第4話 月明けの昼とモノクロ写真
「いやあ、まさかリカちゃんのほうからお願いされるなんてねぇ。わたしの家なんか何もないのに。」
「話が違うんだけど。」
「違くないよ。何もないという言葉と何かが存在するという言葉は両立できるからね。」
相変わらず意味があるのかないのかもはっきりとしない自論を持ち上げて、隣を歩く北村志保がふふふと奇妙に笑う。
私たちは気温が35度はあるであろう外気を浴びながら、北村志保の家へと向かっているところだった。先ほどこの女が言った『私が北村志保の家に行きたいとお願いした』という言葉には、いくつか訂正しなければならない語弊がある。
まず、なぜ私たちが前回ショッピングモールに出かけたのに続いてまた会っているのかというと、この女が私をわざわざ塾の私の席まだ来て誘ってきたからだ。
連絡先は交換したんだから、そっちを使えよ。
わざわざ肉声じゃなくて文面で誘うこともできたはずなのに、断りにくいように直接交渉にかかるという荒技を使われたせいで、押しに弱い私はあれよあれよと説得させられて結局今日も会うことになってしまったのだ。私って案外単純な人間なのかもしれない。
それでだ。
私は何も聞かされずにいつもの塾の前で北村志保を待っていたわけだが、現れた彼女は私をどこに連れて行くでもなく、ただ雑談しながらぶらぶら歩くだけだった。
そしておもむろに私に自慢するようにぺらぺらと自分の家について語り出した。
いろいろとウザい口調であったので話は割愛するが、大体まとめると彼女は大金持ちの家の令嬢様で今は一人で豪邸に暮らしているらしい。
ほんとうか?
確かにそれなら気前よく奢ることにも辻褄が合うが、にわかに信じがたい。
こんなやつが財を握っているとかもう終わりだろ。
んで。
もちろん私は懐疑心を多く含んでいたせいで、大してまともに取り合わずはいはいと受け流していたのだが、彼女の、実際に家に来てくれればわかるよ、という一言によって行き場所が半強制的に決められてしまったのだ。
無論断ることもできたわけだが、それだとこの女と隣り合って歩く意味がいよいよなくなるので嫌々ついていくしかない。
嫌なら帰れよ、私。
ここで帰る選択肢が選べなくなるからこの女は厄介なのだ。
どうも私の『なんとなく』性格とこの女のすべてを受け入れるような性格は相性が悪い。積極的な人は苦手だけど憎めない、という私の個人的な好みの問題でもあるかも。
なんにせよ、こんな場面でもなんとなく帰れない雰囲気を出されてしまうと私はいよいよ流れに沿うことしかできない。
というわけなので決してわたし自身がこの女の家に行ってみたいとねだったわけではないのだ。
それを妹に手を合わされて仕方なく、みたいな風に言われても困る。
しかもここまで来て家には見るものなどない、と言い始める始末だ。
「ホントなんだよね。」
「何が?」
「家が超豪華ってはなし。」
「さあどうでしょう。」
息の根を止めてやろうか。
この人は殺意を沸かせるのが好きなようだ
それでも、なんだかんだ言ってついていってしまっている私もちょっとどうかしているとは思う。
しばらく隣からのおしゃべりに適当に相槌を打ってつつ歩く。
途中、北村志保が石段につまづきそうになって、私が支えてあげる、というハプニングも起こったが、なんとかことなきを得た。「リカちゃん、ありがとう。」純粋に言って私に体を預けるこの女に、どこか愛嬌を感じたことはどうでもいい。
こんな表情もできるって、カメレオンみたいな女だなって。人生苦労してこなかったような、二色の色以外存在しないみたいな奴だ。
繰り返すけどどうでもいい。
古臭い商店街を抜けて閑静な住宅街へと突入すると、あたりは豪邸とは言えないまでも、明らかにそこらの普通の家よりは立派な家々が並んでいた。建物も大きいし庭も大きいし駐車場も大きいし、ついでに高級車もたくさんある。
疑惑しかない状態でついてきたが、実際のところここらの住宅街に住んでいるとしたら、大金持ちなのも納得がいく。
「もう少しだよー。」
「こっちだって暇じゃないんだから、あんまり巻き込んでこないでよ。」
「どうでもいいけど、敬語やめた?」
「使う価値がないと判断した。」
「それは英断だね。」
見た目も風格もどう見ても年上だし、実際年も一つ上なわけだけど、私はこの人に敬意を示す義理なんてない。だから言語の常識を壊してもいいはずだ。事実、指摘はしたものの北村志保は特に不満な様子もなく話を再開する。
