第33話

図書館12、

 

 〈扉〉の先にあったのは、小さな部屋だった。開くと同時に照明がついた。少し赤みがかった、柔らかい光だ。おかげで中の様子がわかった。

 広さでいえば、ぼくのアパートの六畳間ほどだろうか。天井と壁の四面は木目調の内装で、床にだけ臙脂色の絨毯が敷かれている。調度品は一つもない。くつろげるような場所には思えないし、一見して、何のためのスペースなのかも判断できなかった。

 コシロが率先して入室し、ぼくが後から続いた。

 とーー背後でパタンと軽い音がした。図書館側の隠し扉が、自動で閉まっていた。え、と思っているうち、それどころではなくなった。小部屋の内側にもう一重、扉があって、壁に収まっていたそれが、横から飛び出してきた。スライドするそのドアは、音もなくなめらかに閉まって、ぼくたちを閉じ込めた。

「アッ!」

 泡を食ったぼくは、ドアに駆け寄り、手をかけた。力任せに、元の位置に戻そうとする。が、すでに閉まったドアは、うんともすんとも言わない。

「何これ……」

 思わず毒づく。小部屋の内側には、開け閉めするための取っ手のような機巧はない。部屋中を見回すが、どこもかしこも、のっぺりとした壁面があるばかりで、出入口どころか、窓や通気孔すらないのだった。

「閉じ込められたーーのか?」

 ぼくは呆然となった。今さらだが、何だって二人で一緒に入室してしまったのだろう。〈扉〉に物を咬ませるなりして、脱出する手段を確保しておかなかったのだろう。

「何かの罠なのか?」

 ぼくは、乱暴に扉を蹴りつけた。

「このっ!」

「まあちょっと、落ち着きたまえ」

 コシロが背後から肩をつかんで、ぼくをたしなめる。頼もしいかぎり、と思いたいところだが、ぼくに言わせれば、こんなところに閉じ込められて落ち着いていられるほうが、どうかしている。陥ってしまったこの間抜けな事態の、責任転嫁をしたくなる。

 だがコシロは、ふんふんと鼻を鳴らしながら、小狭い空間を気易げに歩き回った。そして一箇所で立ち止まると、意外なことを指摘した。

「おそらくここは、エレベーターのケージだね」

「エレベーター、ですか? でもーー」

 戸惑いながらぼくは、あちこちを見渡す。

「開閉ボタンも階数表示も、ないじゃないですか」

 いや、とコシロが言う。

「あそこを見たまえ、ボタンがある」

 事も無げにコシロが指さしたのは、入ってきた辺とは反対側の辺だった。近寄って観察してみるとたしかに、壁の、成人の胸の高さあたりに、ごく目立たないながら、同じ木目調の三角形のボタンが一つだけあった。出っ張っておらず、周りとフラットなので、パッと見では気づかなかった。或いは、赤みのある照明も、見分けづらさを助長しているかもしれない。

 あらためて二人がかりで部屋中を見て回ったが、何か意味のありそうな箇所はその一つだけで、他には一切見当たらなかった。

「昇りだけの一方通行ってことは、天国への直行便かな」

 確かにボタンは、正三角形の尖ったところが上を指している。コシロは冗談めかして笑うが、全然笑いごとには思えなかった。

「どうする? 押してみるかね?」

「どうするも何も、他に選択肢なんてないじゃないですか?」

 憮然として応える。何でこうも暢気なのだ、この男は。だが、他のボタンや機巧がない以上、どのみち押してみるしか手はない。

 そうだろうな、とコシロは素早く三角ボタンを押した。そこは勿体ぶらないのか、と胸のうちでつっこむ。

 今度もコシロは正しかった。大きな振動はなかったが、部屋全体が動き出したのは間違いない。さっき乗った、フロアを行き来しているエレベータよりも、ずっと揺れがある。ここは間違いなく、ケージの内部だ。

