5th sg 青い春とご褒美と

 水曜日の昼休み、僕は食堂にいた。

 いつも通りの時間にいつも通りのメニュー(桜華名物・カツ丼)を注文していつも通りの席に座った。

 けど今日は僕の視界はいつもと違っていた。


 目の前に沙那がいる


 あ~なんだ沙那か

「って、ごほっ!……ちょ沙那……ごほっ…先輩! こんなところで何してるんですか!?」

「ちょっと……大丈夫? 落ち着きなさい?」

 沙那は半ば呆れたような顔で言った。

「何してるって言われても、お昼休みに食堂にごはんを食べに来ただけよ」

「そうじゃなくて! 他にもいっぱい席空いてますし、僕じゃない友達と食べればいいじゃないですか!」

 そうは言いつつも、正直内心ではめちゃくちゃ喜んでいる。

「仕方ないじゃない。最近まで仕事であんまり学校来てなかったんだから……1、2年の時に形成された友人の輪は堅いのよ? 大して学校来てない私がその中にずけずけと入れるわけないでしょ?」


「それに――」と沙那はムッとしながらさらに僕に言葉を重ねた。

 どこかで地雷を踏んでしまったのかもしれない。


「でも……そうね。無理にいるのは良くないし、私は食堂の『端っこ』で『一人で』食べようかしら」


 ところどころ強調させて、笑顔で言ってくるあたりがまた怖い。

 普段テレビとかでは見ない表情だ。

 これは僕に心を開いてくれている、リラックスできるから素が出ている。っていう解釈でいいのかな。

 あれが素だったらちょっと怖い部分はあるけど。


「あ~! ちょっと待ってください!」


「なに?」と目を細めてジーッと俺を見て言った。


「ごめんなさい、本当は先輩が来てくれてめっちゃ嬉しかったし、なにより推しとテーブルを囲めるのが物凄く幸せなので、よろしければもう一度そこに腰かけてください」


 満足したのか、フフンと鼻を鳴らして俺の前に座った。

 この短期間で俺の沙那へのイメージが『清楚で可憐なアイドル』から『清楚で可憐だけど小悪魔』になってきた気がする。


 けど推しはどんな状況でも可愛いから許せる。


「そんなに颯太は私と一緒にお昼が食べたいんだ? ふーん…………なまいき」

沙那は不敵に笑みを浮かべてそう言った。


「……え? 先輩今……『颯太』って言いました?」

「ええ、言ったわ」

どうしよう、推しに呼び捨てで呼ばれた。しかも下の名前で……この短期間で個人的大事件(良い方)が起きすぎててやばい。


「だって、『星衛くん』って長いでしょ? だからと言って『星衛』って呼んでもなんか堅苦しくて嫌だし、『颯太くん』って感じもしないからそうしたのよ」


「なるほど…………」

「そう、だからその『先輩』ってのもやめてくれる?」

「え、じゃあなんて呼べば……?」

「私が気に入りそうなの考えてよ」

小悪魔だ……。

急にそんな無茶ぶりをされても困る。

どうする颯太、ここで選ぶ選択肢によってこの先が大きく変わるぞ。


もし仮にニックネームを選んでみろ

そうしたら未来はこうだ――

「じゃあ、気さくに『さなっち』で――」

「――却下」

恐ろしい、腹部に一発くらう未来が見えた。

ニックネームはやめておこうか。


あとは……呼び捨てとかか

沙那が僕を『颯太』と呼んだように――

「じゃあ、『沙那』で」

「私、礼儀のない人は好きじゃないわ。さよなら」

だめだ、一番ダメな気がする。


じゃあもう普通に『さん付け』しかないぞ……?

