第16話 後悔をあなたへ

 俺は顎に手をやり、しばし考え込む。情報を整理し、一旦考えをまとめてみよう。


 魔法とは、プネウマを物質や現象に変換する行為をいう。ただし、この行為ができるのは神の加護を受けた者、つまりは青や緑、黄色や赤の髪を持つ人間だけだ。

 一方、魔物は加護を受けていないため人が使うような魔法——便宜上これを加護魔法と呼ぶことにしよう——は使えない。しかし魔物は魔物で超自然的な能力を有していたりする。それは加護魔法ではない魔法的な何か、とりあえずこちらは自然魔法と呼ぶことにして、その自然魔法を行使しているから、というのがこの世界の近代魔法理論上の整理なのだろう。


 次に、俺が見た『白い光』と『黒い靄』に関する考察だ。

 プネウマは魔法の素となる概念上の物質とされているが、俺が見た『白い光』がこのプネウマなのかもしれないと考えるのは至極当然のことだろう。これまで『白い光』がはっきりと見てとれたシチュエーションや近代魔法理論を総合的に勘案すれば、ほぼ間違いないとも言える。まあ、結論付けるのは早計だから、今後も要検証としよう。

 問題は、魔物が行使する魔力の素が何なのか、ということだ。近代魔法理論上の整理では、それは『瘴気ミアズマ』と呼ばれるプネウマと対極にある概念物質だとされているらしい。

 あくまで理論上の話ということだったが、あの『黒い靄』が見えてしまった以上、その学説の信憑性は高いように感じる。

 白い光がプネウマなのだとしたら、黒い靄がミアズマなのだろう。


 人はプネウマを魔力として、神の加護により物質または現象へと変換を行うことで魔法を使う。魔物は神の加護こそないものの、ミアズマを魔力として直接的に行使することで魔法を使う。

