第11話

 本校舎三階。生徒会室の横に位置する空き教室は風紀委員が集まったり会議をしたりするのに用いられている。誰か花が好きな人がいるのか、素人目でも分かるくらいに丁寧、丁寧、ていねーい、に手入れされている淡い紫の花が窓際で光を受けて美しく生けられていた。Oh!


「さて、早速だが本題に入ろうか」


 脳内でBGMと共に某ステップを踏んでいたら、女性にしては少し低めな声に思考が引き戻される。僕の座っている席に対して机を挟んで反対側。体の前で腕を組み、その制服の上からでも分かる胸部が主張を増す。……え、でか。女性経験とかほとんどないから知らんけど、これ相当あるんじゃない?スタイル良いって話は本当だな。あいつに少し分けてやってほしい。


「まずはいきなり呼びつけてすまない。君に聞きたいことがあってね」


「はあ……答えられるものなら」


 連れてこられる際に僕が随分とおびえていたからか、「別に取って食うわけじゃない。何か君に非があってそれを叱るための呼び出しでもないから安心してほしい」と言われてはいる。とはいえ、早見先輩の雰囲気もあってか己の緊張感は拭い切れないでいた。


「風紀委員は学校の風紀を守ることが仕事だ。校則違反ばかりする者、遅刻の常習犯、校内風紀を乱す生徒については余すことなく情報が入ってくる」


 ふーん、校内風紀を乱すねぇ……


「そんな問題児の中に君が交流を持つ者がいる。それは───」


 口に出された名前に思わず眉を顰める。その名は、忘れるはずもない。彼女のものだった。


「彼女に関しては私達も手を焼いている。頻繁に学校を休み、授業をサボることも珍しくない。そのくせ交友関係がいまいち掴めず、情報が入ってこない。彼女のような存在には一度、風紀委員としてしっかり対話しなければならないと思っていたのだ」


「そうですか。それで僕に何を求めているんですか?」


「話が早くて助かる。君から連絡をとって、連れてきて欲しいんだよ」


「嫌ですけど」


「……え?」


 先ほどまで自信に満ちていた早水先輩の表情が揺らぐ。まさか、断られるとは思っていなかったのだろう。それも間髪入れずに。僕は淡々と続けた。


「大体、彼女に問題があるならきちんと教職員通せばいいじゃないですか。風紀のためだったら動いてくれるでしょう」


 この学校では風紀委員会のようにその運営の多くの部分を生徒に一任している。流石にお金や外部との交流が関わってくるとその限りではないが、生徒の自主性を育むという目的で教職員が主体的に生徒間に入ることは少ないのだ。一方、生徒側の主張が理に適ったものであり、かつ現実的に可能なものであれば教職員が動いてくれる。例えば去年、修学旅行の行き先に関して根気強く調査及び説得をして行先を従来の場所とは変更したという話を聞いた。あくまで噂だけど。風紀の目的ならばそのような手順を踏んだ方が遥かに利口だ。


「ちなみに伺いますが、彼女の行動で具体的にどのように生徒に悪影響があるんですか?」


「それはもちろん授業に真面目に出なくなったり……」


「それは今起こってることですか、それとも今後起こる可能性があるんですか?」


「別に今起きているわけではないが……」


「なるほど、ではどうして今後起こり得ると考えたんですか?そういう事例が過去にあったとか?」


 僕の質問攻めに明らかに困惑し始める早水先輩。それも当然だ。早水先輩の言い分は基本正しい。僕がやっていることは質問攻めにして、揚げ足取りや粗探ししているだけだ。非常に卑怯で汚い手である。


 これには理由がある。実のところ、僕は風紀委員という存在があまり好きではないのだ。規則を守り、生徒が過ごしやすい円満な環境を作ろうとするその姿勢は素晴らしいものだと思うが、その活動が実を結んでいるとは思えない。現に、風紀委員は僕やあの少女がいじめられている時に助けてくれなかった。別に助けを求めたわけでもないし、逆恨みと言われればそれまでなのだが。


