第25話 お別れをあなたへ

「なんだ、クライ。ずいぶん早かったね。今日はもう帰ってこないんじゃないかって思ってたよ」


 まだ夜更けというには早い時刻、アークの屋敷の前でばったりと顔を合わせたミットがそんなふうに言ってきた。


「いくら名残惜しいと言っても一晩中お邪魔するわけにはいかないからな。それに俺の送別会をやってくれるって話だったろ?」


「うん。もう始めてるけどね」


「俺がいないのに?」


 見ると、酒瓶やら乾き物やらが入った袋を手にぶら下げている。


「まあ、飲むための口実だからね。酒が足りなりそうだったから店が閉まっちゃう前に買い出しに行ってきたとこなんだよ」


 なるほど。この様子だとすでに出来上がっているのかもしれないな。


「それで? お別れはちゃんと言えたのかい?」


「ああ、おかげさまで」


 ミットと言葉を交わしながら二人連れ立って冒険者パーティ・アークの屋敷へと入っていく。

 アークの一員としてこの敷居を跨ぐのはこれが最後だ。明日になれば、俺は一人の商人としてこの家から出て行くことになる。そう考えると少し感慨深いものがあるな。

 そんな感傷に浸っていたところで、背後から女の声が響いた。


「ねえ––––ねえってば! わたしのこと、忘れてるでしょ!」


 やべ……忘れてた。


   ⚫︎


「君ってヤツは……少女に別れを告げに行ったかと思えば、早速違う少女に乗り換えているとは……」


「ひどい! 私というものがありながら!」


「勘当じゃ! 今すぐ出て行け!」


「おれっち、クライのこと見損なっちゃったなあ」


 リビングに入るや否や四人が四人とも罵詈雑言を浴びせかけてきた。


「いやいや、違うんだって! これには事情があって。なあ、ルシュ、お前からも説明してくれよ」


 懇願するようにルシュを見ると、何やら不穏な雰囲気が……


「クライさんに買っていただいたんです……」


 どこか影のある表情で視線を落とすルシュ。


「ちょっ、おま、待てって! そうだけど、そうじゃねえだろ!」


 事実ではあるが、真実ではない。断じて。しかし––––


「うっわ……」


 四人が白んだ目で俺を見る。もはや無言。有り体に言えばドン引きだ。


「ちくしょう! 俺がいったい何をしたっていうんだよ!」


 俺の献身により今やすっかりキレイになったリビングの床に手をつき、がっくりと項垂れる。

 そんな俺を尻目に、ルシュはリビングの中心へと招き入れられて行く。


「名は何というんだい?」


「ルシュといいます。旅の巫女として、巡礼の旅をしています」


 ラッツの問いにルシュは朗らかな笑顔で答える。

 それを聞いたドットが「巫女に手を出すとはうらやまけしからん」などと呟いているが、こいつはもう手遅れなので放っておこう。


「白髪しろかみっていうのはすごく珍しいね。おれっち初めて見たよ」


「ほんとそうよねえ。ねえ、あなた、魔法は使えるの?」


 ルシュは笑顔のまま首を横に振った。


 なるほど、ルシュは魔法を使えないのか。俺の始原魔法は別として、黒髪がまったく魔法を使えないんだったら、その逆に白髪はどんな魔法でも使えるんじゃないか、なんて思ったりもしたが、結局魔法が使えるかどうかっていうのは『加護』がすべてってわけか。

 というか、これを含めて、俺はこいつのことをまったくと言っていいほど知らないんだよな。『ルシュ』という名前も、巫女という設定もどこまで本当のことを言っているのか眉唾物だし、何の因果かは知らないけどこれから一緒に旅をすることになってしまったというのに、これで大丈夫なんだろうか……


