第2話 参上、ルシファー・ラド・マキナ(自称)
物心ついた時にはすでに、
勇者ユウキの生きた世界とは常識が違う世界に生まれたために小学校あたりまで周りとは考え方が合わずに苦労したものである。
とはいえ、である。現代日本で十五年近く生活をすれば、一般常識を手に入れる機会はいくらでもある。
テレビや本、周りの人の会話などから積極的に一般常識に関わる情報を手に入れ、彼はなんとか現代日本での普通をそこそこに理解することに成功した。
……ただし、理解と実践は全く別の話である。
「勇輝、目立ちたくないならその包帯を取ったらどうだ? 中学生の時みたいな……その、なんだ、個性的な言動も抜けてきたんだ、その包帯がないだけでも変わると思うぞ」
朝食のためにリビングに来た勇輝に対し、出社の準備を進めていた父、一ノ瀬
視線の先は勇輝の左腕。
その腕には、手首から肘にかけて包帯がぐるぐると巻かれている。
「まあ、いろいろとあるんだよ」
「いろいろか」
「いろいろだよ」
まったくもって理由を話さないで誤魔化す。これが包帯のことについて聞かれた勇輝が長年続けた対処法だ。
そして拓也も、彼が包帯をしている理由を絶対に話さないことを知っているために、小さくため息をつくだけでそれ以上の詮索はしてこない。
椅子に座って朝食のご飯と味噌汁を食べ始める。テレビでは人気のオカルトスポットが特集されていた。家からそこそこの距離にある廃病院の特集を聞き流しながら、勇輝はテレビ画面の左上に小さく表示されている時計に注意を向ける。
表示は七時二十八分。ゆっくりと白米を口に運びながら、表示が三十分になるのを待つ。
「七時三十分になりました。朝の天気の時間です」
画面は切り替わり、天気予報士がフリップを片手に今日の天気を説明する。大半の人が片手間に見るであろうそのコーナーを、勇輝は箸を置いて食い入るように見ていた。
「東京の天気です。午前は曇り模様ですが、午後からは晴れになるでしょう」
「よっし!」
ガッツポーズをとり、勇輝は喜びを隠そうともしない。そんな息子を父親は笑っているような困っているような表情で見つめていた。
勇輝が天気にこだわるのは、ユウキ時代の影響がある。
かつて暮らしていたノクティアでは、世界は邪神の闇で覆われており空は見えなかった。古代の文献で太陽のような存在があると知っていたユウキだったが、残念なことに彼は邪神の封印と同時に死んでしまったので、闇がなくなった空を見ることはできていない。
そんな勇輝にとって太陽が見れる晴れの日は、それだけでテンションが上がるものだった。
「勇輝は本当に晴れが好きね」
キッチンから、お皿の整理をしている母、一ノ瀬
さらに、今日は高校への登校二日目だ。そんな日であればなおさら会話の話題に事欠かない。
「昨日が入学式だったから、実質今日が初めての登校みたないものね。どう? 友達はできそう?」
「いけると思うよ。包帯も夏服に変わるまでは服の下に隠せておけるから、その間に仲良くなっておけば後はどうとでもなる」
「外すという選択肢はないのか……」
荷物の整理が終わり、もうすぐ出かけるという拓也がぼそりとつぶやく。ぼやきは勇輝の耳に届いていたが、わざと聞こえないふりをした。
「それじゃそろそろ行くよ、勇輝も学校気をつけるように」
「はいはい、行ってらっしゃい」
玄関に向かう父に小さく手を振りながら、勇輝は残りのパンを口に放り込む。食事の後片付けをしていた理子は、一旦その手を止めて拓也を玄関まで見送りに行った。勇輝もちょうどご飯を食べ終わったところだったので、食器をキッチンに持っていく。
その後、自室で学校の準備をしているとすぐに登校の時間になっていた。母に見送られながら、まだ慣れない制服を着て通学路を歩き始める。
緊張と期待を胸に、勇輝は昨日の入学式を思い返す。
