第3話 手を伸ばすつもりなんてなかった

 私は今、知らない女と一緒に近所のショピングモールに来ている。

 正確には知っている女だけど、この人の素性をわたしは預かり知らないので実質知らない人扱いをしても許されるはずだ。


 午後3時をすぎたモール内は、平日とはいえ夏休みなのでそこそこな人数の人がいる。

 

 ここにくるのも久しぶりだな。

 この街は典型的な廃れた地方都市なので、遊ぶ場所があまりなく、数少ないその代表格がこのモールだ。

 中学生の頃は友達に誘われてたまに来ていたが、高校生になってからはせいぜい一人で買い物をする時くらいにしか来なかったし、受験生になってからは尚更だ。


「さてと、どこ行こっか。」


 私の隣に立つ北村志保はのびのびと楽しそうに笑う。揺れるブロンズの毛先が彼女という人間を語るように柔く揺れていた。


 私もこの人も受験が控えているというのに、こんな場所で時間を潰していいのだろうか。

 いや、よくないことは分かってるよ。

 じゃあなんでこの人にトコトコついてきたんだよって話になる。

 まあ、理由なんて特にない。『なんとなく』そうしたいと思ったからだ。

 どうせ質のいい勉強なんて最初からしてなかったわけだし、一日くらいサボっても大した変化はないだろう。こういう考えが人をダメにするのかもしれないけど。


「あ、ここ寄ろうよ。」


 北村志保が、指差した場所はブティックの前だった。

 

 服なんて興味ないんだけどな。

 別にいっか。本人が行きたがっているわけだし。別にわたしもやりたいことなんてないし。


「じゃあ、そこに入りましょう。」


 特に何も感情なく賛成して、中に入って散策していると、北村志保が嬉しそうにハンガーにかかった白のワンピースを持ってきた。


「これ、似合うかな?」


 ポーズをとって私に寸評を要求してくるが、似合うかと聞かれても、まあ似合うんじゃない?としか言えない。

 この人くらい美人なら何着ても似合いそうではある。


「似合ってるんじゃないんですか。」


 ぶっきらぼうに答えるが、直後、想像とは違うセリフが飛んできた。


「よかった。じゃあ、ちょっと試着してきてよ。」

「は?」


 試着室はあっちだよ、と方向を示されるが、問題はそんなことではない。


「私が着るんですか?」

「そうだけど。」

「いや、興味ないですケド。」

「そうなの?じゃあ別のやつ持ってくるね。」


 新たに調達してこようとする女を慌てて引き止める。


「そういうことじゃなくて。私は今日服なんて買う予定はありませんって。第一、お金だってないし。」

「わたしが払うよ。」

「そういう問題じゃなくて。」

「あ、わたしが払うってのは貸すってわけじゃなくて買ってあげるよってことだからね。」

「そういう問題でもなくて。」

 

 なんだこの女?

 昨日の時点で変な人だとは思ってたけど、出会って二日目で服を買ってあげるとか怪しさ100%だ。

 この人の雰囲気が一歳差とは思えないほど大人びているせいもあってか、悪い大人に騙されているような気分がする。


「買う時は自分で払います。今日は買いません。話は終わり。」

「分かったよ。じゃあとりあえずこれ着てきて。」


 何も分かってねえ。

 なんで買わないのに着るという話になるのか。


「いやあ、もしかしたら気に入ってくれるかもしれないしさ。そしたらまた今度来たときに買えばいいじゃん。」


 まったく合理的ではないと思ったけど、北村志保がほらほらと無理やり手渡してくるので、疑念たっぷりの顔で受け取って試着室に向かうことにした。 


 会話のペースが簡単にむこうに握られてしまうことはいい気分ではなかったが、これ以上反抗したところで重箱の隅を突かれることは容易に想像がつく。


 でも、その前に私も何かしてやらないと気が済まなかったので、試着室に行くふりをして北村志保の背中のラインを触れるか触れないかの距離で軽く撫でてみた。


「ひゃあっ。」


 高く声をあげて、北村志保はそりあがった。

 自分でやっとしてなんだけど、そんなに反応されるとは思わなかった。

 

