第27話 始まり

「ふふ、存外に楽しかったよ」


 しばらく踊った後、ぱっと彼女が手を放して僕の方に体ごと向き直る。その顔は確かに朗らかだ。その様子を見て僕も答えた。


「そりゃあ良かった」


「次に踊るときはワルツとかどうだい?」


「僕がその手のステップ知ってると思うか?」


 フォークダンスのステップと社交ダンスとかのそれを一緒くたにしてはいけない。映画でもステップ知らずに覚える段階から苦戦する、なんて話はよく見た。


「知らなければ知ればいい。それが人生だ」


「人生って……大げさな」


 呆れ顔でそう言うと、彼女は僕の方に一歩踏み出し、僕のことを見上げながら言う。


「というか、踊ること自体には乗り気なんだね」


「───っ。揚げ足とるなよ」


「はははっ」


 バンバンと軽く僕の腰辺りを叩きながら笑った彼女。そこから軽く息を整えてから続けた。


「楽しいと時間が過ぎるのはあっと言う間だ。今日に限らず、今日までの君と過ごした日々も、非常に有意義だったよ」


「……おい、屋上で急にそんな話始めるなよ。ちょっと怖いだろ」


 まるで今生の別れのように聞こえてしまう。屋上は手すりの外にさらに金網が敷かれて囲まれているため、そう簡単に飛び降りたりはできないが、背中に変な汗が伝いそうになるのでやめてほしい。


「……?ああ、なるほど。君も発想豊かだね」


 彼女はそう言うと、屋上の縁まで近づいていき、ぴょんと手すりに飛び乗った。


「こんな風に、ここから身投げするところとか想像しちゃったのかな?」


「おい、やめろ。金網だって絶対じゃないんだぞ。老朽化でもしてたらどうする?」


 特段そんな話は聞いた記憶がないが、設備の老朽化に伴う事故はニュースでも珍しくない。早々に、僕は彼女にそこから離れてほしかった。


「……おお、思ったよりも必死でびっくりだよ」


 僕の表情が思ったより険しかったのか、彼女は一瞬気おされたような反応を見せてからゆっくりと手すりから足を下ろし、屋上に再び足を着けた。それを確認して僕はひとまず息をつく。


「ねえ、世良町君」


「なんだよ」


「私と君はまだ出会って数か月なわけだけど、君の中では私をどんなふうに捉えているんだい?」


「……なんでそんなことを聞くんだ」


「うーん?私が知りたいからという理由では不服かな」


 今の僕の反応で思うところがあったのか、そんなことを僕に問うてくる彼女。僕は彼女と出会ってからの日々を振り返る。


 いじめに辟易としていたころ、逃げ出した先で彼女と出会った。


 初めて授業を誰かと一緒にサボった。一緒に食事をとった。数時間に及ぶ長電話もしたし、たくさん揶揄われた。


 ……彼女と交わした無数の言葉。思いの応酬。そのたびに感じた、心の奥の温かな気持ち。


 回想して場面を思い出すごとに、その時の気持ちが合わせてよみがえる。じんわりと胸に滲んでいくような記憶と気持ちの不思議な感覚を確かめるように、僕は胸元に手をやった。


「聞かせてよ。君の中で、私を……どう定義したのか」


「……僕は」


 暗闇の中で出会った一筋の光のように。みっともなく逃亡した先にいた彼女を。人を揶揄うのが好きな彼女を。人の地雷を的確に踏みぬく彼女を。悪知恵の良く働く彼女を。大人びた彼女を。自由人な彼女を。


 目の前に佇む少女を形容する言葉を必死に探す。だが、まだ彼女の全部を知るわけではない。むしろ、この少女の大部分がいまだに僕に対しては隠されているような気さえする。そんな条件で手探りで言葉を探すのは本当に難しくて。


 ───乏しい語彙の中で、彼女を何と呼べばいい?


 ───僕にとっての君は、なんだ?


 数度自分の中で問いかけるようにして、ようやく1つ。綺麗でもなければ特別でもない。ありきたりな言葉が1つ、ぼんやりと浮かんだ。それは熟考の果てとは言えないが……


 きっと間違っていないのだろうと、変な確信がある。


「僕にとって、君は───」


 君は。あの日であった、木陰の彼女は───






「……それはそれは。光栄だね」


 にこっと優しく笑う彼女に、僕はあの日と同じく見惚れてしまった。 

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