FILLMERS フィルマーズ レンズが見た世界

青木一人

第1話 君のための朝焼け

 新生活にあらかた慣れたころ、高梨吟太たかなしぎんたは3号館前の広場に足を運んでいた。今日は軽音楽サークルが新入部員獲得のために演奏をするらしいと聞いて、暇なのをいいことに大学に来たのだ。


 持参したサンドイッチでもつまみながら音楽の世界に浸るのも悪くはない、と思ったが、どうやら道に迷ってしまったらしい。高校とは規模の違うキャンパスの広さは、いまだに土地勘をつかめない吟太にとっては入試よりも難問に思えた。


 日差しが一段と強まった正午、手を額に当てていると、聞き覚えのある声が降り注ぐ。


「もしかしてその顔、吟太君?」

「先輩!」


 泉夜鷹いずみよたかがにこやかに笑いかけると、吟太は頬を染めた。


「久しぶりだね、1年ぶりくらい?」

「そうですね。まさかこの大学に合格できるとは思いませんでしたよ」

「とても頑張ったんだな」

「はい」


 夜鷹は嬉しそうに笑っていたが、突然表情を変える。


「ところで、なんだけどさ。もう入りたいサークルってある?」

「いやー、まだ決まってないです」

「ならさ、うちのサークル入らない? 写真サークル!」

「写真ですか? 興味ないですよ僕」

「去年友達と作ったんだけどさ、2人とも幽霊部員になっちゃって。お願い!」


 頭を下げる夜鷹を、困ったような顔で見つめる吟太。


「じゃあ友達出来たら、何人かに声かけてみますよ。それでいいですか?」

「今、君だけに入ってほしいんだ。他でもない吟太君に」


 夜鷹は頬を染めながらそっけなく言う。さながら恋する乙女のような顔だった。


「多分幽霊になると思いますけど、それでも良ければ」

「やったー! 新入部員獲得だ!」


 子供のようにはしゃぐ夜鷹に呆れ顔の吟太。

 しばらく母校の思い出話に花を咲かせていると、昼休みの終わりを告げる予鈴が響く。


「あっ、私これから授業だったんだ! 君もそうでしょ。引き止めちゃってごめんね」

「いえ、今日はもう帰るだけなので」

「ならよかったー。じゃあ、来週の金曜日、18時からサークルだから! 図書館の前に来てね!」


 小走りで去っていく夜鷹が校舎に消えた後、吟太は自宅へ続く坂を下る。


「そういえば広場の場所聞き忘れたな」


 僅かな心残りも、次回聞けばいいかと楽観的になる春の陽気だ。



 翌週午後6時過ぎ、吟太は約束の図書館の前に来た。

 ここ一週間、必修が同じだった人に話しかけることで、ある程度の情報と友人を得た吟太だったが、夜鷹に会う機会はなかった。学科も学年も違うためなのか、はたまたこの大学が桁違いに広いだけなのか、授業で顔を合わせることは勿論、すれ違うこともなかった。

