第4話 出会いをあなたへ①
俺の死は、黄金色の毛皮に美しい斑紋を纏った獰猛な四足獣の姿をしていた。
その体躯は象よりも大きく、スラリというよりもムキムキとした筋肉質。花型の斑紋の中に黒斑があるその模様を見るに、ジャガーの類だろう。
体表からは黒いモヤモヤが漏れ出ており、その巨体に絡みつくように気味悪く蠢いている。
消えた扉のその先に突如として現れたそれは、ナイフよりも鋭いであろう牙を剥き出しにして、俺を睥睨している。
彼我の距離はおよそ二十メートル——その獣からすれば、たった一歩で俺を狩ることのできる距離だろう。
逃げなきゃダメだ、逃げなきゃダメだ、逃げなきゃダメだ——
恐怖でガチガチと奥歯を鳴らす俺に、脳が最大級の警告を送ってくるが、脊髄は一足早く死んでしまったかのように、何の反応も示さない。
ジャガーの化け物がそんな俺を見据えたまま、重心を後ろにかけて体を縮める。
次の瞬間——俺の体よりも大きく開かれた顎が、眼前にあった。
誰か、誰か、誰か——
「助けてくれえエェェェー!!」
俺は両腕を目の前に突き出し、顔を背けた。
せめて、痛くしないでね。
半ば諦めの気持ちを込めて、そう祈りながら。
ズドオォォォォン!!
「大丈夫か!」
爆音が響いた直後、俺の前方、ちょうど最初にジャガーの化け物が立っていた場所に、頭部が爆ぜてピクリとも動かなくなったそれが転がっていた。
「た、助かった……のか?」
後ろを振り向くと、弓を背に担ぎ、短刀を持った身軽そうな少年がこちらに向かって駆けてきていた。
「おい、ミット! 状況は?」
その後ろから走って来ている長剣を持った男がそう叫ぶと、ミットと呼ばれた身軽そうな男は、俺の前まで来て立ち止まり、「無事みたいだよ」と答えた。
それを聞いた長剣の男は走るペースを緩め、そこに長杖を持つ女が追いついてくる。女は「ちょっとー、置いてかないでよ」などとと愚痴っていた。
「やあ、無事でよかった」
俺の前まで来てから長剣を鞘に納めたサラサラの青髪をした男は、口角を上げてイケメンスマイルを見せた。
ここでようやく我に帰った俺は、眼前の長剣の男の脚に縋り付いた。
「た、た、た、助けて、助けてくれたんですね! あ、あり、あり、ありがとう、ありがとうございます」
「まあまあ、落ち着きなよ、おにいさん」
青髪短髪の斥候風の姿をした少年が俺の肩を叩く。
「ミット、君が何かやったのか?」
「いんや、おれっちが来たときには、もうこの有様だったよ」
「じゃあ、君がやったのかい?」
「え? いやいや、俺にそんなことできるわけないじゃないっすか。助けてくれたんですよね?」
俺はミットと呼ばれた少年に顔を向ける。
「いや、違うよ」
「え?」
「え?」
俺たちは互いに首を傾げながら、顔を見合わせる。
「でも、この子の言うとおり、この子にアレをやるっていうのはちょっと無理なんじゃない?」
両腕を組んで、これまでの人生で一度も目にしたことのないような豊満な胸を強調しつつ、ウェーブのかかった長い青髪の美女が、頭部の爆ぜた化け物へと視線を向けた。
「確かに、あんなにでかいジャグワの頭が木っ端微塵だもんな」
「でしょ?」
そう言って青髪の美女が俺に視線を移すと、三人の視線が俺に集まる。
「黒髪だからな……」
「珍しいよね。俺っちも初めて見たよ」
「黒髪が珍しい? 俺からすると青髪が三人も揃っている方が珍しいと思うんですけど」
俺がそう言うと、三人は顔を見合わせ、一斉に吹き出した。
「君はこの大陸の出身じゃないんだね。青髪なんて珍しくともなんともないよ。この大陸で生まれる者は皆、青髪なんだからね」
何だよ、そのファンタジー設定は……
「とにかく一度僕たちのキャンプに戻ろう。暗くなってからここを出るのは面倒だからね。ロッサはこの人を頼めるかい。ひどくはないが、怪我はあるようだし。ミットはジャグワを見てきてくれ」
長剣のイケメンがテキパキと指示を出す。
「しょうがないわね。今日は特別サービスよ」
ロッサは妖艶な笑みを見せると、長杖を俺に向けた。
