丈夫ということになる。
それでも、実際に死人が出てしまうと、その矛先は警察に向けられるだろう。
しかし、それをすべてまともに受け入れてしまうと、警察の本来の仕事が、おろそかになってしまい、下手をすれば、
「警察は何もできない」
と言われるどころか、本当に何もできないということが露呈することになる。
だから、
「警察は、何か起こらないと、何もしない」
というのは、当たり前のことで、
「そういわれた方が、その先のリスクを考えるよりも、どれだけ楽であるか?
ということになるであろう。
確かに警察は、
「何もしない」
ということであるが、実際には、
「何もできない」
ということにもつながる。
マスゴミは警察よりも強い。
「ペンは剣より強し」
と言われるが、
「変なウワサ」
であったり、ゴシップ記事などを書かれると、ウソっぽい話でも、
「何かあるのではないか?」
と思わせるマスゴミの力は、実際に、強かったりする。
そんな状態は、
「家庭内暴力」
に限らない。
大人の世界でも、会社内という世界でも、会社が、いわゆる、
「ブラック企業」
というものであれば、
「ブラック企業」
なる今のいわゆる、
「極悪」
といってもいいような悪辣な社員への迫害のようなものは、
「労働基準局」
に訴えれば、改善命令が出されたりするのだろうが、どこまでが、その対象なのかというと、難しいところである。
いわゆる、世間における、
「ハラスメント」
というもの。
「パワハラ、セクハラ、モラハラ、マタハラ」
などと、もっともっとあるだろう。
まだ、定義されてはいないが実際に存在するハラスメント。
さらには、実際にまだ、表に現れていないが、それはむしろ、今ではいいことのように考えられていることかも知れない。
昔だったら、バブルの時代などは
「残業残業で働くことが、美徳であり、給料もそれに見合った金額をもらっているのだから、それは当たり前のことだ」
と言えるのではないだろうか?
しかし今では、
「ブラック企業」
ということで、監査の対象になったりしている。
何といっても、昔は美徳だったというその内容が、医学の発展などによって。
「若い頃にムリをすると、大人になってから、身体が動かなくなる」
という、目先のことだけではないという発想が、出てくるのだった。
それは、スポーツの世界でもあることで、
野球などでは、昔であれば、
「エースであれば、先発完投が当たり前」
と言われ、
「優勝が懸かっている試合」
などでは、
「毎試合のように登板」
というのが当たり前だということになるのだった。
しかし、
「肩は消耗品」
と言われ、肩を壊したからといって、手術をすればいいというものではなく、肩を壊したら、選手生命は終わり、
と言われていた。
実際に、監督の言われるままにムリをして、せっかくのエースが、数年で潰れてしまったということはざらにあった。
少々活躍した選手でも、簡単に、フロント入りができるわけでもなく、数年で、
「プロ野球界から去る」
ということは、当たり前にあったりしたのだ。
実際に、プロ野球界において、
「監督やコーチ、さらには、フロント入りなどというと、
「よほどの実績がないと難しいだろう」
確かに、
「ムードメーカであるが、選手としては目立っていない」
ということであれば、
「コーチという道はあっても、なかなか監督というのは難しいだろう」
ということであった。
もちろん、
「コーチからのたたき上げ」
ということもあるだろうが、その道というのは、結構、険しい道ということになるだろう。
それだけ、年を取るということは、万人皆が、
「いずれは身体が動かなくなる」
という、本当のことなのであろう。
「野球を中心としたスポーツは、本当に身体が資本であり、やっと野球界も、選手を潰さ愛ということになってきたが、これがどこまで浸透するかということも、難しいものである」
と言えるだろう。
そんな会社ではあったが、最近では、忙しい時は忙しいが、そうでもない時は、少々くらいなら、休みが取れるようになってきた。
考えてみれば会社側だってそうだろう。
忙しい時に仕事をしてもらわなければいけないのに、忙しくない時も働かせると、それだけ無理させるわけで、本当に働いてほしい時に、何もできないというようなことになると、結局仕事ができないということで、会社側が困るということになるのだ。
それを思うと。
「旅行にでも行きたい」
と思うのは当たり前のことだった。
それに最近は、ブラック企業の代表選手のような会社であったが、今では、
「労働基準局に睨まれている」
ということで、社員への扱いが、ある程度、今までから比べればであるが、
「神対応」
に近づいていた。
