第2話 平凡な日常と未知の現実
携帯のアラーム音がけたたましく鳴り響き、私にとっての朝を知らせる。
見ると、時刻は朝9時を指している。
きっちり八時間眠ったはずなのに体が重いように感じるのは何故だろう。
気だるさを感じながら布団から這い出たあと、あくびをしながら洗面台へと向かう。
父も母も仕事に出ている。今まであった『夏休み』と言う概念は大人になってもあるかもしれないが、その日日はお盆休みくらいになってしまう。そう考えると、大人になりたくないなぁと思うこともしばしばある。
髪を整えて、身支度を済ませる。やることもないのだから、塾に行って勉強するしかない。
家を出て鍵を閉めると、急いで自転車にまたがって塾へと続く道なりを走る。急いでいる理由は特にない。これも『なんとなく』そうしたいと思ったからだ。
自転車のサドルも暑くなっているし、直接私を照らす太陽はもっと暑いような気がした。
いよいよ夏本番って感じがする。
自転車を飛ばして塾に着くと、やはりまだ早い時間だった。受講の時間まで20分ほどあることを確認する。
とはいえ特ににやることもないので、塾の教室に入って携帯でも見てよう、と廊下を歩く。
「あ。」
思わず口を開いた。
私の目線の対角線には、昨日出会った女性、北村志保がいた。
本当にこの塾に通っていたんだ。
昨日の様子を見るに、今日も例のハイテンションで話しかけられるかな、と思ったが、彼女は私の正面から歩いてきて、そのまま何も言わずにすれ違って去っていった。
昨日のことを忘れられたのか、それともなんらかの事情で話しかけてこなかったのかは定かではないが、別に話しかけられなくても私に問題はないので放っておいて教室に向かった。
授業に参加し、終わった後は自習室で勉強する、夏休みのルーティーンを適当におくっていると、いつのまにか時刻は3時になっていた。
いつものように席を立ち、塾を出る。
最近は本当に暑くなっている気がする。もうそろそろここに来るのもやめようかな、と考えつつ公園の中に入り込む。
並木通りを進み、ベンチの在処まで一直線へと歩く。
昨日と同じように、先客がいた。
今度は人だった。
何をすることもなくベンチに座っていたどこか遠くを眺めていた北村志保は私の姿に気がつくと、笑顔でこっちこっちと手招きしてきた。
「やあやあ、久しぶりだね。えーっとリカちゃんだ。」
名前くらい覚えておけよ。
「こんにちは。北村志保さん。」
こっちは丁寧にフルネームで呼んだが、北村志保は頭にクエスチョンマークを浮かべて、むむむ、と唸り始めた。
「あー。あ、そっか。そうだ。私は北村志保だったね。こんにちわ。」
なんだ?その反応。まるで自分の名前じゃないかのようだ。
「知らない人に名前を教えちゃいけないって子供の頃教わったからねー。」
「は?」
そこでようやく目の前の女が言っていることを理解する。
「本名じゃないんですか。」
「正解。でもあなたの前だと私は北村志保だからね。そのまま呼んでちょうだいね。」
何がしたいんだこの女。
仲良くしたいと言ったり、そのくせ偽名を使ったり。
「そうだ。リカちゃんと一緒に食べよーと思って、これ買ってきたんだ。」
そう言って、大きめのお菓子の袋を取り出して、封を開ける。
「私これ好きなんだ。ちょうどいい辛さが癖になる。」
ここに座って、と言わんばかりにベンチの自分のとなりをトントンと叩く。
話についていけないが、とりあえずしたがって隣に座る。
「おいしいねぇ。」
ムシャムシャという表現がよく似合う咀嚼音を立てて、赤くてからそうな揚げ菓子を口にする。
一緒に、というのだから私も遠慮なく手にとって口にする。
めちゃくちゃ辛かった。2つ目を手に取ることはなかった。
「リカちゃんはさー、大学に行って何したい?」
口にお菓子を含み、モゴモゴしながら北村志保が言う。
「なんとなくです。」
「あはは。そう言うと思った。なんだかんだいって結構みんなそうだよね。べんきょーしたいことなんてないよね。」
わたしも勉強したくない、と言って北村志保が笑う。一緒にしないでくれ。
「じゃあさ。やりたいことがないなら今から一緒に遊ぼうよ。」
何を言ってるんだこの女。
なんでそんな話につながるのかもわからないし、そんなことをするメリットがあるかどうかもわからない。
私が何を言えばいいかわからずただ唖然としていると、北村志保は左手で私の右手の手首をぎゅっと握った。
「沈黙はyesだ。さぁ行こう。」
元気よく言うと、そのまま立ち上がって私を引っ張りながら歩き出した。
私はといえば、何も言えずに、ついていくでもなく抵抗するでもなく、ただただ流れに身を任せて引っ張られ続けた。
断るべきだと思ったけど、何故か声が出なかった。
北村志保も、私も、違うベクトルで不思議な女だった。
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