第7話 白い光をあなたへ

「おはよー……って、あら! たった一日ですごく見違えたじゃない!」


 もう昼前だというのにまだ眠そうな顔をしたロッサが、屋敷に入ってくるなり感嘆の声を上げた。


「おはようございます、ロッサさん。よく起きてこられましたね」


 まさに蟒蛇という言葉がぴったり。昨日の夜はそんな飲みっぷりだった。

 今日の掃除当番だとは聞いていたが、とても起きてはこれないだろうと半ば諦めていたところだった。


「まあ、まだ頭は痛いんだけどね。でも、クライが頑張ってくれてるんだから、私もいつまでも寝てられないでしょ」


「助かります。じゃあ、早速ですけどロッサさんの部屋から片付けちゃいましょう」


「はいはーい」


 きれいになりつつある屋敷にご満悦な様子でロッサは階段を上がっていく。朝一から廊下と階段の掃除を頑張った甲斐があるってもんだ。


「ここが私の部屋よ。どう?」


 三階にある自室のドアをロッサは自信満々に開ける。


「こ、これは……」


 ロッサの発言と性格から相当ひどい状態であることは覚悟していたが……


「……きれいだ」


「あら、ありがとう。クライもいい男よ」


「あ、当然ロッサさんは綺麗なんですけど……部屋も……」


 ベッドとテーブル、そして窓にカーテンが吊るされているだけの簡素な部屋。埃は被っているものの、俺の想像よりははるかにましだ。


「使ってないからね。私、別に部屋を持ってるから」


 なんでもロッサにとって、冒険者は仮初の姿らしく、彼女の本職は『魔法研究家』なのだそうだ。

 学問としての魔法ではなく、実践として使える魔法の研究や開発をしているらしい。主宰する魔法教室の生徒はあわせて三百名を超えるというから驚きだ。


「どうして冒険者をやってるんですか?」


「付き合いみたいなものかしら。それに開発した魔法を実戦で使うのにもいいのよね。さ、そんなことより早く終わらせちゃいましょ」


 とは言っても片付ける物はほとんどないので、埃を払って掃き掃除と拭き掃除をするだけだ。


「それじゃあロッサさん、ここのベッドとカーテンを洗ってもらってもいいですか。ラッツさんには、ロッサさんが魔法で洗ってくれるって聞いたんですけど」


「いいわよ。よおく見ておいてね。これも私が開発した魔法なんだから」


 そう言ったロッサは、長杖をベッドに向けると精神を集中させる。

 すると、ロッサの体を包んだ白い光が長杖の先端に向かって集まり、やがて大きな塊となっていく。ジャングルで見たときと同じだ。


 ロッサが長杖を振ると、白い光の塊がベッドに向けて飛んでいく。そして、それは限りなく透明に近いブルーの水となってベッドを包み込んだ。

 とても不思議な光景だ。

 その水は重力に屈することなく薄い膜のような形でベッドの周りに留まり続けている。


「そろそろ頃合いね」


 ロッサがもう一度長杖を振るうと、ベッドを包み込んでいた水が引き剥がされて大きな水球を形作る。

 限りなく透明に近かったその水は、少し黒ずんでいるように見えた。


「はい、終わったわよ」

 

「す、すげえ……ってか、俺の昨日のがんばりっていったい……」


 改めて魔法を見せつけられると、ここが異世界であることを実感させられるとともに、そんな異世界にあって魔法を使うことのできない我が身を呪うばかりだ。


「どうだった?」


 俺の嘆きにも似た呟きを聞いたロッサが胸を揺らす——もとい、胸を反らす。


「いや、ほんと、すごかったッス。白い光があっという間に水に変わったかとおもったら、あっと言う間にベッドもシーツもピカピカ——」


「ちょっと待って」


 嘘偽りのない称賛の言葉を遮ったのは、その称賛の対象たるロッサだった。その顔には、つい先ほどまで貼り付けられていた笑顔はない。


「今、何て言ったの?」


「え? いや、すごいって……」


「その後よ」


「あっという間にベッドもシーツもピカピカだって——」


「その前よ」


 ロッサが急かすように問い質す。


「クライ、あなた、私が魔法を使っているときに『白い光』が見えたの?」


 いつも綺麗で優雅でいい匂いがするかのような雰囲気のロッサには似つかわしくない鬼気迫る勢いで俺に詰め寄ってくる。 


「嘘じゃないわよね?」


「今度は嘘じゃないッス」


「今度は?」


「すみません、こっちの話です……でも、白い光が見えたっていうのは、嘘じゃないです」


 そもそも嘘を吐く理由など皆無だ。だいたい俺は、魔法も使えなければ、この世界の常識だって知らないんだ。魔法を使うときに白い光が現れることも当然のことだと——


「もしかして?」


 そうじゃなかったのか?

 これは見えてはいけないものだったのか?


「……私、まだ少し頭が痛むから、悪いけど今日はも帰らせてもらうわ」


 突然表情を失ったロッサが視線を床に落としたままにドアへと向かう。どこか寂し気な雰囲気が漂っているのは気のせいではないはずだ。


「あ、あの……」


 何か気に障ることを言ってしまったのだろうか——そんな不安がよぎる。

 ロッサに、アークに見放されてしまったら俺はこの世界で生きていけない。

 ロッサの心配よりも自分の心配が先に立ってしまう。そんな矮小な人間性が俺の顔には滲んでいたかもしれない。


「ねえ、クライ。その話、絶対によそでしちゃダメよ」


 俺に視線を合わせることなく、それだけ言い残すと、ロッサは部屋を出て行ってしまった。


 急な展開に思考がついていかないが、俺の言動とそれに対するロッサの反応が好ましいものでなかったことは間違いない。

 理由が分からないのが苦しいところだが、今はそのことは考えてもしょうがない。当のロッサは帰ってしまったわけだし、ここで追い縋って理由を訪ねることもできない。

 そもそもロッサをはじめアークの面々とはまだ知り合ってから日も浅い。もう少しロッサと親しくなって、信頼を得られるようになれば、理由を教えてくれることもあるかもしれない。


「うだうだ考えていてもしょうがねえ!」


 とりあえず今の俺にできることは、ロッサの忠告を守ることと部屋の掃除を頑張ることだけだ。


「もうひと踏ん張り、頑張りますか!」


 信頼を得るための第一歩は兎にも角にも与えられた仕事を完遂することだ。

 そうして一人取り残された俺は、日が暮れるまで屋敷の掃除に奮闘したのだった。


 それからひたすら掃除に励むこと三日間。

 キレイだったのはロッサの部屋だけで、残る三人の部屋は見るに堪えない有様だったが、食い扶持のためだと歯を食いしばり、とうとう約束どおりに三日で屋敷の掃除を終えたのだった。

 とは言え、なんとか期限内に終えることができたのはロッサのおかげだったりする。

 突然ロッサが帰ってしまった翌日、当番でもないのに再びロッサが顔を見せ、まるで何事もなかったかのような様子で、掃除の手伝い——主に水魔法による洗濯をしてくれたのだった。

 残念ながら、白い光の話やそれを他人に言ってはいけない理由などを聞くことはできなかったが、兎にも角にも、ロッサが普通に接してくれただけで救われた気分だった。

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