29:草食系オオカミくん
上から目線のオトコには飽きていた。
よくいるよね、「おれがリードしてやってんだ」て顔して歩くヤツ。
そりゃ昔は好きだったよ。けどね。
もうすっかり疲れちゃったの。そういうカッコついたヤツほど、ついたカッコだけで生きてるって。さすがにこの歳になっちゃうと見るべきものが見えてきてしまうのよな。
あーあ。これで騙されないで生きてける。もうじき三十路で気づくの、おせーっての。
それで、わんこを飼った。
イヌ科イヌではない。
ヒト科ヒト、ホモサピエンスわんこだ。
「ねー、まだあ?」
言いながら、わたしはソファにごろんしてテレビを見る。さながらおっさん。ポテチかじって焼きトンほっぽって、ビールの缶が積まれている。
異性のいる前でやっていいことでは、ない。そうのたまう理性は、バケツを両手で外に立たせたっきり、忘却の彼方だ。
ちなみに。
わたしが催促をしてるのは、同居人に頼んで作らせているおつまみの件だった。
「まただらしのない……」
「休みの日だからいいもーん」
同居人こと夏樹くんは大学二年生。実家のマンションのお隣さんで、よくお世話したものだった。
進学と同時に上京するは良いものの、家賃と生活費が心配だからと親同士の密約によって派遣されてきた。もう良い年したオトコとオンナだから間違いあったらどーするのとは訊いたけど、それならそれで良いよというのがご家族の返答だった。
『むしろ本人が「渚さんなら……」とか言ってるから気があるんじゃないの』とのこと。
ンなばかな。お宅のプライバシーポリシーはどうなってるのかと言いたくもなった。
わたしの知ってる夏樹くんは、悪くはないけど、格別良いわけでもなく。特撮ヒーローよりもおままごとが好きな子で、料理も裁縫も、家庭科全般が得意だった。
すごいっちゃすごい。だってわたしは家事が下手くそだから。
さる大手の化粧品メーカーに就職したは良いものの、生活がハードすぎて、仮初の家事能力も消し飛んでしまった。掃除もしない。排水溝に水垢べったりの風呂場とか、我ながら見てらんない感じだったけど、結局隠し切ることができなかった。
当日来た夏樹くんの、ちょっと陰った顔がもう忘れらんないのなんの。
あ、終わった、て感じ。
そんとき思ったんだ。
もうネコかぶって生きるのはやめだ。
そもそもネコ派じゃなくてイヌ派だし。
どうにでもなーれ。
わたしの人生ケセラセラってね。
それから二ヶ月。家で本性を隠すのはやめにした。
いちおう表向きはちゃんとキャリアって感じにするけど、その洗面台はやたら散らかってるっていうね。それすらも掃除してもらって、いまじゃそこそこキレイ。
ほんと。夏樹大明神サマサマ。
よかった。
で、飲んだらどうでも良くなった。
「変わりましたよね。渚さんも」
夏樹くんがおっとりとした口調で、だし巻き卵とか豆苗炒めとかを並べる。
わたしは夏樹くんプロデュースのおうち居酒屋を堪能した。
「ボクにとっては、渚さんは昔はなんでもテキパキやって、自分磨きに余念がなくて、すごくカッコよかったんですよ」
「じゃあもうすっかりゲンメツだよね。ごめんねえ」
「いいえ」
かたん、と皿を置く音。
「逆に嬉しかったんです。渚さんも隙だらけなんだなあ、て」
がたん、と机が揺れた。
「ほかの人に見せちゃダメですよ」
前のめりになって入ってきた声が、ちょっとだけ、乱暴で、でも温かくて。
やさしくて。近かった。
かーっと、のぼせたのは、いまごろアルコールが回ったからだと、そう思いたかった。
『ぼくはあなたのナイトになりたい』
ってか。
ちきしょう。結局わたしはこういうのが好きなんだ。無性に腹が立った、どこかでときめいてしまった自分に対して。
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