第15話 講義をあなたへ

 ロッサの後を追いかけてたどり着いた先はロッサの別宅だった。いやいや、待て待て。別宅?


「ここは……?」


 現代日本育ちの俺から見てもかなり栄えた部類のこの街にあって、数少ない三階建ての大きな建物。そして良く手入れされた庭園、その隣には野球の試合をするのに十分な広さのグラウンド。


「私の家よ」


 確かに、アークの根城以外にも部屋を持っているとは言っていたが、これは家というよりも学校だ——ってか、学校だと書いてある。


 立派な門扉に掲げられている表札に目をやると、そこには『アーリム魔法専門学校』と刻まれていた。


「魔法を教えているのよ。言ってなかったかしら?」


 そう言いながらも歩を進めるロッサに付き従い、通されたのは大学の講義室のような部屋だった、というか講義室そのものだった。


「ちょっと準備があるから待っててもらえるかしら」


 そう言って講義室を出ていくロッサ。

 広い講義室にポツンと残された俺は、いつもの癖で出口から一番近い最後方の席に腰をかけたのだが……


「いやいや、さすがにこれは感じ悪いよな……」


 そう思い直して、最前列の教壇の正面に座り直すことにする。学生時代——いまだ本来の身分は学生なのだが——これだけの積極性を発揮できてさえいれば、もう幾分かは成績もマシになり、教授の覚えもめでたく、ついには揺るぎのない内定を勝ち取ることができていたのかもしれないとは思うが、異世界に放り出されてしまった今となっては盛大な後の祭りだ。

 そうして所在なくロッサを待つこと半刻ほど——


「おまたせ」


 開け放たれた講義室の扉。そして姿を現したその人物を目にして、俺は唐突に理解した。


 この世界に来てまだ日が浅いとは言え、そんな俺でもここが中心街の一等地であることぐらいはわかる。そんな場所にこれだけ広大な敷地を有し、いかにも豪奢な建物をして我が家だと言い放つ。一介の冒険者にそんなことができるわけないのだ。

 しかし、今、俺の目の前に立つその女性を見れば、すべてに合点がいってしまう。


 赤く長い髪をトップでお団子に丸め、三角の伊達メガネがキラリと光る。極端に短いタイトスカートからは赤髪とは好対照な白い脚が伸び、やや大きめのロングジャケットが勿体ぶるかのようにその見事な体型を見え隠れさせている。

 長杖を教鞭に持ち替えたその人は、カツカツとわざとらしくヒールの音を講義室に響かせ——


 バチン!


 立ち上がったまま呆ける俺の目の前で、教卓を教鞭で打ったのだった。


 是非ともご指導を賜りたい——男だろうが、女だろうが関係なく、そう思わせるだけの引力が彼女にはあった。つまりそういうことなのだろう。


「じゃあ、話をきかせてもらおうかしら」


「話って何を? てか何で着替えたの?」


「この場所ではこの格好の方がしっくりくるのよ。そんなことはどうでもいいの。早く話を聞かせてちょうだい」


「だから何の話を?」


「はぁ……」


 深くため息を吐いたロッサは、手にした教鞭で俺の顎をクイッとやる。


「出来の悪い生徒ほど可愛いのも確かだけど、しらを切ってるなら、センセイ、怒っちゃうわよ」


 俺はゴクリと唾を飲み込む。このドキドキ感はいったい何だろう。そういう性癖は待ち合わせてなかったはずなんだけどな……


「ねえ、クライ。あなた、さっき黒い靄が見えるって言ったわよね」


「あ、ああ……でも、それが何だって言うんだ? あんだけ気持ち悪くウネウネしてたんだから見えない方がおかしいだろ?」


「見える方がおかしいのよ」


 間髪入れずにロッサが俺の言葉を否定する。


「いやいや、ロッサだって見てただろ? だってあんなに……」


「私には見えないわ。あのとき、あなたが見えるって言った『白い光』だってそう。私には見えないの。いいえ、誰にも見えないのよ」


 そう言うロッサの目にはどこか寂しさが宿っている。


「ねえ、クライ、あなた一体何者なの?」


 何者かと問われれば、日本の大学四回生にして、就活失敗、年齢イコール彼女いない歴の、職無し、金無し、彼女なし。未来もなければ、夢も希望もない。もはや生きる価値もないのではと疑われ始めた二十二歳、男性。もうすぐ無職。