今までは、残業代もくれないような会社だったので、その話も、労働基準局からの指導もあって、過去数年分の残業手当を支給するように言われたようだ。
もちろん、
「会社側の人間には、最初から残業手当のようなものはなく、それは課長以上であり、それ以外の社員には、支給された。
結構な額を貰えるひともいたようだが、秋元くらいでは、そこまではなく、それでも、一週間分くらいの旅行で、遠くに行かなければ、十分に賄えるくらいの額だった。
最初は、
「貯蓄でもしようか?」
と思ったが、
「やっぱり、癒しを求めて旅行に行こう」
と思い、
「富士山が見えるところがいい」
ということで計画したあのだった。
秋元が済んでいるところからでも、富士山は見えなくはないが、見える感じのところで、「富士山の反対側がいい」
と感じたのだ。
富士山のまわりは、富士五湖などというような、湖があったりして、景色がいい。
ただ、今回、行ってみたいと思っていたところが実は最初からあった。
かつて聞いたことがあったのだが、そこは、
「森に囲まれた湖で、まるで日本ではない。どちらかというと、西洋の城が見栄てきそうな、キレイなところだ」
ということであった。
その場所を、聴いたのは、まだ学生の頃で、学生時代に、
「彼女ができたら、一緒に行きたい」
と思っていた場所で、残念ながら、学生時代に彼女ができなかったということで、一緒に行くことはなかったのだ。
ということで、ずっといけていなかった場所だったので、残念だと思うながらも、ずっといけず、残念に思っていたのだ。
しかも、就職した会社もブラックで、彼女をつくるどころか、
「いつ、会社を嫌になって辞めるか?」
ということになるか、
「身体を壊して、出社できなくなるか?」
というような悲惨な末路しか想像がつかなかったので、
「彼女をつくる」
などということは、夢のまた夢だったのだ。
そんな中において、今回、
「これまでの残業手当未払い分が戻ってくる」
ということであるが、もちろん、全額が戻ってくるわけでもなく、貯蓄するとしても、それはそれでよかったのだが、それ以上に、
「何か気分転換がしたい」
という意識があったことから。
「旅行に出よう」
と思ったのだ。
本来であれば、
「彼女ができれば」
という気持ちもあったのだが、それを考えてしまうと、
「いつまで経ってもいけるわけはない」
ということで、
「それだったら、現地で女の子がいれば、仲良くなりたいな」
というくらいのつもりでいたが、考えてみれば、そんなに人気のあるところではなく、どちらかというと、密かな、
「隠れ家的なオアシスのような場所」
ということで、
「女性に期待をするのは無理だ」
ということでもあった。
実際に、予約を入れると、今のところ、
「今は予約は一組しかいない」
ということで、10部屋くらいはありそうなとことろだったので、ちょうどいいくらいだと思っていた。
当日まで、数日あるので、まだ予約を、絶賛受付中ではあるが、いくらなんでも、満室になるということはなさそうだ。
しかも、
「隠れ家的なところ」
ということで、観光ブックにも、すべての本に乗っているわけではなく、一社くらいが載せている程度で、
「これであれば、本当に客が集まるとは思えないな」
ということであった。
実際に、宿に電話をしてみると、
「うちは、隠れ家のようなところだ」
ともいっていた。
「隠れ家という言葉を使うと、秘境のようなところに思われるかも知れませんが、そんなに田舎ではありません。皆さん、気軽に来ていただけますが、かといって、団体が来たり、騒ぐような人が来るということもありません。そういう意味では、そんな派手なところということでもありません」
ということであった。
ただ、一つ言っていたのが、
「もちろん、関係の建物の関係ではないですが、近くに、珠海の入り口のようなところがあるにはありますが、そちらには入らないようにとお話はさせえいただいていますね」
ということであった。
確かに樹海というと、正直、少し怖いところもあり、以前であれば、
「何かの事件が発生した時、近くで犯人が目撃されたり、あるいは、近くで犯罪があったりした場合は、樹海の捜査は行われていた」
のであった。
そして、ある一定の時期くらいは、ほとんど、捜索をすれば、行方不明者が、かなりの確率で見つかっていたのだった。
だが、その頃というのは、ちょうど、時代的に、高度成長時代が終わって、公害問題であったり、好景気の間に訪れる不況時代だったりして、
「零細企業の倒産」
などというものが、結構頻繁だった頃で、
「樹海で死んでいた」
というのも結構聞いたものだった。
そういえば、
「自殺の名所」
