Chapter 12 「野戦病院」

「ここまで運んでいただきありがとうございます」

「いえ、たいしたことはしていませんよ」


 俺を前線基地の入り口で降ろした知事は、「治療が済んだら来なさい」と言い残して、騎竜の手綱を引いて基地の奥へと歩いて行った。


「さて、まずは治療を受けないことには」


 よろよろと野戦病院らしき白い幌布のテントが張られている場所に歩いて行く途中に、なにやらこちらの方に威勢良く駆けてくる影がある。

 エリちゃんだった。


 そう言えばモリ君とエリちゃんはリプリィさんと一緒に前線の最終防衛ラインに回ると言っていたことを思い出した。 

 この前線基地にいるのもそういうことだろう。


「ラビちゃんどうしたのその大怪我? だから行くなって止めたのに!」


 エリちゃんは口調こそキツいが、表情は俺への気遣いが感じられる。


「いや、見た目よりは重傷じゃないから、そこまで心配しなくても大丈夫」

「そんなわけないでしょ! 早くあいつに回復してもらいなさい!」


 エリちゃんに引かれるようにしてテントまで連れられる。

 テントの中には十数個の簡易ベッドが組まれ、その上には兵士達が毛布も掛けられずに雑に寝かされていた。


 ベッドが足りないのか、通路に寝かされている兵士達もいるが、こちらはトリアージされて比較的軽傷者ばかりのようだ。


 そんな傷ついた兵士達の間を縫うようにモリ君が医師たちに交じって汗を飛ばしながら走り回っている。何のコストも必要なく、比較的重傷でも治癒させることが出来るモリ君の能力は貴重なのだろう。


 リプリィさんも、モリ君に付いて治療のサポートを行っているようだ。

 二人とも忙しそうで声をかけにくい。


「やっぱり俺は後回しでいいかな。この兵士さん達の方が優先だろう」

「何言ってんの! あのベッドで寝ている兵士さんとラビちゃんとどっちが重傷だと思ってんの? そもそも、その状態で動けてるのが不思議なんだけど」

「えっ? 俺ってそんな重傷なの?」

「自覚ないの!?」


 エリちゃんが呆れたように言った。

 かなりの痛みはあるものの、耐えられなくはないし、今のところは火事場の底力で動けてはいるので支障は感じていない。

 傍からだとそれほど重症に見えるのだろうか?


 まあ別に動けているから急ぐほどのことではないだろうと気軽に考える。


「この兵士さん達は、やっぱりみんな巨人にやられたのか?」

「それもあるけど、問題はその後に出てきた蛆虫みたいなやつ。銃が全然効かないみたいで……」


 俺の疑問にエリちゃんが答えてくれた。

 やはりあの蛆虫は他の場所にも出ていたのか。


「俺のところにも出たよ、その蛆虫。知事が助けてくれたけど」

「え? あのお婆さんが?」


 エリちゃんが驚いたような顔をした。


「あの人はもっと冷たい……人の命よりも国が大事、少々の犠牲は仕方がないみたいな感じなのに」

「俺も最初はそう思っていたけど、実はそうでもないみたいだよ」

「そう……なのかな?」


 まあエリちゃんがそう思うのも仕方がない。


 俺も実際に助けて貰った後に少し会話しなければ、未だに冷徹な鉄面皮というイメージを払拭出来なかっただろう。


「多分、人は偉くなると、立場上は自分の感情より優先しなといけないものが増えてくるんだと思う。助けて貰った贔屓目もあるだろうけど、そんなに悪い人じゃないよ」

「そうなんだ」


 俺も知事のことをそれほど知っているわけではないが、助けていただいた恩もある。

 フォローはしておこう。


「それで蛆虫はどんな状況で現れたんだ?」


 知事の話はさておき、今は蛆虫の情報が欲しいのでエリちゃんに尋ねた。


「今から一時間くらい前……ものすごい光が空に昇っていったあたりだと思う。急に巨人が通った跡から白い蛆虫みたいなのが大量に沸いてきて、私達も兵士の人達も訳が分からないまま必死で戦ったんだけど、やっぱり銃が効かないせいで押し込まれて……」


