Chapter 11 「妖蛆」
巨人を倒してから既に一時間ほどが経過したはずだが、相変わらず俺は、ダム建設予定地の岩場に倒れ、取り残されたままだった。
それなりの時間が経過したはずなのだが、未だに気絶することも眠ることも出来ず、ただひたすら全身から伝わってくる痛みに耐えていた。
深刻すぎるダメージを受けると、人体はアドレナリンだかなんだかの脳内物質が過剰に放出されすぎるせいで、倒れることも気絶することも出来ないと聞いたことがある。
ようするに「脳内物質による火事場のクソ力が効いている間に無理でもなんでもいいから安全圏まで逃げろ」という人間の生存本能が働いているのだ。
生き続けるために全ての臓器が後先のことを考えずに全力でフル稼働している結果なのだろう。
こんな負傷状態だというのに、胃が「何か食わせろ、血が足りねえ」とばかりに腹音を立てているのもおそらくその関係だ。
もちろん、これは余力を前借りして引き出しているだけなので、別に体力や傷が回復したわけではない。
後で絶対に利子を含めてまとめて請求がやってくる。
今回ほどではないが、残業による残業で極度に体力を消耗した時にも、体力が尽きているのにどんどん元気が湧いてくる謎の現象があったが、おそらくそれと同じことが起こっている。
自己診断だが、最も重症なのは巨人の頭部から受けた、肋骨によるダメージ。骨折かヒビか?
それを筆頭に、全身に打撲や傷がある。
一部は出血も伴っているようで、あちこちから血が流れ出しているのを感じる。
止めたいのだが、止めるための薬がない。
更に連戦による連戦で体力の方もほとんど残っていない。
こんな状況なら素直に気絶させてくれて少しでも体力回復をさせてくれる方が楽なのだが。
痛みで朦朧とする視界の隅に白く蠢く「何か」が映った。
目だけを動かして「何か」を確認する。
それは牛くらいの大きさの巨大な白い蛆虫のような生き物だった。
全身は半透明の油が浮いたようなテカる粘液に覆われており、たまにその粘液がボコボコと泡立って何かガスのようなものを放出している。
半透明の液体の中の蛆虫は不健康な青みがかかった白色であり、よく見ると体中から短い無数の繊毛を震わせて不気味にうごめいている。
その醜悪な蛆虫は動く度にベチョベチョと嫌な音と悪臭を放つ粘液を撒き散らしながら、じわじわと俺との距離を詰めてきている。
「こんな状況でモンスターのおかわりかよ」
正体が何かは分からないが、少なくとも
「ゴキブリのようなテカり」
「蛆虫の不気味な動き」
「ヌタウナギの半透明の粘液」
これらを全て足して何も引かない、不快生物のハイブリッドが俺に対して友好的な生物だとは思えない。
虫を見慣れている俺ならともかく、都会育ちで虫がダメなモリ君など卒倒してしまうかもしれない。
体調はお世辞にも良いとは言えないが、身を守るためには戦って勝たないといけないだろう。
一匹だけならば何とかなるかもしれない。
倒れたままの状態で鳥を五羽呼び出す。
鳥でどう攻撃するべきか思案を始めたところで、指示を出そうとしたその手を止めた。
蛆虫の数が、いつの間にか一匹から三匹に増えている。
それだけではない。
巨人の胴体が爆破された場所にある石や土の下から、次々と蛆虫のようなものが地表へと這い出してきている。
最低でも十匹は居るようだ。
「収穫」で全てを根こそぎ刈り尽くした俺の周辺から蛆虫は湧いてきていないので、巨人の残骸を媒介に発生する眷属の類なのかもしれない。
当面の危機は目の前の三匹。
幸いにも巨人の爆破地点から俺の場所まではそれなりの距離があるので、目の前の三匹さえ何とか対処すれば、やり過ごす方法は思いつけるかもしれない。
ここで気付いた。
もしや、兵士達が俺の救出に来られないのも、他の場所で同じように蛆虫が沸いているためではないだろうか。
「一難去って、また二難三難四難くらいなんだが……」
まずは三匹の蛆虫に対応すべく、気合で無理矢理立ち上がる。
ただ、立ちあがっただけだ。
別に体力が回復したわけではないので、元気に動き回れることなどない。
本当に立っているだけである。
どうする? 五羽の魔女の呪いで取り零しなく全てを倒せるか?
現状は、体力の前借りで無理矢理動けているだけで、いつ倒れてもおかしい状況ではないのだ。
なので、まだ誤魔化しが効いているうちにやるべきことをやるしかない。
やらなければやられる!
「五羽を解……うわっ」
突如、蛆虫がその巨体に似合わぬ跳躍を見せた。
そう言えばあの巨人もあの巨体にも関わらず、恐ろしい速度で跳躍をしていた。
そういう特徴が一致するのも眷属故か。
鳥を解放して魔女の呪い? いや盾?
