第37話

図書館14、

 

 問題の動画は、クラウド上のオンラインストレージに保存されていた。

 それが、セコウ氏自身の私室で撮影されたものであることは、確認済みである。画像に映っている調度類や壁紙などを、実際の私室と比較し、科学捜査機関が同定した。もちろん完全には、手の込んだ偽装の可能性を排除することはできない。極端な例でいうなら、どこかにセコウ氏の私室を模した撮影用のセットを造りそこで撮影したのかもしれない。だが、斯様な手間ひまをかけてまで「工作」をする理由を推定できた捜査関係者は、現在のところいない。よってひとまず動画の撮影場所は、実際の私室であると考えてよいだろう。

 また同様の理由により(つまり「工作」する理由が想像しづらいということから)、撮影された日時は、ファイルの作成時刻と推定されている。ちなみに動画は、死亡した日の午後五時三十三分から五十二分までのあいだに撮影された。死体発見の直前である。

 さて画像内のセコウ氏だが、位置関係でいうなら、私室のデスクの上に、ラップトップ型のコンピュータを置き、自分はデスクチェアに腰かけて、コンピュータと向き合っていると思われる。そしてアプリを起動して、ディスプレイ上部に内蔵されているカメラで自身の姿を録画した。画像はちょうど、オンラインミーティングするみたいな様子で映っている。

 セコウ氏はもともと、五十一歳という年齢にふさわしい落ち着いた風貌の持ち主だった。彫りの深い顔立ちは男性的で、嫌味でない程度に焼けた肌にも張りがある。髪は少し白髪交じりで、サイドがこざっぱりと刈り上げられて、少しだけ長いトップはオールバックというクラシカルなスタイルが、よく似合っている。清潔感のあるシルクのシャツ姿は魅力的だった。

 だが画像内のセコウ氏は、すっかり面変わりしてしまっている。

 いつもなら計算どおり入念にスタイリングされている髪の毛は、くしゃくしゃに乱れ、両方の目は落ちくぼんでいる。ギラギラと熱病めいたきらめきを放つその目が忙しなく動き、落ち着かない。唇の端に唾の沫がこびりついていて、涎が垂れても気にする素振りもなかった。

 以下は、動画の中身を書き起こしたものである。

 

《ジュウハチロウ・セコウ氏の残した動画》

 ……誰でもいい、第三者に……未知の人間に、自分のしてきたことを告白したくなるというのは、何らかの病の兆候にちがいない……以前、読んだ文章にはそう書かれていた……。

 確かにその通りかもしれない。いま私は、恐ろしい精神的プレッシャーにさらされながら、この無機質な機械へ向けてしゃべっている。これまでにしてきたことや、現在の自分の置かれた境遇について、率直に述べようとしている。遠からぬ未来……明日か明後日か……はたまた五分後にも私は、この世から旅立っているだろうから……

 

 ……どこからどう話し始めれば適切だろう。どのみちすべてを語り尽くすことなどできないのだから、要領良くまとめなければならないのだが……ああ……だが、まとまらない……今の混乱した私の頭では、上手く伝えることは難しい……

 

 ……いろいろ悩んだがやはり、自分自身の話から始めるべきだろう。ひとつだけ注意しておく。私がいま大変に混乱し、取り乱しているからといって、告白の中身を疑うことは止めにしてもらいたい。これから述べることは、少なくとも主観的にはすべて「真実」にもとづいている……もちろん私が狂っていないという保証は私自身にはできないが……

 

 ……はっきり言おう、私は人殺しだ。連続殺人鬼だ。十三歳の時に初めて殺人を犯して以来、これまでに二十九人の人間を殺してきた。今も未解決のままになっている大阪市の○○○事件や、神戸の✕✕事件は私の犯行である。多くのシリアルキラー同様、私の知能はその他大勢よりも高く、何度も警察や世間の目を欺いてきた。いま大阪にいる私の妻カツラコも、娘のナミヱとトヱ、あるいは会社の部下たち、仕事相手、長年の友人知人たちの誰もが、私の本当の姿について、夢にも知らないだろう……

 

 ……二十代の初め、関西方面で趣味を満足させられなくなった私は、当時すでに廃れていた関東平野へとやって来た。国に省みられなくなったこの地域でなら、より〈趣味〉に徹した犯行が行えると踏んでのことだった。そこで渦巻町、そしてオリタケ氏に出会った。当時オリタケ氏はすでに病におかされていて、後半生を傾けた〈図書館〉を守り引き継ぐ人間を探し求めていた。私は上手いこと彼の懐に入り込んで養子となり、〈図書館〉を引き継いだ。〈図書館〉と渦巻町は私にとって理想の狩場になる予感があった……さらに渦巻町を拠点とすることで、関東エリア全域での活動が可能になるだろうと……

 