 この世界から見れば異世界人ってことになるが、それを言うわけにもいかないので、嘘なく答えるとすれば——


「迷子? かな?」


「本気で言ってるの? もし嘘なのだとしたら——」


「今度は嘘じゃないっス」


「今度は?」


「いやいや、こっちの話。嘘じゃない。絶対に嘘じゃない。水の神に誓って」


「……まあ、いいわ。とりあえず今のところは信じてあげる」


 ふう…あぶねー。自分で言っておいて何だけど、今度はって何だよ、今度はって。危うく要らぬ誤解を招くところだったぜ……ってか、前回も同じ間違いをしでかしてたんだった。


「なあ、ロッサ。聞きたいことが色々あるみたいだから、聞かれたことには誠意をもって答えるよ。俺だってあらぬ疑いをかけられたりするのは本意じゃないしさ」


 だから、とりあえずさっきみたいな冗談は一旦封印だ。


「でもその前にさ、俺とロッサでは議論のスタートラインがまったく違うんだよ。俺は魔法のことは本当に何一つ知らないんだ。だからさ、せっかくの機会だし、まずは俺に魔法のことを教えてくれないかな?」


 俺のことを射抜くような視線で見つめていたロッサだったが、俺がそう言うと、少しいつもの柔和さが戻ったようにも見えた。


「いいわ、教えてあげる。もともとクライが旅立つ前には基本のキぐらいは教えておかなきゃと思ってたところだしね」


 ロッサは黒板に向かうと、白いチョークを手に取った。


「後でテストするから、そのつもりで聞いてなさい」


 さて、ロッサの講義を要約するとだいたいこんな感じだ。


 まず、魔法とは、プネウマを物質あるいは現象へと変換する行為のことをいう。そしてこの変換行為に際して必要となるのが、神の加護。

 この青の大陸を例にとると、青の大陸で生まれたものは悉く水の神の加護を受ける。その加護を受けたという証が青い髪だ。

 そして、青髪の者たちがプネウマを物質あるいは現象へと変換しようとするとき、つまりは魔法を使おうとするときに、水の神の加護が作用し、その結果として、水が生まれ、あるいは水に関連した現象が生じることになる。

 端的に言うと、そういうことだ。


 では、ここで一つの疑問が生じる。プネウマとは一体何なのか、ということだ。


「概念よ。物質としての存在を証明されたものではないの」


 一昔前の量子みたいなもんか。知らんけど。


「じゃあ、もしかして、俺が見てる白い光がそのプネウマってやつなのか?」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわ。だって、誰にも見えていないのだもの。だからあなたも『白い光』とか『黒い靄』が見えるなんて軽はずみに言うのは控えた方がいいわよ。ただでさえクライは人とは違うんだから」


 人とは違う——って、ああ、これのことか。一人で得心しながら俺は自分の黒髪をくしゃくしゃとやる。


「なあ、ロッサ。もう一つ教えてほしいんだけど」


「何かしら?」


 三角の伊達メガネをクイっとやる姿がなんとも艶めかしい。が、そんなことは一旦脇に置いておくとして——


「さっきの話には『黒い靄』の話が出てこなかったよな。黒い靄って一体何なんだろう?」


「私にはわからないわ。何度も言うようだけど、見えないのだもの」


 ロッサはそう即答した。


「それもそうか。じゃあさ、質問を変えるけど、魔物も魔法を使えるのか?」


「半分当りで、半分外れね」


「と言うと?」


「じゃあ、早速テストするわね。『魔法』って何のことだったか覚えてるかしら?」


「プネウマっていう概念物質を加護の力によって物質や現象に変換すること——だったよな」


「正解」


 ロッサがにっこりと笑う。その笑顔が俺をふるふると震えさせる。

 も、もっと……もっと褒めてくれ……


「魔物はね、プネウマを使わないし、神の加護も受けていないと考えられているの。それが半分当りで半分外れの理由ね」


「つまり魔物は『プネウマではない何か』を魔力の源として魔法を使っているってわけか……」

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