第26話

『それでは最後の種目、フォークダンスに移ります。体育祭の最後を飾る勝敗のない競技、ぜひ積極的にご参加ください』


 屋上にいても放送席のアナウンスは良く響く。中学の時はソーラン節を裸足で強制的に踊らされたが、高校では実施しないのは非常に嬉しい。ソーラン節、踊り場所が外れだと攻撃力が高い石を踏んだりして滅茶苦茶に痛いのだ。


 対して高校ではゆっくりとした動きでいいフォークダンス。フォークダンスにもいろいろ種類はあるが、本校ではオクラホマミキサーが採用されている。もっともメジャーなものの1つだろう。まあ、こちらはこちらで異性と手をつなぐという、思春期の若者には少々気恥ずかしいものではあるが。


「行かないのかい?」


「そう言うそっちこそ」


「はは、私が行っちゃったら男子がたくさん寄ってきて大変だからね」


 まあ、見てくれだけは良いからなこいつ。実際、僕も借り物競争の後、恨みがましい視線を多数向けられた記憶がある。


「なあ、ちょっと聞きたいんだが」


「ん?」


「お前が授業さぼったり、学校休みがちなのって、その……男子と何かあったから、とかか?」


 話していてふと疑問に思ったことが気が付けば口に出ていた。さっきの言い草、いつもの軽口のようだが、その一方で、まるで過去にそんな経験があったとも取れたからだ。こいつは確かに美少女だ。すれ違う人が10人いれば10人が必ず振り返るほどの。もし。もし……男子との間に何かトラブルがあったことが原因で、人との距離を置いているのだとしたら……


 僕は、彼女の横にいていいのだろうか。


「……中学生の時かな。告白してきた男子がいたんだ」


「……」


 彼女は手すりにもたれつつ、空を見上げながら語り始めた。


「あんまりそういうの興味がなくてね、一応丁寧にお断りしたんだ。……恋愛とは、相手との関係で傷つく覚悟をすることだ。でも、まあ、相手を必要以上に傷つけてしまった可能性はある」


 恋愛沙汰は何も嬉しい思い出ばかりじゃない。初恋は実らないなんてよく言われるが、恋愛というのはそれだけ大きく傷つく可能性もあるものだ。告白はその最たる例。


「で、その告白から1週間ほどたった頃かな。……急に視線を感じることが増えたんだ。特に1人でいる登下校の時とかね」


「……それって」


「靴箱や家のポストに『ずっと見ている』とか書いてる手紙が入ってたり、私物がなくなったり。まあ、うら若い少女に恐怖を植え付けるには十分すぎる話さ」


 ストーカー被害。時折ニュースにもなっているが、常に誰かに見られている、あとをつけられているという恐怖は想像以上のものだろう。精神が休まる暇もなく、日常が侵食されていくような感覚なのかもしれない。


