第5話

 人は誰しも魔法に憧れたことが一度はあると思う。かく言う僕も幼い頃、ファンタジー映画を見て、空を飛びたいなどと思ったものだ。しかし、そんな夢溢れるものだけでなくなかなか重い設定の話も少なくない。例えば、誕生日に糸車の針が刺さって死ぬ呪いとか、関わった人を不幸にする能力とか。無論、そういうのはあくまで創作の中での話で現実世界ではまずないことだと理解している。しかしながら、口にせずにはいられなかった。


「もうこれは呪いだろ……」


 早朝。窓の外の暗い景色の中、ザーザーと音を奏でる大粒の雨を見て、ため息とともに呟いた。


 昔から、僕は間が悪い。何も知らずに教室に入ったらクラス内でケンカ勃発中だったり、家族で旅行に行ったら行った先で高熱出して寝込んだり。道を歩いてたら横からダイレクトにサッカーボールぶつけられたこともあったし、祖父の見舞いに行ったら、トイレに行こうと席を外している間に容体が急変してそのまま亡くなり死に目に立ち会えなかったこともあった。そう、致命的に「今じゃないだろ!」と言う事態に陥りやすいのである。因みにこれは被害妄想でもなんでもなく、家族や小中学校の同級生、なんなら先生からも「間が悪い」と言われるくらいに自他共に認めているものだ。


 今日もその間の悪さがしっかり発揮され、昨日の天気予報では見る影もなかったゲリラ雨に見舞われてしまっていた。とてもじゃないが、出かける天気ではない。スマホで時刻を確認すれば、祝日ならばまず見ることのない8時台が表示されている。10時の待ち合わせならば彼女ももう起きているとは思うが……ひとまず、簡単に朝食を取ろう。その後連絡がなければこちらからメッセージの一つでも送ってみるか。


 階段を降りてリビングに出ると朝食の支度をしている母親がいた。朝の始まりはきちんと挨拶をするように言われて育てられたので、その背中にしっかり挨拶をする。


「おはよう」


「はい、おはよう……ん?おはよう!?」 


 手を止めて慌ててこちらを振り向く母親の顔は驚きに満ちていた。こういうのを鳩が豆鉄砲を食ったよう、と言うのだろう。


「どうしたの!?いつも三回声かけないと起きてこないのに!?」


「僕そんな諸葛孔明みたいなことしてたの?」


「もしかして体調悪い?でも今日いつもの病院やってないし……」


 そう言ってアワアワしだす母親。休日に早起きしただけでこの心配のされよう、自分の日ごろの引き籠り具合がよくわかる光景である。いつもすいません。


「至って元気です。今日はちょっと予定があったんだよ。この雨じゃあ多分中止になるだろうけど」


「あんたに休日に予定だなんて……やっぱり熱でもあるんじゃ……」


「朝からバカにしてます?いや、日ごろの行いのせいもあるから強く抗議できないけど」


 そう返してテレビのリモコンを手にニュース番組をつけると、ちょうど求めている天気予報のコーナーをやっていた。どうやら朝から夕方くらいまでここら一帯しっかり雨らしい。


「はっ!まさか休日に予定があるなんて言うから今日は雨なんじゃ……」


「朝から子をいじめて楽しいか、我が母よ」


「可愛いものってつい苛めたくなっちゃうわよね」


 非常にいい性格をしている母親にやや呆れながらテーブルに着く。今朝は食パン。各々の好みでシナモン風味にしたり、トースト後にジャムを塗ったりできるよう、机の上には皿を含めて一通りのものが用意されていた。パンとコーヒーの香りを楽しみながらをささやかな雑談とともに朝食を済ませたころ、時刻は9時を迎えつつあった。しかし、屋根をたたく雨の音は一向に弱まる気配がなく、僕はやや急ぎ足で自室に戻る。