 動いていた間隔は、ほんの数十秒くらいだったと思う。が、ぼくにはひどく長く感じられた。この小さな箱が、別の世界につながる乗り物のように思えた。

 ブッ、という耳ざわりな甲高い音がした。ケージが、目的の場所に到着したのがわかった。

 ぼくたちが入ってきた辺のドアが、再びスライドして、開いた。

 向こうにはーー真っ暗な空間が広がっていた。ケージから溢れ出した光が、床に歪な四角形を作った。

 今度はさすがに躊躇した。勇んで出たは良いが、さらに戻りづらい場所に踏み込みでしまうかもしれないのだ。

 ぼくが二の足を踏むのをよそに、コシロはまたもや先に立った。ドアが再びスライドしてきたので、結局ぼくもその後に続いた。この小部屋に押し込められては、かなわない。

 暗闇に包まれたのは、一瞬だけだった。コシロは目敏くも、照明のスイッチを見つけていた。天井の照明がついて、自分がどんな場所にいるのかがわかった。

 ガレージのようだ、とまず思った。

 実家で親が乗っていた乗用車が、三台くらい入る床面積に思える。ガレージを連想したのは、壁も床もコンクリートが打ちっぱなしで、壁紙も、足下に敷物もなかったからだ。

 天井は高く二階分はありそうだ。配管や梁がむき出しで、寒々とした印象である。メンテナンス用のスペースを利用した、秘密空間といったところだろう。

 その無機質で殺風景な空間の真ん中に、奇妙な物体が三つ置いてあった。

 一つめは、自律機械ドロイドだ。たしか清掃用のそれで、〈動く郵便ポスト〉みたいな形状のヤツだ。

 二つめは、旧世界の公衆電話ボックスフォーンブースに似ていた。今でも海外にはあるらしいが、本邦ではとんと見かけなくなっているタイプだ。

 高さは2メーターちょっと、幅と奥行は80センチくらいだろうか。素っ気ないアルミのフレームに、強化ガラスだかプラスチックだかの透明な素材がはまっている。天板はやはりアルミで、床はコンクリートのままだった。

 ぼくは怖々と、その物体に近寄った。四面が素通しになっているので、内側が見透せた。

 縦長のそのボックスには、椅子が一脚収まっていた。背もたれが長い肘かけ椅子で、一見ごく普通の椅子のようだが、黒い鉄でできたそれは、床に固定されている。しかも肘かけや脚に、革のバンドが付いているのだ。これはーー

 ーー拘束のためじゃないのか?

 ぼくは我知らず、ゾッと総身がそそけだった。

「魔女狩りが行われた中世ヨーロッパには〈審問椅子インテロゲーション・チェア〉という拷問器具があったそうだが……」

 ボックスの周囲を見渡しながらコシロが、余計な知識を披露する。

「こいつは何に使うのかな? ふむ、やっぱりこれが関係するのだろうな」

 コシロが指したのは、三つめの、奇妙な物体のことだった。ボックスと少し離れた場所にあるそれは、例えるならば、ガラス製の巨大な金魚鉢と言えた。大人が両手で抱えるほどの大きさを持った、透明なガラス壺である。

 鉄製の置き台スタンドの上に乗せられたその壺には、透明なチューブが接続されている。壺の下側から出たチューブは、いったんコンクリートの床に下り、うねうねと床をうねって伸びていく。そしてボックスに至ったチューブは、フレームに沿って這い登り、最終的に反対側の端が、ボックスの上部に接続されているのだった。

「この中身は、何でしょう?」

 ガラス壺の中には、何だか得体のしれない物質がわだかまっていた。元の状態はいざ知らず、いまその物体は乾燥しきっていて、カサカサになった海藻のようだ。赤と紫の混じった半透明なそれが、ふと脈打ったような気がして、ぼくはぎょっとなって飛びすさった。