――いや、派生技だと対処に時間がかかる。今は一秒でも余裕が欲しい。
「極光!」
発動速度と命中精度ならば、単体の極光を放つのが最も効率が良い。
発動した瞬間に相手に当たるので、カウンターには最適だ。
普段は箒の先から放つが、今は箒はもちろん、他に代替できる武器も何もないので、仕方ないので手の平から放った。
三体全てを薙ぎ払うつもりではあったが、傷と疲労のために腕の動きが遅れて、狙ったよりも狭い範囲にしか光を当てることは出来なかった。
その結果、直撃したのは二体。
一体はわずかに掠った程度だ。
「これは……失敗したか……」
極光の攻撃力はかなり低い。
わずかな照射時間では巨大な蜘蛛すら倒すことが出来ない。
そう思っていると、極光の直撃を受けた二体の蛆虫は突然にその体をCの字のように丸めた。
何事が起ったのかと様子を見ていると、蛆虫の表面に纏わりついている半透明の液体が泡立ち、ボフッと音を立てて白い煙が噴き出す。
それと同時に周辺に何かが腐ったような生ゴミから出るような悪臭が漂い始めた。
蛆虫はそのまま何度か体から白い煙を何度か音を鳴らしながら放出すると、まるで内臓など存在しないように、割れた風船のようなペラペラの皮だけになって急速に萎んでいく。
極光はそれほど攻撃力が高いスキルではないのにも関わらずにこの効果だ。熱か衝撃かその他不明の効果が、たまたまこの蛆虫には特攻だったのだろうか・
倒れる時に白いガスのようなものを噴き出していたが、もしかすると、体内に何かガス袋的なものを持っていたので、そのガス袋が膨張か破裂かして、爆発したのかもしれない。
詳しい分析をしている時間などないが、何にせよこれで二体は倒した。
残るは一体。
極光はわずかにかすっただけなので、流石に倒しきれていない。
何かしらの追加攻撃が必要だろう。
「
蛆虫の突進を三羽の鳥で作り出した盾で逸らすことで距離を開け、開いた隙間に二羽の鳥をねじ込むように突撃させる。
だが、鳥の突撃は表面の半透明な液体をわずかに飛び散らせただけで終わった。
本体にダメージが入ったようには見えない。
表面の粘膜がクッションの役目を果たすので、対物理攻撃には強いのだろうか?
色々と厄介な性質だ。
群鳥と極光――俺は手は出し尽くしたが、結局蛆虫を一匹討ち漏らしている。
足は疲労やら傷の痛みやらでとっくに限界で言うことを聞かず、常に小刻みに震えており、立っているだけがやっとの状態だ。
逃げることは出来ない。
今はまだ維持できている盾も、次の極光が仕様可能になる三分後どころか、群鳥が次に使用可能になる30秒後まで持ってくれるとは思えない。
何か対策を考えようと必死で頭を回転させるが、痛みと疲労に邪魔をされて次の手が思い浮かばない。湧き上がってくるのは回生の手はなく、焦燥感だけだ。
こんな……
こんなことで終わる?
神経を集中させていると、遠くから大地を蹴る足音のようなものが響いてきていることに気付いた。
最初は幻聴かと思った。
こんな都合の良いタイミングで都合の良い助けなど来るはずがないと。
ただ、段々と大きくなるその音は、微妙な振動を伴っていたので、幻聴ではないと理解できた。
確実に何者かが、この戦場に近付いてきている。
最初は馬の蹄の音かと思ったが、それにしては音が軽い上にリズムが違う。
馬は四本の脚なので、タッタッタという二足歩行のような音にはならないはずだ。
似たような足音を聞いたことがあるような気がしたので、記憶の底から浮かび上がってきたものを掬い上げる。あれは確かダチョウ……
土を蹴る音は俺の背後の数メートルくらいほどの場所で急に止まった。
まさか誰かが助けに来たのか? でも誰が?
足音が止まったと同時に、突如として俺の目の前にいた蛆虫の全身が青い炎に包まれた。
青い炎が発する熱気の大半は盾によって防がれたが、それでも盾の範囲外からじりじりと熱風が吹き付けてくる。相当な熱量を持った炎だ。
蛆虫は半透明の液体を蒸発させながら、極光で倒された他の二体を同じように、Cの字に丸まったかと思うと、ボンと何かが爆ぜるような音を伴って、そのまま真っ黒な炭へと燃え尽きていった。
間髪開けず、今度は巨人が倒された爆心地を横薙ぎにするように青い閃光が走った。
爆心地から俺のいる場所までは距離があるので仔細は不明だが、土塊を掻き分けて地上に出て来ようとしていた蛆虫の群が、閃光によって薙ぎ払われ、目の前のそれと同じように焼き尽くされている。
相当な火力を持つスキルだ。
俺の背後にやって来た「誰か」の能力だろうが、これは援軍と考えてよいのだろうか?