 近代魔法理論の整理としては概ねそんなところだ。

 そしてそれらの整理は、俺がこれまで目にしてきたこととも一致する。誰が考えたのかは知らないが、大したものだと思う。


 さて、俺がなぜ自分が使えもしない魔法について長々と考察をしたのかというと、ここまでの話の中で、ある一つの可能性を見出したからだ。

 その可能性のことを考えるとドキがムネムネして止まらない。そしてその可能性を検証するためには目の前にいるロッサの協力を仰ぐ必要があるだろう。

 だからこそ俺は、ロッサがわざわざ俺を連れ出してまでこの件にこだわっている真意を質すことにした。


「白い光も黒い靄も、どっちも誰にも見えないって言ってたよな?」


「…………」


 ロッサは何も答えない。だが、その沈黙こそが答えだった。


「じゃあ、ロッサは何で『白い光』と『黒い靄』のことを知っていたんだ?」


「……ねえ、クライ。あなたって見かけによらず鋭いのね」


 広い講義室がしばし沈黙に満たされた後、ロッサは三角の伊達メガネを外した。


「かつて一人だけいたのよ……」


 そして俺の隣に座ったロッサは、遠い過去を思い出すように、静かに口を開く。


「もう三十年以上前になるかしら——」


「いやいやいや! ちょっと待って!」


 いや、開始早々話の腰を折ってしまって本当に申し訳ないんだけど、どうしても聞かずにはいられない。


「三十年以上前って、あんた、一体いくつなんだよ!?」


「あら、レディーに年齢を聞くなんて、デリカシーがないんじゃない?」


「い、いや、ごめん。でも、ロッサってどう見ても俺と同い年か、ちょっと上ぐらいだろ? それを三十年前って……」


「ふふ、そう思ってくれてたのなら嬉しいわ。でも、三十年前にはもうあなたと同い年ぐらいだったかしらね」


「う、うそ……」


 外見により年齢を判断する際の一番大きなファクターは肌だ。皺の数と深さ、そして肌の張り、それが九割九分九厘だと言ってもいい。

 そして、その肌にとって最も影響を与えるのが水分だ。加齢とともに肌の水分保持力が低下するから、肌の張りも失われるし、皺もできる。


 だったら強制的に水分を保持してやればいいじゃないか、というのがロッサの発想で、どうやら水魔法を使うことで、それを強制的に実行しているらしい。

 ちなみにそのせいで、戦闘中の魔法出力は控えめにせざるを得ないとのことだが、本末転倒というか何と言うか、どうでもいいことに無駄に力を使ってるんじゃないよ……


「どうでもいいことなわけないでしょ」


「た、確かに。すみませんでした……すみませんついでに、話の続き、お願いします」


「もう三十年以上前になるかしら——」


 いや、そこからかい! と突っ込むのも無粋なので、黙って話を聞く。


「かつて『黒い靄』が見えるって言った人が一人だけいたの。彼女は『白い光』も見えるって言ってたわ。クライ、あなたと同じようにね」


「その人って……」


「私の姉よ。この学校は姉と一緒に開いたの」


 ロッサの姉は大陸有数の魔法使いだったらしい。ロッサ自身も大陸にこの人ありとまで称される魔法使いらしいから、血は争えないと言ったところか。


「ある日突然、姉が『白い光』が見えるって言いだしたのよ、『黒い靄』もね。これまでずっと一緒に育ってきて、一度もそんなこと言ったことなかったのに……」


 でもね——と、ロッサは言葉を継ぐ。


「私には見えなかった。何度も何度も試してみたけど、それでもダメだったわ。私だけじゃないわ。他の誰にも見えなかったのよ。だから——」


 ロッサは一度そこで言い淀むが、気持ちを落ち着けるようにゆっくりと息を吐いてから続く言葉を口にした。


「私は、姉に『嘘つき』って言ったの……姉のこと、信じてあげなかったのよ」


 ロッサの後悔がそこにあった。

 だから、俺が『黒い靄』が見えると言ったときに、普段は見せないような剣幕で迫ってきたのか。


「きっと姉の才能に嫉妬したのね……」


 確かに嫉妬もあったのだろう。でもきっとそれだけじゃないんじゃないかな。大好きだった姉に置いて行かれるかもしれない——そんな不安や寂しさもあったのだろう。だからこそロッサは今もこうして後悔をしているのであって。


「それで、ロッサのお姉さんは今……?」


「……出て行ったわ」


 そうか……行方知れずか……

 自分と同じ物が見える人なのであれば、一度会ってみたかったんだけどな。もしかしたら、この世界において俺がどんな存在なのかを知ることができたかもしれないし、それが元の世界に戻る方法につながっていたかもしれないし。

 しかし、辛いのはロッサの方だろうし、俺のことはこの際どうでもいい。そんなことより、ここは男として、沈むロッサを励まさなければならない。

 かくなる上は肩を抱き寄せ——って、待てよ……ロッサは三十以上年上か——って、年齢なんて関係あるか! 愛さえあれば年の差なんて!


「ねえ、クライ」


「は、はい! なんでしょう?」


 ロッサの肩に腕を伸ばしかけたところで、俺はビクッと背筋を伸ばす。


「あなた、旅に出るって言ってるけど、目的地は決めてるの?」


「いや、まったく……」


 元の世界に戻る方法を探すという目的自体ははっきりとしているのだが、どこに行けばその目的が達成されるのか皆目見当もつかないし、そもそもこの世界の地理だってまったくわからん。

 そんなわけで、ただあてもなくさまようだけの予定だったが、よくよく考えてみるまでもなく、無計画過ぎて無謀だな、これは。


「だったら緑の大陸に行ってみるといいわ」


「緑の大陸? なんで?」


「緑の大陸のウインダム王国は魔法研究がとても盛んなところなのよ。魔法大国ウインダムで最も権威ある王立魔法学院、その学院長が——私の姉よ」


 ズッコーン! 生きてた! 所在もわかってた!

 やけに重い口調で話すもんだから、てっきり姉ちゃんはもう——なんて思いこんでしまったじゃないか。

 ま、まあ、生きててよかったとは思うし、なんかしらんけどめっちゃ出世してるみたいで喜ばしいとは思うんだけど、なんか無駄に気をつかっちゃったじゃないか……


「そ、そうか。せっかくのアドバイスだから、最初の目的地はそのウインダム王立魔法学院だっけ? にしてみるよ」


 せっかくご健在とのことだから、ここは一つ会いに行ってみることにしよう。とりあえずの目的地としてもちょうどいいしな。

 さて、ロッサの話は終わったようだし、ここからは俺のターンだ。


「なあ、ロッサ。ちょっと協力をお願いしたいことがあるんだけど。ちょっと試してみたいことがあってさ」


 俺自身が持つ可能性——ロッサの力を借りて、俺はそれを試してみることにした。

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