「わからんね。それにしてもーー」

 コシロは油断のない目つきで、秘密空間をうろうろし出した。

「ここは、行き止まりなのかな?」

 コシロの言いたいことは、理解できた。〈ガレージ〉は、上下前後左右のどこにも、開口部のない密閉空間に見えた。ぼくたちは、密室状態の図書館からスウが(あるいはスウを連れ出した何者かが)脱出したルートを探していたのだ。その結果たどり着いたこの場所が、行き止まりであるならば、事態はまた、振りだしに元に戻ってしまう。

 部屋の隅の目立たない位置に、スチールのキャビネットが置いてあったが、あいにくと扉に鍵がかかっていて開けることができない。しばらくガタガタと動かしていたが、やがてあきらめたコシロはぶつぶつと口の中でひとりごちながら、今度は自律機械ドロイドに関心を移した。

「フム、どうやら開架・閉架共用の標準タイプに見えるな。館内のあちこちで清掃をしているヤツだ。何でこんなところに置いてあるんだろう? おや?」

 自律機械ドロイドをコツコツと叩いていたコシロは、ふいに黙り込んだ。

「どうしました?」

 訊ねながら、ぼくはぼくで、壁を見て回る。さっきのボタンのことがあるので、撫でるようにして調べてみる。

 と、果たせるかな、壁の一箇所にちょうど指を引っかけられるくらいの凹みを見つけた。しばらくいじったあと、ようやくコツがつかめた。指先に力を込めて引くと、壁の一部分が手前に向かって開いたのだった。

「コシロさん!」

「やっぱり」

 ぼくが呼んだのと、彼が快哉かいさいをあげたのが同時だった。

 コシロのほうを向いたぼくは、ポカンとなった。さぞや、間が抜けた顔に見えたろう。というのも自律機械ドロイドの筐体が、パカッと観音開きに開いていたのだ。中は、がらんとした空洞になっていた。

「音が虚ろだと思ったんだ。この自律機械ドロイドの体幹部は、ガワだけだ。ウン、入れようと思えば人間もいけるな。ボクは無理だけど。で、そっちは?」

 そうだった。浮いている壁の一部を引っ張ると、こちらも手前に大きく開いた。開いた部分は正方形に近い形で、大人が腰を屈めて通れるくらいの大きさがある。茶室に入るときのにじり口に似ていた。

「ここにも隠し扉かーー」

 ズカズカやって来たコシロが、恐れ気もなく中を覗きこんだ。

「え、いきなり行くんですか? 気をつけてくださいよーー」

 ぼくがたしなめるのにも、耳をかす様子はない。ぼくがビビり過ぎなのか? 仕方なく、またもや彼にしたがうことにする。

 開いた〈扉〉は奇妙な造りになっていた。扉のこちら側はコンクリートのように見える塗料が塗られて、壁と区別がつきづらくなっている。だが反対側は、木製の化粧板が貼ってあるのだ。

 そのわけは、向こう側に出るとわかった。

 そこは小部屋よりもさらに狭い場所で、全面が木で覆われ、頭の高さに、端から端に金属製のハンガーパイプが渡してある。ぼくたちは、今度こそすぐに行き止まったのだ。

 しかしそれを見てコシロは、

「ははあ……」

 と、何だか独りで納得している。

 コシロが向かいの木の板を押すと、板が折れたように、外へ向かって開いた。

「やっぱりね」

 出るなりコシロがうなずく。

「これはーー」

 怖々と後から続いたぼくは、自分が出現した場所を眺めて、呆気にとられた。

 ぼくたちが出たのは、コの字型のウォークインクローゼットの中だった。

 出入口を除いた、左右と正面の三方向に収納スペースがあるウォークインクローゼットで、正面の収納スペースにだけ折れ戸がついている。その収納スペース内の下部が開いて、奥の秘密空間につながっているのだ。

 ウォークインクローゼットからは、隣の部屋が見えた。どっしりとした大きなデスクがある部屋で、書類戸棚や、応接用のソファセットが置いてある。

 デスクチェアに腰かけ、卓上照明に照らされた人物が、コシロとぼくを見て目を丸くしている。その人物とはーー。

 〈図書館警察〉のワシリ・ザロフ警部その人であった。

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