というのも、全国にはたくさんあった。
飛び込みなどでは、北陸の、
「東尋坊」
であったり、
「富士の樹海」
というのも有名だった。
そんな場所では、基本的に、
「死体は見つからない」
ということも多かったので、それを題材にした、探偵小説関係が多く描かれたりしたのだ。
戦後のトリックなどを使った、
「本格派探偵小説」
さらには、耽美主義であったり、恥辱殺人などと言った。
「変格探偵小説」
などという時代の小説があり、その後に出てきた。
「社会派推理小説」
などというものが増えてくると、その頃には、当時の、社会問題や社会風刺のような話が描かれていたのだった。
そのため、
「自殺の名所を舞台に使った小説も多く、その後くらいからテレビドラマとして出てきた、
「2時間サスペンス」
などというと、
「断崖絶壁が出てきて、そこで、探偵としての刑事、あるいはルポライターなどの人が、そこで、事件解決をして見せるのであった」
事件解決の場面が、
「どうしていつも同じ、断崖絶壁なのか?」
ということはさておき、そこで謎解きが行われると、犯人は、
「動かぬ証拠」
を突き付けられて、言い逃れはできない状態になっているのだった。
それが、
「自殺ブーム」
と言われる世情への皮肉のようなものだったのかというと、何とも言えないが。
「2時間ドラマというと、なかなか毎回、事件を起こして解決しなければいけないわけで、同じようなシチュエーションが出てくるのは仕方がない」
と言えるだろう。
しかし、これを逆手に取って。
「探偵小説と、断崖絶壁」
というワンパターンを、事件解決の手段として考えることができないだろうか?
ということであった。
確かにワンパターンではあるが、探偵の種類を変えたり、探偵の本職に関係するような事件展開であったりと、それぞれに発想も浮かんでくるというものである。
今回は、結局、誰と一緒に行くわけではなく、一人の旅行にすることにした。
そもそも、
「彼女と一緒にいくのでなければ、一人でいく」
ということは前々から決めていたので、
「最初から考えていたこと」
ということで、何も言わなかったのだ。
実際に一人で行くのを想像すると、想像というよりも、妄想が膨らんでくるようで、
「彼女ができるかも知れない」
などと、少しでも考えたとすれば、
「この考えは、もし、彼女ができなかったとしても、余計なことを考えたから、バチが当たったというように考えれば、実に都合のいい考えになる」
と言えるものだった。
実際に、旅行に出かける前に、もう一度予約状況を聞いてみると、
「あれから、2,3組増えたくらいですね」
ということであった。
それくらいであれば、満員ということはありえないし、女性グループでもいれば、嬉しいな」
と感じるのだった。
ただ、相手もグループだと、こっちは一人なので、
「仲良くなるすべはないか」
というのであった。
旅行当日になると、表はキレイに晴れ上がっていて、
「現地の天気は快晴で、気温も湿度も快適だ」
ということであった。
「これは、本当に旅行日和だ」
ということで、
「最初の計画通りだ」
ということは間違いないのだった。
旅行の第一段階は、大成功だといえる。
第一段階は、旅行に出かける前、こちらを第一段階だといってもいいのか、難しいところであったが、天気が悪くて、体調を崩すことを思えば、何ぼかましだといってもよいだろう。
電車は、なかなか来ないし、バスも2時間に一本というところで、なかなかの、
「秘境」
といってもいいのだろうが、ホテル側は、あくまでも、
「秘境」
というと、抵抗があるようだ。
だがm贔屓目に見て、都会の人間からすれば、
「秘境」
でしかない。
しかし、それはそれで悪いことではない。
それは、あくまでも、
「旅行者」
ということで、それこし、
「一期一会」
つまり、旅で出会う人は、その時だけの付き合いということなので、田舎であっても、毎日住んでいるわけではないので、
「田舎」
と言われてしまうと、とんでもない田舎に引きこもっているということを感じさせられることになるのだ。
「このあたりに住んでいる人がどういう気持ちなのか、聞いてみたいものだ」
ということを考えていた。
田舎に住んでいると、どうしても、都会暮らしに憧れるが、そうなると、どうしても、田舎というものが、鬱陶しくなる。
「田舎育ちだ」
といってしまうと、
「自分が恥ずかしくなる」
であったり、
「なるべく田舎の言葉を喋りたくない」
ということを考えていたりすると、
「そんな自分が恥ずかしくなるというそんな自分が、情けなくなるのだ。
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