「無難に『沙那さん』なんてどうですか?」

「なんか普通すぎるわね。面白みに欠ける」

どうしよう、何を言っても良い未来が見えない。


「決まった? 結構悩んでるけど」

どうやらタイムリミットが来たらしい。

沙那はあくびをしてそういった。

これ以上待たせるとあらぬ方向から不機嫌になってしまうかもしれない。


「まあ、はい」

僕が出した結論はこうだ。

「じゃあ『沙那さん』でどうですか……?」

「……なんか普通ね。面白みに欠けるわ」

何とも見事に予想通りの返事だ。

「…………まぁいいわ。颯太らしくて」

「それ褒めてます?」


「もちろん」と満面の笑みで沙那は言った。


うん……『守りたい、この笑顔』

けどこの時、僕の足を踏んで無理やりにでも自分の意見を押し通そうとしてたことは僕の心にしまっておくとしよう。

「ご褒美よ」なんて言って踏んでいたけれど、なんのご褒美かは理解できなかった。


キンコンカンコンと昼休み終了のベルが鳴り、僕は沙那と別れて教室に戻った。

教室に戻ると、そこにいたのは僕のファンの出待ち…………ではなく、荘真を筆頭としたある種の過激派だった。


「おい颯太。お前、櫟木さんという存在がいながら温泉川先輩と昼食密会とはどういうことだ!?」

俺の額にかぶりつきながら荘真は言った。


「あのなぁ、僕は別に優希と付き合ってるわけじゃないんだからあいつの恋愛にとやかく言う権利はないし、お前らが勝手に好きになればいいじゃんって何度も言ってるぞ」


「確かに……けど! お前、温泉川先輩は推しなんじゃないのか」


「そうだよ。けど、推しへの価値観は人によって違うだろ。第一、色々あったから今日はそのお礼ってことであって親しいわけじゃない」


大雨の中沙那と話して、誰もいない部屋で二人きりで過ごして(風邪ひいた僕の看病であるが)、ちょっと仲良くなっただけなんて他人に言えるような話じゃない。

ましてや推しの話だ。これは自分だけのものにしたい。


「そうか~。……よく分かんないけど、まあそう言う事にしとく」

普段の煩わしさからすればやけにあっさりと納得していた。

何か気の持ちように変化があったのかもしれないがそんなのはどうでもよい。


「そういえば、結構気になってたんだけど。颯太お前、なんで一人称『僕』にしたわけ? 休み明けからそうだよな。月曜はあえて言わなかったし、火曜は休んじまったから聞けなかったんだけど」


「え? あ~……沙那さんの影響かな」

しまった、と思った。

俺は慌てて口を押えたが、もう遅い。

あ~、どうしよ。逃れるための言い訳はない。

『沙那さん』と呼び始めた事への後悔がこんなにも早く来るとは……。

下の名前呼びをやめようという旨を沙那に直談判するか、一番信頼している荘真にだけ正直に話すべきか。


◇◆◇◆◇◆◇

結論から言うと、僕は荘真に全てを話した。

大雨の日公園で沙那と出会い話したこと、些細なことでお互いを少し助けていたこと、ついさっき沙那さんと呼ぶようにしたこと、など。

浅い内容かもしれないけど荘真は僕にとって大切な信頼できる親友だから、話すことを選んだ。

その話に対して荘真も納得してくれたし、ちょうどそこに来た優希にも話をした。


「「なにそれ!? 羨ましい!」」

それが二人が開口一番に放った言葉だった。

看病の話をしたらこうなってしまった。


「私も看病してほしい~!」

なんて優希は言ってたけど、そもそも風邪は引かない方がいいと思うぞ。


放課後、サッカー部がある荘真とテニス部がある優希と解散して僕は玄関ホールに向かった。しかし、放課後のこの時間はテーマパークの入場くらい込み合っていてまともに列は進まない。手持無沙汰になった僕は、ちらりとスマホを見た。