「……可哀そうな話でしょ」


「なんでそんな他人事みたいな」


「いやだって他人事だし」


「……は?」


 僕の素っ頓狂な声を聞き、彼女はその憎たらしい笑みを浮かべながら僕の方を見て言った。


「今のは私の話じゃないからね」


「え、いや、だって……」


「『私が』だなんて一言も言ってないけどぉ?」


 ……確かに一言も『自分がされた』とは言ってない。言ってないが。


 僕は大きくため息をつき、手すりにドカッと持たれた。


「心配させんなよ……」


「ははっ、ごめんね。神妙な顔して質問する君がおかしくっておかしくって……くくっ」


「お前本当に……」


 ゲラゲラとその端正な顔を保つことも忘れて笑う隣の少女。僕はいつまで彼女の玩具にされればいいのだろうか。


「心配しなくていいよ。私は私がそうしたいから、今の生活をしているんだ」


「普通はそんな生活を望まんだろ」


「普通なんて人それだと思うけど?」


 コテンと首を傾げながら言う彼女。そりゃあそうだろうけど。……やめやめ。こいつと話して僕が主導権握れるわけがない。


「だからまあ───」


 彼女の声が途絶える。それを不思議に思った僕は手すりに伏せていた顔をあげて横を見やった。


 ───瞳。吸い込まれそうな、宝石のような。淡い水彩画のような輝き。


 長いまつ毛。絹のように真っ白で、シミ一つないきめ細やかな肌。風に吹かれて揺れるその柔らかそうな髪。そして艶やかな唇。


 眼前に広がる彼女の顔は、慈愛の笑みを携えていた。


「───」


 唐突に至近距離にまで近づいた彼女に、僕は言葉を失う。固まる僕に対して、彼女はゆっくりと口を開いた。


「私はね、君と一緒にいたいからこうしてる。そこは心配しなくていいし、疑わないでほしい」


 ひゅうと頬を撫でるような優しい風と共に、その言葉が耳に届く。ひどく優しい声音のそれは、いつまでも僕の耳で反響した。


 その一瞬はまるで白昼夢でも見せられているかのような感覚で。


 ───僕をようやく現実に引き戻したのは、ちょっと気の抜けるような例の音楽。


「おや、こんなことを話してるうちに始まっちゃったよ。乗り遅れちゃったねぇ?」


 僕に合わせて少し腰をかがめていた彼女が、体を起こしたことで顔が離れる。それを機にようやく呼吸出来た感覚のした僕は、その息を吐きだしながら彼女と同じくグラウンドに目を向けた。でかでかと大きな円を作って、男女がペアになり音楽に合わせてステップを踏んでいる様子が見て取れ、少し注意深く観察すれば恥ずかしがっている生徒、ノリノリな生徒、興味なさげを装っているけど内心嬉しそうな生徒などなど、色んな生徒が確認できる。


 その中には小田先輩と団長さんもいる。あそこまで盛大に告白現場を見られれば、ペアを変えるのは邪魔な行為だと周囲が思ったんだろう。最初のペア交換のタイミングで、その前後のペアが彼ら2人を飛ばして交換を行い、2人が(特に小田先輩が)それに顔を赤らめて反応している微笑ましい光景も見えた。「2人だけでやってろよ」と言われて「か、揶揄うな!」と返す……なんて会話もあったんだろう。


「……」


 グラウンドを見下ろしながら耳に髪をかける彼女。髪の向こうから見せた顔の口角は若干緩んでいて、その様子は「バカやってるなあ」とか言ってる教師っぽさがある。


 そんな彼女が唐突に口を開いた。


「時に世良町君」


「ん?」


「音楽が奏でられ、男女が2人きり。ここは男子としてやるべきことがあるんじゃないかと私は思うわけだが」


 僕に視線だけを送り、絶妙な角度で首を傾げる。後ろで手を組みながらそう言ってのける様はつまり、そう言うことなんだろう。


「……正気か?」


「ここで私が狂ってると言えば、今グラウンドで踊ってる彼らみんな狂人ってことになるけど?」


「いやそうはならんだろ」


 呆れながら僕は返答する。彼女はクスリと笑いながら視線だけでなく、僕に体ごと向き直った。


「で?どうなんだい?」


「……」


 悪戯っぽい、でも可愛らしい。小悪魔じみた表情と仕草でそう告げる彼女に、僕は小さくため息をつく。どうも彼女にはかなわない。


 僕は片足を引きつつ、礼をするように首を垂れる。片手を掌を上にするようにして彼女に差し出し、言葉を紡いだ。


踊りませんか、レディShall we dance?」


「……喜んで」


 彼女の白く、柔らかな手が僕の手に乗せられる。その握った手を少し高く持ち上げると、彼女はその場で美しくターンして、僕に背を向けてきた。


 ふわりと香る優しいラベンダーのような香り、綺麗に揺れるその髪。体操服というのがちょっと不格好だが、学生の身ならこれくらいの方がちょうどいいのかもしれない。


 ターンに少し遅れてやってきた彼女の手を受け止め、互いに密着した状態となる。その事実を意識すると余計に恥ずかしくなるので、何とか考えないようにしようとするも───


「ふふっ、これは少々……照れるね」


 背中越しに上目づかいで僕を見上げた彼女が言うものだから。


 最初のステップはぎこちないものになった。

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