 ……オリタケ氏が急逝し、私は相続人兼遺言執行者として、〈図書館〉を含む彼の所有物を受け継いだ。私はオリタケ氏の遺した物を隅々まで確認した。その中に、どうにも困惑させられ、価値の判然としない、不可解な品物があった。それは、さまざまファイルの収められたキャビネットの奥で見つかった品で、書類保存用とおぼしき古い鉄製の箱であった。他のファイルや書類は誰でも手に取ることができる状態なのに、その箱にだけは厳めしい鍵が掛かっていた。私はオリタケ氏が肌身離さず携帯していたレザーのキーケースを確認してみた。すると、そのうちのひとつが合致して、書類箱を開けることができたのだった。だが中にあった物は私をいっそう困惑させた。干からびた木の根に似た、土留色の物体があって、オリタケ氏の筆跡による支離滅裂なメモや走り書きが入っていただけだったからだ……

 

 ……オリタケ氏のメモには、彼奴きゃつの来歴が記されていた。それによればオリタケ氏が彼奴きゃつを入手したのは戦前のボルネオ島の密林で……いや……こんな言葉をいくら列ねても、その正体に近づけるわけじゃない……

 

 ……どうしてあんなことをしてしまったのか……好奇心にかられていたのか……それとも周囲と隔絶した魂の抱える、埋めようのない寂寥感のせいか……そう私は孤独だった……愉しみのために他人を殺して回る人間には当然の酬いであるが……あらゆるものを拒絶してきたのは私自身なのだ……

 

 ……少し疲れてきた。体力的にも、くだくだしく詳細を述べる余裕はなさそうだ。省略して結論を述べれば私は、オリタケ氏のメモを解読し……また数多の禁断の書物を読み漁ってその木の根をーー彼奴きゃつを〈復活〉させた……

 

 ……確かなことはひとつ、彼奴きゃつはものいわぬ物体、死骸ではなかった。いわば仮死状態で眠っていたようなもので……〈生きて〉いたのだ……しかしあれをなんと表現すれば良いのだろう……植物でもなければ、動物でもない……それどころか、地球上の、われわれが知る宇宙で想定し得る生命体のどれともかけ離れた……憐れなシロモノなのだ……むしろ〈生命〉とは似ても似つかぬものといっていいのかもしれない……

 

 ……初めて彼奴きゃつが見せた〈融合〉は無生物とのそれだった……まったくの偶然で私の胸ポケットから滑り落ちた万年筆が、彼奴きゃつのいる水槽に落ちた……私がそれを拾うよりも速く彼奴きゃつが万年筆に取りつき……取り込んだ……いかなる法則に基づくのか、あるいはこの宇宙の根本原理から逸脱した、異なる宇宙の法則によるものなのかはわからない……が……彼奴きゃつは確かにそれを成し遂げた……ヴィンテージのマイスターシュテュックは、ペン先の十八金も軸の樹脂もまるで蝋燭のように溶けて……彼奴きゃつと一体化した……それ以降、私は彼奴きゃつを使った実験に没頭するようになった……それが彼奴きゃつ賦活ふかつさせる道程だと知らずに……

 

 ……何回目かの実験で……彼奴はものの見事に犬と融合してみせた……がその結果、生成されたのは……身の毛もよだつシロモノだった……犬の一部はまだ普通に生きていた。頭部を含めた身体全体の右半分が溶け崩れてもなお、荒い呼吸をし続けていた……が……左半分はまるで消化されかけているかのように半透明のゼリーのようになっていた……原形質プロトプラズマに逆戻りしたみたく……溶け崩れた脚は千切れて、さらにぐずぐずの不定形な物体に変じていたが……それでもなお生きているのがわかった……自ずとふるふると蠕動していたのである……さらに恐ろしいことにその蠢くゼリーは……細胞だか分子だかのレベルで……取り込んだ犬を独自に解析しているようだった……なぜそうわかったかといえば、ほんの少し目を離した隙に、ゼリーが犬の後脚に変じていて……しかも増えていた……どちらかが本来の犬の脚でないことは明白だ……その脚は五本目の脚は……彼奴きゃつが生命を模倣したモノなのだ……

 

 ……私は禁忌を……越えてはならない一線を冒した……いや動物実験を行った時点ですでに踏み越えてしまっていたのだろう……ついに私は彼奴きゃつを私の獲物と……つまりは生きている人間と融合せしめた……しかもそうして出来上がったのは……犬の脚のような〈部分〉ではなかった……頭のてっぺんから足の先までひととおりそろった人間で……しかも取り込んだ人間とそっくりな見た目には区別がつかない存在であった……何よりも衝撃的だったのは……彼奴きゃつが喋ったことであった……始めこそぎこちなく鸚鵡オウムが人語を繰り返しているだけのようだったが……瞬く間に当意即妙の受け答えができるように急成長した……〈思考〉もまた人間と変わらないレベルのものになっていたのだ……

 

 ……もはやこのような変化を〈成長〉などという言葉では表現しきれまい……端的にこれは〈進化〉であり、何億年もの道のりを早回しで目の当たりにしているようなものだった……人間の形をとった彼奴きゃつは、ほんの数日で〈図書館〉内にあるもろもろの書物の知識を修めてしまった……このまったく別の宇宙からやって来たとしか思えぬ存在は、明らかに人間以上の知性をそなえていた……

 