四階建ての校舎と体育館。建てられてから何十年も経っており、あらゆるところに落ちない汚れや傷などはあるものの、初めて登校する勇輝にとっては立派で綺麗な建物に見えた。校舎に踏み入れた時の高揚感は、ノクティア時代に王に謁見した時と同じようにすら感じたものだ。
入学式、クラス担任の簡単な挨拶。話しかけようかどうか迷いながら結局誰とも会話をしない生徒たち。登校初日にあるべきちょうどいい居心地の悪ささえ楽しい。
勇輝にとって良い思い出になった入学式。
……ただ、そんな入学式の思い出に、どうやっても無視できない異物が混ざっていた。
それは、彼のクラスメイトの女子生徒の存在である。
まだ自己紹介をしていないため、勇輝はその女子生徒の名前をまだ知らない。どんな人間かも分からない。
それでもなお、圧倒的印象の強さで今なお容姿が勇輝の頭から離れない。もっと悪く言えば脳裏にこびりついている。
小柄な体躯に、肩までかかる茶髪。解説をここだけにしておけばよくいる少女だが、問題はここからだ。
まず、右目の眼帯。医療用の白い眼帯ではなく、明らかに装飾品と分かる黒い眼帯だ。さらに十字架の刺繍入り。
次にチェーン。スカートの腰部分に、用途の分からないチェーンが二本ほど付けられていた。
さらには四月だというのに真っ黒なコートを着込んでおり、入学式にはコートを着たまま出席していた。
極め付けが教室で小さくつぶやいたこのセリフ。
「マナが満ちておるわ……。くっ、右目に封印されし暗黒竜ダークネスが……!」
深刻な『厨二病』である。
諸事情により勇輝も一時期そう呼ばれていたが、彼女に比べれば当時の勇輝などまだまだ一般人レベルだ。
当然、そんな彼女には誰も関わろうとしなかった。入学式だから、というのは関係なく、全員が距離を置こうとしていた。そして勇輝も、彼女が普通の女子高生になるまで関わらないようにしようとすでに決心を固めている。
(っと、もう学校か)
考え事をしているうちに、気づけば学校の近くまで来ていた。校門ではメガネをかけた理知的な女性の教師と、筋肉モリモリのジャージを着た先生が登校する生徒に挨拶をしている。
いまだ解けない緊張を胸に、校門へ向かう。
……しかし、その緊張は彼の望まない形でほぐれることになる。
「くはははは! 見つけたぞ、
芝居がかった声が校門前に響き渡る。勇輝を含むその場にいた全員の視線が声の発生源へと向けられた。
視線の先、校門から五メートルほど離れた位置に立っていたのは……昨日勇輝が関わらないようにと決めたあの女子生徒。
通常の制服に包帯とチェーン、コートを身に着けるという昨日と同じ姿で、さらには片手で顔を覆うという見ている方がイタくなる姿勢でまっすぐに勇輝を見ている。
勇輝と女子生徒の視線が合う。それはもうばっちりと、言い訳のしようもないくらい合いまくる。
……ただ、勇輝にはカースドレクイエムなどという二つ名はない。目が合ったのは気のせいだろうとなかばむりやりに判断した勇輝は、そのまま視線を正面に向けた。
「ふっ、まさか古の時を超え、このような場所で再び出会うとはな。やはり因果は終末に向け収束を……おい、無視するなカースドレクイエム!」
どこかのカースドレクイエムへの呼び声を無視し、勇輝は自然な笑顔で教師に挨拶をする。そのまま下駄箱へスタスタ歩いていく。
しかし、次の彼女の言葉には歩みを止めざるを得なかった。
「ま、待て! 一ノ瀬勇輝!」
自分のフルネームを呼ばれれば、さすがに厨二病少女からの静止にも従ってしまう。
きっと同姓同名の誰かだろうという勇輝の祈りにも似た考えは、残念ながら彼女の足音がまっすぐこちらに向かってきていることで否定されてしまった。
足音が勇輝の後ろで止まる。嫌な予感を感じながら勇輝が振り返ると、仁王立ちをしている彼女の姿が目に入った。
「くくく、ようやく止まったか
「……一ノ瀬勇輝は俺だけど、カースドレクイエムは間違いなく人違いだと思うよ?」
