夏の出会いに運命を
佐古橋トーラ
第1話 「なんとなく」、ただそれだけの出会い
夏と言われたらなにを思い浮かべるだろう。
夏休み、夏祭り、海などの楽しいイベントか。
それとも蚊に刺されることや、暑さに苦しむといった煩わしいものか。
人によって考えは違うだろうが、毎年夏になれば世間一般的には長期の休みはあるし、虫は湧くという統計は変わらない。
去年の夏も、今年の夏も、来年の夏も、きっと多くの人にとっては大きく変わらないだろう。
しかし私にとっては今年の夏は私にとって特別なものだ。一生に一度しかない、人生を変える時期だった。
その理由は、私は高校三年生の受験生であり、この夏は勉強につきっきりにならなければいけないからだ。
現役の受験生たちにとっては、今年の夏は特別なものと言ってもいいだろう。
もちろん、浪人生にとっても夏は勉強に費やす時期であることには違いないが、現役生と違うのはその人数だ。
多くの同じ世代の人が受験のために夏を過ごす。
そういう面で進学する高校三年生の夏は普段と違う特別なもの、と言ってもいいと思う。
私も例外ではない。
特にはやりたいこともなかったが、なんとなく周りに合わせて進学するものだと思っているし、勉強にもそれなりに真剣に取り組んでいる。
今日だって、塾の自習室に篭って世界史の暗記に精を出しているところだ。
…………2世、…………の戦い、…………朝、、、。
世界史の単語帳をめくりながら古代の偉人や戦の名前を覚えようとするが、すんなり頭に入ってこない。どうも横文字は苦手だ。
時計を見るとちょうど午後3時を迎えるところだった。
少し休憩しよう。もう三時間も休んでない。
思い立って席を立ち、誰一人声を上げずに静まった自習室を抜ける。
みんな集中できていてすごいなぁと、思う。私なんかすぐに携帯をいじってサボってしまうし、最近学力が上がっている自信もない。
このままで大丈夫なんだろうか。
不安を覚えながらもそのまま塾を出る。
先程まで感じていたクーラーの涼しさがじわじわと解けていき、夏を感じさせる暖かさが体を包む。
塾の目の前には大きめの公園がある。
その公園の日陰のベンチに座って休むのが私の日課だった。
誰かにどうしてここがいいのかと質問されたら、なんとなく、と答えるだろう。
本当に、なんとなく、なのだ。
特に何かが見えるわけでもないし、いい香りがするわけでもない。いつの間にかここで過ごすのが日常になっていただけだ。
公園に入り、緑の並木が並ぶ通路を歩く。
木々の葉から溢れでる太陽の光が肌に当たり、熱を帯びる。公園の遊具がある場所にはいつも子供たちが遊んでいるが、奥の方にはあまり人がいない。ベンチくらいしかないからまあ当然か。
少し歩くと、私が普段休んでいる木製のベンチが現れた。このベンチは通路の途中にあり、4人くらい座れそうな長さがある。
いつものようにベンチの真ん中に座ろうとしたが、今日は予想外にも先客がいた。
人ではなかった。
500mlペットボトルくらいの大きさの、女の子の顔が描かれた、こけし?がベンチの中央に鎮座していた。
なんだろう、これ。
少し不気味に思ったが周りに持ち主と思われる人もいなかったので、こけしをベンチの端に寄せて、私が真ん中に座った。
「悪いね。ここは私の特別席なんだ。」
聞こえるはずもない独り言をこけしに向かって放つ。
もちろん返事はなかった。
そのままこけしを放っておいて、スマホを取り出して、snsアプリを起動する。
ここに座って、何か特別なことをするわけでない。雰囲気を楽しむとか、緑に囲まれた場所で心を落ち着かせて読書をするとか、そういうのは興味ない。
ただなんとなくここに来て、なんとなく携帯をいじっているだけだ。
意味がないと思われたとしても、それが私の日常なのだから仕方ない。
snsに流れてくる興味のないポストを目線に入れながら、画面スワイプし続ける。
あれが人気だとか、これが話題だとか、興味がなくても知っておかないと、私は友人との会話についていけなくなってしまう。
だからこうやってスマホを眺めているわけだが、もしかしたら私は他の人に比べで感受性とかがないのかもしれない。まったく興味を持てることがない。
私が携帯に目線をやっていると、遠くから少しずつ近づいてくる足音があった。
このベンチの設置されている道は散歩コースなので、人が通ること自体はよくあることだ。この足音もそれだろう、と特に気にすることもない。
しかし、足音は私の目の前まで来たところで止まった。
「ねぇ、その子、とってもいい?私のなんだ。」
どこからともなく女性の声が聞こえてきて、私はのけぞるほどに勢いよく顔を上げる。
見ると、ブロンズショートヘアの、いかにも夏っぽいノースリーブを着た若い女性が私の前に立っていた。
「え、あ、はい。」
予想外の事象に戸惑って、よく考えずに反射的に返事をする。
「ありがと。」
女性はそう言って、私の右横に置いてあったこけしを手に取る。
そこでようやく私の脳は動き始め、冷静な判断を始める。
「あ、もしかしてそのこけしで場所取りしてましたか?すみません勝手にどけちゃって。」
そう言うと、女性は一瞬きょとんとした表情を見せたあと、あはははは、と急に笑い出した。
「場所取り?この子が?面白いこと言うね、君。ただここに忘れちゃっただけだよ。」
女性は笑いながら私の隣に座る。
そんなに笑うことかな。
まあ、よくよく考えたらこけしを使って場所取りというのもおかしな話だったかもしれない。
「ね、君。そこの塾行ってるよね。たまに見る顔だ。」
女性は爽やかな笑顔を浮かべ、嬉しそうに私に尋ねてくる。
「え、はい。そうですけど。あなたもそうなんですか?」
「うん。うん?少し違うかもしれないけど、まあ、そうかな。私、浪人生なんだー。今年で19歳。」
やけにテンションの高い女性は、私の一つ年上だった。
外見も雰囲気もどこか大人びていて、もっと年上かと思っていた。
「私は…‥18です。」
「そっか。受験生は大変だねぇ。」
まるで他人事みたいだ。浪人生なら現役生よりもより一層受験に対して危機感がありそうなものだが。
隣に座った女性は、手に持ったこけしをまじまじと眺めている。楽しいのかな、それ。
「あの、ここによく来るんですか。」
特に必要があるとも思わなかったが、なんとなく会話をこの人との会話を継続させようと思ったので、私から話を振ってみる。
「いや。今日たまたまここにきて、たまたまこけしを忘れて、たまたま君と出会ったんだよ。そう考えるとちょっと運命チックだね。」
「はあ。」
ただの偶然では?と思ったが口には出さないでおく。
「運命ついでだ。よかったら名前教えてくれない?ほら、勉強友達は多い方がいいと思うし。」
よくわからない人だな、と思った。
勝手にどんどんと話を続けて、私を引っ張ってくる。なにが楽しいのかわからないのに嬉しそうにしている、私がこれまでの人生で出会ったことのないような不思議な人だった。
名前を聞かれて答えようか悩んだ。正直この人が何を考えているかわからなかったし、私とは全然違う性格のこの人と、仲良くなんてなれないと思った。
でも、ここでも私の悪い癖が出た。
『なんとなく』、この人ともう少し話したいと思った。例によって理由は特にない。わからない。
でも、その『なんとなく』の本能に従うべきだと思った。これまでそうやって生きてきたから。
「橋立梨花です。」
気づいた時には返事をしていた。
「私は北村志保。よろしくね。」
これが私と彼女の出会いだった。
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