第1章「瓦解する日常(後編)」
――翌日。
いつも通り6時半にアラームとともに目が覚める。
顔も洗わずにリビングへ向かう。
昨日の夜寝る前に自分が見た光景と同じだった。
冷蔵庫の中身も変わっていなかった。
深禽が家を空けてからもう2日目だ。メッセージに既読もついていない。
今日の夜までに帰ってこなければ深禽の身になにかが起こっている。
それはそうと、今日は祝日で学校がない。なにをしていようか。
特にやることもないので気を紛らわせるためにも一度図書館で本でも借りてこようか。
いつ姉が帰ってきてもいいように家で読むことにしよう。
着替えたり、本を借りるために図書館の利用者カードを持ったりと準備を進めていると、家のインターホンがなった。
ろくに宅急便も頼まないので基本的にこの家のインターホンは鳴らない。
誰かと思い、ドアスコープで見てみると、有珠がドアの前でこちらを見ていた。
鍵を開け、ドアを開ける。
「どうしたの?急に。」
「いや、気まぐれに。...図書館でも行かない?」
「え...また唐突だね」
「別に嫌だったらいい。独りで行く。」
「ううん、ちょうどいいね。私も行こうと思ってたんだよ。もう少しで準備終わるから中で待ってて。」
有珠を家の中に入れる。
「そういえば有珠、私の家教えたことあったっけ?」
図書館へ行く準備をしながら碧海が質問する。
「えっそれは...いつも碧海が帰るのを見届けてたら大体わかって...あとは表札見ながら...」
「へ~、そうなんだ。私の家表札なんてさげてないけど。」
「......」
「有珠?私のことつけてきてたんでしょ?」
「...ごめん。」
「なんで?言ってくれればすぐ教えたのに。」
「いや...ちょっと碧海のプライベートに踏み込もうとしてる感じが気持ち悪く取られるかなって...」
「つけてきた方がよっぽど不気味だよ。」
「...今度から聞くようにする。」
「そうしてね。」
「さ、準備終わったよ。行こ!」
「そうだ有珠、図書館で読むんじゃなくて家で読んでもいい?有珠も私の家の中で読んでていいからさ。」
「いいよ。」
図書館へ歩いていく。
こんなに連続して話したことが初めてくらいだった。
有珠と碧海の読む本の傾向全然違うらしく、図書館に入ったところで別れた。
二人とも基本なんでも読む。いわば雑食性というやつだ。だが特に好んで読むものとなると有珠はホラーもの、碧海はミステリーや、探偵もの。
ものの45分すれば借りる本が数冊できる。
有珠は3冊ほど借りていた。
碧海は休日はやることもないなので上限の5冊。
碧海はよくこの図書館に来るのですんなり借りられたが、有珠は初めて来たせいか利用者カードを作っていなかったようで少し時間がかかっていた。
「借りれた?」
碧海が有珠に聞く。
「うん。」
有珠が答える。
そんなやり取りをした後、碧海の家へと向かう。
何も起きることなく家に着いた後、二人で黙々と本を読む。
本を読み始めて直後。
有珠は普通に読んでいたが、碧海が本を読んでいるふりをしながら何回もドアの方を見ている。
「どうしたの。なんかあるの?」
有珠が本から目を離して不思議そうに聞く。
「えっ、いや、なんか気になっちゃって、座るところ変えてもいい?」
「碧海の家だからそれはご自由に。」
碧海がキッチン横にある椅子から、リビングの方にあるソファに移った。
その後、二人とも時間を忘れて本を読み漁った。
お昼時、流石におなかがすいたのか、
「碧海、なにか食べない?もう13時だよ。」
と言ってきた。
碧海が時計を見る。時針の長針はもう1の刻を指そうとしていた。
「もうこんな時間か。なんかつくろっか。」
「え、碧海料理できるの」
「簡単なものなら。毎日インスタントも体に悪いからね。」
「そっか....」
ばつが悪そうに有珠が答える。
「やり方教えるから炒飯くらいなら有珠も作れるようになっておきなよ。」
「...わかった。」
そうやって有珠による初めての料理作りが始まった。
しかし、有珠は全くと言っていいほど料理ができなかった。
下手、というよりかはやったことが無いように見える。
包丁の持ち方はおろか、大匙小匙のことも知らなかった。
碧海がひとつひとつ丁寧に教えていく。
料理開始から1時間後。ついに完成。
ちゃんと美味しそうなパラパラの炒飯だ。
「いただきます。」
有珠と碧海が声を合わせる。
炒飯を口に入れる。すぐに醤油の風味が鼻を抜ける。
とても美味しい。初めて作ったとは思えないほどだ。
「美味しいじゃん!」
嬉しそうに碧海が言う。
「...うん。美味しい!」
有珠が嬉しそうに言う。
