第12話 商業組合をあなたへ②

「いびる——とは人聞きが悪いですね、ドット。私は、前途ある若者に商人としての基本のキをお伝えしたまでですよ。それに、私の『いびり』がこんなものではないことぐらい、あなた方はよくわかっているものと思いますがね」


 銀縁眼鏡の奥の鋭い眼光がドットを刺す。つい先ほどまでは俺を刺していたものだ。

 そのプレッシャーからようやく解放された俺は、「知り合いなのか?」と小声でドットに尋ねた。


「まあ……知り合い、というかな……」


「仕事上の付き合いですよ。私は冒険者組合部門の渉外官をしておりますので。冒険者パーティ・アークは私の担当です」


「ただの渉外官じゃねえだろ。次席渉外官様じゃろうて」


 次席——ってことは、その部門で二番目に偉いってことか……


「でも、なんでそんな偉い人が、窓口なんかで受付を?」


「窓口なんか?」


 レックは外していたはずの視線を再び俺へと戻し、「やれやれ」と大きくため息をつく。


「入口が最も厳しくあるべきだからですよ」


 商業組合に限らず、組合は法律上、来る者を拒むことはできないらしい。


「ですから我々商業組合では、新規加入の受付は各部門の主任級以上の者が持ち回りで担当し、こうして心構えを説いたり、不備を指摘したりしているというわけです。この商業組合という大きな船の乗組員になろうというのですから、これぐらいは当然でしょう」


 足手まといは入ってくるな——というニュアンスは多分に含まれてはいるのだろうが、それでも、大きな失敗をやらかす前にこうして指導をしてもらえるというのは、ありがたいことでもあるのかもしれないな。


「商人は常に自らのリスクやコストを最小化した上で、より多くの利益を得たいと思っているものです。相手よりも有利な条件で契約を結びたいと思っていますし、その結果として、相手が困窮したり、あるいは破滅したりすることもあるでしょう。ただし、これは『悪』ではありません。商人の世界では当然のことなのです。だからこそ商人には慎重さと誠実さが必要なのです。さて、クライさん、ここまでの説明を理解し、納得した上で、当組合への加入を希望されますか?」


「ええ、もちろんです」


 俺は今度も即答した。機を逸さず、決めるべきときに決める——これだって商人に求められる資質の一つだろう。


「ただし、注意事項にあるこの条項は何とかなりませんかね?」


 改めて加入申請書に目を落とすと気になる点がいくつかあった。この点を確認せずにサインをしていたら確かに激しく後悔することになっていただろう。

 レックさんとやらの言うとおり今後は契約の類には慎重に慎重を重ねなければいけないな。


 さて、その気になる条文はというと––––


 組合に加入した者は、加入した日が属する月の翌月から十二月の間、当該月の利益の二割五分に相当する額を組合に納入すること。

 はっきり言って無茶苦茶だ。


「これって、税金と組合費とは別にってことですよね。これだとたぶんやっていけないと思うんですよね。むしろ減免してもらいたいぐらいなんですけど……」


「この条件では納得がいかない、というわけですね。では、どのような条件ならご納得いただけるのでしょう?」


「できればこの条項の削除を。駆け出しの行商人の利益の二割五分なんて組合にとっては雀の涙でしょう? でも俺にとってはその雀の涙が貴重なんです。それこそ事業の継続に影響するほどに」


「しかし、塵も積もれば山となるというでしょう。徴収する対象がクライさんお一人であれば、確かに雀の涙でしょうが、対象が一万、十万ともなれば、それは大切な組合の運営資金となるのですよ?」


「一時的にはそうでしょうね。そこの貼り紙にもあるとおり、商人の世界で生き残っていけるのはほんの一握りで、その分新規参入者が多く、そこから金をとるっていう構図なのもわかります。でも、だからこそ、組合の支えがあれば生き残りのチャンスは増えると思うんですよ。そうやって生き残りを増やして、長期にわたって組合費を納めてもらった方が組合にとっても利があるはずです。そういう意味では、さっきも言いましたけど、最初の一年間は組合費の納入の免除もお願いしたいぐらいです」


「では、クライさんは、当初一年間について、利益の二割五分の納入と組合費の納入の免除を希望する、というわけですね」


 切れ長の目から放たれる眼光が俺を射る。

 俺の頬に冷や汗が走る。さすがに要求を盛り過ぎたか……

 しかし、そんな俺の心配をよそに、次にレックの口から発せられた言葉は意外なものだった。


「よろしいでしょう」


 レックは申請書の注意事項に取り消し線を引き、その上に修正印を押す。さらに、一年間の組合費の免除について記載すると、その傍らに自らのサインを書き込んだ。


「それでは、こちらに記載されている内容を理解し、ご納得いただいた上で、組合への加入を希望されるのであれば、ご署名をお願いします」


 ここにきて初めてレックが笑顔を見せた。

 その笑顔にもちろん俺も驚いたが、むしろドットの方がより驚いている様子だった。


「い、いいんですか……?」


 全面勝訴の様相だが、こんなにすんなりと要求が通るとは思わず、他に何か罠でもあるんじゃないかと勘繰ってしまう……


「大丈夫ですよ。我々窓口審査担当者にはこのくらいの権限は与えられています。これは投資なんですよ。一人の商人として、あなたの将来性に投資をする——ただそれだけです。リスクは小さく、リターンも期待できる。悪い話ではないでしょう?」


 さきほどまでのどこか事務的で冷淡な印象が嘘かのような笑顔でそう語るレック。

 そんな彼に背中を押されるように、俺は申請書に署名をした。


「シーラン連邦商業組合へようこそ。私たちはあなたを歓迎しますよ、クライさん」


 そうして差し出された手を、俺は力強く握り返す。

 これから先、幾度となく繰り返されることになる契約成立の儀式、これがその記念すべき第一回目となったのだった。




 帰り際、思いがけず出口まで見送ってくれたリックに、気になったことを聞いてみた。


「もし俺があのままサインしていたら、どうしてました?」


「もちろん歓迎していましたよ、クライさん。損して得を取るのも商人ですし、最初から得を取るのも商人ですからね」


「どのみち組合は得を取るわけですね」


 俺の苦笑いに、「もちろんです」とレックが返す。


「ただ正直に言うとですね、得をとれることはほとんどないのですよ。開業当初一年間の利益は多くの場合がゼロかマイナスです。設備投資の減価償却などで利益は相殺されますからね。それを見越した上で、当初の内容のまま署名される方もいらっしゃいますよ。組合としては、『得を取っている』というよりは『損をしていない』というのが実情です。ですから、クライさんのような方こそ組合にとって『得』となるのですよ」


 なるほど……っていうか、そこまで考えてはなかったな……


「もちろん、組合は組合員のことを損得だけで見ているわけでも、ましてや金蔓として見ているわけではありませんよ。組合は組合員の皆様のお役に立つようサービスを展開していますし、時には損得を超えたところでサポートもさせていただいています。ですから、何かお困りごとがありましたら、いつでも組合までご相談ください」


 良かった。最後にその言葉を聞けてちょっと安心した。

 損得だけでつながる関係なんてやっぱり少しイヤだもんな。


 俺はレックに礼を別れを告げて外に出る。

 オレンジ色の空に、夕食のいい匂いが流れている。


「あの人って、笑えたんだな……」


 そんなドットのしみじみとしたつぶやきが、空腹の胃に染みわたっていった。

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