ロッサの体が淡く光ったかと思うと、その長杖の先端にすごい勢いでキラキラが流れていく。そして、ロッサが杖の先端をくいっと上に向けた瞬間、温かくもあり、冷たくもある、そんな不思議な温度感の水が俺を包んだ。
キラキラとしたその水は、次の瞬間には、その輝きとともに消失した。不思議なことに服や体は一切濡れていない。それだけではない。体中の擦り傷も叩きつけられた背中の痛みもきれいさっぱり無くなっていた。
「こ、これって……」
「なに? 水魔法治癒(ヒール)がそんなに珍しいの?」
珍しいとか、そんな問題じゃないだろう。だって、これって——
「魔法……ですか?」
「そうよ。水魔法」
魔法——それは、ファンタジーそのもの。ファンタジーっぽいなんて生半可なものではない。ザ・ファンタジーだ。
なるほど。つまり、ここは元いた地球ではないってことだな。
認めたくはない。言いたくはないが……
「ここは、異世界か……」
そう呟いた俺は、がっくりと項垂れた。
異世界転移モノは好きだけど、俺が異世界転移したかったわけじゃないんだけどな……
⚫︎
「名は何ていうんだい?」
青髪の三人組に連れられて、俺はジャングルを背にした狭い浜辺に来ていた。
辺りは完全に闇だ。空を見上げても、月どころか星一つ見えない。三つ並んだテントの中央に焚かれた火が唯一の明かりだと言ってもいい。
「暗井といいます」
「クライか。僕はラッツ。一応このパーティのリーダーをやっている」
青髪の美青年が右手を差し出してくるので、それを握り返す。
「君の左がミット。斥候をやってもらっている。こう見えて弓の名手だ」
「こう見えて、は余計だよ」
そうぼやきながらも、「よろしく」と手を差し出してくるミットと握手を交わす。
「その隣が——」
「ロッサよ。魔法が得意なの。この中では一番かな」
そう言ってロッサが投げキッスを送ってくるので、俺はそれをありがたく左頬で受け止めた。
何と言うか……美しい。
「ババアが若いもんをからかうんじゃ——グブゥフオッ!!」
ロッサの長杖が、髭面のおっさんの頬を打つ。
殴られたおっさんは、砂浜の上に横倒しになり、鼻血をぶちまけながら砂を噛んでいる。
殴ったロッサはと言えば、無言で冷たい笑顔を貼り付けたまま、おっさんを一瞥しようともしない。
何と言うか……怖い。
「い、今、殴られたのがドットだ。キャンプの番を任せていたから、さっきはいなかったね」
「おう、ドットだ」
青髪青髭のおっさんが、殴られた頬を撫でながら起き上がる。
「壁役をやっとるんでな、訳もわからず理不尽に殴られても、このとおりピンピンしとる」
あまり説得力が……
それに理不尽に殴られたというわけでもないだろうに……
「それにしても黒髪とは珍しいのう」
「それなんですけど——」
ドットが、よほど珍しいのであろう黒髪のことについて触れたの機に、さっきから気になっていたことを聞いてみることにした。
「黒髪ってそんなに珍しいんですか? それに、なんというか、『あまり良くないこと』みたいなニュアンスが含まれているような気がして……」
「良くない、と言うか……ねぇ?」
ロッサが少し言い辛そうな感じで、ラッツに顔を向けた。
「黒髪が珍しいのは確かだよ。僕も話に聞いたことがあるだけで、君に会うまでは実際に見たことはなかった」
「おれっちもないなぁ」
「ワシは一人だけ会ったことがあるのう」
「まあ、珍しいのは珍しいけど、いないわけじゃないからねぇ」
「それで、髪が黒いと何なんですか?」
「黒いから何だ、という話ではないんだよ。髪の色はね、結果なんだ」
順を追って説明しよう、とラッツが俺に向き直った。
「この世界には六つの大陸があるのは知っているね?」
「いや、初耳です……」
俺は首を横に振る。
「じゃあ、そこからだね」
ラッツは馬鹿にするでもなく、小枝を拾い上げると、砂浜に簡単な地図を描き始めた。
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