 勉強机の椅子に腰掛け、手にしたスマホのメッセージアプリを起動すると、一件のメッセージを受信していた。


『そっちは雨大丈夫そう?こっち結構ひどくてさー。誘っといてなんだけど今日はなしでもいい?』


 案の定の内容を確認し、すぐに返信する。


『大丈夫か?まあ、移動とか大変だろうし風邪とか引いたら元も子もないしな。しょうがないだろ』


 さて、いつもこんな時間に起きないので手持ち無沙汰だな……あの本を読んでしまうと学校で読むものがなくなってしまうし……ネットサーフィンでもするか?でも、あんまり長時間すると目とか体が痛くなるしなぁ。その時、スマホが震え出した。


「やあ世良町君。今日はごめんねー」


「……なんで電話?」


「昨日もそれ言ってたねー。別にいいでしょ?暇でしょ?お話ししようよー。昨日あんまり話せなかったし」


「ええ……まあいいけど……」


 この雨でも彼女の声に大した変化が感じられない。本当に暇つぶし程度の誘いだったのだろう。最低限恥ずかしくないようにと昨日時間をかけて選んだ服を横目に僕は電話を続けた。


「話って言ってもこっちから提供できるネタはないぞ。おっしゃる通り暇なんでね」


「もー、怒んないでよ。悪かったって。実はね、やりたいことがあって」


 聞けば、なんでも最近読んだ本で互いに一つずつ質問を繰り返す、というシーンがあったらしくそれを再現したいらしい。知り合って間もないし、互いのことを知るにはうってつけではないかとのこと。別に拒否する理由もないので、その話に乗ることにした。


「先手は譲るよ。私なりの誠意というやつだ」


「それも本のセリフか?うーん……じゃあ、これの元ネタの本ってどんな内容なのかネタバレしない程度で教えてくれ」


 その質問に彼女は嬉々として答えた。マイ栞があるくらいだ、やはり本が好きなのだろう。聞くところによると、一人の傭兵の物語らしい。主人公の住む国は他国と戦争をしており、人々は日々の生活もままならない。主人公もその例に漏れず、なんとか日々を生きていくため、とある独立傭兵集団に属することになり、その仕事でさまざまな場所を旅するのだとか。この互いに質問するというのも作中のワンシーンで、酒場で主人公に持ちかけられたものらしい。戦時を舞台としていることもあり全体的に暗い雰囲気だが、主人公が行く先々で体験する物事に焦点を当てており、人の出会いや別れ、そこに起因する感情の起伏の描写が大変読み応えあるらしい。


「お前、説明上手いんだな。少し興味出た」


「お、そう?そう言ってもらえると嬉しいよ。良かったら今度貸そうか?」


「いや、気持ちだけもらっとく。読むときは自分で買うよ。それじゃ交代だな。何が聞きたい?」


「デデン!今何問目?」


「クイズ番組じゃないし、それ最初に出すやつじゃないから」


「ふふっ、いいツッコミだねぇ。それじゃあ真面目に……もしかして雨男だったりする?」


「え、何?この雨の原因として疑われてます……?」


「だって私わりと晴れ女だし。自分で言うのもなんだけど出かけるとなって雨だったこと数えるくらいしかないんだよね。となるともしかしてって」


 ええ、その話が本当なら生粋の晴れ女と一緒でもそれを打ち消すくらいに僕は間が悪いと?負のエネルギー強くない?絶対値つけたくなるんだけど。


「雨男と言うよりは……」


 僕は自分自身がとてつもなく間が悪い人間だ、と説明した。いくつか具体的な例も交えてそれはもうしっかりと。


「アハハハハ!何それおもしろ!くっ、ふふふ、ひっ、ちょっと待ってお腹が……ひひひ」


 どうやらめっちゃツボに入ったご様子。電話越しの声が少し遠くなったあたり、スマホを耳に当てることも忘れるレベルらしい。いやー、話した甲斐あったなハハハ。


「ひー、ひー、あー笑った。しかし面白いことあるもんだなぁ。ギャグ漫画書けそう」


「こっちは結構苦労してるんだぞ」


「なーに、次出かけるときは私が勝つさ。心配ご無用だとも!」


 ……次があるのか。その言葉を聞いて心なしか嬉しく感じてしまう自分がいる。電話でよかった。対面だったら表情を見てまた揶揄われていたことだろう。


 そんなこんなで質問を互いに繰り返すこと数時間。時間も忘れて話し込んだ僕たちはいつのまにかささやかな空腹感と共に正午を迎えつつあった。こんなに長電話したのは初めてかもしれない。