 光が空に昇っていったというのは、おそらく俺が巨人を倒した後に余剰になった魔女の呪いを空に無駄撃ちした時の閃光だろう。

 つまり、巨人が倒れたとほぼ同時刻に発生ということになる。


 銃が効かないという話のも思い語る節がある。


 俺が群鳥を突撃させた時も、衝撃は全て表面の半透明の粘液に吸収されていた。

 あの粘液が物理攻撃から保護する役目を担っているのだろう。


「私やモリ君でも相当頑張って攻撃しないと倒せなくて、その間に兵士の人達は押し切られてこんな感じ。多分、他の場所でも似たようなことが起こっているんだと思う」

「なるほど」


 俺とエリちゃんが話しているのに気付いたのか、モリ君とリプリィさんがこちらに駆け寄ってきた。

 顔にはかなり憔悴の色が浮かんでおり、回復能力での治療で奔走していたのが分かる。


「ラビさん、無事……じゃないみたいですね」

「モリ君の方が大丈夫か? かなり疲れているように見えるけど」

「ラビさん程じゃないですよ。それより早く見せてください、ヒールをかけますので」

「俺よりも先に重傷の兵士を回復させてあげてほしい」

「この野戦病院に居る中で一番の重傷者はどう見てもラビさんですよ」


 モリ君もエリちゃんと同じことを言うならばそうなのだろう。

 自覚はないが、そこまでのダメージを受けているように見えるのだろうか。


 改めて自分の姿を見ると、白銀の航空服のうち、触腕に締め付けられたら胸の辺りから下半身にかけて、真っ赤に染まっていた。

 自分で言うのもなんだが、あまりに酷い。


 巨人の返り血の可能性もあるのではと少し思ったが、冷静に考えると巨人は体液も含めて全て霧に変えたので返り血など付くわけがない。

 つまり全て俺が流した血だ。


「だから俺がすぐに回復を……」


 モリ君は俺に近寄ろうとするが、突然にバランスを崩して倒れ込んだ。

 転倒する直前にエリちゃんが抱き留める。


「あんたも限界でしょ。一体何人を回復させたの?」

「いや、スキルは使っても別に何も消費しないから、疲れないはずなんだけど……」


 モリ君はそう言うが、明らかに疲労を隠せていない。


 いくらスキルの使用で体力は消費しないと言っても、モリ君のヒールは患部に触れて発動させるタイプの回復能力だ。


 負傷箇所を調べて、そこにスキルを発動という慣れない医療行為を十数人相手にやっていれば、当然肉体的にも精神的にも疲れるのは当然の話だ。


「いいからモリ君も休め。唯一の回復役が倒れたら、俺達も他の兵士の方もみんな困る」

「私からもお願いします。命に係わる重体者はもういません。あとは通常の医療で大丈夫ですので、少しは休んでください。私も心配です」

「それでも……」


 俺やリプリィさんの提案もモリ君は受け入れようとしない。


「モリ君は良い奴なのは分かるけど、そうやって困っている人を見ると、自己犠牲を厭わずに全力を費やそうとするのはダメなところだぞ。他人だけじゃなくて自分の命も大切なんだから、もっと自分を大事にして欲しい」


 俺はあまり説教は好きではないが、若い子が暴走して傷つくのはあまり見たくない。

 他人を助けるのは良いが、もっと自分を大事にして欲しい。

 こういうことははっきり言わないと伝わらないこともある。


 だが、そんな俺の説法もモリ君は「お前は何を言っているんだ」と言わんばかりの表情で俺を見つめてくる。何故かエリちゃんまで同じような表情で俺を見てくる。


 二人とも若さ故に正論に反発したくなるのは分かるが、年長者の言うことはもう少し聞いて欲しい。


「なら妥協案だ。俺が渡したメダルはまだ持っているよな」

「それはもちろん」

「なら、それでランクアップだ。それで今の疲労も回復できるし、多分ヒールの性能も上がるから、もっと効率良く治療が出来るようになる」


 モリ君のレアリティはR。


 現在所持しているメダルは銀が三枚に銅が六枚。

 銅のメダル五枚と銀のメダル一枚は揃っているので、今すぐにでもランクアップは可能だ。


 出来ればハセベさん達と合流した後に、モリ君がガーニーちゃんのどちらかをランクアップと考えていたが、三人の居場所が分からない以上は、メダルを温存させて眠らせておいてもあまり意味はない。


