第10話 決心をあなたへ
それから二週間ほどが経った。
朝起きてから午前中のうちに家の掃除や洗濯を終わらせて、自分で作った昼食をとる。
午後はロッサから借りた書物で勉強をしたり、街の散策をしたりしながら、少しずつこの世界に対する理解を深めていく。
アークの基地だというのに、日中彼らがこの家にいることはほとんどないし、たいていは夕食を済ませた後に寝るためだけに帰ってくるだけだ。それも帰ってきたり帰ってこなかったりなので、基本的には悠々自適な毎日を過ごしている。
そんなわけで、アイリスと出会って以来、夕食は『猫の手』で食べるのがお決まりになっていて、すっかりと常連客になってしまった。
美味い料理に舌鼓を打ちながら、アイリスと楽しくおしゃべりをする——こんな毎日がずっと続いてほしいなんて思ってしまうほど、この世界に馴染みつつあるのだが、そう思えば思うほど、ここでの幸せを感じれば感じるほど、いつか俺は元の世界に帰ることを諦めてしまうのではないか、という不安も湧き上がってくる。
いくら素晴らしい世界であっても、ここは俺にとっては仮初の世界。元の世界に帰るために、そろそろ次の行動に移るべき段階に来たのかもしれない。
衣食住を得られて、少しずつこの世界に関する知識も身に付いてきたことで、少し余裕が生まれた俺はそんなことを考え始めていた。
そんな俺にとって、今日は絶好の機会だ。
冒険者パーティ・アークの四人——いや、今は俺を含めて五人か——は、週末の夜だけは全員揃って食事をする。
基本的に自由奔放な人たちで、普段は単独行動が多いのだが、このときばかりは全員が集合して仕事の話をする。いわゆる運営会議のようなものだ。
俺はその場を借りて今後の相談をすることにした。
「仕事を探すにはどうしたらいい?」
「仕事? 今の仕事は不満かい? まあ、あまり気持ちのいい仕事ではないかもしれないけど」
俺の問いに最初に反応したのは、俺をパーティに迎え、仕事をあてがってくれたラッツだ。
ちょっと切り出し方がまずかったかな。気分を害してなければいいんだけど……
「いや、今の仕事には満足してるっていうか、仕事を与えてくれただけで感謝してるよ」
「あら、私もクライには感謝してるわよ? クライのおかげで今こうして私たちの基地で集まることができるんだから」
リビングのソファにゆったりと腰をかけたロッサが俺にウインクを飛ばす。
前回この家で運営会議が開かれたのは、彼らがこの家を購入した数年前のことらしい。
「そうじゃな、この家を買ったときよりもキレイになったぐらいじゃからな。しかし、今の仕事に不満がないんじゃったら、どうしてまた別の仕事を?」
「はい、はい、はーい! おれっち、わかるよ」
ドットの疑問に手を挙げたのはミットだ。
お前に俺の何がわかるんだ——ってか、あんまりいい予感はしないな……
「女の子のためでしょ? この前、蚤の市で出会った盲目の少女」
「女ァ?」
「ひどいわ! 私というものがありながら」
ドットがギロリと俺を睨み、ロッサは芝居臭くナプキンを噛んでいる。しかし、ラッツだけは少し反応が違った。
「盲目の少女? もしかして——」
「そうさ。あのときの女の子だよ」
「そうか。名は確か……」
「——アイリス。彼女のことを知ってるのか?」
世間は狭いのか、それともアイリスが有名人なのか。アークのメンバーがアイリスのことを知っていたとは意外だった。
「少し前にちょっとした事件があってね……」
「事件?」
不穏な言葉に俺がラッツに問い返すと、彼は頷いた。その表情からあまりいい話ではないということは明らかだ。
「彼女から聞いてないのかい?」
「ああ……」
アイリスからは何も聞いてはいない。ここのところ足繁く通っていたとは言え、何でも話せるなんていう深い間柄というわけではないのだから、それも当然と言えば当然なのかもしれないが、それでもほんの少しだけ胸にチクリと刺さるものがある。