「それで、クライが君のことを金で買ったというのは本当なのかい?」


「はい……」


 さっきまでの朗らかな笑顔から急転直下、ルシュはその表情に暗い陰を落とし、悲しげに目を伏せた。


「おーまーえーなー! これ以上誤解を招くような言い方はやめろよな」


 これ以上俺の名誉を貶めるのを容認するわけにはいかない。例えその名誉とやらが取るに足らないものであったとしてもだ。

 リビングの扉の前で突っ伏していた俺は俄かに立ち上がり、自らの小さな名誉を守るため身振り手振りを交えながら、事の委細について熱弁をもって説明する。


 今日、みなと広場で開かれていた人頭市で初めて会ったこと。

 そもそもルシュの方から半ば強引に話を持ちかけてきたこと。

 法外な値段を吹っ掛けられてほとほと困り果てたこと。

 売り言葉に買い言葉で言い争っているうちにいつのまにか契約させられてしまっていたこと。

 クーリングオフなる消費者保護のための制度を利用したくてもできないこと。

 ありのままを嘘偽りなく説明した。


「などと供述しているけど、真相は?」


「クライさんがそう仰るのなら、きっとそうなのでしょう。彼の中では。でも、水の神様はすべてを見ておられます」


 ミットの問いにシリアスな顔で呟くように答えるルシュ。


 ぐぬぬ……


 こいつの厄介なところは嘘を吐いていないところだ。その代わりに、肝心なところを伏せたり、仕草や表情でミスリードしているのだ。

 しかし、事実ではあれど、これは断じて真実ではない。


「お前なあ、これ以上デタラメ言うんだったら、ここに置いていっちまうからな!」


「え……連れて行ってくれないの……?」


 大袈裟に驚いて顔を上げたルシュが、その大きな瞳に涙を浮かべながら俺のことを見つめている。

 アークの面々は「サイテー」とか「連れてってやれよ」などと小声でヒソヒソやりながら再び白んだ目を俺に向けてくる。どうやらここは完全アウェーになっちまったようだ。

 若干一名は「ここに残ってもいいんじゃぞ」などと宣っていたが、こいつはもう手遅れだから放っておくしかない。


「い、いや、今のは何と言うかさ、じょ、冗談だよ。もちろん連れて行くさ。そ、そういう契約だもんな?」


 白髪しろかみ一人と青髪三人の無言のプレッシャーに耐えかねた俺には、顔を引き攣らせながらそう答えるのが精一杯だった。

 すると先ほどまでの涙目から一転、ルシュは「やったー!」と歓声を上げてアークの三人とハイタッチを繰り広げている。

 その変わり身の早さと俺以上にみんなと打ち解けあっている様子には戦慄さえ覚えてしまう。

 そして、残る一人はというと、「チッ!」と舌打ちをしながら苦虫を噛み潰したような顔をしている。こいつはもう以下略。


 ルシュがコミュ力モンスターっぷりとアカデミー賞ばりの役者っぷりを発揮して、出会ってそう時間も経っていないというのにすっかりアークの一員として溶け込んでしまい、俺の送別会だというのに俺のことなんかそっちのけで歓談は進んでいく。最早ルシュの歓迎会の様相を呈していると言ってもいいほどだ。

