第26話 水をあなたへ

「あのー、ルシュさん? もしかして水魔法を使えたりなんかしませんかね?」


「それ、ちゃんとわたしの髪の色見てから言ってる?」


「ですよねえ……」


 俺は深く溜息をつき、自作の浄水装置からポタポタと落ちる雫に目を落とした。

 俺たちの旅において一番と言ってもいいほど重要なのは水の確保だ。そんなことを言うとこの国の青髪の人たちからは鼻で笑われそうだが、彼らは魔法で解決できるからそんな態度がとれるのだ。


 そういうわけで、俺は元の世界の知識を活かして浄水装置をあらかじめ準備していた。縦長の木の樽に下から順に、砂利、活性炭、木綿をそれぞれ敷き詰めて、そこに上から川で汲んできた水を入れると一番下にある蛇口から浄化された水が出てくるという仕組みだ。そして、その水を煮沸消毒すれば、飲み水が確保できる。

 その場で水を調達できるため水を持ち運ぶ必要もなく、かつ、衛生面も担保できるので、出発前には自画自賛していたのだが、いざ実際にやってみると、これがなかなか上手くいかない。


「これだとご飯食べられるのは明日の朝だね……」


 ポタポタとゆっくりと落ちる水滴に向かってルシュが溜め息をこぼす。


「もう諦めてさっきの宿場町に戻ろうよ。美味しそうな屋台がいっぱい出てたんだよ。それを素通りしちゃってさー」


「いや、駄目だ。今日は野営をするって決めてるんだよ。別に意地になって言っているわけじゃないぜ。飲み水の確保は今後も俺たちに付きまとう問題なんだ。だから早いうちにテストをして問題点を洗い出しておきたいんだ。ここなら、いざというときも宿場町がすぐそこだから安心だしな」


「もう旅の本番は始まってるんだよ。本番でテストするなんて、おかしくないかな?かな?」


 ぐぬぬ……試作段階では上手くいっていたとは言え、最新バージョンでのテストを怠っていたのは確かに俺の落ち度だから何も言えない。

 しかも、わざとらしく首を傾げるその仕草をちょっと可愛いなんて思ってしまう自分がもっと悔しい。


「それに、いざというときはもう来てしまったと思うのです」


 そう言うのと同時にルシュの腹の虫が鳴き、その後を追うように俺の腹の虫が続いた。

 宿場町から聞こえる喧噪とは対照的なその空しい響きは、俺の気持ちを萎えさせるには十分だった。


「飯……食いに行くか」


   ⚫︎


「ああ、癒されます! 水魔法で水が出せるなんて本当に羨ましいですね」


「笑顔の素敵な奥さんにはエールを一杯御馳走しようかね。うちは料理も美味しいからたくさん食べていくんだよ」


 屋台でコップ一杯の水を恵んでもらったルシュは相変わらずのコミュ力で、俺への当て付けのようなおべんちゃらを繰り出して、おかみさんからエールを一杯せしめている。

 俺はと言えば、暖簾をくぐって早々に駆けつけ三杯のエールを呷り、何らかの肉の煮込みを突いている。


「おばちゃん、もう一杯!」


「ちょっとペースが早いみたいだけど、大丈夫かい?」


 カウンターに置いた代金を受け取りながら、おかみさんは俺にではなく、ルシュにそう尋ねた。


「最初に少し躓いて少しいじけてるだけなんです。もう一杯だけ飲ませてあげてください」


「あんた、いい嫁さんもらったね。大事にするんだよ」


 そう言っておかみさんが俺の前にエールを置くと、俺は再び一気にそれを呷る。


「何かあったのかい?」


 やさぐれる俺に隣から声をかけてきたのは、俺たちがこの屋台の暖簾をくぐる前からの先客。俺の父親と同じぐらいの年の青髪のおっさんだった。


「いや、突然声をかけて悪かったね。仕事柄、ついね。困り事の裏に商機ありと言うだろう? 僕はベン、そして娘のレイだ」


 ベンと名乗った男が右手を差し出してきたので俺も名乗ってから彼の手を握り返し、次いで、その娘さんとも握手を交わす。娘さんはかなりの美人さんだ。

 この世界は美女率が本当に高い。ついでに言うと、美男率も高いので、俺なんかじゃ箸にもかからないのが悔しいところだ。


「親子で行商をされているんですか?」


 ルシュの問いにベンが頭を掻く。


「行商ではなく、スーイからの仕入れの帰りなんだ。アーリムで生活用品の店を開いているんでね。娘は今、商売の勉強中といったところだよ。君たちは夫婦で行商を?」


「いや、俺はそうなんですけど――」

「そうなんです」


 俺が否定しかけたところで、ルシュがベンの問いをあっさりと肯定してしまった。

 まあ、馬鹿正直に答える必要もないか。おかみさんとの話の流れで夫婦って設定になってるんだし、正直に巫女ですって答えたら、なんで巫女が人の妻になってるんだって話にもなっちゃうしな。

