2nd sg 満ちと虚ろ
6月上旬
「おはよ颯太! 今日はいつもより嬉しそうだね? 何かあった?」
こうして今日の朝も優希は俺の教室にやってきた。
「別に、何もねえよ」
――嘘である。この男は昨日、推しの温泉川沙那に「大好き」と言われて大興奮して夜も眠れなかったのだ。しかし、告白ではないのだが。勘違いもいいところである。
「はっ!? まさか彼女ができたとか……?」
頭を抱えてわなわなしている優希を小突いて一言。
「出来てないよ。作る予定も、できる予定もないから安心しろ」
(つか、安心しろってなんだ。別に優希を安心させなくてもいいじゃん)
それはそうと、先ほどから後ろからの視線が痛いほど刺さる。
後ろをチラ見すると昨日より増えて男子6女子6の割合になっている。
しかも他クラスの奴も混じっている。これはどうしたものか……
「荘真~、ちょっとこっち来いよ! お前も一緒に仲良くお話しようや、な?」
半ばキレて半ば面白がって、荘真を呼んだ。
「ど、ども。し、荘真っす」
緊張しているのか、今までに見たことがない荘真を目の当たりにした。
「優希は……あ~、知ってるよな?」
「うん、えーと…………私の熱狂的なファン?」
「そ、そうです!! 覚えてくれてるんですね! いやー、俺感激だな~! まじで一目惚れしました!」
極度の緊張から急におしゃべりになり、情緒が不安定な荘真に優希は気圧されていた。
「おい、優希が困ってるじゃねえか」
荘真に対して小声で言った。
「仕方ねえだろ、緊張すんだから」
「あのなぁ――」
「――じゃ、じゃあそろそろ私行くね? 待たね颯太!」
気付けばさっきいた荘真以外の人はもういなくなっていて、残されたのは俺たちだけだった。
放課後、雨で湿度の高い玄関ホールで優希と会った。
「あれ、颯太! お疲れ様、今日は寝ないでちゃんと授業受けた?」
「今日『は』じゃなくて今日『も』の間違いだ」
これが中学の時から俺たちの間でジョークになっていた。
「優希は? 今帰り?」
「いや、これから部活……。雨で休みだと思ったんだけど、室内でトレーニングだって」
「そっか、大変そうだけど頑張ってな」
「うん、ありがと! 颯太も、気を付けて帰りなよ~」
そうして俺たちは別れた。優希はテニス部に所属している。小学生から続けていて実力は相当ある。去年一度大会を見に行ったのだが、なんと優勝して全国大会にまで進んでいた。
勉強もできてスポーツもできて、俺とは大違いだ。
俺は何においても平凡なんだよな。
家に帰ると、待っていたのは悲劇だった。
たまたまテレビをつけると、誰もが想像しないニュースが目の前で流れていた。
「こんばんは、夕方のニュースです。まずはこちらの速報から。今を時めく大人気アイドルグループ・ユアヒロインのセンターを務め、女優としても目まぐるしい活躍を見せていた温泉川沙那さんが芸能界を引退すると事務所を通じて発表しました」
いつも応援してくださるファンの皆様へ
私、温泉川沙那は本日6月8日付でユアヒロインを脱退し、事務所との契約を解除することにしました。詳しい内容に関しては後日事務所より発表があると思われます。 私のデビュー当時から応援してくださっているファンの皆様や関係者の皆様には多大なる迷惑をおかけしてしまいますが、どうかご理解の程よろしくお願いいたします。
また、今後のユアヒロインの活動に関しては私の脱退後も今と変わらず活動し続けていきますので、どうか応援よろしくお願いいたします。
テレビでは号外を欲して配布者に人々が密集していたり、街頭で速報を聞いて泣き崩れる人がいたりした。
「…………は? え? 昨日だって、応援ありがとうって」
どうしても俺は理解が出来なかった。
テレビの前で、泣いて泣いて泣きじゃくった。
気付けばもうどれくらい経ったのだろうか。
俺もすでに冷静になっていた。
部屋の隅で縮こまり、今は何も考える気が起きない。
俺の世界に未知の色を教えてくれた彼女の存在がなくなるということは、その色彩の消失とまさしく同じだった。
【温泉川沙那の脱退及び芸能界の引退】
この言葉の重さを世間は誰もが理解していた。
きっと、彼女なりの考えがあった上でのしっかりとした発表だったのだろう。俺はファンとしてこれから新しい人生を進む彼女を応援しようと思った。
数時間してスマホが鳴った。
着信音の正体は優希からだった。
「……もしもし」
「…………っ沙那……ちゃんが……! 沙那ちゃんが……! どうして……」
「あぁ、そうだな……」
「颯太は……っ悲しくないわけ?」
「俺だって、悲しいし辛い。俺の人生の半分は沙那だったから」
「だったらどうし――」
「――けど、今やるべきことは泣くことじゃない。今やらなきゃいけないのはファンとして、彼女を応援する身として、彼女を理解して次のステージへ背中を押してあげることだ。俺はそう思う」
俺だって辛い。物凄く。だけど、この決断をした彼女が一番つらいのだと俺は感じている。
「なあ、優希。いつか必ず願いは叶う。きっと彼女は戻ってくるさ。だからその日が来るまで俺たちで沙那を応援し続けよう」
「……うん」
「じゃあちゃんと、水分取れよな」
そこで通話は終了した。
ザーと降る雨の音とともに、この世界を愛おしみながら俺はまた虚無に浸るのだった。
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