第8話 蚤の市をあなたへ

 冒険者パーティ・アークの家の掃除を終えた翌日、休みをもらった俺は気分良くアーリムの街へと繰り出していた。

 この世界に放り出されてから初めての街の散策。楽しみと同じだけの不安もあったのだが、たまたま暇を持て余していたミットが付いてきてくれたのは僥倖だった。


「いい街だなあ」


 穏やかな昼下がり、明るい陽射しの中をのんびりと歩く。

 街路は馬車道と歩道が区分けされ、よく整備されている。その街路を挟んで欧風の建物が立ち並ぶ街並みだけを見れば、中世ヨーロッパを模したテーマパークのようだ。

 そこに非現実的なアクセントを加えているのは、街行く人々の青い髪。黒髪がメインの日本で育った俺からすると異様な光景ですらある。


「んで、どこ行くの?」


「適当にぶらぶらして、その後で着替えとか生活に必要な物を買って帰ろうと思ってるんだけど、ミットはどこか行きたいとことかないのか?」


「ん-、ないね。ああ、そうだ、特に目的がないんだったら、みなと広場に行くってのはどう? 蚤の市をやってるはずだからさ」


「蚤の市、ですと?」


 ふふふ……これは『来た』かもしれない。お待ちかねのチート鑑定イベントだ。

 異世界モノの定番と言えば、鑑定スキルを使って爆益無双。これがテンプレだ。そして俺は鑑定スキルを持っている。

 アークのゴミ屋敷の中から、どうやら俺にしか見えないらしい淡い光を発するガラクタ、もといオタカラをいくつか発見した。そのオタカラの価値はいまだ知るところではないが、それが真に価値のあるお宝であるのは間違いないはずだ。たぶん。

 そして、この『淡い光を発するオタカラ』を見抜く眼力こそ、この世界に転移するにあたって神が与えたもうたチート能力であると俺は確信している。心の底から信じている。信じなければやってられない。


「ま、あんまり期待しない方がいーよ。お宝なんてそうそう眠ってるものじゃないしね」


「ふっふっふ、知らないのか、ミット。そういうのはフラグっていうんだよ」


 お宝なんてあるわけない、からの、お宝大発見。これがお約束ってもんだろう。


 渡船場の前の大きな広場、そこでは百を超える出店者がシートを広げ、日用品から武器防具、価値のありそうな物からなさそうな物まで、思い思いの商品を並べていた。広場の一角には、賑わう買い物客をターゲットにした屋台が並び、いかにも美味そうな匂いを漂わせている。


 特に欲しい物があって来たわけではないので、多くの人々がそうしているように、俺たちもぶらぶらと無目的に店を冷かして回る。

 そんな中で、敷物の上に所狭しと並べられた工具の一つが気にとまり、俺は足を止めた。


「おう、兄ちゃん。何か買ってけよ」


 工具を前にして暇そうに座っているおっちゃんがそう声をかけてきた。

 俺は並べられた工具の前にしゃがみ込み、その中から一本の木槌を手に取った。


「掘り出し物が見つかった?」


「なあ、ミット。この木槌なんだけど……」


 その木槌は、よく見ると淡く白い光を発していた。


「なに? 普通の木槌に見えるけど?」


 やっぱりミットには、この白い光は見えていないようだ。先日のラッツのときもそうだったし、おそらくは店のおっちゃんにも見えてはいないのだろう。

 もしかしたら、俺には本当に鑑定スキルがあるのかもしれない!


「ああ、普通の木槌だな。でも、これを振ったら、金貨でも出てくるかもしれないぜ」


 そう言って内なる希望を誤魔化しつつ木槌を振り、それを見た店のおっちゃんは半分呆れたように笑った。


「そんなわけあるかよ、兄ちゃん。もしそうなんだったら売りになんて出してねえよ」


「それもそうっすね。おっちゃん、これ、いくら?」


「買うの?」


 ミットが少し驚いて口を挟む。


「ああ。掘り出し物かもしれないからな」


 ここまで色々と見て回ってきたが、光を発していたのはこれが初めてだ。これを逃す手はない。


「兄ちゃんには笑わせてもらったから、銀貨一枚でいいぞ」


 銀貨一枚——ぶっちゃけ、高いのか安いのかもわからない。

 仮に概ね十円玉サイズのこの銀貨の銀含有率が三十パーセントだとして、だいたい一グラムの銀と比較して、この木槌がそれだけの価値があるかを考えてみようとも思ったが、一グラムの銀の価値がわからないので、俺はすぐに無駄な考察をやめることにした。


