第2話 足りない一歩

 二人が予定をすり合わせた結果、毎週火曜日の2限に相当する時間に図書館前で会うこととなった。吟太ぎんたの空きコマには夜鷹よたかの必修が入っていることがあり、なかなか予定を合わせることができない。土日は2人とも生活費を稼ぐためにアルバイトをしなければならず、思うように時間が取れなかったのだ。


 サークルの予定を確認するためにSNSの連絡先を交換したのだが、夜鷹が「写真はね、直接会って見せてもらうからこそ価値が生まれるんだよ」と頑なにトーク画面に写真を貼ることを拒否するため、会話履歴の大半は私的な雑談と次回予定のすり合わせに占められていた。


 過去に2週間ほど連絡がつかないことがあり、吟太は念のため毎日集合場所に訪れてみたが徒労に終わることが何回かあった。ようやく連絡が取れたとき、吟太は思い切ってメッセージを送ってみた。


「何でスマホで写真送っちゃダメなんですか?」

「貸したカメラのほうが綺麗に見えることがあるからさ」

「最近のスマホの性能を見くびらないでくださいよ」

「そういう意味じゃなくて。味があるんだよ」

「味?」

「映画を映画館で見たり、自転車で遠くまで行ってみたり。そうしなければ獲得できないものがあるんだよ。カメラだってそうさ」

「へえ」


 結構しっかりとした答えが返ってきて吟太は一瞬面食らったが、別にそうでもないようだ。


「それに、こうしたら君に会えるじゃないか」


 既読だけつけて吟太は電気を消して眠った。気分屋な彼女へのささやかな仕返しだ。



 写真サークルが新入会員を取り込んでから2月あまりの時間が過ぎた。気温と共に吟太の家事の腕前も上がり、大学生という生き方を掴み始めたところだ。


 吟太と夜鷹はすっかり恒例となったサークルの活動をしている。


「先輩、宿題やってきましたよ、きっちり1週間分」

「拝見させてもらうよ。あれ、今回のモチーフは全部同じ花かい?」

「はい。前に山登った時に、先輩が言ってたじゃないですか。1つとして同じ風景はないって。あらかじめ何日間か会えないとわかっていたので、実践してみました」

「ちゃんと覚えていてくれたんだ。先輩冥利に尽きるね」

「そういえば用事があるとしか言われてなかったんですけど、何してたんですか?」


 夜鷹は目を泳がせる。 


「えー、親戚の法事で地元に帰ってたんだ。ついでに高校に顔を出してきた」

「先輩も大変ですね」

「確かに忙しかったが、後輩たちの成長を見れて嬉しかったよ。私がいなくても回る部活を見ているのは悲しくもあったけど」

「僕も部活を引退した後同じ気持ちでしたよ」


 そう言って吟太は続ける。


 「そういえば先輩と会ったのって、部活からですよね。2年生にしてチームのエース的存在で」

「ああ、確かにあの時はバレーが好きだったからね。好きなものこそ上手なれってやつだ」

「今は違うんですか?」

「私はカメラが好きだから。今はこれさえあればいいかな」

「いいなあ先輩は。僕はまだ見つからないですよ」

「いつかきっと見つかるさ」


 なおも落ち込む吟太。


「せっかく梅雨も明けたのに、そう落ち込むな」


 気分の晴れない吟太を元気にさせるために、夜鷹はある秘策を思い付く。


「もうすぐ夏休みだし、夏合宿でもしてみないか? 富士山の周りでキャンプしながら写真を撮って、富士山に登るんだ。なにか新しいものが見つかるかもよ」

「楽しそうですね。ぜひ行きましょう!」

「そうだろう? じゃあまた連絡するよ」


 先輩のことだから準備はそう簡単にいかないんだろうな、と心の中で毒づく。

 窓の外には積乱雲が浮かんでいた。



 あれから約一月が過ぎ、ついには夏休み、合宿当日になった。


 吟太は始発の電車に乗って富士登山口にやってきた。昨日はあまり眠れなかったので、ろくに睡眠を取ろうとせずにそのまま来たのだ。


 せっかくなので好きなアニメの舞台に訪れたり、あちこち写真を撮っていたりしていると集合時間を何分か過ぎていたのだが、連絡は来ていなかった。


 一応遅れる旨を記したメッセージを送り、集合場所へ急いだ。

 大き目のリュックサックを長時間背負っていたために、紐が肩に食い込んで痛んだ。


「先輩遅いなあ。まさか本当に寝坊したのか?」


 集合場所に到着した後にスマホで時間を確認する。時刻は12時過ぎ。

 夜鷹とのトークルームには「明日が楽しみすぎて眠れない」的な内容が書いてある。


「ねえ、吟太君って君のこと?」

「はいそうです」


 面識のない人に突然話しかけられ、吟太は変な声を出した。その人物は息を切らしていた。

 

