第21話 綿菓子をあなたへ

 校門の塀にもたれかかって通りを眺めていると、向こうから白杖を持った少女が歩いてくるのが見えた。

 俺はすかさず駆け寄って、驚かさないように少し遠くから声を掛ける。


「アイリス!」


「クライさん! ごめんなさい、お待たせしちゃいましたか?」


「全然問題ないよ。それより迎えに行けなくてごめんな」


「ふふ。それこそ全然問題ありませんよ。街中であればどこだって一人で行けますから」


「それもそうか。俺よりこの街歴長いんだもんな。じゃあ、行こうか」


 そう言って俺がいつものように右腕を出すと、アイリスがそれをそっと掴む。

 校門から校庭を抜けて、本日のイベント会場まで——こうして二人で歩くのはたぶんこれが最後になるだろう。

 今日から明日にかけてここで最後の積み荷の準備が終われば、明後日にはこの街を発つ予定だ。準備が整い次第すぐ、そうしなければいつまでも出発できそうにないから。

 でも、今日は一旦それは忘れて、アイリスには楽しんでもらいたい。

 それともう一つ、アイリスは彼女なりのけじめのためにここに来たわけだから、俺としてもそれを応援しなければならない。一人で感傷に浸っている暇はないのである。


 会場——とは言っても、校庭を抜けた先にあるグラウンドなのだが——に着くと、そこにはすでにアークの四人が揃っていた。


「アイリス、大丈夫かい?」


「はい」


 俺の小さな問いかけに、アイリスが大きく深呼吸をした。


「あ、あの……」


 消え入りそうな声。しかし、四人にはしっかりと届いていたようだ。


「やあ、君は——」


 最初に気付いたのは、かもめ広場でのひったくり事件の際に居合わせていたミット。続いて、ロッサ、ラッツ、ドットも気付く。

 アイリスの姿を見て、彼女が何者なのか、すぐに理解したようだった。


「アイリスといいます。猫の手食堂のアイリスです」


 そこで少しの沈黙が流れる。

 もちろん四人がアイリスのことを無視しているなんてことはない。四人が四人とも温かな眼差しでアイリスのことを見つめている。彼女の言葉を邪魔しないようにという配慮だ。

 そしてその想いは、きっとアイリスにも届いている。


「今日は皆さんに……お礼が言いたくて、来ました」


 そう。アイリスが今日ここへ来たのは、冒険者パーティ・アークに感謝を伝えるためだ。

 アイリスはあの日の出来事を乗り越えようとしている。これはそのための儀式だ。

 俺は言葉に詰まるアイリスの背中をそっと押した。


「あのとき……三年前、森で魔物に襲われていたとき、助けていただいてありがとうございました。こんなに……お礼を言うのがこんなに遅くなってしまって、本当にごめんなさい……」


 アイリスの頬に涙が伝う。それでも彼女は言葉を絞り出す。


「本当は、何で生きてるんだろうって……死んじゃいたいなって……ずっと思っていました。でも、生きていたからちょっとずついいこともあって、うれしいこともあって……生きていたから、とっても素晴らしい出会いもあって……生きててよかったなあって……本当にそう思えるようになったんです。だから……だから、助けていただいて、本当にありが——」


「バカな子ね……」


 ロッサがアイリスを胸に抱く。その頬はアイリスと同じく濡れていた。


「お礼なんて言わなくていいのよ……」


「そうだよ。君が今も生きていて、笑っていられるってだけで、おれっちたちはみんな報われてる」


 ミットの横では、ドットがフゴフゴと言葉にならない声を漏らしながら滂沱の涙を流している。

 年のせいで涙腺が緩くなっているんだろう。まあ、俺も人のことは言えないけど。


「アイリス、だったね?」


「はい」


 ラッツが一歩前へと出る。


「あのときもっと早く駆けつけていられれば、もっとたくさんの人を救えたかもしれない。もっと確実に守れたかもしれない——僕たちの仕事は、そんな後悔の連続なんだ。だからこそ、さっきミットが言ったことが僕たちのすべてなんだよ。アイリス、生きていてくれて、笑えるようになってくれて、ありがとう」


