11:風渡る庭にて
シンシアが手鏡を置いて振り返ると、コニーは苦笑いで応じた。
「お嬢様、先ほどから申し上げておりますけれど、おかしなところなんてひとつもございませんよ」
「でも、気になるものは仕方ないでしょう」
ため息をついて、シンシアは窓に目を向けた。
庭に面した私室には午後の日差しが斜めに注ぎ、穏やかに明るい。風が開け放った窓から入りこんでいる。北部の夏の、澄んだ緑の匂いがしていた。
波打つ亜麻色の髪は丹念に
「だって、ルイスが帰ってくるのよ。わたくし、どんな顔で待っていたらいいのかわからない」
ルイスは、当家の跡取り娘であるシンシアの
彼は去年の秋から郷里を離れ、王都で寮生活をおくっている。王立学術院の高等科に入学を許されたのだ。学問に明け暮れて新年のお祝いにも帰らなかった彼とは、およそ一年ぶりの再会となる。かつてなく長い別離のあとだ。緊張しないわけがなかった。
「お庭にいてもいいかしら」
「もうじきいらっしゃるはずですよ」
「ほんの少しで戻るから。風にあたりたいの」
コニーはしぶしぶうなずいた。
この屋敷の庭には、壮麗なつるばらのアーチも整然とした生け垣の迷路もない。敷地の果てまで、周囲の自然を引きこんだような
シンシアは木々のあいだの小道を抜けて草原のほとりに至る。少しという割には歩きすぎだった。屋敷はもう見えない。
風が渡る。亜麻色の髪を乱す。ドレスがふわりとふくらむ。シンシアは顔をあげて空気の匂いをかいだ。慣れ親しんだ、花と草葉と土の香りが交じりあって鼻をくすぐる。
ふと気配を感じてシンシアが身をこわばらせた。草むらを踏みわけて黒髪の男が近づいてくる。シンシアの、遠い山脈とおなじブルーの目が見開かれる。
「ルイス!」
叫ぶと、彼は手をふって駆けてきた。そばに立てば背がずいぶん伸びたことがわかる。シンシアは彼を仰ぐ。夜の色の瞳がいたずらっぽく輝いた。笑顔に残された幼さが懐かしい印象をもたらす。
「どうして庭にいるのよ」
「すぐそこで、馬車の不具合で足止めされて。昔、塀に穴があるのを見つけたことがあっただろう? あれを急に思い出した」
「呆れた」
泣きそうな笑顔で、だけどいくらかほっとした様子で、シンシアは言った。
「変わらないのね。わたくしの知らない遠い世界に行ってしまって、うまく話せなくなっていたらどうしようって思っていたのに」
ルイスは微笑みを返す。そうすると急に大人びた雰囲気になった。
「いつも心を離れなかったよ、この庭も、あなたも。そもそも植物学を
旅の汚れを気にしてか、彼はシンシアに
「わたくしだって。この瞬間が夢なんじゃないかと思うほど、いつもあなたに会いたかった」
彼は彼女の手を静かにとり、軽い口づけを落とす。
「だったら、夢だと思っていて。庭で会ったことに気づかれないように」
緑の香りの風が吹いて、彼は彼女を離れた。草木がざわめく。金の陽射しがすべてをきらめかせる。祝福のごとく、夏の庭がふたりをとりまいていた。
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