16:コーヒーは、今日も胸焼けするほどに甘ったるい。

「まあ、典型的な慣れ。……いわゆるマンネリですね」


 不機嫌です。そう言わんばかりの表情で彼女はそう告げる。

 本来この態度は好ましくないが、経験からこれで問題ないことを彼女は知っている。


「あら、やっぱりそうなのねぇ。でもマンネリって言われてもねぇ」


 こういう手合いは自分の世界に入り込んでいるので、多少雑に応対しようが気づかない。


 でもでも、なんて言いながら。想像から妄想へ。くねくねと身じろぎさせながら、女性はいろいろに考えを移行させる。

 まあ、なんだかんだで仲はいいようでよかった。そちらのほうが“仕事”もしやすい。

 対面していた女性――もとい患者の話を聞く。


 大学病院のその一室。

 他の科ならなんだそれはと一蹴されそうなそんな会話……ではなく診断さえも、大真面目にくだされたものである。


 恋愛科。

 恋の病という名の通り、恋情とは病の一種である。そんな世迷言のような言葉を発端とした、れっきとした診療科である。


「処方箋。出しておくので読んでくださいね」


「はぁい」


 妙な雰囲気を孕んだ返事を受け取りながら、女性を見送る。

 なお、処方箋と言っても薬を処方することは珍しく(症例によっては処方するが)。基本は患者に合わせた対処法を提示、纏めた冊子を渡すというもの。

 最初は口頭で伝えるのみだったが、覚えられるかというクレームが入ってからはこの方式になった。


 なお、冊子を作るのは担当医の仕事。

 つまり、仕事が増える。


「ええっと、現状がこんな感じだから……」


 いくつかのテンプレートを組み合わせて作るが、面倒なことには変わりない。

 なにより他人の色沙汰に向き合うため、口から砂糖をぶちまけそうになる。


 何が悲しくて独り身が他人の色恋の世話をせにゃならんのだ。こっちがして貰いたいくらいだが?


 文句が口をついて出そうになったとき。

 コトリ、と。机にカップが置かれる。


「先生、お疲れ様です」


 ふわりと、コーヒーの香り。

 ブラックでよかったですよね? という優しい声。


「ああ、うん。……比喩にはなるが、この仕事をしていると吐きそうなくらい甘ったるく感じるからね」


「ははは、笑えないですねぇ」


 苦い顔をしつつ、彼がそう言う。


 まあ、恋愛科には色沙汰のアレコレで患者がくる都合、不倫であるとか、血縁間であるとか。イケナイモノもあるわけで。

 実は砂糖を吐いていられるだけマシだったりするのだが。


「でも、頑張ってる先生の姿、とっても素敵で。俺、好きですよ」


「……からかってる暇があるなら、印刷した冊子を受付に持っていってくれ」


 適当な仕事をつけて彼をこの場から離す。

 冊子を手渡すと、彼は大切そうに抱えて受付へと小走りで向かう。


「全く。――こっちの気も知らないで」


 恋愛科の仕事は特殊すぎる都合、特別な待遇が存在する。

 各医師に一人、特別に担当の看護師が割り当てられる、というものだ。それも、指名権つき。

 その理由は、患者の層がアレなので、という医師への配慮からくるもので。

 つまるところ、選ぶ理由は“そういうこと”であり。


「君にそういう気がないのはわかってるんだが……」


 蔑ろにされる彼の気持ちを理解しつつも、自身の欲を押し付けてしまっている。


 コーヒーに口をつける。砂糖など入っていないはずなのに、胸焼けするほど甘いのは、さっきの患者のせいだろう。






 なお、彼女も知りはしないことだが。

 医師側の希望を募っているが、それが完璧に通ることは存外に少ない。

 医師側の希望のみで看護師を宛がっても関係がうまく行かないことが多いからだ。


 つまりどういうことかというと、看護師側からの希望もあって初めて成立する仕組みだということで。


 つまりは、


「もっと先生の力にならないと……!」


 まあ、そういうことである。

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