 ラッツの言葉に、アイリスは顔を手で覆って、何度も何度も頷いている。


 まったく泣かせるんじゃないよ。キザな台詞を言わせればやっぱりナンバーワンだな。さすがリーダー、そこに痺れる、憧れるゥってやつだぜ。


 まあ、なんにせよ——よくがんばったな、アイリス。


   ⚫︎


 さあ、それではお互いの顔合わせも済んだことだし、次は積み荷の準備といきますか。


 目の前には山と盛られたトウキビと、あらかじめロッサに準備をしてもらっていた大釜。それを見たラッツは得心いったというように手を打った。


「なるほど、糖蜜か」


「正解! だけど、ちょっとだけ違うんだな」


 この世界にも甘味料はある。とは言っても、それはトウキビの圧搾液を煮詰めたシロップのようなもので、少しばかりコクというかクセがある。

 それはそれで美味いのだが、現代日本で育った立場からすれば、精製糖の甘やかさが恋しくなったりするのは仕方がないだろう。

 無いなら無いで自分で作ってしまえばいい。ついでにそれを積み荷にしてしまえば大ヒット商品間違いなし、というわけだ。


 ただここで問題となったのが「そもそも精製糖ってどうやって作るんだっけ?」ということだ。

 口にしない日はないというほど慣れ親しんだ物ではあるが、それがどういう風に作られているかということは意外と知らないものである。いや、意外でもないかな。きっとそういう物は他にももっとたくさんある。

 しかし、この問題を解決してくれたのが、この世界の魔法だった。アークの本拠地の大掃除の際にロッサが見せてくれた洗濯魔法だ。

 あの魔法の本質は『分離』と『抽出』だ。あのときのロッサは、カーテンやソファなどの対象物から汚れのみを分離して排除していたのだ。

 要は、糖液から不純物を取り除いて、ショ糖だけの塊にしてしまえば砂糖ができるんじゃね? というわけだ。


 ただまあ、そこからはそれなり苦労した。何せ俺は魔法——ロッサの名付けによると『始原魔法』を使えるようになったのは極最近でまだまだ勝手がよくわからない段階だったので、ロッサに実験のお手伝いをしてもらったのだが、これがなかなか上手くいかない。

 その一番の原因は『ロッサが精製糖を知らない』ということだった。『きれいな状態のソファ』をイメージして、その状態となるように魔法を作用させるのが洗濯魔法。要は最終産物たる精製糖をイメージできなければ、魔法は作用のしようがない、というわけだ。


 しかし、しかしである!

 厳しい鍛錬の末、俺はとうとう始原魔法による洗濯魔法をマスターした!

 血反吐を吐くような苦しい道のりではあったが、その甲斐あってもはや砂糖作りなど児戯に等しいのだ!


「ま、見ててくれよ。いや、やっぱりちょっと手伝って」


 アークの皆に手伝ってもらいながら、ザルの中に大量のトウキビを投入していく。

 さあ、それではここで、独自開発魔法の第一弾だ。

 俺がトウキビに意識を向けると、そこにプネウマが集まり、やがてトウキビは大きな光の玉に包まれた。


始原魔法圧縮プレス


 そして、俺の囁きに応え、白い光の玉はその体積を減じ、密度を高めていく。


 バキッ、グチャッ、バキッ!


 光の玉の中で、トウキビが音を立てながら圧壊され、圧搾液が大鍋へと流れ込んでいく。


「ひ、引くね……」


「ああ、ドン引きじゃ……」


「あ、あの、何が起こってるんですか? すごい音ですけど」


「見えない方が幸せっていうことも、あるのかもしれないわね……」


「グロ注意」


 彼らにはトウキビが自発的にグチャグチャと潰れていくようにしか見えないのだから致し方ない面もあるとは思うが、ここまで引かれるとちょっと凹む……


「じゃ、じゃあ、ミット、悪いけど、火を点けてくれないか」


 ここからは、トウキビの圧搾液を煮詰めて体積を小さくする。この作業は魔法ではなく人力だ。

 そもそも俺の魔法は、プネウマを介して物質に作用することに特化していて、プネウマを物質に変換することはまったくできない。水魔法のように水を生んだり、火魔法のように火を出したりはできないのだ。

 もちろん、圧搾液を煮詰めるために加熱をするだけなら 始原魔法でできなくはない。電子レンジの要領で、プネウマを使って水分子をがっつり振動させてやればいい。ただそれだけなのだが、実はこれが結構難しかったりする。


 短い期間ではあるが、これまで始原魔法の研究や訓練をしてきた中でわかってきたことなのだが、プネウマにさせようとする作用が複雑であればあるほど操作は難しいし、何と言っても疲れる。