「な、なに?」

「いや、別に。背中、弱いんですね。」


 うう…と唸る女の横を抜けて、試着室へと向かう。初めて、ちょっとだけ主導権を握れたようでいい気分になった。


 それはそれとして、着替えながら考える。

 そもそもあの女はどうして私にそんなに構ってこようとするのだろう。

 私たちの関係なんて、妥協したとしても知り合いだ。昨日出会って今日遊びに出かけるとか、展開が早すぎてついていけない。

 それなのに、『なんとなく』でついてきている私は彼女に何を感じているのだろうか。

 まあ、こうやって気ままに身を任せるのも気分的には悪くないけど、流石に疑問が多すぎる。


「おっ。似合ってるね。」


 私が試着室を出たのと同時に、開口一番、すぐ前で待っていた北村志保が声を上げる。

 彼女の声を聞くに、残念ながら一瞬だけとれた優位はすでになくなってしまっているようだ。

 

 実際に着てみた個人的な感想としては、まあ悪くはない。でも、買うかと言われたら多分買わないくらいのラインだ。


「どう?そのワンピース。」

「……普通くらいです。」

「じゃあ、こっちも来てみて、あ、これもね。」


 そう言って、何着も違う服を押し付けてくる。

 試着してみるのは別につまらなくはないけど、こんなことをさせてこの女に何かメリットがあるかはなんとも不思議だ。

 存在自体が私の常識から外れた不思議な女なんだから、それも当然なのかもしれない。

 

 結局、着せ替え人形のように幾度となく服を着させられ、いつの間にか時間が経っていた。ファッションショーじゃあるまいし、私に服を着せたところで誰にも何のメリットもない。

 気に入ったものもいくつかあったけど、どちらにせよ今ここで買うことが不可能である以上、私たちはただ試着室を占領している迷惑な客でしかない。というか客ですらない。



 ようやく解放されて、店の前で待っていると、なにやら両手に袋をさげた北村志保が出てきた。


「なんですかそれ。」

「服だよ。買った。」

「………誰の?」

「もちろんリカちゃんの。」


 だからなんでだよ。

 丁重にお断りしたはずなのに、すっかり無視されていたようだ。

 というかこんなにたくさん人のために買えるなんて、どれだけお金に余裕があるんだこの人。


「いらない。」

「でももう買っちゃったから。」

「自分で着ればいいじゃないですか。」

「どうしてそんなに嫌がるの?リカちゃんからしたらタダなんだから持ってってくれていいのに。」


 どうしてって言われても。


「私たちはそんな関係じゃないでしょう。」

「そう?友達なんだし、別にいいと思うけれど。」


 いつから私たちが友達になったのか。

 第一、友達だとしてもおかしいだろ。


「じゃあ、何着かだけでももらってよ。一人でたくさん持ってても困るしね。」


 そう言って、これとこれと、と私が貰う服を選別し出した女に私はもうついていけない。

 私と比べて彼女はあまりにも自分の世界を広く持っていた。


「はい。プレゼント。」


 手渡された袋の中には服が何着か入っていた。

 全部私が気に入ったやつだった。


「……何を根拠に選んだんですか。」

「似合ってるなっておもったやつかな〜。」

 

 全てを見透かされたようでむかつく。

 私はこの人のことを何も知らないのに、この人は私のことを全て知っているようだった。お互いに出会って2日なのは変わらないのに、どうしてこんなに差がつくのだろう。


「お金持ちなんですか?」

「まあね。だから気兼ねせずに貰っといてくださいな。」

「…………ありがとうございます。」

「どういたしまして。」


 優しい。

 もしこの人がなんの悪意もなく接してきているとしたら、ただのいい人だ。

 私なんかに優しさを見せないでほしい。

 私なんか、施される価値のある人間じゃない。ただ平凡に、退屈に生きてきただけなんだ。

 なんでもない存在の私に、勝手に色を塗っていくように、北村志保は笑った。


「そうだ。連絡先交換しようよ。また今度遊べるようにさ。」


 その提案に簡単にのってしまったことは、確実に心が揺れ動いている証拠だった。

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