「お、もうこんな時間かあ。次が最後にしよう。お腹空いたんじゃない?」


「そうだな」


「それでそれで?最後の質問は何かな?自分で言うのもなんだけど、ちゃんと答える機会はそうそうないよ?」


 ちゃんと答える、その言葉を聞いてふと一つ質問が浮かんだ。


『なんで、僕に構うんだ?』


 喉元まで出かかったその言葉を飲み込む。そう、あの日からずっと疑問だった。たまたま居合わせたあの場所で言葉を交わすくらいならまだわかる。だが、それ以降教室まで探しにきたり、休日に出かける誘いをかけたり。あの出会いから彼女がそこまでする理由がわからなかった。別に嫌なわけではない。むしろ感謝している。それでも何か、拭いきれない懐疑心、あるいは不安が僕の中に確かにあった。


「……どしたの黙り込んで?」


「いや、いざ最後と言われると意外と思い付かないもんだなと」


「えー!私に興味ないってことー?ひどいよ世良まっち」


「興味あるって言ったらそれはそれで揶揄うだろお前。というか変なあだ名付けるな」


「えー、セラミックみたいで可愛いのに……でも、思いつかないならここで終わりにしようか。お互い同じ数、質問したしね」


 セラミックって可愛いのか……?一抹の疑問は頭の片隅に追いやり、僕たちは通話を終了する。一呼吸置くと、相変わらず地や家を叩き続ける雨の音に包まれた。先ほどまで気にもとめなかったが、その勢いは衰えを見せていない。


 結局臆病だった僕は、いろんな感情が入り混じる心でその音に耳を澄ませていた。







 時間にして数秒、長くて数分程度だろう。体の感覚がなくなる前に、ベッドの縁から背を離し、床から立ち上がる。これでも育ち盛りの男子高校生(いや育って欲しいという願望なだけかもしれない)なので、できれば一日三食、しっかり摂りたいのである。ささやかな空腹感は健康な証拠だと感じながら、僕は再び階段を降りた。


「あら、電話終わったの?」


 リビングに降りてきた僕を見て、開口一番に母が尋ねる。


「聞いてたの?」


「さっき2階に上がったときにあんたの部屋の前を通ったのよ。そしたら誰かと話してる感じだったから」


 ……つまり僕は人が部屋の前を通っていることにも気がつかないほど、熱中して話し込んでいたと……?あいつと……?いや、落ち着け。まだそうと決まったわけじゃあない。雨音のせいで気が付かなかっただけ……


「やけに楽しそうだったけど今日の予定ってもしかしてその子とだったの?良かったわー。友達の話とか全然聴かないから学校で孤立してるんじゃないかとお母さん心配だったのよ」


 ダメみたいですね。側から見ても楽しそうだったらしい。いや、見られたというより聞かれたという方が正しいのか?


「友達かどうかはわからないけど」


「あんたは友達に対して夢を持ちすぎよ。大学とか社会に出ての友人はそりゃ生涯にわたる宝物みたいになるかもしれないけど、高校時代の友人なんて大半は高校生活を充実させるための道具よ?」


「うん、少なくとも高校生、ましてや自分の子どもに送っていい言葉じゃないよねそれ」


 人を道具とか言っちゃうんだもんなあ、うちの母親。そのくせ人脈広いのなんなんだろうか。この間とか市議会議員とか、自衛隊の人とか来てたし。しかも結構信頼されてたみたいだし……もしかしてこういう人が新興宗教とか立ち上げるんじゃないだろうか。


「もちろん例外もあるわよ?ただ、あんたは誰に似たのか無駄に真面目なところあるからね……割と気楽に付き合っていけばいいのよ。その気楽な付き合いが心地よいと思うのならそこから仲を深めても遅くはないって話」


 ……母親というのは末恐ろしい。ともすれば子ども自身より子どものことを知っているのではないかと思えるくらいに。些細な悩みくらいだったら言わずとも態度から察してしまう。もしかしたら、言わなかっただけで、ここ最近の僕の学校生活について何か察していたのかもしれない。でもそれは、愛情をこめて育ててくれたことの証明に他ならないわけで。


