第4話

 自分は悲しいかな、友達が少ない。いや、昨今の状況を鑑みればいないという方が正しいか。そんな僕にとって、登下校というのはただ重たい荷物をもって歩くという行為であり、それ以上でもそれ以下でもない。幸い、学校までは歩いて十五分前後の距離なのでその時間は少ないのだが、学校に近づくにつれてワイワイ話す集団が増えてくると肩身が狭く感じる。そうなると、自然と視線が下がり、うつむきがちになってしまうものだ。


 しかし、今日は多少顔をあげて歩んでいる。というのも、昨日会った彼女の姿がもしかしたらあるのではないかと期待してしまっているからだ。別に見かけたところで話しかける度胸もないのだが、何となく気になってしまう。あまり露骨に周囲を見回すと怪訝そうに見られかねないので多少視界に注意を払ってみる程度だが、目当ての人物は見当たらない。……いや、そもそもまともに登校しているのか、あいつ?平気な顔して授業さぼってるような奴だぞ?一、二時限目が終わった後とかに来ていてもおかしくない。そんな考えが頭をよぎり、急に自分のやっていることが馬鹿らしく思えてきて、軽く笑みをこぼす。


 ……あ、いつの間にか校舎前じゃないか。心なしか、いつもより到着が早かった気がする。眠そうな顔で挨拶運動に拘束されている生徒会役員を若干気の毒に思いながら、歩みを進めた。


 先ほどまではどうでもいい思考のおかげで忘れていたが、思えば今、クラスに自分の居場所がなかった。あの居心地の悪い視線などをはじめ、自分を取り巻く環境については何も解決していない。あの空気が教室にいる間はずっと続くのは控えめに言っても苦しいものである。


 そんな僕がささやかな対策として考えたのが登校時間の繰り上げだ。教室に一番乗りとまではいかないが、まだ生徒が少ない状態で教室に入ることで向けられる視線や、ドアを開けた途端に急に静まり返るあの空気を少しでも感じないようにすることができるためである。決して朝が強いわけではないのだが、そこはまあ、眠気と快適さを天秤にかけた結果ということで。実際、今日も僕より早く教室にいたのは数えられるほどしかいなかった。


 このくらいならばどうということはない。無言で自分の席まで一直線に向かい、あとは適当に文庫本を広げていればそれでオーケー。幸い、読書は好きな方なので、一度読みだしてしまえば周囲のことなどたいして気にはならない。朝をこうして乗り切れば、あとは昼休みを待つだけとなる。まあ、授業中のペアワークやグループワークといった地獄のような時間はさけられないのだが、これはもうあきらめるしかない。彼女なら何かしら対策を思いつくのだろうが……いや、対策というか本人が全く気にしてなさそうだな。あの性格を多少うらやましく思いながら、僕は文庫本に目を滑らせた。







 何となく空腹を感じてきたころ、チャイムが午前中の終わりを告げる。今日は幸い、グループワークなどの類はなかったためストレスも少なかった。あの取り組みがあろうとなかろうと授業の理解度は変わらない気がするのに、なぜあんなものをやろうと考えたのか、発端が誰かは知らないがとんだ大罪人である。


 まあ、それはともかく昼休みを迎えたわけだが、今日はどこで昼食をとったものか。本音を言えばあの場所がいいのだが、どうも気恥ずかしい。また訪れようものなら「え、なになに?私に会いに来たの?」と玩具を見つけたようにからかわれそうな気がする。何ならわざと隠れて陰からニマニマしながら観察する、なんて悪質なことをしそうな奴だ。いや、その系統ならまだいい。最悪なのは「え、また来たの?うわ」とか言われたり、露骨に嫌な顔をされたりすること。可能性は0じゃあない。そうなったら顔を真っ赤にして涙目になる自信がある。


 ……うん、やめとこう。おとなしく外の非常階段とかにしとくか。そう思って弁当を手に席を立とうとした瞬間。


「おー、いたいた。世良町くーん、元気?」


 教室の入り口からやたら大きな声で呼びかけながら、手を振る少女。ふわりとした髪を揺らしながら軽い足取りで歩いてくるその姿は見間違えるはずもない。


「え、いや、は?なんで?」


「ああ、教室なら職員室で先生に聞いたんだ。世良町匠って男子生徒は何組にいますかって。スリッパは同じ赤色だったから二年生だっていうのはすぐに分かったし」


 ああ、そういえばこの学校はスリッパの色が学年ごとに違ってたな。まさか同級生だったとは……


「って、いやいやそうじゃなくて!手段じゃなくてここにいるのは何でかって聞いたんだよ」


「そりゃ迎えに来たに決まってるじゃん。勘だけど世良町君、ほっといたらそのまま音信不通になりそうな感じだし。あれでしょ、中学校の友人とか自分から連絡とらずにそのまま自然消滅しちゃうタイプでしょ、君」


