4th sg 思いとお粥とエベレスト

 火曜日の午前10時。普段ならとっくに授業中だろう。

 けど俺は自室にいてパジャマを着て布団にくるまっている。


 ピピピ・・・・・・

 その音が鳴る機械は

「38.9℃」

 と、よく分からない数字を示していた。

「これは、風邪だな。颯太、学校には連絡しておくから今日はゆっくり休んでいなさい。じゃ、仕事行ってくるな。今日はなるべく早く帰るから」

 父がそう言って始めて俺は理解した――

 風邪を引いたのだと

 バカは風邪を引かないなんて言う事がある。

 実際に俺は今まで風邪を引いたことがなかった。

 様々な条件の下で学校を休み、そのたびにゲームをして一日をつぶしたこともある。

 今日だって本当ならそうしたい。けど、それ以上に体が熱く頭が重い。

 布団から起き上がるのが精いっぱいだ。


 しばらくして、俺は寝ていたらしい。

 呼び鈴の音で目が覚めた。

 時刻は午後4時。もう学校は終わっている頃だろう。


 この日一番の力を振り絞ってベッドから起き、インターホンのモニターを見た。

 するとそこには、美しい女(正確に言えば美少女が)立っていた。


「先輩、どうしたんですか。家まで来て」

「どうって……見ての通りお見舞いに来たのよ」

 確かに片手に下げた袋には飲み物やゼリーやらが入っているように見えた。

「って、星衛くん本当に苦しそうじゃない。良き荒いわよ?」

「はい、全然…………大丈夫…………です」

 俺はそのまま先輩の方へ倒れた。

「きゃっ! ちょっと、星衛くん!? 星衛くん!?」


 その後のことは覚えていない。

 ただ次に起きたとき、頭には覚えのない冷却シートが貼ってあり、横には俺の右手を握って眠っている沙那がいた。

 俺が起きたのに気付いたのか沙那も目を開けて、こちらを見た。

「え? いやっ、ちょっと! 先輩!?」

 俺はだんだん顔を近づけてくる先輩に驚いた。


「なに情けない声出してるのよ。……うん、だいぶ下がったわね。よかった」

「なんだ、冷却シートか」

「何されると思ったのよ。ま、いいわ」

「それより、先輩なんで僕の家の住所知ってるんですか……? はっ、まさか僕のこと大好きで……スト――」

「あでっ」

 そこまで言ったところで沙那に頭を小突かれた。

「今日、あなたに用あって教室に行ったんだけど休みだって言ってたから……土曜日のこともあるし、風邪ひいてるんじゃないかって思って」

「……はい」

「住所聞いたら、馬淵くん? って人が教えてくれたわ」

 あいつ、人の個人情報を安安と…………


「なるほど。まぁ風邪を引いたのは十中八九そのせいでしょうね」

「本当に悪いと思ってるわ。普段なら辛いことがあってもあんなことしないのに、あのひな何故かどうしてもあそこが一番心地よくて……してほしいことがあったらするから何でも言って?」