「あなた誰なんですか?」

「詳しいことは車で話すから、乗って!」

「はい!」


 二人は車に乗り込む。吟太は助手席に腰を下ろすと、シートベルトを着ける前に車は走り出した。


「あたしは夜鷹の友達の白戸美しらとびあかりよ。よろしく」

「僕は先輩と同じサークルに入ってる高梨吟太たかなしぎんたって言います」

「あのサークルね、夜鷹からよく話は聞いてるよ。ごめんね、いつも迷惑かけてるでしょ、あの人」

「いえ。先輩のおかげで学校が楽しくなったので、そこは素直に嬉しいです。ちょっと強引なところもありますけど」

「あんまり嫌だったらやめてもよかったんだよ?」


「やめようとは思いませんでしたね。辛いこともありましたけど、それを乗り越えたら見つかるものがあるんじゃないかなって信じさせてくれる人なので」


「そっかー、あたしとは大違いだ」


 吟太は申し訳なさそうに笑う。


 しばらく話したおかげで緊張が解けて、吟太は燈の横顔を見ることができた。彼女は肩まで伸びた髪を茶髪に染めており、黒髪の夜鷹とは違っていた。


「何か将来の夢ってあったりするの?」


 燈の問いに、吟太はうまく返すことができなかった。


「ありませんよ。何も。僕には何も無いんです」


 自嘲気味に言葉を吐く。吟太はこの時間が嫌いだ。


「質問が悪かったね、ごめんね。夢なんて無理に持つものじゃないから。別に気にしないでいいよ」


 しばらく沈黙の時間が流れる。


「ところでこの車、どこに向かってるんですか? 先にキャンプをするわけじゃないですよね」

「キャンプ? ああ、元々の予定ね」

「はい。先に富士山に登ろうって話してたんですけど」


「あー、わかったわ。夜鷹のやつ、ほんとに何も言ってないんだ」


「え、何をですか?」

「これは本人の口から言わせたほうがいいかもね。いい加減懲りるべきだ」


 彼女の笑顔は親友に向けているように感じて、少し意外だった。先輩にも確かに居場所があったんだと勝手に喜んでしまう。


 燈は表情を一気に真剣なものに変える。


「吟太くん、落ち着いて聞いてね。夜鷹は今、病院にいるんだ。なんか倒れたらしいよ」


「え? 大丈夫なんですか?」

「あいつ危なっかしいところがあるからさ、転んで頭でもぶつけたんじゃないの」

「何か想像できますね」

「できちゃうよね」


 夜鷹はどこか無理をして先輩を気取っているふしがあるように思う。


「燈先輩に連絡が来るってことは、もう意識は回復してるんですよね? じゃあ心配しなくても大丈夫ですね」

「かもねー。もしかしたらもう家に帰ってるかも」

「そしたらこっちが驚きですよ」

「普段振り回されてるし、たまには仕返しでもしてみたら?」

「どんな反応するんでしょうか」

「さあ? それは行ってみてのお楽しみにしといたら?」

「そうですね」


 吟太が欠伸をする。


「眠いんだったら寝ていいよ。随分混んでるからどうせあと30分くらいはかかりそうだし」

「助かります。今日は5時に起きたので」


 吟太の意識は瞬く間になくなった。



 意識はその直後に戻った。


「着いたよ吟太君」

「ありがとうございます……おかげでゆっくりできました」

「いいって。じゃ、行こうか」


 吟太は欠伸を噛み殺して車を降りる。冷房が効いている車内と違って外は随分と暑い。

 病院が目に飛び込んでくる。この地域では大規模の総合病院だそうで、駐車場も広い。


 病院の自動ドアをくぐり、エレベーターで病室のある階層へ。ナースステーションへ向かいいずみ夜鷹よたかの名前を告げると一度断られてしまった。


「仕方ないな。電話を掛けてくるか」

「どこに掛けるっていうんですか」

「決まってんじゃん、夜鷹のお母さん」

「え、大丈夫なんですか?」

「心配すんな、あいつのお母さんだってここにいるだろうし」


 ナースステーションから離れたところで燈が電話をかけると、幸いすぐにつながったようだ。夜鷹の母が現れて、看護師たちに事情を説明してくれた。


 彼女は目元のあたりが夜鷹に似ている。綺麗な黒髪も母親譲りのようだ。


「久しぶりね、白戸美しらとびさん。こんなことで呼び出してすみません」

「こんにちは和江かずえさん。いやー全然問題ないですよ。今日はこの子を連れに来たんで」


 唐突に自分に話題が移り、吟太は動揺していた。


「はじめまして、僕は高梨吟太です。泉先輩と同じサークルの」

「あらそう。よろしくお願いします」