 的を得すぎてぐうの音も出ない。今まさにそんな感じの思考でしたよ、ええ。急にやって来た彼女に戸惑いを隠せず、さらに自分の行動も見透かされてうまく言葉が出ない僕を見て、彼女は続ける。


「お、どうやら図星かな?ふふん、なぁんだ、私の観察眼はやっぱり未だ健在じゃないか!」


 得意げに腕を組み、うんうんと頷く彼女。その後、わざわざ説明するまでもないくらい満足そうな表情でにぱっと笑う。


「ほら、いくよ。時間は有限なんだ」


「ちょっ」


 僕の返答を聞くまでもなく、僕の手を取って席から立たせるように引っ張る彼女。促されるまま弁当を手に教室から連れ出される僕は、教室の呆気にとられた空気など気に留める間もなかった。


 軽快な足取りの彼女に連れられて廊下を歩いていく。見慣れた景色のその真ん中に、見慣れない制服姿が一つ。微かに鼻歌を歌いながら髪を揺らす彼女ははたから見ても上機嫌だということが分かるだろう。


「なあ、手、離さない?周りからの視線が気になるんだけど」


「私は気にならないので却下でーす。それに離したら逃げるでしょ?」


「僕を飼い始めたばかりの犬か何かだと思ってます?」


「下手に口が回る分犬畜生より厄介かも」


「喧嘩うってんのか」


 しかもなんだ犬畜生って。ワンコに恨みでもあるのか。女子高生の口からそんな言葉聞くとは思わなかったぞ。


 そんな僕の返しにけらけらと笑いながら歩くこと数分。まだ記憶に新しい昨日の場所に着いた。彼女は僕の手を離すと二、三歩前に歩んで距離をとり、両手を広げて片足を軸にくるりと回転する。慣性でその場に残ろうとするスカートや髪が、回転からワンテンポ遅れて形を成すようにふわりと広がる。そうして僕の方に向き直った彼女は後ろで手を組みながら、軽いお辞儀をするように少し腰を曲げて笑顔を見せた。


「さあ、今日は何の話をしようか」


 その声が真っ直ぐに僕に届いた。







 ベンチに腰掛け、弁当を食べていると、ふとあることに気が付いた。その疑問を口にしてみる。


「お昼は食べないのか?」


 ここに辿り着いて、ベンチに腰掛けた後も彼女は何も食べるそぶりを見せない。思えば、昨日出会った時も彼女は本を読んでいた。昨日はそれどころではなかったが、何も食べない人の横で弁当を広げるというのはやはり違和感があるものだ。


「私、少食なんだよ。朝と晩だけ食べれば十分。まあ、女の子だしね。珍しくないでしょ?」


 そうなのだろうか?確かに一般的には女子は男子より少食なイメージがあるが、高校生は育ち盛りな年頃だ。そういえば彼女は女子とはいえ、その中でも小柄な部類に入るのではないだろうか。その体躯も食の細さが原因なのではないかと思ったが、それには触れないことにしよう。


「そういう世良町君は昨日も弁当だったね。お母さんが作ってくれてるのかな?」


「ああ。毎朝僕より早起きして作ってくれているよ。本当に感謝してる」


「それはそれは、いい親御さんだね。弁当の彩りとか栄養バランスもよく考えられているみたいだし、愛されてるねー」


 彼女は揶揄うように言う。しかし実際その通りなのだから何も返すことはない。うちの両親は自他共に認める親バカである。僕自身が愛されていることは分かっているし、僕も両親を愛している。また、数少ない心を許している存在であり、先日までの環境でも家にいる間は辛くなかった。


 だからこそ、親に相談はできなかったのである。相談しようものなら学校に乗り込むなんてことになりかねないし、何より心配をかけたくなかった。もっとも、もう高校生なのだから自分でなんとかしなきゃ、と思っていた面もあるが。