『放課後16時、図書室に来なさい。少しでも遅れたら帰るから』

沙那からメッセージが届いていた。


現在時刻は15時55分、玄関ホールから旧教室棟にある図書室までは急いでも5分はかかる。それにこの人込みを避けていくとすればもっと……。間に合う気がしない。


全力で図書室を目指して走った。時刻は既に16時を1、2分過ぎていた。

僕はやけにクッションの効いた椅子に腰かけて天を仰ぐ。

一度目を閉じ次に開けたとき、視界に顔が現れた。


「わあ、生首だ」


「失礼ね、ちゃんと全身あるわよ」


この会話文字に起こしたらだいぶ謎の会話だな、なんて思う。


「それより、時間に遅れるなんていい度胸してるじゃない?」


「……でも1、2分じゃないですか」


「あら、言い訳? なまいきね」


沙那はよく「生意気」と僕に言う。けどそれは怒っているような堅い「生意気」じゃなくて僕をからかうようなやわらかい「なまいき」だった。


「僕玄関ホールにいたんですよ? 沙那さんもあの時間、あの場所はめちゃくちゃ混むって知ってるでしょ? ホールから図書室まで遠いことも」


「……確かに。私も悪かったわ、じゃあ颯太にはご褒美あげなきゃね」


ご褒美、それは誰でも嬉しいものであってもしそれが好きな人、または推しからだとより嬉しさやワクワクが増えるものだ。


「目を瞑って? じゃ、いくわね?」


まさかキスか? キスなのか? ファーストキスは推しです。なんて夢のようなことがあるのか?


図書室にしばしの静寂が木霊する。


僕の唇の感覚はまだない。

「…………んっ………………ふひはへん、はなはん、ひはいれふ」

(すいません、沙那さん、痛いです)


「な~に? ちょっと痛いくらいの方が気持ちいいのよ? せっかくほっぺマッサージしてあげてるんだから」

沙那はからかうような顔で僕を見てそう言った。


沙那が手を離すと少し頬が赤らんで丸くなっていた。


「あははは! 面白い顔になってるわよ? ちょっと待って、見せてあげるわ」

そう言うと沙那は僕の写真を撮って、スマホの画面を僕に見せてきた。


「ははっ、確かに。傑作だな、どこかのあんこのパンのヒーローみたいですね」



「……ごっほん」


二人で笑いあっていると、後ろからわざとらしい咳払いが聞こえた。

どうやら鍵を閉めに巡回に来た先生のようだった。


「「あ~えっと……」」

僕も沙那も全く同じ反応で目の前の状況を何とか言い逃れできないかと脳をフル回転させていた。


「いちゃつくのはダメじゃないが、早く帰りなさい。星衛は大丈夫か? 命保ってるか」

どうやら僕の沙那推しは結構広まっているらしい。

確かに担任の先生も気付いたら知ってたしな。


「それと温泉川、引退したからといってあんまり羽目をはずしすぎないように。まだ週刊誌とかがここら辺うろついてるっていう話もあるし、やりすぎると今お前の目の前にいる男子生徒が尊死とうとししちゃうからな」


先生はそれだけ言うと僕たち二人を図書室から追い出した。


「そっか、颯太は私のこと好きだもんね」

「好きじゃないです、推してるんです」

間髪入れずに僕は答えた。


「……ん? 『好き』と『推し』ってどう違うの?」


「えっとですね、まず『好き』というのは相手に思いを伝えて『あなたと付き合いたい』などの見返りを求める好意で『推し』というのは思いを言うのは一緒なんですけどこちらは見返りを求めず、ただ『あなたを応援したい』という意味での好意です。個人的な意見ですけど」


「ふーん、なんか難しいわね」


「似て非なるものなんですよ、これは。永遠の課題かもしれませんね」


「じゃあ颯太はどっちなの?」

唐突にそんな質問をされた。


「僕は…………」

すぐには答えられなかった。前までは答えられたはずなのに、今日は答えられなかった。

沙那が引退して、沙那と出会って……この短期間で色んなことがあった。

けど『推し』という思いは変わらないはず。


――颯太、「諸行無常」という言葉があってな。これは「変わらないものはない」っていう意味があるんだ。だから今一貫して颯太が持っている思いもいつかは変わるかもしれない


昔、父さんが言っていたことが頭に浮かんだ。

当時は理解が出来なかったけど、今なら理解できる。

けど…………あまりにも単純だな

だから僕は自分に言い聞かせるように大きな声で言った。


「僕は沙那さんのことを一生推すって決めました! だからこれからもあなたのことを推させてください!」


「……そう、わかったわ。その代わり、浮気は許さないわよ?」


「……! はい、もちろん!」

この日、僕らの関係は少し進んだのかもしれない。



◇◆◇◆◇◆◇

図書室にて


「廊下でうるさいけど、まあいいか。いいな青春……はぁ…………尊い」

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