 夜鷹は一眼レフを肩にかけている。重そうなカメラとは対照的に服装はアウトドア感溢れるものであり、適当にパーカーを着ただけの吟太とは雲泥の差だった。


「お! よく来たね」


 夜鷹は大げさにリアクションをする。声色は落ち着いた成人女性のそれなのだが、その節々に高校時代の面影を感じさせるあどけなさがある。


「来ないと絶対何か言われそうですもん」

「そんなことしないよ。精々高梨吟太の高校時代の話を友達にほんの少しするだけ」

「それがそうって話ですよ」

「別にいいじゃん。誰もが何かしらの秘密を持っているんだから」

「そういう話じゃないと思いますけど」

「どうせ君のことだ。大学に入ったところで大してやりたいこともないでしょ? なら私についてくればいい」

「はいはい。先輩には借りがありますし、これくらいだったら幾らでも」

「わかればよろしい」


 わざとらしく胸を張る夜鷹。


「それで先輩。今日は何をするんですか?」

「決まっているじゃないか、写真を撮るんだよ」


 夜鷹は一眼レフを顔の横まで持ってきて、にやけながら言う。


「それにしても、先輩の持ってるカメラ、高そうですよね。幾らしたんですか?」

「20万円はしたかな。バイトすればすぐだよ」

「先輩バイトなんてできるんですね。飽きっぽい印象ありますけど」

「確かに長くは続かないけど、単発バイトとか治験とかしてみると案外楽しいよ。週末とか長期休みに一気に稼いでる」

「へー」

「ところで高梨君。君は何かカメラを持ってきたの?」


 吟太はポケットからスマホを取り出して夜鷹に見せる。高校入学時から使っている、当時としては最新鋭のモデル。


「これですけど」

「え? それでかい?」

「はい。別に写真なんて撮れれば何でもいいでしょう? 今お金もないですし、わざわざ買ってられないですよ」


 夜鷹は豆鉄砲でも食らったような顔をした後、少し考え込む。


「まあ、無理やり誘ったのは私のほうだから仕方がないか」


 低い声を絞りだした後、すぐに目を見開く。


「ただ、間違っても『撮れればいい』だなんて二度と言わないで」

 吟太は少し怯える。さながら鷹を目の前にした烏のようだ。


「は、はい!」

「わかればよろしい」


 夜鷹の表情が穏やかになり、吟太は肩を撫で下ろす。


「そういうこともあるだろうとは薄々思っていた。持ってきたよ」


 夜鷹はポケットからところどころ塗装の剥がれた古いカメラを取り出し、吟太に手渡した。


「私のおさがりで申し訳ないけれど」

「ありがとうございます」

「使い方わかる?」

「一応は。家族写真を撮るのが僕の役目だったんで」

「それなら安心して任せられるよ」

「はい」


 その声は頼りなく、風に吹かれれば消えてしまいそうだった。



 30分程度の時間を掛けて、2人は裏山に登った。

 途中で珍しいものを見つけたのか、夜鷹がシャッターを切るために何度か立ち止まったり、慣れない山道で迷ったりしたので、想定以上に日が沈みかけていた。


「登るのにずいぶん時間かかっちゃいましたね。もう日も暮れかけてますよ」


 吟太は額の汗を拭きながら言った。


「そうだね。ここまで来たわけだけど、何かいいものは見つかった?」

「なかったです。単純に、頂上にたどり着くのが精一杯だったっていうのもありますけど」

「そうか、少し残念だよ」

「桜が咲いてるならわかりますよ。でもここ、ただの林じゃないですか」

「うーん。まあ、そうだね」


 夜鷹は少し考え込む。


「そういえば先輩、何回か休憩してましたよね。何かいいものでもあったんですか?」

「あったよ。ほら」


 夜鷹は写真のデータを何枚か見せた。

 全体的に濃い緑で覆われていて、吟太には果たしてこれを撮る意味があったのかとまで感じてしまう。


「なんか、普通って感じですね。いつでも見れるような」

「それも言わないでほしいんだけど」


 少し苦笑いをした後、夜鷹は遠くを見るような目で話しかける。


「君はさっき、『いつでも見れる』って言ったよね。でも私、それはちょっと違うと思う。

5月か6月になれば、この常緑樹は葉っぱを落とすんだ。新芽と入れ替わるころに、古い葉は役目を終える。こっちの木は秋になれば葉が真っ赤に染まる。雪化粧をした木も綺麗なんだよね。色自体もそうだけど、枝の撓み具合だって一本ずつ違う。

紅葉だって桜だって、合図をした日に一斉に変わるわけじゃない。地域差もあるから。

そういう小さな変化を見逃さないで気付けるように、私はこの景色を残したいと、残さなきゃいけないんだと思う。世界で私だけでも、見つけてあげられるように」


「見つけるために、残す」


 吟太は意味もなく声に出した後、何かに気が付く。


「僕は紅葉のような派手なものだけを写真に撮ってきましたけど、先輩の言うこと、何かわかるような気がします。僕も他の人に見せるために撮っていたから」

「その考えを見つけるのは大事だよ」


 夜鷹がそう微笑んだ後、吟太は思わず目をそらし、そして気が付く。想像以上に茜色が視界を覆いつくしていることに。


「あ、夕暮れですね」

「いや、これはだよ。君のための物語が始まる合図さ」

「なんですかそれ」

「ここで太陽は沈み、月と星の時間が始まる。つまり」


 苦笑いをする吟太に対し、夜鷹はおどけた顔を見せる。


「下山するときに役立つのは、私の一眼レフじゃなくて君のスマホだということ」

「はいはい。その前に今日の思い出として夕焼けを撮った後帰りましょうか」


 ブレないようにしっかりと両脇を締め、吟太は貸してもらったカメラで夕焼けを撮る。

 


「今日あったことをいつか思い出せるように。僕がいなくても先輩が寂しがらないように。先輩のカメラに残しておきます」


 1枚の夕焼けをカメラに残した後電源を落とし、吟太はスマホのライトをつけた。


「じゃあこのカメラはしばらく君に預けておくよ。どうせほとんど使ってなかったし」


 名案を思い付いたにしてはあまりにもあっけない夜鷹のテンションに吟太はスマホを落としそうになる。


「ええ、悪いですよ」

「そう思うなら、宿題を出そう。一日一枚写真を撮って、私に見せてくれないか」

「はい!」


 今の二人にとっては、夜の山道だって怖くはなかった。

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