「あ、弁当といえば」


 彼女は何かを思い出したかのように声を発する。人差し指をピンと立て、閃いたと言わんばかりのイキイキとした表情に何も言うことはなく、ただその続きを促した。


「小さいころ、小学校の時とかってさ、弁当ってこう特別なイメージがあったよね。普段はみんな同じ栄養バランス重視の給食だけど、遠足とか運動会とか特別な行事の時はみんなそれぞれが中身の違う弁当を持ち寄って。ささやかな非日常感を随分と楽しんだものだよ」


 彼女の発言を聞き、数秒記憶をたどりながら思案する。


「……あまり考えたことなかったが、そうかもな。最近はむしろ弁当が主流で給食なんかある種の思い出になってるわけだし」


「お気に入りのおかずとかってあったかい?ちなみに私はハムとチーズをロール状にして、つまようじみたいな小さな串を刺したものが好きだったんだ。シンプルだけどおいしくてね。弁当には必ずと言っていいほど入れて貰ってたよ」


「お気に入りか……卵焼きかな。砂糖多めで甘いやつなんだが昔から弁当に入ってる」


 そう言って今日も弁当に入っている卵焼きを箸でつかんで持ち上げる。この母親の作る卵焼きに慣れすぎて、市販のものやレストランなどで食べるものには舌が違和感を覚えてしまう程だ。


「へえ、意外と甘党かい?かわいいねぇ」


 そう言うと、彼女はまた何か思いついたのか「あっ」という感じでの表情を見せるとズイとこちらに身を寄せてくる。


「実は私も甘いもの好きでね。世良町家のおふくろの味、気になるなぁ」


 その発言の意図するところを僕が察するより早く、彼女が続ける。


「一口ちょーだい?」


 上目遣いでねだるような声色。意図的かあるいは無意識なのかは判断がつかないほどに自然なそれは、率直に言って可愛い。自分の外見を理解した上での行動ならなんとタチの悪いことだろう。そりゃ、こんな風に勘違いさせてしまいそうな行動をしていれば人を怒らせもするわな、と一人納得する。いつか後ろから刺されそうだ。


「一口だけだぞ」


 まあ心情とは裏腹にこの光景を前に断れるほど人生経験豊富でない僕はピックを一つ手に取り、卵焼きに突き刺して彼女に手渡そうとする。


「あー」


「は?」


 てっきり手で受け取るものと思ったら、彼女は口を開けて待機している。その姿に思わず固まってしまった。


「え、こういう時はあーんしてくれるもんでしょ?ほら早く」


「漫画の読み過ぎだ。健全な男子高校生に何を求めてやがる」


「ちぇっ、ノリが悪いなぁ……」


 そう言って渋々ピックを取り、卵焼きを口に運ぶ彼女。すると……


「おお!私好みの甘さ!噛むと若干トロッとしているのもポイント高い。なるほど、お気に入りになる訳だね」


 顔を輝かせてやや早口で捲し立てる彼女。食べながら喋るのはいかがなものかと思うが、うん、まあ自分の好きなものを肯定してもらえるのは、なんであれ嬉しいものだ。こちらも自然と表情が緩む。


「ところで明日は祝日だよね?3連休になるわけだけどご予定の方は?」


 ああ、そういえばそうだった。


「いや、特には」


「部活とかバイトは?」


「部活は入ってないし、そもそもうちの学校バイト禁止だろ」


「ふーん……」


 卵焼きをもぐもぐしながらなにか考えるそぶりを見せる彼女に、ある予感がした。そして、僕はこういう自分の勘が割と鋭いことを知っている。


「じゃあ、私の買い物に付き合ってよ。暇なんでしょ?青春真っ只中のくせに」


「最後の一言いります?」


「おおっ。怒らずにツッコミを入れてくれるのがこんなにありがたいとは……拝んでおこう」


「手をこまねくな。それは拝むんじゃなくて、胡麻擦ってる商人じゃねえか」


「えへへー」


 嬉しそうに笑う彼女。その後、少し不安そうな表情で再び尋ねる。


「それで、どう?付き合ってくれる?」


 そんな表情をされたら断れない。いや、そもそも対して断る理由など最初からない。


「アドバイスとか求められてもできないぞ?」


「そんなの君に期待してないよー」


「なるほど喧嘩を売ってるんだな?」


 そんな風にワイワイと言い合いをしていると、休み時間はあっという間に過ぎ去った。


 チャイムが少し名残惜しく感じたのは、初めてだった。







 風呂を済ませてベッドの上。時刻は11時になろうかというところ。手にしたスマホの画面にはメッセージアプリが起動している。アプリ画面には「新しく友達が追加されました」という通知が出ていた。