「カースドレクイエムは私が名付けた名前だからな。そう思っても無理はない。だがこの距離まで近づいて確信した。貴様はやはり……カースドレクイエムだ」
そういうと女子生徒は、断りもなく勇輝の左腕をつかみ袖をまくる。
「ちょっ、なにを……!」
まくられて出てくるのは、左手首から肘あたりまで巻かれた包帯。
勇輝が家族に何度指摘されても絶対に外すことのなかった包帯である。
「赤羽中学校の一ノ瀬勇輝、邪神が封じられているという貴様の噂は聞いているぞ?」
勇輝の頬を、冷や汗がゆっくりと伝っていく。目は泳ぎ、口はパクパクと開閉が止まらない。簡単に言えばパニクっていた。
瞬間、思い出したくない黒歴史が勇輝の脳内を駆け抜ける。
……それは中学時代のことである。勇輝は勇者としてではなく、普通の人間として生活をしようとしていた。
そのために聖剣や魔法も極力使わずに過ごしていたのだが、一つだけ致命的にどうしようもできない部分があった。
ユウキに封印された『邪神ギグル』の存在である。
ユウキが勇輝として生まれ変わる際に、魂に封印された邪神も一緒についてきてしまったのだ。
封印されているとはいえ、邪神をその身に宿す影響は少なからず出てしまう。
その分かりやすい例が、彼の左腕に浮かぶ封印の跡だ。
その見た目は、一言で説明すると動く入れ墨のようなもの。人に見せれば間違いなく騒ぎになる気味の悪い見た目である。
これを隠すため、奇異の目で見られることを覚悟の上で、勇輝は今日まで包帯を身につけ続けきた。
そんな邪神の魂は、たまに暴れ出すことがあった。
もしも勇輝がその暴走に負けて邪神を解放しようものなら、日本どころか地球全体が終わってしまう。
そうならないよう、勇輝は邪神の状態が安定する最近までずっと気を張った生活を強いられていた。
──そんな日々に疲れていたある日。
いつものように邪神が暴走した際に、勇輝は左腕を押さえながら……思わずこう言ってしまった。
「左腕に封印された邪神が……暴れてやがる……!」
初めてこのセリフを言った中学校の数学の授業で、周りから向けられる視線。
それを勇輝は今でもたまに悪夢で見る。
さらにこの事件以降も、何度か同じようなことしてしまった勇輝は、厨二病として学校で有名になってしまったのだった。
嫌な過去を思い出した勇輝は、未だ女子生徒に捕まれたままの左腕の少し強引に振り払い、動揺を隠すこともなく口を開く。
「なななな何のことかな、邪神? いやちょっと知らない名前だね、芸能人?」
「ふっ、そう焦るなカスレク」
「略すな」
「そう焦るなカースドレクイエム。……貴様からは、邪神の匂いがする」
略さなければいいってわけじゃない。そうツッコもうとしていた勇輝は、彼女の聞き逃せないセリフに思考が止まる。
(こいつ……邪神の気配が分かるのか……?)
「まさか、お前もノクティアの……」
「……? あ、ああ、そうだ。私も貴様の仲間だ」
彼女が一瞬だけ不思議そうな顔をしたことに、勇輝は気づかない。
それ以上に、ノクティアを知っている人間に出会えたことに喜びを感じていた。
「私の日本での名は
先ほどと同じように片手で顔を覆いながら彼女は元気な声で名乗りを上げる。
それに返事をしようとしたところで、予鈴が響いた。
「人間界に溶け込むために、授業には出ねばな。……積もる話は後にしよう」
真希と名乗った女子生徒は、高らかに笑いながら下駄箱に向かっていった。勇輝も二日目から遅刻するわけにはいかないと早足で後を追いかける。
いまだ戸惑いは残る勇輝であったが……それ以上に現代日本での初めて転生者と出会えた高揚感の方が何倍も強い。
内心では小躍りをするほど喜んでおり、表情にも感情は滲み出ていた。放課後になるまでずっと笑顔だったのが良い証拠である。
──ちなみに今の会話のせいで、勇輝は影でカスレクと呼ばれるようになっていた。
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