第23話 運命をあなたへ②

 人集りの中心には、一人の女が立っていた。


 俯き加減のその女の髪の色は——白。


 白髪しらがとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。降り積もった新雪のような、あるいは、搾りたてのミルクのような、深くもあり、淡くもある、そんな白だ。


「まさかこんな光景を目にすることができるとは!」

「白と黒が並ぶなんて奇跡だぜ!」

「ありがたや、ありがたや」


 観衆のテンションは最高潮に達し、やんややんやと騒ぎ立てる。

 反応を見てみるに、黒髪以上に白い髪というのは珍しいようだ。そこに黒髪まで登場したとなれば、こうなってしまうのもわからなくはない。

 しかし、この世界の、少なくともこの街の人たちが、髪の色で不当な差別をするようなことはないということを身をもって知っているとは言え、ここまで騒がれるのもあまり気持ちがいいものではない。


「わたしを買ってくれるの?」


 顔を上げた女性の手にはプラカード。雇い主を探しているようだった。

 いや、そんなことより——


「どこかで会ったことないか?」


 会ったことがあるような、ないような。知っているような、知らないような。そんな不思議な感覚を覚えて、ついそんなことを口走ってしまった。


「ナンパにしては古いやり口だね」


 女性は微笑みながら俺を見る。


「そんなことより、わたしを買ってくれない?」


「そうだ、そうだ!」

「買ってやれー!」


 彼女の言葉に観衆も同調して囃し立てる。


 プラカードを見てみると——

 名前はルシュ。うん、やっぱり知らない名だ。

 業務はお守り。うん、全然意味がわからない。

 期間は一年。うんうん。それで、それで?

 価格は青貨十枚。


 高い! さすがにこれは高過ぎる!

 だって、青貨って、この大陸の最高額貨幣で、確か金貨一万枚分だったよな。青貨十枚ってことはつまり、日本円にして約十億円! ちょー高い!

 人ひとりの一年の価値が十億円もしないだろうと勝手に決めつけるのは失礼かもしれないが、それでもやっぱり高いものは高い。しかも、仕事はお守り!

 まったくの意味不明。


 お前が買えよ! という目線で囃し立てた男を睨みつけるが、すかさず目を逸らされた。

 その他の観衆はニヤニヤとしながら事の成り行きを見守っている。


「そ、その仕事内容の『お守り』って何なんだ?」


「雇用主が無事でいられるように、側にいてお祈りすることだよ」


「お、お守りなら、教会で買えるよね? 銅貨五枚で」


「そうだね」


 ヤバい。まるで話にならない。


 何とかしてくれ! という目線で俺の手を引いてきた男を睨むが、俯いたまま笑うのを必死に堪えている。


「せ、青貨十枚はさすがに払えないかな、なんて……」


「分割払いでもいいよ。頭金なし。金利手数料もこちらで負担します」


「ぶ、分割にしたところで、そんなに稼ぐアテがないかな、なんて……」


「だったら、あなたの価値はいくら? あなたなら自分にいくらの価値をつける?」


「俺?」


 この街に入って四週間ほど。家事手伝いを中心に討伐依頼の同行、行商人の真似事などなど、それこそ馬車馬のように働いて稼いだ金のトータルは金貨にして百枚に満たない程度。もっとも、そのほとんどは旅支度で消えてしまっているが、我ながらよく頑張って稼いだものだと思う。

 仮に一日に約金貨三枚を毎日稼いだとして、この世界の一年が三百五十日であることを考えれば、俺の一年の稼ぎはだいたい金貨一千枚といったところか。

 商人として一発当てればもっと稼げるかもしれないが、現実を見れば、行商人の平均年収はこれよりもさらに低い。


「ふーん、ほんとにそう思ってるだ? あなたの価値は本当にその程度なの? あなたって、自分のことをそんなにちっぽけな男だと思ってるの?」


 あれ? ちょっとカチンときちゃったな、今の。煽ってるってことでいいんだよね? 喧嘩売ってるってことだよね?


「そんなわけあるかあ! 俺はそんなに安い男じゃねえ!」


「よく言った!」

「カッコいいぞ!」


 ここぞとばかりに外野が騒ぐ。


「青貨十枚の価値はあるってこと?」


「それじゃあ足りないぐらいだね」


 売り言葉に買い言葉。そう言ってしまったのがまずかった。


「じゃあ、こうしましょ。わたしがあなたを青貨十枚で買うわ。だから、そのお金でわたしを買ってくれない?」


「へ?」


 どういうことだ? お互いがお互いを買うってこと?

 なんで? なんのために? 何かいいことがあるのか?


