第12話

「よーし、お前ら。中間の結果出たから出席番号順に取りに来い」


 やる気のなさそうな間伸びした教師の声を聞き、1人ずつ生徒が教卓に向かって行く。早水先輩に連行された日から数日。試験期間と試験日は瞬く間に過ぎ去り、こうして成績発表の日を迎えた。ちなみに僕の手応えは可もなく不可もなく、という感じだったがどうだろうか。


 自分の番号となり、ペラッペラの安い紙質の成績表を受け取る。その場で確認することはせず、自分の席に戻って着席してからその紙を開いた。……おお、2年初にしては悪くない。過去最高の順位だし、苦手な科目も平均を上回っている。学年最初の試験は簡単になる傾向があるとはいえ、自分の勉強成果がでているという点は評価していいだろう。多少頬を緩めた。


「さて、中間も終わって次の大きな行事は体育祭だ。今日はこのままそれぞれ出場種目を決めるぞー。んじゃ、学級委員よろしく。俺は寝とくな」


 そういうが早いが、担任は机に突っ伏して寝た。おい、それでいいのか担任。内心、同じようなツッコミをしたのであろう、呆れたような表情を見せながらうちの学級委員長さんが教壇に立つ。


「それでは種目決めを行います。種目を一通り黒板に書きだしますので、各々、自分の出場したい種目に挙手してください。出場できる数は最高でも3つまでです。また、すべての生徒が最低1種目は出場しなければならない決まりですので何かしらに手を挙げてください。希望人数が多すぎる場合はじゃんけんで決めます」


 去年は確かムカデ競争に出たんだったか。あれ、個人戦みたく目立たないし、団体種目でもリレーみたいなプレッシャーが少なくていいんだよな。……いや、今年は個人戦の方がいいか?露骨ないじめはなくなったとはいえ、僕自身クラスの連中との距離感がまだつかめないし。というか、できればあんまり関わりたくない。カッカッというチョークの音とクラスの話声を半ば聞き流しながら、行事に対して後ろ向きな考えをしていると、


「おい、世良町。お前どうする?」


「……え?」


 いきなり話しかけてきたのは後ろの席の國代くにしろ。以前、僕がいじめの標的になる前は友人と言って差し支えない付き合いをしていた人物だ。いじめの期間、話すこともなかったので、その声を聴くのは随分と久しぶりに感じた。


「……別にどうも。適当に」


 ややぶっきらぼうに答える。1年の時も同じクラスだった國代からすればあまり聞いたことのない声音だろう。


「……そうか。よかったら同じやつ出ないかって思ったんだが」


「やめとく。僕、國代と違って運動神経良くないから。迷惑かかりにくそうな種目にする」


 若干後ろに顔を向けながらも、体ごと向き合うことはなく答える。声の距離からして國代が身を乗り出して尋ねていることは分かったが、それでも僕はぼーっと黒板に目を向けていた。







 頭を抱えるようにして、机にだらしなく肘をつく。


「ハァ……」


 ただでさえ小さなため息は昼休みという周りの喧騒にかき消され、自分自身にすら聞こえなさそうになる。この僕の状態には、先ほどの種目決めが関係していた。


『今年は、久しぶりに男子全体、女子全体の種目が復活しました。男子は騎馬戦、女子は棒引きとなっています。これに関しては全員参加ですので、これ以外で最低1種目に挙手してください』


 委員長のその発言はクラスに歓喜を、僕に寒気をもたらした。去年はなかった種目の復活、しかもよりによって騎馬戦。これが落ち込まずにいられようか。考えるだけで憂鬱だ。


「せーらーまーち!」


 上から聞こえてきた声に顔をあげる。声の主、國代はたった今購買から戻ってきたのか、腕に総菜パンと飲み物を抱えていた。


「昼一緒に食おうぜ!」


 そういうと、僕の返答を待たずに机の対面にパンを広げた。そのまま流れるように座る用の椅子も持ってくる。間髪入れずにパンを頬張りだす國代を見ながら、ため息混じりに呟いた。


「なんだ、いきなり」


 別に昼を一緒にすること自体は構わない。今日はどうせ彼女のところに行く予定では無かったし。しかし、これまでやたらと距離をあけていたこいつが、なんの前触れもなくかつてのような距離感で接してくることに違和感を抱かずにはいられなかったのだ。


「……」


 僕の発言から苛立ち、困惑、あるいは迷惑といった感情を感じ取ったのか、國代は食べかけの惣菜パンを置いた。食べ上げろよ汚いな。


「これまでのこと謝りたくて。ごめん」


 急に似つかわしくない真剣な表情を見せたかと思うと、彼は頭を下げた。思わず目を丸くする僕に彼は続ける。


「お前がいじめられてても何もできなかった。それどころか、俺が何かされるのが怖くて俺も加担する様に距離を置いた。我ながら自分が情けないし、憎らしい」


 ……気にしてない、というのは嘘だ。確かに、親しい友人すらからもそういう扱いを受けた時は辛かったし、恨んでもいた。でも、今なら。冷静になった今なら分かる。彼だってただ自分の身を案じただけだ。学生時代の一友人に対してその身を犠牲にしてまで助けてほしいというのは酷だし、お互いにまだ若く、精神的に未熟でもある。僕たちが経験したことは誰にでもあり得る、至って普通の出来事だったのだから。実際、逆の立場だったら僕は必ず助ける、と言い切れる自信があるかといえばその限りではないし。


「でも、この間の女子を見て思ったんだ。あれくらいはっきりものを言える奴になりたいって。付き合いたい奴は俺が決める。誰に指図されるでもなくだ。俺は……お前とまた友達になりたい」


 真剣なまなざしでそう言う國代。國代もこの間の昼休みの蛇口との一件を見ていたのだろう。……また彼女は、誰かの心を動かしたのだ。


「じゃあ……」


 ゆっくりと口を開く。


「また、よろしく」


「……!ああ!こっちこそ」


 僕の言葉にそれはそれはうれしそうな笑顔を咲かせる國代。その表情には安堵も多く含んでいるように感じられた。お互いに相手の気持ちが多少なりとも理解できるからこそ選べたやり直し。彼だけでなく、僕もどこか晴れやかな気分になった。


「騎馬戦楽しみだな!やっぱ男たるもの戦ってなんぼだろ!」


 前言撤回。晴れのち雨。




 少年は思った。図々しいにも程があると。その他大勢と何ら変わりない態度でいたのに、こんなことを言うなんて面の皮が厚いにも程がある。拒絶してくれて構わない。むしろ、そうしてくれた方が気が楽かもしれない。……でも、彼は俺に彼を憎まさせてはくれなかった。それどころか、気を遣わせてしまった。許すのでもなく、糾弾するのでもなく、ただ新しいスタートを用意してくれた。それが申し訳なくて、それでいて嬉しくて。彼は大して期待などしていないのかもしれない。それでも、互いに胸を張って友人と呼び合える中になりたい、と少年は強く思った。


 あの困難に苦しんでいたのは彼だけではなく、少年もまた然りだった。あの出来事に唯一幸運とも呼べることがあったとすれば、あの出来事が、1人の少年の心持ちを良き方向に変えたことかもしれない。

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