 プネウマを集めるのは簡単、それを飛ばすのも簡単。しかし、飛ばす数が増えるほど難しくなる。

 そういうわけなんで、水分子一つ一つにプネウマを作用させるなんてことは困難中の困難であり、小鍋一杯分の水を沸騰させるぐらいならなんとかなるが、身の丈よりも大きなこの大鍋にたっぷり入った圧搾液を長時間煮詰めるなんてことはとても無理だ。火を使った方がはるかに楽だし、早い。

 ちなみにこの観点から言えば、さすがはロッサが開発した魔法だけあって洗濯魔法も実はかなり高難度の魔法だったりする。俺だって、使えるようになるまでかなり練習したんだぞ、こう見えて。


 最初はサラサラだった圧搾液もグツグツと煮込まれその体積が十分の一ぐらいになった頃にはだいぶ粘度が増してきている。このまま煮詰めていけば、この国で一般に使用されている糖蜜になるところだが——


「そろそろ頃合いかな」


 いよいよ特訓の成果を見せるときが来た。大丈夫、練習では上手くいったんだ。


始原魔法洗濯ウォッシュ


 俺の合図に応えて、キラキラと光るプネウマがとろとろの糖液に突っ込んでいく。

 さて、ここから糖液の中の不純物を取り除いてかなければならない。ちょっと集中が必要だ。

 ちなみに俺は、糖液の中にどんな種類の不純物がどれだけ入っているのかについてはまったく知識がない。不純物を取り除くというよりも、ショ糖だけを残し、それ以外を排除するという方が作業としては近いだろう。


 糖液の中でプネウマが眩い光を放っている。もちろん、これが見えているのは俺だけだから、周りの皆からすれば、一体何やってんだってところだろう。

 うーん、思ったより時間がかかっているな。やっぱり量が多いとそれなりに大変だ——っと、いかん、いかん、集中、集中。ここでどれだけ集中できるかが出来栄えに直結するのだ。

 そうして、待つこと数分——


「よし! できたぞ!」


 俺が声を上げると、アークの四人が興味津々といった感じで大釜の中を覗き込む。


「何じゃこりゃあ!」

「白い……」

「サラサラね」


 よしよし、どうやら上手くいったようだ。

 彼らの反応に満足しながら、釜の底の白い粒を柄杓で掬い上げ、それを皆の手の上に乗せてやる。


「はい、アイリスの分ね」


「あ、あの、これは…」


「舐めてみてよ」


 そう声をかけると、アイリスは恐る恐る白い粒を口に運ぶ。


「甘い! すごく甘くて美味しいです!」


 それを聞いたアークの四人も手のひらの上の粒を口に含み、それぞれが唸り声を上げた。


「何じゃこりゃあ!」

「な、なんと甘美な……」

「蕩けちゃいそう」

「おれっち、もっと欲しい!」


 今にも釜の中へとダイブしそうなミットの右足を慌てて引っ捕まえて、なんとか事なきを得る。

 まったく、一応俺の大切な商売道具なんだからな、これは。それに慌てなくてもこれからちゃんと食べさせてやるよ。


「何なんですか、これは?」


「砂糖っていうんだよ。糖蜜の甘い部分だけを集めて作った物ってところかな」


「さとう…」


「そう。甘くて美味しいだろ? 糖蜜の代わりに料理に使ったり、菓子作りに使ったりできるんだよ。ちょっと待ってな、今から面白い物作ってやるから」


 そして取り出したるは、少し大きめの鍋と割り箸サイズの木の棒。そう、もうお分かりですね——って、誰もわかんねえか。


 熱した鍋を木の板の衝立で囲み、そこに少量の砂糖を投入する。当然それだけでは上手くいかないので、プネウマを操り、クルクルと鍋の中で回転する気流を作ってやる。そうして生じた白く細い糸を木の棒で絡め取ってやれば——


「ほら、綿あめだ」


「こ、これもクライの魔法なのか?」


「いや、魔法を使わなくても作れるんだぜ、これ。さ、食べてみてよ」


 アークの四人は手にした綿あめをまじまじと見つめ、アイリスはふわふわを指で突いたり、甘い香りを楽しんでいる。そして俺の合図に、待ってましたと言わんばかりに、一斉に綿あめへと齧り付いた。


「う、美味い……」

「ふわっふわね」

「あまーい」

「何じゃこりゃあ!」


 さっきから「何じゃこりゃあ!」しか言ってないやつがいるな……まあ、それはさておき——


「どうだった、アイリス?」


「とっても、とっても美味しいです!」


 満面の笑みがそこにあった。

 よかった、笑ってくれて。こうして楽しく笑い合えるのも、もう今日が最後かもしれないからな。

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