「上手だよ!じゃあ今度から一人で作れるね!」
「うん、ありがと....!」
少し照れているようだった。
作るのには1時間もかかったのに、食べるのには30分足らずで食べ終わってしまった。
軽く有珠と後片付けをした後、また読書に戻った。
瞬く間に日が傾いて部屋の中が暗くなっていく。
有珠のところは特に門限は決まってないみたいだったが、帰るのが夜遅くになると危ないだろう、ということで早めに帰すようにした。
「じゃ、また学校で。」
有珠が自分が借りた本を持って帰途に就く。
「うん、じゃあね。」
家の扉を閉める。
また碧海の家に静寂が訪れる。
「……」
「ご飯の用意でもするか。」
黙々と一人で料理を始める。
慣れた手つきで完成した料理を二人分盛り付ける。
一人分は冷蔵庫に入れる。
「いただきます。」
具材の焼ける音、自分の声全てがいつもより大きく家全体に木霊したように感じるのは気のせいだろうか。
「お姉ちゃん、どこいっちゃったんだろう...」
ふと、口から言葉が漏れる。
さすがにおかしい気がする。こんなに無断で深禽が長期間家を空けたことはなかった。
明日探しに行こう。
碧海は心に決めた。
しかし、そんな決心したところでどこを探すのか。碧海は深禽が働いているところさえ知らなかった。
こんなに深禽についての情報が全くない中、虱潰しに探し回るというのは危険だ。ここも治安が良い方でないのは碧海もよく知っている。
家で深禽が帰ってくるのを待っていた方が安全なうえ、確実だろう。
ただ、深禽は碧海の実姉あるうえに一度命を助けられている。
たとえ無駄な行動だったとしてもただ家でおとなしく待っているだけなんてことはできない。
碧海の本心としては一日中深禽のことを探していたかったが、学校まで休み始めたら有珠にも怪しまれるし、先生にも怪しまれるだろう。
下手したら家に来るかもしれない。
明日の学校の後、まずは数時間探してみよう。
見つからなかったら次の日また範囲を広げる。
そう固い決意をして眠りについた。
――翌日。
いつも通り6時半に目が覚めて朝食を食べる。
その後、いつもの公園で有珠と合流する。
やがて学校に着いて授業が始まる。そんなもの50分経てば終わる。
それを6回繰り返しさえすれば学校は終わり、また有珠と合流した。
また公園に着き、有珠と別れる。
これでいつもの日常は終わり。碧海にとって本当の一日はここからだ。
まずは家の周辺から。もし深禽が家の周辺にいるんだったら自力で家に帰ってきているだろうが、探さずに見つからず後々後悔するよりかはいい。
見つからなければだんだん探す範囲を広げるようにしていくつもりだ。
いつどこに深禽がいるかわからない。裏路地も小道も隈なく探すようにした。
夕方に探し始めたがそう簡単に見つかるわけもなく、これ以上探し続けると流石に明日に響くと感じ、中断した。
家のドアを開ける。
「ただいま、お姉ちゃん戻ってる?」
もしかしたら深禽が帰ってきているかもしれないという希望に心を膨らませて家の中に語りかける。
「....はぁ」
落胆した後、家に帰る途中にコンビニで買ったパンを食べてはやく寝床に就いた。
またなにか少しでも体調に変わりがあったらまたなにか有珠に勘づかれてしまう。
それだけは絶対に避けたい。
時間は日を跨いで午前2:30になっていた。こんなに夜遅くまで起きていたのは久しぶりだ。
早く寝てしまおう。
そんな求めてもいなかった非日常を3,4日過ごし、深禽を探す範囲は広がっていくにつれ、家に戻る時間も遅くなっていった。
その範囲は毎朝有珠と合流している公園を裕に超すまでに至っていた。
――次の日の朝。
6時半に目が覚め、洗面所に行こうと立ち上がったその時、
「......っ!?」
フラッシュを食らったように視界の隅まで白くなった。
次に目を開けると昨日借りて床に置いておいた本と目が合った。
数分間意識を失っていたらしい。
少しふらつきながらまた立ち上がって朝食を作る。
「...なんで...?」
そう言いながらもさっきの気絶も自分を精神的に負荷をかけすぎているのが原因なのはうっすら察しがついていた。
またその負荷の原因も深禽のことだろう。
一日に探す時間を少しでも減らせば楽になるのもわかっていた。
それをしないのはわかりきっている。自分の体壊してでも深禽を探し出さなければならない。
そんなことを朝食を食べながら考えていた。
今日も有珠に察しとられないように気持ちを落ち着かせて家のドアに手をかける。
ドアを開くとなにかぶつかる音がした。
ドアの裏側を見てみると頭あたりを押さえている有珠が居た。