 おそらくRのメダルは比較的すぐに揃えられるので、三人と再会する前に補填も出来るはずだ。


「でも良いんですか? 銀のメダルを一枚使うとラビさんのランクアップでの回復が出来なくなるかもしれませんよ。知事から報酬のメダルを何枚貰えるか分からないのに」

「俺は元々メダルを集めにくいSRだから、そこまで期待はしていないよ。それに、傷についてはモリ君がランクアップしてパワーアップしたヒールで回復させてくれるなら別にそれでもいい」


「でも」

「そもそも今のリーダーはモリ君だから、俺の意見ばかり聞くんじゃなくて、モリ君が自分自身で何がベストかを考えて決めるんだ」


 ややあってモリ君が答えた。


「……分かりました。ランクアップします」


 本当は俺もランクアップで一気に回復と行きたかったが、まだ知事から報酬のメダルを貰えていない。

 ただ、蛆虫騒ぎが片付かないことには報酬はすぐに出ることはないだろ

 それに、報酬のメダルを貰ってもなお足りない可能性だってある。

 ならば、俺のランクアップは後回しでも良い。


「それでランクアップってどうやれば良いんですか?」


 モリ君が俺に確認をしてきたが、俺もそこまで詳しいわけではない。

 ランクアップ経験者であるエリちゃんに聞いてみるしかないだろう。


「そこのところどうですかエリちゃん?」

「え? いや、私はその時は全然意識がなかったので覚えてないんですけど」


 ランクアップ時は意識がなかったエリちゃんはやはり、ランクアップ時にどんなことが有ったかの記憶はないようだ。

 まあ状況が状況だけに仕方がない。


「メダルを使うという意思を固めると選択肢が出るのでYESを選べば良いと眼鏡マンが言ってた」

「誰なんですか眼鏡マン?」

「いや眼鏡マンは眼鏡マンで……」


 そう言われてみれば、眼鏡マンは戦闘が発生した直後に俺がなぎ倒している。

 その間はモリ君はエリちゃんの治療に付きっ切りだったので、覚えていなくても仕方ないと気付く。


 まあ、あんな変態眼鏡マンの存在なんて覚えていてもこの先の人生で特に何か良いことがあるとも思えない。忘れてしまっても良いだろう。


「余りのメダルはラビさんに返しておきますね。あとこのカードも。もう手放さないでくださいね」


 モリ君は俺が預けたメダルのうち、銀二枚と銅一枚を渡してきたので受け取る。


 あとはオウカちゃんのカード。

 これは俺が持っていて良いものなのだろうか。

 ハセベさんに再会したら、彼に渡すのが正しいのかもしれない。


「それでは始めます」


 ランクアップの宣言と同時にモリ君の全身がまばゆい光に包まれる。


 あまりの強烈な光に、簡易ベッドで寝ていた兵士の皆さんも何事が起こったんだとばかりにこちらを見ている。

 ああ、すみません。本当にすみません。場所は選ぶべきでした。


 ややあって光は収まった。


 特にファンファーレが流れたり文字が浮かび上がったりはしないが、目に見える分かりやすい変化としてモリ君の服装が別物になっている。ランクアップは成功したようだ。


 槍の代用品として使っていた遺跡の内部で見つけた謎の金属棒は美しい意匠が彫り込まれた白銀の槍に生まれ変わり、服装も快晴の空の色のように蒼いサーコートと白いズボンに変わった。


 腕や脛に付いていた無塗装の小手やすね当てについても、白銀に塗装されたものに変化している。

 薄汚れたポンチョの代わりに、グレーのマントが身を包む。


 モリ君は今まではザ・モブという地味な感じだったが、今ではファンタジーゲームの主要キャラポジション、パッケージイラストの真ん中よりは少し横あたりに載っていそうな聖騎士様という雰囲気に変わった。