「ついたよ。」
しばらく歩いたのち、北村志保が足を止めて私を留まらせた。
そして顔を見上げて驚愕することになる。
驚愕というか驚天動地、流石にあり得ないことが起こったように神経が浮き上がるような気がした。
北村志保の家、面積は……少なくともわたしの高校よりは広そうだ。でっかい建物にでっかい庭があって森とか噴水とか、なんか色々ある。
洋画の映画撮影会場に騙されているのではないかと思うくらいだ。
なんか、すごい。めちゃくちゃすごい。
「………ここ、ホントにあなたの家…?」
「うん。なかなかのものでしょ?」
「世の中理不尽だ……。」
こんなちょっと優しさがあるかないかくらいの、それ以外に取り柄のないような性格の悪い女が、なんでこんな莫大な富を形成しているのだ?その十分の一、いや、百分の一でもいいから私に分けて欲しいものだ。
予想外の豪邸と、社会の不条理に対する不満で頭がいっぱいいっぱいになる。
ふと、家の前にある相対的に小さく見える表札に目を向けた。
そこには、北村、ではなく、山下、と表示されている。
「山下、って書いてあるけど?」
「ああ、それね。わたしの本名、山下カナエっていうの。奏でるに恵まれるって書いて奏恵。ってことで今から北村という名は死んだことにしてね。」
あっけなく本名を公開した。
こんなタイミングでカミングアウトされても、豪邸のほうに目がいって衝撃度は薄い。
「なんで今本名公開?」
「リカは信用に値するからね。わたしたちもう親友でしょ?」
いつのまにか友達から親友はグレードアップされている。私的には友達でもかなり妥協してるんだけどな。
あと、いつの間にか私を『ちゃん』づけで呼ばなくなっている。
私だって敬語を使ってないんだから別に呼び捨てにされることくらいなんてことはないが、でも、ちょっと距離が縮まったような気がしてむずむずする。
「………ねえ。カナエって呼んでもいい?」
そして、なぜか自分から痒みの増す方向へと踏み出してしまう。
「もちろん。」
私は彼女のことを、どんな存在として捉えているのだろうか。
家の前に突っ立ったまま、棒立ちになって俯瞰する。でも、あまりその先は見えなかった。
ふと、この前ショッピングモールに行ったときに、カナエの背中を撫でて動揺させたことを思い出した。
ああいう慌てた反応をするところがもう一度みたいなって、なんとなく思った。
私って結構変態系な女なのかも知れない。
自戒は私を止めはしなかったし、機能もしなかった。
私はすーっと後ろに手を回して、この前と同じようにカナエのノースリーブの背中のラインに触れようとする。
でも、もう少しでというところで、ひょいと避けられた。
「ふふん。同じ手は食わないよ。」
カナエはにーっといたずらに笑って、私の手を引いて家に向かって歩き出した。
浮き草のような性格の私は、こうやって手を引かれるのが嫌いではない。
でも、今日はもっとわたしから悪戯したいという謎の高揚感が湧いてくた。
「ちょっと待って。」
「ん?何?」
「耳、貸して。」
私が手を口にかざすと、カナエは何か耳打ちしたいのだと理解したようで、私の顔に耳を近づける。
そして、私は声を出す……のではなく、そのまま差し出された耳を唇で
喰んだ。
「ふわあっっ!?」
瞬間、カナエは大きく跳ねて私から二メートルくらい離れた。
何が起こったのか理解しかねる表情で動揺をあらわにする。
そういう表情が見たかった。
なんか、普段飄々としている人を動揺させるっていい気分がする。
本気で犯罪者気質があるのかもしれない。
でも、不思議と笑みが溢れるような気もしたのは否定できなかった。
「リカって、結構いたずらっ子?」
カナエが若干上擦った声で冷静を保とうとするが、揺らぎの色は消えない。
攻めるのは好きだけど、責められると弱いタイプなのかな。
「カナエも人のこと言えないよね?」
「うー。……今日はわたしの負けでいいよ…」
なんの勝負だよ。
でも、カナエの敗北宣言って、なんか……刺さる。
やばい、危機感を感じるレベルでキモすぎるぞ私。
本当に、私たちってなんの関係なんだろう。
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