 大好きなアイドルに目の前で上目遣いでそういわれるとファンとしてはたまらない。


「…………先輩、自覚ありますよね。自分がかわいいこと」

「ええ、あるわ。実際かわいいでしょ?」

「清々しいですね。……じゃあ、ゼリー」

「え?」

「ゼリーを食べさせてください」

「なによ、そんなことでいいの? それならいいわよ」

 逆に何を頼まれると思っていたのだろうか。


「キスしてほしいとか、ヤらせろ、とかそんなこと言われるかと思ったわ」

「……先輩、男が全員そうだと思ってます?」

「えぇ、まあ。……けど違うのよね、分かってるわ。分かってるけど……ごめんなさい、なんでもないわ」

 そこで俺たちの会話は途切れた。

 ゼリーを半強引に口に詰め込まれ、食べさせてもらった感はあまりなかったがそれでも推しが奉仕してくれるというのはとても良い。

 先輩が時計を見ると時計の針は既に18時の形になろうとしていた。

「病人のおうちに少し長居しすぎたかしら。外のウイルスもってきてなきゃいいんだけど……。これで悪化したら私最悪な人じゃない。

「そしたらまた先輩が看病してください」

 冗談交じりでそう言った。

「……なまいき。ま、考えておくわ。ちゃんと風邪治しなさいよね」

「わかってますよ、お気遣いありがとうございます」

「あ、あと。私、一人称『俺』より『僕』の方が好きよ」

 唐突にそんなことを言ってきた。

「そんなこと言われて、僕が一人称変えると思います?」

「もう、変わってるじゃない。あなた、私のこと好きみたいだし、私かわいいから、言いなりになると思ったのよね」

「……先輩性格悪いなぁ」

「まーね。じゃ、またね」

 先輩はそれだけ言って僕の家を後にした。

 普段だったらステージでなんならテレビで見ていた彼女が僕の家にいた。

 その事実だけで風邪が治りそうなくらい、元気をもらった気がする。


 ――「キスしてほしいとか、ヤらせろ、とかそんなこと言われるかと思ったわ」

「……先輩、男が全員そうだと思ってます?」

「えぇ、まあ。……けど違うのよね、分かってるわ。分かってるけど……ごめんなさい、なんでもないわ」


 ただ、あの時先輩が言葉に詰まったのだけが少し気になってしまった。

 何でもないことかもしれないけど、いつか何か分かる日が来るかもしれないな。



「ごめん、遅くなった。熱はどうだ? 良くなかったか?」

 しばらくすると、父さんが帰ってきた。

「うん、ゼリーも食べれたし。だいぶ良くなったよ」

「ゼリー?」

「あ、あぁ。友達がお見舞いに来てくれて、買ってきてくれたんだ」

 まさか女子を…………ましてやあの温泉川沙那が家に来たなんて到底言えるわけない。

「そうか。仲良い友達がいて良かった。あんまり学校のこと話してくれないから、父さん心配なんだよ」

「大丈夫だよ、みんな仲良し」

 こういう家族での他愛もない会話が一番落ち着く。ここに母さんもいればもっといいんだけどな……。僕がもっと幼い頃は半年や一年に一度帰国していたけど、最近は2~3年に一度しか会っていない。この生活は嫌じゃない、だけど母親がいないとたまに寂しくなる。


「はい、お待たせ。父さん特製たまごがゆだ!」

「お~、美味しそう!」

 水分を含んだ白い米に、卵が黄金色に輝く。

「「いただきます」」

 食卓を囲み手を合わせる。

「うん、美味しい! 味の加減ちょうどいいよ!」

「そうか、良かった」

 食欲が完全でない今でもぺろりと平らげてしまった。


 その時、僕にとっては今日二回目の呼び鈴が鳴った。

 僕が出ようとすると

「颯太はゆっくりしていなさい。私が出てくる」

「わかった、ありがとう」


 少しして……

 ドタバタという足音が廊下から鳴り響いていた。

「うわあぁぁぁ~ん! 颯太大丈夫!?!? 風邪ひいたの?」

 足音の正体は優希だった。

 あからさまなウソ泣きで全力ダッシュで僕に抱きついてきた。

 僕の胴体に押し付けられた胸部のエベレストはあまりの押し付け具合で今にも雪崩が発生しそうだった。


「ちょっと、優希! 重いから離れろ! しかも風邪ひいてんだから、うつるぞ!」

「ひどい! 女の子に向かって重いって言うなんて!!」

 女の涙は武器だと言わんばかりの目薬でつくった涙で僕を見てきた。

 演技派だな。

「あのなぁ――」

「――颯太のお父さんもそう思いません!?」

 僕の話は遮り父にそう問うた。

「そうですね、失礼というか……」

 父さんは終始笑顔で、時折話に混ざりながら僕らの様子を見ていた。


「やっぱ、颯太には優希ちゃんが必要だな。いるだけで場が明るくなるし、これからも颯太をよろしくお願いします」

 確かに、父さんがこんなに笑っているのは久しぶりに見た。沙那の引退があってからも、それ以前もこの家には笑顔でいるという時間が少なかった。

 元々父さんが寡黙な人っていうのもあるかもしれないけど。

「こちらこそ、謹んで立派な大人にしてみせます」

 父さんと優希がそんな会話をしていた。

「勝手にそこ二人で決めないで!?」


 あはは、と家の中に笑い声が響いた。


「あ、じゃあそろそろ帰りますね。あまり遅くなると両親を心配させるかもしれないので。騒がしくしてすみませんでした。お邪魔しました!」

「いえいえ、こちらこそ。楽しい時間をありがとうね。気を付けて帰るんだよ?」

「はい、ありがとうございます! 颯太もちゃんと風邪治しなね!」

「おーう」


 優希がいなくなり、家にはまた落ち着いたゆっくりとした時間が流れ始めた。


そういえば寝ている時、夢を見た。

母親に会う夢。でも、その母親は物凄く沙那と雰囲気が似ていた。

でも目線が低かったから幼かった頃の夢だろう。

優しい笑顔で俺を見て抱擁する。そんな夢だった。

何も変なところはないはずなのに、沙那と雰囲気が似ていたことがあまりにも引っかかる。

――あれは一体何だったんだろうな。

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