 これが、彼女以外の存在だったら僕は相手にコンタクトを取ったかもしれない。しかし、僕は彼女に恩を感じている。そんな彼女と風紀委員という存在は天秤にかけるまでもなかった。


 僕はさらに追い打ちをかける。


「第一、僕が協力するメリットはあるんですか?先輩の言う通り、仮に僕が珍しく彼女と親しい存在だったとしたら、無償で友達を売れって言ってるようなものですよ」


 もっとも、メリットを提示されたところで変わらないが。


「……校内風紀のために協力するのは生徒の義務だと思うが」


 先ほどまでとは違い、その言葉に苛立ちを感じる。もしかしたら多少の怒りもあるかもしれない。


「へぇ。それは生徒手帳のどこに書かれているんですか?」


 先輩の目の前でポケットから生徒手帳を取り出し、わざとらしくページをめくる。


「……なるほど、彼女が親しくするだけあり、君も相当に変人と言うわけか」


 そんなことはない。彼女が変人なのは否定しようがないが、僕は比較的良識ある一般的な高校生男子だ。


 しかし───


 ~♪


 多少空気が悪くなった時、その静寂を破るように僕のスマホが鳴り出した。聞き慣れないその曲に、僕は先日の彼女とのある会話を思い出す。


『そうそう、最近面白いアプリを見つけたんだ』


『アプリ?』


『うん。着信音がランダムで変更されるらしい。どうだい?面白そうだろう?』


『そうか……?』


 あんまり気乗りしないながらも、僕は彼女に根負けして、そのアプリをインストールしたのだ。そして、削除するのも忘れていた。


 ところで覚えているだろうか。僕は「間が悪い」という呪いを昔から背負っている人間である(誰に言ってるんだ?)。そんな僕のスマホから流れている着信音はあるクラシック。


 曲名を───ツィゴイネルワイゼン。


「……」


 ……誰か助けて。この空気何とかして! 


「校内ではスマホの使用は禁止だが」


「……その校内から出ようとしていた僕を無理やり連行したのは先輩ですが」


 見苦しい抵抗だ。よりにもよって風紀委員長の前で着信とは言い逃れができない。しかも着信音がコレって……なんか「やっちまった」って感情に色がついて絶望に染まっていく感覚がする。音楽ってすげー。


 そんな僕の心情を知ってか知らずか、早水先輩は無言で手を出してくる。スマホを差し出せと言うことだろう。理不尽だ、と文句の一つでも言いたいが、ここまで啖呵を切って煽っていただけに、目の前で校則違反をしてしまったというのはあまりにみっともない。僕は渋々スマホを差し出した。


 しかし、早見先輩は僕のスマホの画面を見て首を振った。


「……いや、今回は見逃そう。私も無理矢理すぎた。出てくれて構わないよ」


 そう言って応答を促す。いや、流石に今電話に出るのは……と思ったその瞬間、初めて着信画面の名前に気がついた。先ほどまでいきなりの音に焦って頭が真っ白になっていたので、その名前に気がつかなかったのだ。だから僕は口を開いてやんわりとお断りの言葉を述べる。


「いえ、今出るのは失礼ですし」


「構わないよ」


「別に急ぎでは─」


「構わないよ」


 満面の笑みでRPGの村人のように同じことを繰り返す先輩からは、「オラ、さっさとしろ」と言う圧力を感じる。おかしい。今日は色々あったけども、その中でもダントツに怖いのが笑顔だなんて……僕はしぶしぶ応答アイコンをタップした。


「遅い!私からの電話だぞ!もっと喜んでさっさと出てくれてもいいじゃないか!」


 久しぶりに聴いた声は電話越しの怒号。いや、怒号と言っても本気で怒っているわけではないとは思うが。


「やんごとなき事情があったんだよ。なんなら過去形じゃなくて現在進行形でやんごとなき状況なんだよ」


 主にお前のせいで。


「え、何?なんかトラブル?いいじゃんいいじゃん。聞かせてよー」


「……ああ、そう?知りたい?なら本人から聞くといい」


 こちらの発言を聞いて一転。随分楽しそうな声になったのを感じ取る。思えば、いつも彼女にはからかわれてばかりだ。先ほどまでの緊張や彼女に対する感情はきれいさっぱりと消え去り、僕は半ば投げやりに早見先輩にスマホを渡した。


