第18話 ピクニックをあなたへ②
「冒険者の方たちが助けてくださったらしくて。でも、その当時は素直に感謝することはできませんでした……」
「それは……目が見えなくなったから?」
「はい……あのとき死んでいた方がずっとずっと楽だった。あの当時は、そんなことばっかり考えていました」
巨大なカエルに襲われて以降、アイリスのまぶたは開かなくった。
イエローフラッグの毒の影響とも、恐怖から来る精神的なものとも言われたが、結局は真の原因はつかめず、治癒魔法もあらゆる民間療法も効果はなかった。
「まぶたを切ったらいいんじゃないかって話もあったんですよ」
話があっただけではなく、実際にその試みは実行されたらしい。しかし、文字通り歯が立たなかった。
アイリスのまぶたは鋭利な刃をもってしても開くことはなかったのだ。
「あの日はたくさんの人が亡くなったそうです。でも私は光を失う代わりに命を拾ってしまいました。これはきっと『呪い』なんです——って、ごめんなさい! 思ってたよりずっと暗い話になっちゃいましたね……」
「いや、こっちこそ悪かったな。辛いことを思い出させてしまって……」
「いえいえ、平気です。今は生きてて良かったって、心からそう思ってますから。目が見えなくなった代わりに、いろんな人の温かさに気付くことができたし、それに、こうしてクライさんとピクニックにも来ることができましたからね」
その笑顔が本心なのか、強がりなのかはわからない。そんなことはどうでも良くて、いっそ抱きしめてしまいたい——俺にはそんな不埒な衝動を呑み込むことしかできなかった。
「じゃあ、次はクライさんの番です」
「俺?」
アイリスが自分の話は終わったとばかりに俺を見ているが、俺の番というのは……?
「クライさん、何か言いたいことがあるんじゃないですか? 今日はずっと、そんな声をしています」
「声でわかるんだな。アイリスの伴侶になるのは大変そうだな」
「え!?」
アイリスの顔が一瞬にして真っ赤に染まる。それを見て初めて、俺は自らの失言に気付いた。
「いや、すまん、そういうことじゃなくて、将来アイリスと結婚する男は大変そうだなって。だって、ほら、嘘も通じないし、隠し事もできないだろ。つまりそういうことだよ」
「そ、そ、そ、そうですよね。わかってます。か、勘違いなんかしてませんよ?」
なんだこれ、可愛いかよ?
こんなに可愛いのに嫁の貰い手の心配をするなんて、ワーキンさんは自分の娘を過小評価し過ぎなんだよ、まったく。
「なあ、アイリス、ちょっと寝転んでみろよ。いい気持ちだぞ」
俺は大の字になって空を仰ぐ。
雲が潮風に乗って、西から東に向かってゆっくりと流れていく。
暖かな陽射しが降り注ぎ、目を瞑っても太陽がすぐそこにあるのがわかる。
大きく息を吸い込めば、若々しい緑の香りが鼻腔をくすぐってくる。
隣を見れば、アイリスも同じように空を仰いでいる。
互いに少しだけ腕を伸ばせば手が触れ合う。そんな微妙な距離だ。
「そろそろこの街を出ようと思ってる」
「はい」
単刀直入に切り出した俺に、アイリスは短く答える。
「驚かないんだな?」
「そうじゃないかなって、思ってました……」
「さすがアイリスは鋭いな」
「クライさんは、自分がどこからどうやってここに来たのかわからないって言ってましたよね? 何か手掛かりが見つかったんですか?」
「それを探しに行くんだ」
「そうですか」
互いに空に向かって話している。
たぶんこうしないとうまく言葉で出てこない。
「この街はいい街ですよ」
「知ってるよ」
「食堂を開くといいですよ。今あるお店で修行して、そのままお店を譲ってもらうっていうのも手ですね。私、お勧めのお店知ってるんですよ。もしかしたら、出来の悪いお手伝いさんが付いてくるかもしれませんけど」
「いいね。幸せな未来しか見えてこないな」
「だったら——」
「でも、帰りたいんだ」
元の世界に戻ってもバッドエンドが待っているだけかもしれない。それならば、アイリスの描く未来の方がずっとずっといい。
それでも俺は帰りたい。ろくでもない現実が待っているとしても、それでも俺は帰らなければならない。
