第11話 商業組合をあなたへ①

 旅をするなら組合に入っておいた方がいいよ。どの組合だっていいからさ——


 アークの運営会議のときにミットにそう助言を受けた俺は、ある組合の門の前に立っていた。


「冒険者組合の方が気楽でいいんじゃがのう。本当にここでいいのか、クライ?」


 付き添いは言い出しっぺのミットではなく、ドットだ。


「いいんだよ——っていうか、俺、全然戦えねーもん。冒険者になんてやれねえよ」


「戦えない冒険者なんて山ほどおるわい。今日日、討伐やら護衛やらを専門にしている冒険者の方が稀じゃて。冒険者組合にいってみりゃあわかる。掲示板に貼りだされている依頼なんて、荷運びだの猫探しだの薬草集めだの、そんなのばっかりじゃわい」


「へえ、何でも屋みたいなもんなんだな。で、ドットはそれが不満だと?」


「なんでそう思うんじゃ?」


「だって顔に書いてあるじゃん」


 口調もそんな感じだったしね。


「別に不満なわけじゃないわい。いろんな者がおって、組合が大きくなるのはいいことじゃしな」


 そう言いながらも、ドットは不機嫌そうに豊かな青い顎鬚を撫でつける。


「ただ、冒険者の基本はサバイバルじゃと言うことじゃ。仕事の内容なんてのはどんなもんだっていいんじゃ。じゃが、いざというときは、必死で戦って、あるいは全力で逃げ切って、自分で自分を守らんといかん。近頃はそれがわかっとらん者が多すぎる」


「俺はちゃんとわかってるつもりだよ。だから、ここに来たわけだしな」


 シーラン連邦商業組合アーリム支部——見上げた豪奢な看板には、達筆な文字でそう書かれていた。


 組合に入ると、まずは順番待ちの木札とアンケートを渡された。どうやら待ち時間の間に記入しておかなければならないようだ。

 元の世界で内科に行ったときもこんなことさせられたっけ——なんて、まるで遠い昔のことのように思い出される。


 俺は羽ペンの先をインクで湿らせると、一番目の問いから順に答えていく。

 ドットはそんな俺の回答を興味津々といった感じで覗き込んでいる。


「詳しく聞いとらんかったが、行商人をやるつもりなのか?」


「そうだよ。この町で暮らしていくっていうなら、店を持ちたいとは思うけど。街から街へ、旅から旅へっていうなら、行商人一択だよな」


「まあ、それもそうじゃな……で、何を売るつもりなんじゃ?」


「決めてないよ」


 そう返すと、ドットは呆けたような面を見せた。


「売る物も決めずに商売を始めるってのか?」


「むしろ『決めるつもりはない』って言った方が正確かな」


 行商には大きく二つのやり方がある。

 一つは、特定の商品をひたすら売り歩くというやり方だ。魚の行商、肉の行商、書物の行商、武器の行商などなど、この町の中でも様々な行商を見ることができる。一定の売り上げが見込めるというのが大きな利点で、生業としてやっていくからにはそこは非常に重要なところだ。

 しかし、特定の商品で商売をしていくからには、その特定の分野で目が利くことが求められるし、安定的に仕入れるための取引先だって必要だ。

 それに、これらの行商人はどこでも商品を売っていいってわけではない。それぞれの行商人にはそれぞれのテリトリー、つまりは『シマ』があって、その中で商売をするっていうのが不文律だ。

 つまりは店を構えることとそう変わらない。というか、自分の店を持つためのステップとして行商人をやっている者がほとんどだろう。


 俺の目的は『生計を立てること』ではなく、『旅をすること』だ。だったら一つ目のやり方は俺にはマッチしない。

 だから俺は、もう一つのやり方で行商をやっていくことにした。それが『売る物を決めない』というやり方だ。

 つまり、ある街で良い物を見つけたらそれを仕入れ、次の街で売る。そうやって街から街へ、旅から旅へ。安く仕入れて、高く売る——これぞ商売の基本にして本質。

 旅の終着点、俺が元の世界に帰る方法を見つけたとき、一代では使いきれないほどの財を成しているかもしれない。そうなったとき、ここで築いた財産は持って帰れるのだろうか? それが叶わない場合、俺は泣く泣くすべてを諦めてまで元の世界に帰るのだろうか? 

 これは非常に難しい問題なので、今から真剣に考えておかなければならないな。


「長々と楽しそうに妄想しているところ悪いんじゃがなあ、クライ、起業一年後に生き残っているのは三割、そのうち五年後も生き残っているのはさらに三割——そこの貼り紙にはそう書いてあるぞ。こりゃあ、冒険者の方がまだマシじゃな!」


「だ、だ、だいたい、じゅ、十人に一人ぐらいは、い、生き残ってるってことだろ? よ、よ、余裕だよ、そのぐらい……」


「八番の番号札をお持ちの方、こちらにどうぞ」


 ドットの豪快な笑いと起業を志す若人の出鼻を挫くかのような貼り紙の文句にほんの少しだけ動揺しているところに呼び出しがかかり、俺は急いでアンケートの続きを書き込むと、窓口へと向かった。


 窓口では美しい青髪をきっちりと七三に分けたおじさまから、まるで自動音声案内かのような機械的な説明を長々と聞かされる。大学の講義で似たような経験をしていなければ、危うく何一つ頭に入ってこないところだった。

 そんな苦行のような時間がいよいよ終わりに近づいたころ、青髪七三おじさまが一枚の紙を俺の前に差し出してきた。


「以上の説明をご理解いただいた上で、こちらに記載のある注意事項及び免責事項にご同意いただき、かつ、当組合に加入を希望される場合は、ご署名をお願いいたします」


「は、はい……」


 青髪七三おじさまに気圧されるように、俺は羽ペンに手を伸ばす。


「お待ちください」


 しかし、同意書兼組合加入申込書に名前を書き込もうとする俺を止めたのは、意外にも、そうすることを促してきた青髪七三おじさま、その人だった。


「よろしいですか、クライ様。今、あなたが署名されようとしているものは『契約書』でございます。一度成立してしまえば、クライ様が死亡するか、私ども組合が消滅するか、あるいは双方の合意に基づきこの契約を破棄する契約が交わされるまで、クライ様と私ども組合を法的に拘束するものとなります」


 もしかして、怒ってる?

 さっきまでの機械的、事務的な態度とは打って変わって、そう思わせるほど青髪七三おじさまの眼光は鋭い。


「では、その上でお伺いします。クライ様は、ここに記載されている注意事項及び免責事項をすべてお読みになられましたでしょうか? いえ、それ以前に、私の説明に対して、何らご不明な点もありませんでしたのでしょうか? どうせ定型文だから大丈夫、皆がそうしているのだから問題ない——そのようにお考えになっているのではありませんか?」


「い、いえ……そういうわけでは……」


 図星を突かれては、小さくなるしかない。


「覚えておいてください。商人の商売道具として『商品』と並んで需要なのは『契約』あるいはそれを認(したた)めた『契約書』です。それは行商人であっても変わるものではありません。記載事項を『理解』し、内容に『同意』し、その上で契約することを『希望』するのでなければ、決して契約書に署名をしてはなりません。よろしいですね?」


「まあまあ、その辺にしとってやってくれんか、レックさん。そうやって新人をいびり倒すのはあんたの悪い癖じゃて」


 ぐうの音も出ず縮こまるばかりの俺に助け舟を出してくれたのは、ただのお飾りとして付き添いに来たとばかり思っていたドットだった。

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