第17話 ピクニックをあなたへ①

「もしよかったら、次のお休みの日、ピクニックに出かけませんか?」


 いつものようにミートパイに舌鼓を打った後、客がまばらとなってきた店内で親父さんと一緒に俺が持ち込んだ芋焼酎のような酒をチビチビと舐めていたある日、アイリスが俺の隣の席に座ってそう言った。


「ピクニック?」


「はい。天気が良ければ、ですけど。お弁当を準備しますから」


「弁当? アイリスが作るのか?」


「アイリスは今、料理の練習をしてるのよ」


 暖簾を外して戻って来たメルラがそう言うと、「そうなんです」とアイリスが笑顔を作る。


「見た目はまだまだですけど、味はきっと悪くないはずです」


「へー、最近、手に傷とか火傷が多いなと思ったら、そういうことだったんだな」


「はい。それでクライさんに実験台に、けふんけふん、試食をしてもらいたいなって思って。最近天気もいいし、青空の下でたべられたらなあって」


「そういうことなら喜んで」


 美少女とお出かけをして手作りの弁当を食べる。これ以上素晴らしいイベントを俺は知らない。例え向こうが、俺のことを実験台だと認識していたとしてもだ。


「行くのはいいけどな、クライ」


 ワーキンが酒臭い口を俺の耳元に寄せる。


「手ぇ出すなよ」

 

「わーかってますって! ほんと親馬鹿なんだから」


 ワーキンは事あるごとにそう言ってくる。

 酒を飲めば「嫁の貰い手がいない」とか「親が死んだ後が心配だ」などと管を巻いているが、アイリスはただ目が見えないというだけで、器量も良ければ性格も良いし、心配せずとも相手はいくらでも現れるはずだ。むしろ障害は、こうして度々顔を出す子離れできない父の本音だと俺は思っている。


「また二人でこそこそ話してる!」


 アイリスは頬を膨らませるが、メルラは微笑ましいものを見るように目を細めている。


「お父さんはアイリスのことが心配なだけだよ。それじゃあ、次の休み、楽しみにしているよ」


 この街を離れようと思っている——そろそろそのことをアイリスに告げなければならない。

 もしかしたらこの機会は、そうするための神の差配なのかもしれない。

 やがて来るであろう別れの寂しさを無理やり押し込めて、俺は満面の笑みで嬉しいデートの申し出を快諾した。


   ⚫︎


 そして、指折り数えてとうとうやって来たピクニック当日——


「行く場所はもう決めてるのか?」


 俺がアイリスから弁当が入ったバスケットを受け取ると、アイリスは俺の左腕へと手を回す。


「いいえ、まだ決めてません。クライさんと一緒に決めたいなって。でも、できれば木漏れ日があって、風が抜けるような気持のいい場所がいいです」


「じゃあ、あっちに見える丘の方に行ってみようか。少し遠いけど大丈夫か? 辻馬車つかまえてもいいけど」


「ううん、歩きたいです。さ、行きましょう」


 そう言って俺の腕を引くアイリス。しかし——


「おい、アイリス。白杖忘れてるぞ」


「忘れてるんじゃなくて……置いてきちゃいました。今日はクライさんが一緒だから。ダメですか?」


 ダメなわけ……ダメなわけあるわけないじゃないか!

 美少女と腕を組んでお散歩って、何のご褒美? もしかしてこれは、チート能力を授け忘れた神からのお詫びの印なのか?


「手ぇ出すなよ」


 ふと、ワーキンの声が聞こえた気がして、俺は慌てて店の方を振り返る。しかしそこには、暖簾が掛けられる前の店の扉があるだけだ。

 ふう、空耳か……いや、これは、ワーキンの声を借りた、善良なる紳士たる俺の心の声だ。なれば俺は、人様の大切なお子さんを無事に家に送り届けるまで、立派に務めを果たさなければならない。