碧海が明けた拍子にぶつかったらしい。
「有珠、なにしてんの...」
「碧海...開ける勢い強すぎ...痛い...」
「いると思わないよ。普通。」
「で、なんで急にここまで来たの。いつも通り公園で待っててよかったんだけど。」
有珠が頭を押さえていた手を降ろして碧海の目をじっと見る。
「...やっぱり、思い詰めてる。」
「急になに?」
勘づかれたかと心の中で警戒する。
「最近。真夜中に何してるの?」
「なにが?とりあえず歩こうよ。ここで立ち話してると学校遅刻する。」
「...うん。」
碧海と有珠がアパートの階段を降りて通学路を歩く。
「で、なに?」
「碧海、なんか怖いよ。1回落ち着いて。」
「いいから、さっきから何が言いたいの?」
深禽を探していることを気づかれたくなくて、なにを考えているのか知りたい気持ちが逸る。
口調が鋭くなっているのもそのせいだろう。
「...昨日、一昨日くらいから...夜半過ぎになにかを必死に探してる様子の碧海を...見かけるようになって...どうしたのかなって思った...だけ」
初めて見る碧海の口調に怯えたのか、少し小さな声で途切れ途切れに有珠が言った。
「.......」
碧海が黙り込む。
「...碧海?」
「...有珠。」
「...はい。」
碧海が少し間を置いて言う。
「そんなに人の秘密探ろうとするの良くないよ?」
「...うん。」
「これからそのこと触れないで。これは私だけでやるべきことだから。」
「......わかった。ごめんなさい。」
これで会話は終わったのだが、ただ単に終わるだけならいつも通りのはずだった。
しかし今回は気まずい終わり方になってしまった。
話さないというよりかは話せないという感じだ。
2人とも気まずくなってしまった時の話しかけ方がわからないのだ。
近づいてきていた二人の心の距離がまた離れていく。
気まずい時間というのは時間の流れがいつもより遅くなるもので、いつもより登校時間が長く感じられた。
学校に着いた後は有珠と碧海は何も言わずに各々のクラスへと移動した。
碧海は珍しく授業の内容が全く頭に入ってこずにいた。
では授業中に何を考えていたか、というと、有珠のことだ。
後からよく考えてみると有珠は碧海のことを心配して聞いてくれたはずだ。
それを無下にするような反応をしてしまって申し訳ないという後悔の気持ちがあった。
有珠もまた、碧海と同じような状況にいた。
有珠は実際前々から碧海に対してプライベートに深く入り込みすぎている、という自覚は薄々あった。
ただ、今までで一番と言っていいほど仲が良い友達ができた、という嬉しさから暴走していた。
碧海に対して申し訳ない、と一人胸の内で一人小さく謝っていた。
そんな一人反省会をしても状況が改善するわけもなく、学校が終わり、下校というまた気まずい時間が刻一刻と近づいてくるだけだった。
そんな時間から逃げることもできずに有珠と碧海はまた合流し、いつもと違う沈黙の時間が続いた。
そんな中、有珠が沈黙を破った。
「碧海、今朝のことなんだけど。」
「...うん」
「...ごめん、なんでもない。」
「わかった...」
勇気を振り絞って有珠が話を切り出したが、結局なにも言えず終いになってしまった。
その後は沈黙が続き、別れの挨拶もなしにそれぞれ家に帰った。
碧海が家に戻ったすぐ後のこと。
家のインターホンが鳴った。
この家を知っていて、はたまたわざわざインターホンを押す人と言えば。
「碧海。」
碧海がドアを開けるのを待たずにドアの向こうで話しかけられる。
「どうしたの。」
ドアを開けて碧海が聞く。
「碧海、やっぱり今朝のこと手伝わさせてほしい。」
「...それのことなら私だけでやるって言ったけど。」
「一人だけでやるのは時間がかかりすぎる。二人でやった方が効率的じゃない?」
「しかも私は誰を探しているのか知ってる。お姉ちゃんでしょ。」
「他の人には絶対に言わないし、途中で降りたりもしない。だから手伝わせてくれないかな。」
有珠が少し早口で言い進める。
「なんでそんなに他人の知られたくないところ詮索しちゃうかな...」
「それは...ごめんなさい。もう探ろうとしない。絶対しない。」
「誰にも言わない、誰に対しても探ろうとしない、これ守ってくれる?」
「わかった。絶対守る。なんでもする。なんでも言って。」
「わかった。一個聞きたいんだけど、なんでそこまで私に執着するの?」
「私もよくわかんない。でも碧海を手伝いたい。それだけ。」
「...そっか。」
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