 まあ、もしかしたらぼったくられているのかもしれないが、授業料だと思って、ここは言い値で払っておくか。これも勉強だ。

 一人納得して、俺はラッツから支払われた給料を入れた巾着袋を開く。

 しかし、ミットがそれを制して、またしても口を挟んできた。


「おじさん、いくら何でもそれは高すぎるよ」


「高くねーよ。掘り出し物だって、そこの兄ちゃんも言ってただろ?」


「クライは物の価値がわからないかわいそうなヤツってだけだよ。銅貨一枚!」


「それはあんまりだ。せめて銅貨五枚だ。もしかしたら、振ったら金貨が出るかもしれねえぞ?」


「出るわけないってさっき言ってたでしょ? 銅貨二枚! これ以上は出せないよ」


「ええい、持ってけ泥棒!」


 大袈裟に天を仰いだ後、店のおっちゃんが笑顔で右手を差し出し、ミットがそれを握り返す。どうやら売買契約が成立したようだ。


「お、おい、ミット。あんなに値切ってよかったのか?」


 金を払ってその場を離れた後、俺は恐る恐るミットに尋ねた。


「いいんだよ。初めから相手の価格設定もそれぐらいだったと思うよ」


「じゃあ、やっぱり俺、ぼったくられるところだったってことか」


「そうじゃないよ。この街の蚤の市では値切って買うのが当たり前なんだ。だから、売り手も最初は吹っ掛けてくる。値切りを通した売り手と買い手のコミュニケーションが蚤の市の醍醐味さ」


「なるほどなあ」


 丁々発止のやり取りに見えたが、じつは予定調和だったというわけか。これは一つ勉強になった。


「それにしても、どうしてそんな何の変哲もない木槌が欲しかったのさ?」


「木槌って便利だろ。出る杭は打てるし、俺の悪口を言う奴を叩きのめすこともできるしな」


 そう言って俺は、ミットに向かって木槌を振り上げた。

 さっきのやり取りの中で、さり気なく俺のことをディスっていたのを忘れてはないぞ。


「まあまあ、交渉術ってやつだよ。それにあながち間違ってるわけでもないでしょ?」


「そういうことにしといてやるよ。あながち間違ってはいないしな」


「そんなことよりおれっち、腹が減ったよ。クライ、何か奢ってよ」


「なんで俺が? ミットの方が金もってるじゃないか」


「そう。おれっちの方が金を持ってる。それは、おれっちが一流の冒険者で、時間当たりの報酬が高いからなんだ。そんなおれっちが、せっかくの休日に丸半日クライの護衛にあたっている。クライは物の価値がわからないかわいそうなヤツだけど、礼を欠いた愚かなヤツだとは思ってないんだけどなあ」


「チッ、しょうがねえ……」


 癪には触るが、ミットの言うことはもっともだ。それにミットの言葉は、俺が礼を欠くような愚か者ではないという点において大いに正しいのだ。

 渋々ながらも、俺は屋台のある一角へと足を向ける。


 そのとき、一人の少女が目に留まった。


 賑やかな喧騒の中にあって、真っ直ぐと背筋を伸ばして歩く彼女は、凪のように静かだ。

 そんな彼女の手に握られているのは——


「白杖……目が見えないのか」


 この世界で目が見えないということはどういうことなのだろうか。おそらくその苦労は、俺がいた世界よりもはるかに大きいに違いない。ふと、そんなことを思ってしまった。

 しかし、俺の勝手な同情をよそに、彼女は背筋を伸ばし、顔を上げて歩く。そして、すれ違いざまに見た彼女の凛とした横顔に、俺は勝手に胸を打たれてしまったのだった。


「クライ!」

「ひったくりだ! 捕まえてくれ!」


 放心した俺にミットが声を掛けるのと、遠くで男が叫ぶのはほぼ同時だった。

 我に返った俺のすぐ横を、目を血走らせた男が走り抜けていく。

 そして——


 ドンッ!