「……うん、ありがとう」


 母は言葉を返すことなく、ただ柔らかく微笑んだ。







 迷いはあった。友人関係など希薄なものだと思い知った直後に彼女と出逢ったのだ。いくら彼女との会話が心地よいとはいえ、信用していいものかという悩みが、また辛い思いをするのではないかという恐れがあった。要は、一歩踏み出す勇気が、関係を深めようとする度胸が僕にはないのだ。また、彼女自身のこともよく分からない。あって間もないというのはもちろん、結局今日の質問も上手くはぐらかされたような気ばかりする。同じ歳とは思えないような空気を纏った彼女が不思議なのだ。


 ……認めよう。僕は彼女が気になっている。それが友人に向けるものか、はたまた別のものなのかは分からないが、少なからず心を許している。会って間もないのにも関わらずだ。我ながらちょろいのではないかと心配になってしまう。それでも、きっとこの気持ちを大切にするべきなんだろう。


 勇気も度胸もない。経験もないし、こうなりたいという理想も。でも、今はそれでいい。焦らなくてきっと大丈夫。相手にするのはあいつなんだ。色々悩むだけ無駄だろう。ありのまま、思ったまま、今を過ごしてい───



 さて、話は変わりますが僕は非常に間が悪いんです。それはもう自他共に認めるほどに。そんな僕が階段を上っている最中、ある考えがまとまりそうな時、一体どうなるでしょう?



『答え:階段を踏み外す』



 ドタバタと大きな音を立てながら階段の真ん中ぐらいから落ちていく僕。転がるというよりは滑り落ちるという言葉が適切であった。階段の角が的確にお尻をつく感覚が連続して起こること数回、一際大きな音を立てて一階に到着した。


「ちょっと!?大丈夫!?」


 音に気がついて、母親がリビングから慌てて出てくる。ドアを開けると、そこには階段下に倒れ込む長男。心臓に悪そうで本当申し訳ない。


「何やってんのよ、あんた」


 音と光景から大体察したと思われる母はそう言って駆け寄る。……しかし、この一言が悪かった。カチリ、と何かが噛み合うような感覚がして、僕は思わず口角を釣り上げる。そう、やるんだ!今、ここで!


「なんて声……出してやがる……!母さん」


 息を切らすように少しずつ声を出す。出来るだけ危機感を装い、それでも諦めない姿を表現するんだ。そして、ゆっくりと体を起こしながらニヒルな笑みを浮かべる。


「俺は……世良町家の長男……世良町匠だぞぉ!これくらいなんてことねぇ」


 しかしその刹那、ズキリと刺すような痛みが左足を貫く。思わず顔を歪め、ウッと小さく呻き声をあげた僕は体勢を維持できず再び倒れ込んだ。ひんやりとした冷たさが少し心地よい木製の床に伏しながら、ダイイングメッセージを描くかのように左腕を前に。その腕の先では、一本だけ、人差し指だけが伸びている。


「だからよ……止まるんじゃねえぞ……」


 手にしていたスマホでしっかり音源も再生するのを忘れない。……なんだろう、この満足感。定期的にやりたくなるな。


「え、もしかして頭うったの……?」


 ちらりと母親の方に視線を向ければ、これまで見たことないような表情を浮かべている。いかん、これ本気で心配してるやつだ。ちなみに母親はネット文化に疎いので、このネタを知る由もないので至極当然の反応です。良い子のみんなはマネしちゃいけません。


「大丈夫。あなたの息子だよ。ところで左足がめっちゃ痛いのでちょっと診てくれない?って痛っ!」


 軽く頭を叩かれた。うん、悪ふざけするにも時と場合があるよね。……反省しましょう。次回やる時は進言します。


 次の日、どうしてあんな行動をとったのか自分でも分からず、かと言ってしっかり捻挫していたため物理的にのたうち回ることもできず、顔を真っ赤にしてただただ悪夢のような最新黒歴史に苦しめられる一日を過ごすことになるのだが、この時の僕は知る由もない。

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