 でもまあ、これが最後の夜だ。下手にしんみりするよりはこれでいいと思う。


 そして、夜も更けこんできたところで––––


「せっかく新メンバーの加入を喜んでいたところでとても残念だけど、そろそろお開きにしようか」


 明日の朝は早い。ルシュはどうなのかは知らないが、俺にとっては初めての旅だし、体調は万全で臨みたいところだ。

 それにアークのみんなだって明日は朝から仕事がある。名残惜しくはあるが、この辺でお開きというのも仕方がないだろう。

 こういう切り出しにくいことをしっかり言ってくれるところなんかが、流石はラッツのリーダーとしての資質なんだろうと改めて感じ入る。


「でもその前に、クライに餞別があるんだ」


 ラッツの目配せで、ドットが書棚から一枚の大きな紙を取り出してきて、それをテーブルの上に広げた。


「これは……地図?」


 改めて確認するまでもなく地図だ。しかし、地図なら俺もすでに準備してある。

 この大陸では比較的よくできた地図が一般にも流通していて、それなりの金さえ出せば誰でも入手できる。


「お主の地図はこれからお主自身の旅を記録する物じゃ。こっちの地図をよく見てみい」


 ドットに促されて広げられた地図に目を落とすと、マルやバツなどの記号や細かな文字の説明が各所に書き込まれていた。


「おれっちたちの冒険の記録だよ。危険な場所や魔物の出現情報、他にも街ごとの美味かったお店なんかを書いてあるんだ。クライの旅にきっと役立つと思うよ」


 もう一度しっかりと地図を見てみようとするが、なんだか視界が滲んで上手く見えない。

 俺は顔を上げて鼻を啜る。こんな貴重な記録を涙なんかで滲ませるわけにはいかない。


「ありがとう……こんな大切な物を」


「ふふ。喜んでくれたみたいで嬉しいわ。でも、もう一つあるのよ」


 そう言ってロッサが、ソファの後ろに隠していたらしい細長い木箱を取り出す。


「もしかして……」


「開けてみて」


 その言葉を受けて、木箱の蓋をゆっくりと開ける。


「ありがとう……本当に、嬉しいよ」


 そこには、ロッサがいつも手にしている物とそっくりな、銀色に光る長杖が入っていた。


「クライが魔法を使えるってわかったときから、いつか旅立つ日に送ろうって決めてたのよ」


 いかん。涙が堪えきれん。色んな想いが胸に溢れているのに、出てくるのは涙ばかりで、言葉がちっとも出てこない。

 でも、このままじゃダメだ。きちんと言葉にして伝えないとダメだ。アイリスがそうしたように、俺もしっかりとケジメをつけなければならない。


 俺のことを迎え入れてくれた四人。そして今こうして俺を送り出そうとしてくれている四人。その一人ひとりの顔を見る。

 たぶん元の世界にいた頃の俺だったら、照れ臭くて真っ直ぐと感謝を伝えることはできなかったかもしれない。

 でも、これがきっと最後だから。今伝えなければ、もう二度と伝えられないから——


「気づいたら知らない場所で、何もわからなくて、何も持ってなくて……絶望してたんだ」


 あのとき、あの森で俺を襲った怪物は、絶望の一つの形だったに過ぎない。

 仮にあそこで生きながらえていたとしても、遠からず俺は絶望に命を絡め取られていただろう。


「だからあのとき、みんなに会えて、助けてもらえて、俺は救われたんだ」


 途切れ途切れながらもどうにか言葉を紡ぐ。

 そして大きく鼻を啜ると、深く腰を折って頭を下げた。


「ロッサ、ドット、ミット、そしてラッツ。あなたたちのおかげで今日まで生きてくることができました。この恩は一生忘れません。ありがとうございました!」


 真心を込めた渾身のストレート。それをノアの四人は温かな笑顔で受け止めてくれた。

 明日になれば、彼らはもういない。明日になれば、俺は一人だ。


 いや、一人じゃないか——


「はは。なんでお前まで泣いてるんだよ」


 俺は隣で泣きじゃくる白い髪をくしゃくしゃと撫でたのであった。


   ⚫︎


「最後に挨拶できなくて残念だったね」


 街を出て次の街へと走る馬車の上、御者台の隣に座るルシュが少し寂しそうにそう言った。

 今朝目を覚ましたときにはすでにアークの四人の姿はなく、俺たちは誰もいないアークの根城に最後の一礼をして、街を後にしたのだった。


「いいさ。お別れなら昨日きっちりと済ませたし、みんなの顔を見て決心が揺らいじゃってもいけないしさ」


 正直言うと、俺だって最後に出発の挨拶をしたかった。だけど、彼らには彼らの都合がある。

 例え最後に顔を合わせられなかったとしても俺の感謝の気持ちは変わらないし、彼らが俺のことを応援してくれていることにも変わりはないだろう。だから、残念ではあるが、これでいい。


「お、おい、あれ見ろよ」


 すれ違う行商人たちが馬車を停めて南の空を見上げている。

 それにつられて、アーリムの街を振り返ると——


「ルシュ、見てみろよ」


 アーリムの空に龍のような水柱が何本も立ち上っている。

 そして、遥か上空まで達したそれは一斉に弾けて、小さな水の粒へと姿を変えた。


「綺麗……」


 気持ちよく晴れ渡った空。

 そこに架かる美しい虹が、俺たちの門出を見送ってくれていた。

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