なぜそう思うのか、何が俺にそう思わせるのかはわからない。わからないが、徐々にこの世界での生活に慣れていく中でも、その思いが消えることはなかった。
「もし、連れて行ってくださいって、私が言ったらどうしますか?」
「連れてなんか行けないよ」
「そうですよね。私は目が見えませんから……」
「そうじゃない。だってアイリスはまだ子どもだろ?」
「あと二か月で十八、大人の仲間入りですよ?」
「でも、まだ子どもだ。それにアイリスはこの街が好きだろう?」
「その聞き方は、卑怯です……」
「大人だからな」
「…………」
「…………」
雲とともに沈黙が流れる。
俺がふと隣を見ると、アイリスがこちらに顔を向けていた。微笑んでいるのか、泣いているのか、そんな顔をしていた。
「ねえ、クライさん。一つだけお願いがあります」
「もちろん、出来ることならなんでもやるよ」
俺の答えを聞いたアイリスは、少しだけ逡巡した後、意を決して再び口を開いた。
「顔を……」
「顔を?」
「……触ってもいいですか?」
「い、いいけど、どうして?」
「クライさんがどんな顔なのか知りたくて……」
盲牌——と言ってしまうと色気も素っ気もないが、手と指の感触から造形を知る。つまりそういうことなのだろう。
少し気恥ずかしい気もするが、美少女に顔を触られるなんてただのご褒美なので、断る理由はどこにもない。
「そ、それじゃあ、しつれいしまーす」
俺の正面に正座したアイリスが俺へとそっと手を伸ばし、その柔らかくて少しひんやりとした指が俺の頬に触れた。
手のひらが頬を包み、耳を撫で、鼻筋をなぞり、優しくまぶたに触れる。
どちらかというと気持ち的にくすぐったい。身をよじりたくなるが、目の前のアイリスは真剣な顔をしている。俺はその気持ちに応えなければいけない。
そう思い直して、アイリスの顔を見つめる。
相変わらず整った顔立ちをしている。幼くも見えるし、大人びているようにも見える。薄っすらと化粧もしていて、それはたぶんメルラさんが施してくれたのだろう。親の愛に包まれた美しい顔だ。
彼女の努力が、両親の愛が、いつか神に届くといい。神のいるこの世界なら、奇跡が起こったっていいはずだ。
俺は見ず知らずの異世界の神にそう祈りながら、アイリスの閉じられた瞳を見つめる——
「なんだ、これ?」
アイリスのまぶたを覆うように、黒い靄が纏わり付いている。
ここに来て初めて、俺はそのことに気付いたのだった。
どこかで見たことがあるような……などと考えるまでもなく、それは、アークの巨大種討伐に居合わせた際に馬鹿げたサイズのウサギの体から立ち昇るように纏わりついていたあの『黒い靄』だ。
俺は恐る恐るその靄へと手を伸ばす。
「触れる——」
「きゃっ!」
急にまぶたを触られたアイリスが小さく悲鳴を上げる。
「ご、ごめん! 痛かったか?」
「い、いえ、びっくりしただけです。あの、どうかしたんですか?」
「ああ、アイリスの目に——いや、俺もアイリスの顔に触れてみたくなってさ。急に変なことして悪かった」
目に黒い靄が纏わりついている——そんなことを伝えて彼女を不安にさせるのは本意ではない。
それだけではない。俺の頭には、『ある一つの可能性』が浮かんでいた。ただ、それを今アイリスに伝えるわけにはいかない。
「言ってくれれば、私の顔ぐらいいくらでも触っていいんですよ」
「おい、アイリス。その台詞は二度と口にしちゃいけねーぞ。間違いが起こりかねん」
「ふふふ、それもそうですね。クライさん、今日はありがとうございました。帰りましょうか」
「そうだな。そろそろ仕込みの時間だしな」
二人でたくさん話をしたし、アイリスのことを改めて知れたし、彼女の可愛らしさも堪能した。
言うべきことも言ったし、そして、これからやるなくてはならないこともできた。
今日という素晴らしい日を、心の中の思い出展示室の真ん中にいつまでも飾っておこう。
家族より遠いが、友達よりは近く、しかし恋人ではない。そんな大切に思える人と腕を組み、来たときよりもゆっくりと街路を歩く。
暖かな陽気と、優しい風が寂しさを包む。そんな穏やかな昼下がりだった。
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