 ぎこちなく自己紹介を済ませ、互いの連絡先を交換する。


「吟太君、せっかく許可もらえたんだし、行ってみたら?」

「それはいいですね、娘も喜ぶでしょう」

「ありがとうございます」


 手早く挨拶を済ませ、教えてもらった病室へと急ぐ。


「失礼します」


 吟太はためらいながらも病室のドアを開ける。

 クーラーの冷気に体を震わせた後、様々な医療機器に繋がれた夜鷹を見て言葉が止まる。

 彼女と入院という二つの要素が結びついてしまった。


「先輩? なんですよね、本当に」


 半信半疑で問いかけると、夜鷹は頷く。


「そうだとも、私が君の先輩、泉夜鷹だよ」


 夜鷹は自分の体に繋がれた点滴の管などを見て苦笑いをする。


「まあ、こんな姿を君には見せたことがなかったからな」

「燈先輩から聞きましたよ。ずっと、僕には隠してたんですね」

「せっかく君には快活な美少女先輩で通っていたというのに。寄りにもよって今日悪化してしまうとはな。まったく運命とは皮肉なものだよ」

「何で言ってくれなかったんですか」


 夜鷹は目を背け続けていた現実と向き合う覚悟を決めた。


「君が高梨吟太きみの道を辿ることを、諦めてしまうと思ったからさ」


 そう言って、夜鷹は自分の病状について語り始める。


「私がこの病気にかかったのは、ちょうど部活を引退した後。立ち眩みが随分とひどくて。おかしいなと思って受診したらさ、心臓病なんだってさ。移植しないと治らないとまで言われたよ」

「それなら、僕がなります。先輩の心臓に」


 夜鷹は吟太の口を人差し指で抑える。


「そんなこと言わないでくれよ。流石に愛が重すぎる。君の人生に最も必要なものを、私の意志で奪うわけにはいかないさ」

「でも、先輩がいなくなったら、もう」

「別に今すぐ死ぬってわけじゃない。主治医の話では、桜を見れるかどうからしい」


 私がずっと入院した場合の概算だが、と悲しそうに笑う。

 吟太は心苦しかった。何もできない自分の首を絞めて、ナイフでえぐり取ったばかりの新鮮な心臓を捧げてやりたい程に。

 ポケットからナイフか紐を探そうとして、硬いものに手が当たった。少し重い金属製の物体。

 先輩を喜ばせるにはこれしかないなと心の中で自嘲する。


「なら、これまで通り写真を撮り続けて、先輩に見せます。来年の桜も雪も、再来年もその先も、全部見せますから。だから、ずっと生きてください。毎日、ここに来ますから」


 吟太は泣きながら言う。夜鷹は驚いた顔を見せると、すぐに微笑を浮かべた。


「まさか君にそんなことを言ってもらえるとはね。私は泉夜鷹わたしの人生を後悔しないように生きてきたつもりだったが、心残りができてしまった」


 その笑顔が深層的な本能を刺激して、ばね仕掛けの人形のように手が動く。


「先輩、はいチーズ」


 吟太はデジカメを取り出し、夜鷹を画面に収める。夜鷹は驚きながらもひしゃげたピースをする。


「ど、どうしたんだい急に」

「この瞬間しか見れない先輩を、残しておきたいと思って。なんか勝手に手が動きました」

「いいね、カメラマンの持つ野生の勘ってやつかな」

「そうかもしれません」

「私の教育の賜物かな、ろくに反応できないわたしを撮るのは」

「明日も撮るので、楽しみにしててくださいよ」


 荷物をまとめて帰ろうとする吟太を夜鷹は呼び止める。

 夜鷹はその頬を膨らませていた。


「あんな不格好なピースで今日の私を表現しようなんておこがましい。一緒に撮ろう」

「でも、僕、涙で顔が」

「いつか今日を思い出したときに笑えていれば十分さ。それに、私だけ納得のいかない一枚を残されるのは不愉快だし」

「はい」


 銀太は腕で涙を拭い、スマホのカメラを取り出した。


「今度はこっちで撮りましょう。さっきの写真は今日の思い出にしたいですから」


 夜鷹は深く頷いた。


「ほら、もっと近づいてくれよ。同じ画面に収まらないからさ」

「こんなに近くなくても撮れますって」

「いいや、こうしないと残せない瞬間だってあるのさ。いい写真にするにはあと半歩ばかし踏み込みが――」


 そんなことを言っている途中に、気の抜けたシャッター音が鳴る。

 その写真はひどいものだった。夜鷹はまたしても完璧な1枚を撮ることに失敗した。


「次に写真を撮るなら、もっと可愛く撮ってくれないと困る」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る