「決まりね!」


 混乱する俺をよそに、彼女は俺の手を握って微笑む。

 お日様のような笑顔だ。


 か、かわいい……


 一瞬そう思ってしまったせいで、明確に拒否するのが一歩遅れてしまった。


「やったぞ!」

「契約成立だ!」

「ついに売れたな!」

「白黒コンビの誕生だ!」


「行きましょ」


 観衆が無責任に歓声を上げる中、彼女が俺の手を引いて駆け出す。


「あ、おい。待てよ!」


 こうして俺は、まったくわけがわからないまま、喝采の輪を後にしたのだった。


   ⚫︎


「ちゃんと自己紹介してなかったよね。私はルシュ。旅の巫女っていう設定でやってるの。よろしくね」


 設定って……


「あなたは?」


 隣を歩きながら、ルシュが俺の顔を覗き込んでくる。


「クライだ。行商人っていう設定でやってるよ。で、ルシュは何の目的であんなところにいたんだ?」


「それは買い手を見つけるためよ。当然でしょ?」


 ルシュは呆れたように眉を顰める。


「買い手を探していた目的を聞いているんだよ」


「旅に連れ出してくれる人を探していたの。一応、巡礼の旅をしているって設定だからね」


 設定ね……


「なあ、とりあえず、そろそろ手を離してもいいんじゃないか? すぐに逃げ出したりはしないからさ」


 人頭市から手を引かれて連れ出された後、そのままの流れで手を繋いだまま歩いていた。

 少し惜しい気もしたが、さっき会ったばかりの初対面の女と仲良く手を繋いで歩くというのも変なので、とりあえずそう指摘したところ、ルシュは顔を一気に紅潮させて、慌てて手を離した。

 その仕草が妙に可愛らしくて、やっぱりそのままでもよかったかな、と思ったのは内緒だ。


「と、とにかくクライが来てくれて良かったわ。わたしだって、誰でもいいってわけじゃなかったから」


「でも、俺、旅に出るなんて一言も言ってなかったよな。俺がその予定じゃなかったらどうするつもりなんだ?」


「そのときは、お願いするしかないね。こんなふうに——」


 突然ルシュが俺の腕へと縋り付いて、潤んだ瞳で俺を見上げた。


「おねがい」


「ちょッ、ばっか、何やってんだよ!」


「ね?」


「わかった! わかったから離れろ!」


「やったー!」


 旅に出られることを喜んでいるのか、悪戯に成功したことを喜んでいるのか、ルシュは両手を挙げて喜んでいる。

 ついさっきまで手を繋いでたことに照れていたやつと思えん。

 つくづく女というのは怖い生き物だぜ……


「それじゃあ、改めまして、よろしくね。わたしはクライの無事をお祈りする。クライはわたしを守る。とってもフェアな契約だね」


「いやいや、全然フェアじゃねえよ。それに、『守る』なんて一言も言ってねえぞ」


「いいじゃない。どっちにしたって守ってくれるでしょ? わたしはか弱い女の子なんだから」


 チッ! こいつは自分が可愛いっていうことを自覚した上でこんなこと言ってやがるんだ。まったくもってタチが悪い。


「本当について来る気なのか? ちょっとそこまでって旅じゃないんだぞ。とりあえず緑の大陸を目指そうと思ってるんだから」


「ついでに中央神殿にも寄ってほしいな」


「断るって言ったら?」


「違約金が発生します。青貨十枚です」


「……そもそも契約したつもりはないんだけどな」


 確かさっきの市では、契約書を作成するために商業組合が出張して来ていた。正式な契約を結んでいない以上、まだこの話をなかったことにすることだってできるはすだ。


「口約束も立派な契約ですわ。水の神様は私共に誠実であることを求められておりますゆえ」


 両手を組んで目を瞑るルシュ。

 都合のいいときだけ巫女っぽさを発揮するやり口が果たして誠実なのかどうかは別として、とにかく口で何を言ってもこいつには敵わないだろうことはよくわかった。


 しょうがねえ。旅の道連れっていうのも悪くはない。とりあえず次の街までは送ってやるか。最悪、そこに置いていけばいいわけだし……

 無理やり自分を納得させた俺は、ため息を一つ。


「わかったよ。連れて行ってやるよ」


 ありがとう!

 それが本来ならば聞こえてくるはずの言葉だが、その言葉を発すべきルシュが目の前にいない。

 少し先を見やると、鼻をくんくん鳴らしたルシュが、どこからか漂う美味そうな匂いを辿りながらふらふらと歩き出し、香りの元と思われる屋台に吸い込まれて行くところだった。


「はあ……」


 さっきよりも大きくて深い溜め息をもう一つ。

 なんかもう、不安しかないんだけど……

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