 もっとも、その巫女っていう設定自体が眉唾物なのだが。


「つかぬことをお聞きしますけど、水の確保ってどうやってます?」


 俺が答えのわかりきっている問いを投げると、ベンは俺の髪の色を見て、すぐに納得した。


「なるほど。水は不可欠だから苦労するね」


 そう言うとベンは懐からメモ紙を取り出し、羽ペンでスラスラと図を描き始めた。


「もちろん僕たちは水魔法が使えるから、日常生活やこうした旅の道中で必要な水は魔法で出すんだけどね、よその大陸出身のお客さんには君たちと同じように水の確保に苦労している人も多くてね。うちの店ではこういった物を取り扱っているんだよ」


 そうして出来上がった図は、俺が自作した物と同じようなろ過装置だった。


「実はこれと似たような物を自分で作ってみたんですよ。でも、なかなか上手くいかなくて……もしよかったら、後で実物を見てもらえませんか? もちろん、相談料はお支払いしますので」


 紹介された物がろ過装置だったってことは、やろうとしていた方向性は間違っていなかったってことだ。だったら作った物そのものにどこか欠陥があるはずだ。


「見てみること自体は構わないけんだけど、僕も仕入れた物を売るだけだから仕組みに詳しいってわけではないんだ。すまないね」


「いえ、それはそうですよね……無理なお願いをしてすみません」


 うーん……困った。結局、今ある物を自分で改善しなければならないってことか。方向性が間違っていないだけに、他に良さそうな方法も思いつかないし。既製品があるんだったら、それを買っておくんだったぜ。


「ねえ、クライさんとルシュさん、あなたたちって本当に魔法を使えないの? 私って黒髪の人も白髪しろかみの人も会うのは初めてで」


「こら! 失礼だろ」


 レイが口にした素朴な疑問をベンが叱りつける。


「いやいや、気にしてないでください。そういうのは慣れてますんで。な?」


「うん」


 ルシュも笑顔でそう答える。白髪は黒髪よりももっと珍しいらしいから、ルシュも色々と苦労をしてきたことだろう。


「ごめんなさい、悪意はないの。ただ、ちょっと見せたいものがって」


 そう言ったレイはおかみさんにレモン酎ハイのような酒を三つ注文し、そのうち二つを俺たちの前に置いた。


「どうぞ。パパの奢り」


「あ、ありがとう。それで、見せたいものって?」


 レイは俺の問いに応える代わりに、自分の目の前に置かれたレモン酎ハイに意識を集中させ始めた。それに合わせて、白い光がジョッキの中の液体に集まってくる。


 も、もしかして、これは……


「ルシュさん、こっちも飲んでみて」


 レイからジョッキを渡されたルシュは、恐る恐るその中の液体に口をつける。


「み、水になってる……」


水魔法洗濯ウォッシュっていう魔法よ。私、アーリムにある学校で魔法を習っててね、そこの先生に教えてもらったの。かなり難しい魔法なんだけど、先生の話では、やり方を工夫すれば火魔法や風魔法でも同じことができるんだって。だから、水魔法が使えなくても、もし他の魔法が使えるんだったら同じようなことができるんじゃないかって思ったんだけど」


「何言ってるんだ、お前は! 加護がない者に魔法は使えんことぐらい常識だろう。すみません、お二人とも。娘が不躾に変なこと言ってしまって」


 ベンが再びレイを叱りつけ、次いで俺たちに頭を下げてくる。

 しかし、俺はすでにレイの助言もベンの謝罪もまったく頭には入ってこなくなってしまっていた。


 方向性は間違っていなかった?

 馬鹿か、俺は。阿呆だ、俺は。

 最初から完全に間違えていたじゃないか……


「おばちゃん……俺にも同じ酒をちょうだい」


「あんた、本当に大丈夫かい? 顔色悪いよ」


「大丈夫。大丈夫だから、お願い」


 そうして目の前に置かれたジョッキを抱え込むようにして俺はがっくりと項垂れた。そして――


「もう! 飲み過ぎだよ」


 ルシュが俺からジョッキを取り上げて、そのままそれに口をつけた。


「うそ……これって……」


「じ、実はその魔法、俺も教えてもらったことがあるんですよね……」


 驚くルシュに俺は耳打ちをする。


 二人の間に気不味い沈黙が流れる……


「ほらほら、あんたたち、うちの酒で遊んでないで、飲むならしっかり飲んでいきな!」


 屋台のおかみさんからお叱りが飛び、俺たちは何事もなかったように、談笑を再開した。

 先輩商人の失敗談を聞いたり、次の街スーイの情報を仕入れたり、魔法学校でのロッサの様子を聞いたりと、とても有意義で楽しい時間を過ごすことができた。

 その間、ルシュがずっとジト目で俺のことを見ているような気がして、最後まで隣を振り向くことができなかったのは、そのせいでついつい酒が進んでしまったことを含めて、仕方がないことだったと思っている。

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