 身長も微妙に伸びている気もする。

 これはランクアップ時にエリちゃんの胸が微妙に大きくなったのと同じ理屈だろう。

 女子の平均身長くらいに縮んでしまった俺には最もうらやましい要素だ。


 周りの兵士達は、モリ君の瞬間着替えを、まるで手品か大道芸などの見せ物と思っているのか、割れんばかりの拍手を浴びせた。

 まるで物語の主役になったモリ君は照れくさそうに俺達の方に近付いてきた。


「あの、『YES』とかいう選択肢なんて出なくてすぐに変わったんですけど」

「そうなのか? まあ、あの眼鏡の言うことだしな」


 まあ所詮は変態の情報だ。あまり信用しすぎても仕方がない。

 あいつめ、デマを教えやがったなくらいで流しておく。


「なんかすごいですね、ただ、この服装派手な服装は、慣れるまでコスプレみたいでちょっと恥ずかしいかも」

「まあ前の服はザ・モブって感じの地味さだったし、ギャップが凄いな」

「ザ・モブって、そんなことを思ってたんですか?」

「でもさぁ、本当に地味だったし……」


 かくいう俺も無地の黒のローブに、やはり何の飾りもない真っ黒な三角帽という、やはりザ・モブなだけに、あまり人のことは言えないのだが。

 やはり俺もランクアップすると、これくらい派手な衣装に変わるのだろうか?


 出来れば露出度増やおいろけ路線は避けて欲しいのだが。


「それで疲労の方は?」

「美味しいものを食べて風呂に入って早めに寝たって感じですね。元気いっぱいです」


 モリ君はガッツポーズを取って元気が満ちていることを報告してきた。

 自己申告通り、先程まで表情に出ていた疲労の色はもはや感じられない。

 あと気になるのは、ランクアップにより、治癒能力の性能がどれだけ向上したかだ。


「ところで完全に固まっているそこの女性陣は?」

「さあ」


「女性陣」の概念の中に俺が入っていないのは良いのか悪いのかというのは置いておくとして、エリちゃんとリプリィさんは顔を真っ赤にしたまま、ポカンと口を開けて固まっていた。


 確かにモリ君のランクアップの姿の変化は興味深かったが、ここまで驚くようなことだろうか。


「エリス、感想はどうだ?」


 モリ君が先程から無口のエリちゃんに尋ねるが、エリちゃんからの返事がない。


「もしもしエリスー」

「あっ、いやっ……そのっ……」


 エリちゃんは口をもごもごと意味のない単語だけを繰り返している。

 しばらく何やらもじもじしていたが、ややあってようやく一言。


「……カッコいいです」

 小声で答えた。


 周りの兵士からヒューヒューという口笛と歓声が二人に飛ぶ。

 なんだこの愛の告白が成功したみたいな流れは。


「私も驚きました。まるでおとぎ話の中に出てくるような騎士様という感じで」


 リプリィさんも絶賛だ。

 この発言を聞いた兵士からは「隊長にも春が来た」などと無責任な発言が飛び始めた。


 なんてことをしてくれたんだ、モリ君は。

 一瞬で二人の女性を陥落させたせいで、なびく様子など皆無の俺が部外者というか、全く空気を読めない人のようになってしまっている。


 せめてここは空気を読むしかないか。ラヴィ(ハロウィン)はクールに去るぜ。


 俺は踵を返して、そのままテントから立ち去ろうとするが、急に込み上げてきたものを止められず、口から吐き出した。

 黒くく濁った血が航空服を赤黒く染めた。


「あれ、おかしいな。まだ余裕があるはじゅ……」


 舌もうまく回らなくなってきた。

 意識も朦朧とする。

 もしやこれは、今までフル稼働して頑張ってくれた各種臓器の皆さんもついに限界ということなのだろう。


 だが、モリ君のランクアップも確認できた。

 彼ならすぐにパワーアップした治癒能力で回復してくれるはずだ。


 ただ、最期にこれだけは、これだけは言わせてほしい。


「……二人の結婚式には呼んでください」


「ラビさん!」

「ラビちゃん!」

「ラヴィさん!」

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