 渡された早見先輩も、もともと彼女と電話したいという思いはあったのだろう。でもまさか催促する前に渡してくるとは思わなかったと見える。なんなら通話途中に取り上げる気ですらあったのかもしれない。そんな先輩はいきなりの僕の行動に一瞬目を白黒させたものの、すぐに受け取ったスマホを耳に当てた。


「何日も学校を休んでいい身分じゃないか。ええ?」


(ゲッ!その声と気取ったしゃべり方は早見!なんでお前が世良町君の電話に出るんだよ!)


「仮にも先輩に対してずいぶんな言い方だな。ん?」


 ……彼女の声は聞こえなくなったが、何となく随分と慌てていることは分かる。多分こんな感じのことを言ってるんだろうなと想像が容易にできた。少しは痛い目を見ていただきたい。うん。


 目の前の賑やか(あるいはそう見えるだけかもしれないが)な通話風景を横目に、どことなく少し晴れやかな気分を感じる。……あの花綺麗だな。







 時間にして数分程度だろう。早水先輩がスマホを返してきた。会話内容はほとんど聞いていなかったが、有意義な時間になっただろうか。まだ繋がった状態のスマホをひとまず耳に当てる。そして一言。


「お礼ならいらないよ」


「言うわけないでしょ」


 まだまだ元気そうで何より。電話越しで随分お説教されたのにも関わらず疲労を感じさせないあたり、意外に体力があるのかもしれない。そんなことを考えている僕に、彼女の不満げな声が聞こえる。


「私に恨みでもあるの?君」


「どちらかといえば当てはまる」


「街角アンケートやめて」


 いつも向こうのボケに突っ込まされてばかりだからたまにはこういうのもいいだろう。ちなみに、以前聞いた話なんだけど日本人に「日本人は優柔不断だと思うか」というアンケートをとった時、その多くが「どちらでもない」と答えたらしいね。うーんこの。


「それはさておいて、電話かけてきたのはなんか用があったのか?」


「いやー、最近ちょっと忙しくて学校行ってなかったからね。何か面白いことあったら聞きたいなぁと」


「忙しさは学校に行かない理由にはならんだろ……」


 やはり早水先輩の言う通り問題児じゃないか。いや、知ってたけど。


「特にお前が興味惹かれそうなことはないよ。強いて言えば中間試験が近いことくらいか。お前、休んでて大丈夫か?」


 そう、時期的にはそろそろ中間試験が始まる。まだ少し余裕があるが、近々多くの部活動も休止期間に入るのではないだろうか。


「ああ、そんな時期だねぇ。私としては学校が午前中で終わるから割と嫌いじゃないけど」


 その物言いは学生にとっての試練であり、天敵であるテストを何とも思っていないように聞こえ、僕はそのまま疑問を口にした。


「心配じゃないのか?もしかして、意外と勉強できるのか」


「意外とは失礼な。まあ、学校の定期テストっていうのは、テスト範囲の問題を一通りやったら9割くらいは誰でも取れるもんなんだよ」


 うん、まあ、馬鹿だとは思っていなかったが……その発言は多くの人を敵に回しそうだ。ただでさえ学校を休みがちだというのに。そんなんだから人を怒らせるんだという自覚を持って欲しい。


「……おや、もしかして世良町くんは勉強がお得意ではない?それなら教えてあげてもいいよ〜。全科目なんでもござれ」


 呆れ半分関心半分と言った僕の沈黙から驚きを感じ取ったのか、そんな提案を彼女が持ちかけてくる。心なしか声が嬉しそうだ。


「遠慮しときます」


「即答」


 誰かに教えてもらうことは別にいいのだが、相手がお前だから問題なんだ。教えてもらったが最後、何を要求されるか分かったもんじゃない。第一、僕だって勉強が得意というわけではないが平均を割ったことはないのだ。