 短い悲鳴とともに、白状の少女が倒れ込む。


「ちくしょう、邪魔しやがって!」


 同時に倒れ込んだ男は立ち上がるや否や、腹いせに少女を足蹴にしようとする。


「てめえ!」


 俺はどこにでもいるようなただの大学生、まともなケンカすらしたことのない品行方正な日本人だ。方や相手はファンタジーな世界の住人。まともにやりあって勝てる見込みは皆無だ。しかし、そんな勘定は頭に浮かんですらこなかった。

 気が付くと、俺は突沸した怒りに任せて、男に向かって駆けだしていた。


「なんだ、てめえ!」


 男が俺へと照準を変えて、拳を振り上げる。


 殴られるのは痛いんだろうな……ほんの一瞬だけ、そんな考えがよぎる。

 しかし、大丈夫だ。俺は殴られたことがない。殴られたことがないからその痛みは知らない。無知であればこそ、戦える!

 その一発をもらう代わりに、捨て身のタックルを浴びせてやる。


 覚悟を決めて奥歯を噛む。顎を引き、目指すは男のどてっ腹。

 あと三歩——

 二歩——同時に、男の振るった拳が俺へと迫る。


 あと一歩——そこで視界から男が消えた。

 そして男の代わりに勢い余った俺を受け止めたのはミットだった。


「いい買い物をしたね、クライ」


 ミットは手にした木槌を振りながら笑い、その足元にはひったくりの男が伸びていた。


「ごめんよ。処理する順番を間違っちゃったみたいだ」


 よく見ると、ミットの隣では、男がもう一人気を失って倒れていた。


「お手柄だったね、クライ。さすがはアークのメンバーだ」


「あ、ああ、ありがとう——って、そんなことより——」


 ミットへの礼もそこそこに、俺は倒れていた少女を抱き起こす。


「大丈夫ですか?」


「は、はい。あ、あの、ありがとうございました。助けていただいたんですよね?」


 少女は状況がうまく呑み込めず困惑していた。


「そうだよ。君にぶつかって倒れたひったくりが、腹いせに君を足蹴にしようとしてたんだ。そこを彼、クライが助けてくれたってわけ」


「お、おい、ミット。助けたってほどじゃ……」


 現に俺は何もできていない。助けたのはミットだ。

 しかし、ミットの言葉を真に受けた少女は、立ち上がると、俺に向かって深々と頭を下げた。


「すなんですね! 本当にありがとうございました。あなたは命の恩人です。あ! 何かお礼をしなきゃ! でも、あいにく今お渡しできるようなものが何もなくて……そうだ、もしよろしければご住所を教えていただければ、今度お礼をお持ちします。ぜひ! ぜひ、そうさせてください」


「ちょ、ちょっと待って。お礼はもう十分だから」


 先ほどの凛とした顔から打って変わって、慌てふためく少女の姿はコミカルで可愛らしい。こんな姿が見れただけで、無謀にも突っ込んだ甲斐があるってもんだ。


「そんなことより、怪我はないかい?」


「はい! お陰様でこのとおりピンピン——あ……あれ?」


 彼女が腕を上げると即座にその違和感を感じたようだ。そして俺には、彼女よりも明確に、その違和感の原因がわかってしまった。


「白杖が……折れてる」


「ど、ど、ど、どうしましましょう……」


「白杖がないと歩けないんだよな?」


「……はい。家の外では……そうです」


「じゃあ、クライが家まで送ってあげなよ。おれっちは、コイツらを市警に突き出してこなきゃなんないしさ」


「君が嫌じゃなければそうしよう。どうかな?」


「………………そんなことまでお願いするわけには……」


 深い沈黙の後、少女は小さくそう言った。遠慮しているというのもあるかもしれないし、見ず知らずの男に家まで送られるのが嫌というのもあるかもしれない。

 しかし、俺としても、白杖を失った盲目の少女をこのまま放り出して帰るわけにはいかない。


「これは君のために見せかけて、俺のためなんだ。君をこのままここに置き去りになんかしたら、うちのボスに怒られちゃうし、俺だって寝覚めが悪いからね。もし君が嫌なんだったら別の方法を考えよう。でも、そうじゃないなら、俺に君を送らせてくれないか?」


「…………お願いします」


 真っ赤に顔を染めて俯いた少女は、呟くようにそう言った。

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