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「まだ裸でいんの?」



 声をかけられて重たい瞼を薄っすら開けると、いつの間にか風呂から出てきていた紫田さんがいた。バスローブを身に纏い、髪も濡れている。しっかりとシャワーを浴びてきたらしい。



「疲れました…。」



 どうやら寝ていたらしい。紫田さんはそんな私を笑うとタオルで髪を拭きながら洗面台の方に戻って行った。何しに来たんだ、あの人。のそのそと起き上がると素肌にバスローブを巻き付けて再びベッドに倒れ込んだ。

 あんな噂が流れているくせに、ピロートークもアフターケアもなしか。なのに寂しさが紛れたかだと? なんだか少しムカつく。私みたいな生意気な後輩じゃなくもっと好い女が相手だったらそんなこともしたんだろうか。……虚しくなってきた。

 私は鞄から携帯式シーシャを取り出すと胸いっぱいに煙を吸い込んだ。よりによってバニラの甘いフレーバーだ。全く今の気分ではない。



「甘! え、何の匂い?」



 髪を乾かして戻ってきた紫田さんは驚いて部屋の中を見回すと、すぐに煙を噴かせる私を見つけた。



「電子タバコ?」

「携帯用シーシャです。ただの水蒸気だからニコチンもタールも入ってませんよ。」

「ふーん。」



 自他共に害がないのをいいことに私は適当なタイミングで気付けとしてシーシャを吸っていた。どうしても形状の都合上タバコにしか見えないので、喫煙所に行かなければならないのがネックだ。指先で転がしながらシーシャの先端を口に含む。思い切り吸い込んで肺に溜めて、そして吐く。この動作が良い深呼吸になっている。



「女の人のタバコっていいな、なんかエロくて。」



 わざわざ隣に腰掛けてそう言うものだから、たっぷり口に含んだ煙をそのまま吹きかけた。



「うわ! ちょ、何すんだよ。」

「紫田さんうるさい。」



 煙を手で払って咳をする紫田さんをよそに、私は再びしっかりと煙を吸い込んだ。害も重みもないただの水蒸気の煙だ。吹きかけられたとて咽せることすらない。強いて言えばバニラの香りがするくらいだ。



「甘! 藤島こんな甘いの吸ってんの?」

「仕事してると甘いの欲しくなるんで。」

「そういうところは女の子だな。」

「私のこと何だと思ってるんですか?」



 もう一度煙を吹きかけるともう紫田さんは仕組みを理解したらしく咳き込むことはなかった。むしろニヤリと笑って顔を近づけてくる。



「ちゃんと可愛い女の子だと思ってますよ。」



 そう言って頬を親指の腹で撫でる。反射的にそちらの瞼を閉じるとおかしそうにクスリと笑う。雰囲気の甘さに耐えられなくてその手を払い除けると、紫田さんはそんな可愛くない私の反応にすらもクスリと笑った。手玉に取られている気分で面白くない。



「私別に可愛くないんで。」



 私は勢い良く立ち上がると携帯用シーシャをテーブルの上に放り投げ、脱ぎ捨ててあったショーツを指に引っ掛けて浴室へと向かった。

 勢いに任せてシャワーのノズルを捻る。勢い良く出てきたお湯に打たれながら足の指先を見ると、剥げたフットネイルが視界に入った。どうせなら派手な色を塗ってやろうと赤っぽいピンクをチョイスしたのは失敗だった。日々の摩擦で汚らしくところどころ剥げているのが目立つ。



「くそぅ…。」



 私は可愛くない。可愛い女の子はシーシャなんて吸ったり、煙を相手に吹きかけたりしないだろう。剥げかけのフットネイルを放置したりしないし、色も可愛らしい色をチョイスするだろう。それにきっと、寂しければ寂しいときちんと口にして相手に甘えるのだ。むしろそれを武器にすらするかもしれない。私はそんなことすらできない。


 こんなんだから彼氏にも振られたんだ。



 --『他に好きな子ができた。』



 ありがちな別れの言葉が胸に刺さって抜けない。寂しい独り身女は、寂しいと素直に言うことすらできずにシャワーに打たれながら独り泣くのがお似合いだ。

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