「遠慮しなくても良いのに〜。私の教え方、良いって友達から評判なんだよ」


「でもお前友達いないじゃん」


「なんでそんなこと言うの」


 ヨヨヨ、とわざとらしい鳴き真似を電話越しにしてくる彼女。その時、視線を感じた。


「……」


 目の前の早水先輩がなんか、生暖かい目を向けてきていた。……忘れていたが、ここ学校だったな。


「あー、そろそろ切るな。僕まだ学校だし」


「あ、そうだったね。またねー」


 ピロン、という音と共に通話画面が消える。息を一つついて顔をあげた。


「やっぱ仲良いでしょ」


「そうでもないです」


 疑念に満ちた表情を向けてくる先輩ににっこりと作り笑いをしながら答える。その後ちらりと視線を窓に向ければ、雲の間から微かに光が差し込むのが見えた。いつの間にか雨は止んでいたようだ。


「では、僕はこの辺で失礼します」


「ちょっと待て」


「……?」


 まだ何かあるのだろうか?ひとまず先輩の望み通り(意図しないものだったが)彼女との間を取り成した。早水先輩の目的は達成された筈だ。スマホのこともひとまず見逃すとのことならこれ以上なんの用があるというのだろう。


「私とも連絡先を交換しよう」


「はい?」


 なんでそういう流れに?


「そんな驚くことでもないだろう?私個人としてもあの問題児と渡り合えている君に興味がある」


「そう見えたんですか」


 とてもそうは思えないのだが……


「それとも……私とは、嫌……か?」


 少し消え入りそうな声で、不安そうな表情でそう問いかけてくる。たまたま僕が席を立ち、先輩が座っていたというのもあり、その綺麗な瞳で上目遣いを受けてしまった。先ほどまでとは打って変わった、しおらしい態度に思わずドキリと心臓が跳ねる。


「……どうぞ」


 スマホを操作して自分の連絡先を表示し、先輩の方に画面を向けた。


「ありがとう!」


 パア、と輝くような笑顔を見せて、自分のスマホを操作しだす先輩。数秒の後、自分のスマホが通知で震えた。


『よろにゃあ』


 なんかだらしない溶けかけた黒猫みたいなスタンプが送られてきた。……この先輩、見かけによらず可愛いのでは?というか、あんまり連絡先交換したことないから知らなかったけど、このメッセージアプリ、電話番号を登録した相手が自動で登録されるのか。わあ、ハイテク。


 スマホから顔を上げると、心なしか先輩の口元が緩んでいる。別に僕の連絡先なんか大したものじゃないだろうに。


「返信が早い方ではないので、何か連絡がある時はメッセージより電話かけてくれた方がいいです」


 そんなに連絡することもされることもないと思うが。


「今日は済まなかったね。無理やり連れてきて」


「いえ。先輩は立派に自分の仕事をしようとしていただけですし。こちらこそ生意気な態度ですいませんでした」


 謝罪してくる先輩に対して返答する。僕の対応もあまりに子供染みすぎていた。彼女の不利になるようなことを避けようという思いもあったが、僕の中に風紀委員への不信や、いきなり連れてこられたことへの苛立ちがあったことは否定できない。そんなのを理由に相手にきつく当たって良いわけがない。


「ああ、気にしなくて良いよ。久しぶりにガッツのある相手で私も楽しかったさ」


 しかし、僕の心とは裏腹に先輩は本当に気にしてなさそうに笑顔を見せた。その懐の広さは僕よりも随分大人に見え、急に先ほどまでの自分の態度が恥ずかしく感じられた。気を紛らわすように、口を開く。


「そういえば、あいつの連絡先はいいんですか?」


「?相手の了承なしに登録するわけにもいかないだろ」


 無理やり人を連れ込む割にそういうところは律儀なのね。


「代わりに君に連絡という名の負担が増える」


「連絡先ってどうやって消すんでしたっけ」


 軽い冗談を言い合って、お互いにクスリと笑う。人は見かけによらないというが、本当にその通りだ。

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