「じゃあ、今日は俺がアイリスの目の代わりってわけだ。責任重大だな」


「はい。よろしくお願いします」


「任せとけ」


 そうして俺たちは、麗らかな陽気に照らされた街路を歩き出した。

 好きな食べ物の話だったり、好きな音楽の話だったり、すでに聞いた話からまだ聞いたことのなかった話まで、いろんなことを話し、そして二人で笑いあったりした。

 はたから見れば、それは初々しいカップルのようであったり、仲睦まじい夫婦であったりするのかもしれない。

 年齢イコール彼女いない歴、現在絶賛自己新更新中——そんな俺にとって、元の世界では終ぞ味わうことのなかった夢みたいな時間を味わっていたのだった。


   ⚫︎


「ごちそうさま! すっげえ美味かったよ!」


「ほんとですか! よかったあ」


 吹き抜ける風が気持ちのいい丘の上でアイリスと二人で楽しくお弁当を囲む。

 そして、俺が嘘偽りのない賛辞を口にすると、アイリスはほっと胸を撫で下ろした。


「何度も味見しているうちになんか味がわかんなくなっちゃって、ちょっと心配だったんです」


「いやいや、この味なら店に出しても問題ないよ。肉団子は酒のつまみにもぴったりだし、こっちの甘辛い肉を挟んだパンなんかは昼時に売り出せば馬鹿売れするんじゃないかな」


「ふふふ。ありがとうございます。やっぱりクライさんは優しいですね」


「本気さ。まじで美味かったよ」


「はい。クライさんが言ってくれたみたいに、ちゃんとお店で出せるようになるまでがんばりますね。私はもっともっとがんばらなくちゃいけませんから」


 流れる雲を眺めるように顔を上げるアイリスの頬を暖かな風が撫でていく。

 アイリスはもう十分すぎるほどがんばっている。もうこれ以上がんばらなくたっていい——初めて出会ったときと同じ凛としたその横顔に、そう言えたらどんなに気が楽だろうか。しかし、そんな言葉は俺のための気休めでしかない。

 アイリスはこれまでもずっと人一倍、いやに倍、三倍がんばって生きてきたし、これからもそうやって生きていく覚悟を決めている。そんな彼女にかけられる言葉を俺は持ち合わせていなかった。


「いい天気ですね。眩しい……」


 空を見上げてゆっくりとした口調で呟くアイリス。

 俺はその言葉にちょっとした引っかかりを覚えた。


「眩しい……? アイリスは目が見えないんだよな?」


「あれ? 言ってなかったですっけ? 私は目が見えません。でも、それはまぶたが開かなくなったからなんです。だからまぶたを通した明るさなんかはわかるんですよ」


「そうだったのか……」


 これまで何度もあって、いろんな話をしてきたが、意外にもそれは初耳だった。というか多分、お互いに敢えて『目が見えないこと』に触れないように気を遣って話をしてきたのかもしれない。


「なあ、アイリス。どうして目が見えなくなったのか聞いてもいいか?」


「はい、もちろんです。でも、そんなに面白い話じゃありませんよ?」


 アイリスはそう言って笑うと、俺の方へと向き直って、ゆっくりと話し始めた。


 この街の郊外に森がある。その森は、市民が山菜取りや散歩なんかに訪れるような安全で親しみのあるいわゆる市民の森だ。

 しかし三年前、アイリスが店の料理に使うキノコを採りに行ったその日だけ、いつもの森とは様子が違っていた。


「イエローフロッグの巨大種が出たんです」


 イエローフロッグとは、元の世界でいうところのキイロヤドクガエルのように、けばけばしい黄色をした毒ガエル。その粘液には強烈な神経毒が含まれているそうで、矢じりに塗る毒を抽出するために捕獲される一種の天然資源のようなものらしい。

 通常であれば大人の親指ぐらいのサイズのカエルだが、その日アイリスが遭遇したイエローフロッグは、『猫の手』の店内に入りきらないほど、巨大な化け物だったらしい。


「当時から巨大種の出現情報はちらほらと上がっていました。でも、こんな街の近くで出るなんて、それも、私がそんな恐ろしい魔物に出会ってしまうなんて考えてもいませんでした」


 アイリスがその目で最後に目にしたのは、大口を開けたカエルの姿。そして気付くと、自宅のベッドの上だった。

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