「だったら、私たちの口から伝えるわけにはいかないわね。彼女が伝えていない彼女のことをあなたが知っているっていうのは、きっと彼女にとって気持ちのいいことではないわ」
ロッサの言うことは全面的に正しい。少しもやもやするというのが本音だが、アイリスがその『事件』について話してくれるのを待つことしか俺にはできないのだろう。
「それで、その娘に入れ込んで、金が必要になったってわけか?」
ドットが俺を睨んだままそう言った。ドットはいつもそうだ。
俺がロッサと話をしているときを中心として、俺の周りで女の話があると妙に突っかかってくる。自分がモテないからって、死なば諸共の精神で絡んでくるのは本当に迷惑だからやめてほしいものだ。
「アイリスは関係ないよ」
厳密に言うと関係がないわけではない。アイリスの前向きさ、ひたむきさに触発されて、決心することができたっていうのも理由の一つだから。
「旅に出ようと思ってるんだ。その準備のためには金がいる」
「旅!?」
ラッツが驚きに目を見開く。俺はそんなラッツに頷きを返した。
「この街はとてもいい街だ。ラッツたちにはとてもよくしてもらってるし、行きつけの店だってできた。いずれ自立して、この街で生きていくっていうのも悪くないんじゃないかって思ったこともあるんだ。でも、俺が記憶の一部を失っているっていうのはもう話したよな?」
四人が四人とも頷く。
「どうしてここに来たのか、元いた場所はどこにあるのか、どうやったら帰れるのか——俺には何もわからないんだ。でも、それでも俺は帰りたい。だから、それを探しに行きたいと思ってるんだよ」
俺の偽らざる本心の告白に、沈黙が流れる。そして、その沈黙を破ったのはやはりラッツだった。
「クライの気持ちはわかった。自分のルーツがわからないことへの不安や故郷を失うことの辛さは僕にも、いや、僕たちにもわかる。だからクライがそれを取り戻したいと言うのなら、喜んでそれを応援しよう。ただし、今のままではダメだ。今のままのクライが旅に出るというのなら、僕はそれに賛成はできないな」
「クライは全く戦えないもんね。すぐに死んじゃいそう」
「金も持ってないしの。野垂れ死ぬのが落ちじゃ」
「それに全くと言っていいほどものを知らないわ。理解力は高いし、私たちの知らないようなことを知ってたりもするのに、子どもでも知っているような常識は全くわかってないのよね。まるで違う世界から来たみたいに」
ラッツの言葉に乗じて、三人がストレートに俺のことをディスってくる。返す言葉が見つからないのが辛いところだ。
それにしても、さらっと核心を突いてくるあたり、ロッサはやはり侮れない人だ。
「僕たちは君が旅に出ることに反対しているわけじゃないんだ。ただ、君よりは旅の過酷さを知っているし、それを乗り越えるための準備の大切さも知っているってだけさ」
「今日、旅の話を切り出したのは正解じゃったな」
「そうね。私たちがみっちりしごいてあげましょう」
「オレっちたち全員に認められないと旅には出れないよ。いいよね、クライ?」
「ありがとう……みんな……」
得体の知れない俺を引き取ってくれたばかりか、ここまで親身になってくれている。
この世界の神が俺に与えた『チート』は彼らだったのかもしれない。だとしたら、その神には感謝しかない。
「さあ、それじゃあ、これから具体的にどうするか、みんなで考えようじゃないか!」
ラッツの号令で始まった運営会議は、白熱の下に深夜まで続き、やがてドットが酒を持ち出したのをきっかけに夜を徹しての宴会へと変わっていく。
俺が覚悟を決めて、その覚悟を『仲間』へと伝えたその夜は、こうして忘れがたい夜の一つとなったのだった。
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