 そう、今日の別れ際、待ち合わせなどの連絡を取れるように彼女と連絡先を交換したのだ。簡単な連絡をする家族、今はもう連絡を取っていない中学時代の友人、そんな決して多くはないであろう連絡先の一番上に彼女の名前とアイコンが出ていた。……そういえばこのアイコン、青い花みたいだが……薔薇か?植物に詳しいわけではないので、もしかしたら薔薇によく似た別の花かもしれないが。今度訊いてみるか。


 そんなことを考えているとポン、と通知音が鳴る。どうやら彼女からの連絡のようだ。さて、ここで一つ問題が生じる。このアプリはメッセージを相手が読んだかどうか送った側にもわかるようなシステムが採用されている。別にそれがなんだという話なのだが、一部のグループではメッセージ受信後5分以内で返信しないといけないというルールがあったり、『読んだならすぐに返信して!』という催促が来たりということがあるらしい。しかし、僕の問題はそれではない。僕の問題はこのメッセージをいつ読むかということだ。


 相手側はこちらがメッセージを受信した時刻を知ることができる。あまり早く反応しようものなら「もー、そんなに私からの連絡待ってたの?かわいいー」なんてからかわれる可能性がある。それならまだ良いが「返信早っ、きもっ」と言われる可能性も……いや、少なくとも休日に誘う相手だ、嫌われているということはないか……ああ、だめだ。昔から特に人が関わるとこのネガティヴ思考が止まらない。ベッドの上に大の字で寝転がり、大きく息を吐き出した。その時、


 プルルル


 ……え?何、着信?今?誰から?唐突に手の中で音を立てて振動しだすスマホに驚き、思わず体がビクリと反応する。スマホの画面には今まさに頭を悩ませている原因の彼女の名前が表示されていた。数コール鳴った後、応答のアイコンをタップする。


「わ・た・し・だ!」


 ……僕は通話を切った。


 再びなる着信音。今度はため息交じりに応答アイコンをタップする。


「なんで切るのさー!」


「ごめん。脊髄反射で拒否反応が出た」


「ねえ、一応私女の子なんだけどそこまで言う?」


 こっちがさんざん悩んでたところで第一声が「わ・た・し・だ!」ならこうもなる。うん。


「ひどいなあ……それより今大丈夫かい?」


「大丈夫だけど……なんで電話?」


「うーん、なんとなく?」


「……」


 やっぱこいつのこと分からん。思い付きで行動してるようにしか思えない。


「もしもーし?電波の調子悪い?」


「いや、別に。大丈夫なんて相手の確認取るあたり本物かどうか疑ってた」


「ははっ、疑わなくても君に電話する女の子なんて私くらいでしょ」


「あ?」


「ん?」


 しばしの沈黙。そして互いにフッと一瞬笑い合った後、再び口を開く。


「それで、明日のこと?」


「うん、そうだよ。10時に学校前の憂鬱書店前でどう?そっからバスに乗る予定」


「分かった。10時に本屋だな……毎回前を通るたびに思うんだが、あの本屋もっと他の名前なかったのか」


「あそこ、店主が結婚前提に付き合ってた彼女に逃げられた時に建てたらしいよ。彼女との将来のためにって用意してた貯金を腹いせに突っ込んだらしい。ウケるね」


「ウケるなよ。そりゃ憂鬱にもなるわ」


 幸い、立地とか取り扱ってる本とかで客入りは良さそうだし、今生活に困っているということはないだろう。いや、心の穴が埋まったのかどうかは知らないけど。


「というか、なんでそんなこと知ってんだよ」


「あの本屋よく行くんだよ。店主にも顔を覚えてもらってね。本人から直接聞いた」


「結構余裕あるんじゃねぇか店主」


「まあ、喉元過ぎればなんとやらだよ。過去の辛い経験もいつかは酒のつまみになるものさ」


「酒も飲んだことないくせにほざくな」


「モノの例えだよー」


 そんな取るに足らない会話を数分。時間が遅いこともあり、互いに長電話しようとはしなかった。お休み、という一言を最後に通話を終える。もう風呂には入った後だし、明日は朝しっかり起きないといけない。もうこのまま寝ようとベッドで布団をかぶろうと思った矢先、ふと手が止まる。


「……別に浮かれてるわけじゃないぞ」


 その言葉は誰に向けたものか。体を起こしてタンスへ向かった僕は服を選びだした。

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