スキルを使用した人物の正体が気になって振り返ると、そこにいたのは、足の長い二足で自立する首の長い恐竜。
そして、最初に出会った時と同じ、喪服のような黒いドレスに身を包んだ
「私のような現役を引退した老人が駆り出されるとは、この国もまだまだ未熟なところがあるようですね」
知事は恐竜の長い首を手で擦りながら言った。
首を擦られた恐竜の方も瞼を閉じて首を知事の手に預けて気持ち良さそうな表情をしている。
「なぜ知事がここに? 作戦本部から逃げたのか? 自力で脱出を?」
俺は驚きを隠せず知事と恐竜を交互に指さしながら言った。
何故政治トップの知事がこんな最前線に?
使用したあの強力なスキルは一体?
この二足歩行の恐竜はどういう生き物なのか?
次々と疑問が浮かぶが、痛みと疲労による思考能力の低下と混乱が上回り、何から話せば良いのか、うまく考えが全くまとまらない。
俺が何も口に出せずに困惑していると、知事は無言で俺に腹パン出来るくらいの至近距離まで近寄ってきた。
「体勢を立て直すため、この場から退避します。しがみつく程度の力は残っておいで?」
「はい、それなら何とか」
知事の考えは分からないが、ここで知事に付いておかないことには俺の命はない。
「では細かいことは後で説明します」
知事は俺を片手で持ち上げるとひょいと肩の上に担ぎ、更にそのまま恐竜の背に飛び乗った。
「ふえっ」
そのまま投げ落とされるように恐竜の尻尾に近い背の上に落とされる。
「全力で退避します。振り落とされないようにしっかり捕まりなさい」
「ちょっ……」
俺の話を聞く気など一切ないようで、知事が手綱を引くと二足歩行の恐竜は全力で飛び跳ねるように駆けだした。
俺は恐竜から振り落とされないように知事の腰に手を回して必死に抱き着く。
鞍などはないので、恐竜が段差などを飛び越える度にゴツゴツした恐竜の背が尻を突き上げて痛い。
だが贅沢は言っていられない。
知事はよく平気だなと思い見ると、恐竜には
そもそも恐竜は二人乗りを想定されていないのか、俺の分はない。
バイクみたいにタンデムステップ標準装備してくれよ。
人間二人を乗せて走っているというのに、恐竜はかなりの速度を維持して走っていた。
時速60kmは出ているだろうか?
速度もかなりのものだが、小刻みに左右に行ったり来たりしながら木陰から出てくる巨大蛆虫を回避する機敏さにも驚かされる。
この二足歩行する恐竜は、地球でいう馬に当たるポジションなのだろうか?
牛に当たるポジションがトリケラトプスだったことを考えると有りうる話ではある。
「貴方があまりに楽しそうに箒で空を飛びまわるのを見て、昔の血が騒ぎましてね。こうして昔取った杵柄で騎竜を持ち出すことになったわけですが」
「俺のせいとか言わないでくださいよ」
「貴方のせいですよ」
そう言うと知事はハハハと豪快に笑った。
どこまでが本気で、どこまでが冗談なのかは分からないが、冷徹で仕事が最優先の鉄面皮という初対面の時に描いていたイメージは少し崩れた。
今の方がより人間らしさを感じられる。
「本当はこんな誰かに与えられた地に足のつかない能力ではなく、人間が自力で身に着けた力で全てを片付けたかったのですが、それが出来ないということは、まだ努力が足りなかったということなのでしょう」
「それでも、この国の皆さんは俺を色々と助けてくれましたよ。知事も今こうして俺を助けてくれている」
「他の兵士の手が足りないというのだから、軍属ではない私が動くしかないでしょう」
「トップが現場に出てきて動くのは問題では?」
「たまには良いでしょう。たまには。立場があると出来ることが増える代わりに出来ないことも増えるのですよ」
知事は足で騎竜の腹を蹴飛ばした。すると騎竜が更に走る速度を上げた。こういうところもやはり馬と共通点がある。
「リプリィさんとか手が空いているのでは?」
「あの娘はまだまだ未熟者です。貴方達の中に適齢の男性がいれば嫁がせて鍛え上げさせようとは思ってはいましたが。あの戦士の子は貰ってくれそうですか?」
「うちの子はもう予約が入ってます。キャンセルできません」
「それは貴方ですか?」
「俺は親代わりです。もう一人の子ですよ」
「それは残念。日本人が他に何人かいれば、適当に相手を見繕って結婚させてこの国に留まらせようと思ったのですが」
とんでもない話がさらっと知事の口から出てきた。
俺が男のままここに来ていたのならば、ハニトラを仕掛けられていたかもしれない。
別にリプリィさんが嫌いと言うわけではないが、女性として好きかと言われると悩むところだ。
それに、俺は間違いなくヘタレで女性に手を出すことは100%ないので、空振りになるのは確定だろうが。
何故そんなことを言いきれるかって? 経験談だよ。
「ところで、あの蛆虫はなんですか?」
話がどんどん気まずい方向に行きそうだったので、俺は無理矢理に話題を変えた。
「それについてはまずは基地に戻ってからお話ししましょう。ここで詳細を話すには時間が足りません」
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