 ……それを持ちかけたのが私だったか、それとも彼奴きゃつのほうだったか、定かでない。彼奴きゃつは私の度しがたい性癖を把握して、その後始末を買って出た……彼奴きゃつは自らの意志で原形質プロトプラズマに退化……いや〈逆進化〉することができるのだ……この半透明の物体はある種の寄生生物であり、生命体にとりつき、侵入し、生命体のエネルギーを搾取する……

 

 ……いつの間にか私に獲物の選択権はなくなっていた……私は彼奴きゃつに言われるがままに〈小説家〉ばかりを狙うようになっていた……どのようにしてだか彼奴きゃつには〈小説家〉を見つける嗅覚が備わっていたのだ……逆らうことはできなかった……私が哀れな被害者を捕まえているあいだ、彼奴きゃつはボスの〈木男〉の姿になって現れ、私をじっと監視していた……

 

 ……ある日、彼奴きゃつの姿が消えていた……私は解放感に浸って祝杯をあげたほどだった……が……ほどなく私はそれがいっときの平穏だったと知る……洗面所で、鏡に写った自分の顔を眺め煩悶する時間が増えていった……これは本当に自分なのか……彼奴きゃつは知らぬ間に私と〈融合〉してしまったのではないか……私は本当にジュウハチロウ・セコウなのか……すでに彼奴きゃつに乗っ取られているのではないか……先だって一緒に過ごした妻が、娘が、何か異質な、恐ろしいものを見る目で、私に怯えていた気がするのは何故か……

 

 ……嗚呼、来る! 来る! 彼奴きゃつが近づいて……もう時間がない……手短に済まさねば……


 ……今日の獲物を選定したのはもちろん私だが、本当のところは判然としない……ああ、やはり私はもはや人間ではない……薬品など用意しなくても赤く光る目のひと睨みで相手を意のままに動かすことができたのだ……そのアジア系の女は私の、いわば〈淑女の私室ブドワール〉と言うべきあの小部屋で椅子に縛りつけられていた……

 

 ……自我を取り戻した女は、始めこそ他の獲物同様に怯えきって命乞いをしていた……一糸まとわぬ姿にされていたから当然の反応であるが……こうして獲物に己れの〈未来〉を想像させ、絶望に悶える顔を眺めるのが私の悪癖なのだ……が……このときの女の反応は少し異なっていた……ふいに女の瞳がぐるりと上に回り白目を向いて……何らかの発作を思わせる動作だった……しかし……ふたたび瞳が元に戻ると女は、豁然と双眸を見開いて私に……いや、私の中に居座っているモノに向けて不可解な言葉を言い放った……「嗚呼、神人どの、なにゆえ御身はこのような姿でーー」……

 

 ……女の発言は……まったく持って意味不明だった……「ゼフィール! ゼフィール!」とどこかに向けて名前を呼ばわったかと思えば……「四号鉄塔……そこに居るの? 待ってそこは危険よ……嗚呼!」と拘束を振りほどかんばかりに暴れたてた……

 

 ……女が地上のどの言語とも異質な年古としふりた叫びをあげると……モルフォ蝶の構造色めいた奇妙なきらめきが女を包み……

 

 ……私は……私の中の何かが明らかに怯んでいた……私は我知らず女から後ずさりしていた……女の身体が溶けだすように薄れ……私が駆け出したときにはすでに、女の身体は拘束椅子から跡形もなく消え去っていた……

 

 ……私は逃げようとした……このアパルトマンから渦巻町から……実際に玄関係や隣人の目をかわして何度も何度も試みたのだ! ……しかし……どのルートを進んでも結局、この部屋に戻って来てしまう……どうしても逃げることができない! ……私はすでに狂ってしまっているのかもしれない……

 

 ……こうしていま私はこのラップトップに向かって告白をしている……私が私でなくなるのはもうすぐだ……待て……待て待て待て待て待て……止めてくれ! 嫌だ! 消えてしまうのは……助けてく

 

 セコウ氏の発信は、この言葉が最後である。

 その後の動画に映っていた光景は、目を背けたくなるようなものだった。喋りかけたセコウ氏は、口をつぐむと、夢見るような目で周囲を見渡した。どこかから聞こえてくる幽かな音を、必死で聞き取ろうとするような仕草だった。

 やがて、ビクン、と身体を揺すったセコウ氏は、初めて気がついたとでも言うように、ラップトップのカメラを見つめた。そして、それまで見せたことのないくらいに顔を歪ませ、嗤ったのである。その表情の邪悪さは、身震いするほどであった。

 次の瞬間、セコウ氏の顔面の左半分が、爆ぜた。何の予告も予兆もない。むろん現場に凶器や装置もない。ただただ、おびただしい血液と脳漿と骨片を撒き散らして破裂したのだ。そのさまはまるで、熟しきったトマトのようだった。人体破裂は、頭部にとどまらなかった。肩が、脇が、腰が、脚が、背中が、腹が、内側に巣食う何物かに喰い破られたみたく、裂けていった。

 しかし最も恐ろしいことは、斯様に身体を破壊されながらもセコウ氏の右半分は、顎関節と声帯が粉々になるその瞬間まで、哄笑し続けたのであった。

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