第14話

神殿Ⅴ.

 

 聞き捨てならない噂を聞き及んだのは、ゼフィールよりわたしの方が早かった。

 〈大氾濫〉からふた月が経ち、ようやっと門前町も復興の端緒につきだしたころ、わたしはすでに商いを再開していた宿屋のおかみさんになっていた。いちど神殿を訪れた際に、彼女にこっそりと〈しるし〉をつけていたのだった。〈徴〉の超自然的なつながりは、ルナルの丘の神域内ならば、任意に働かせることができた。少しコツがいるが、〈徴〉をつけた人間が見たり聞いたりしたものを、感知できるのだった。

「ちょっと、おききかい」

 店の前を掃き清めていたおかみさんに話しかけてきたのは、同じく再開したばかりの向かいの揚げ物屋の女房で、宿屋とは子ども時分からの幼なじみだ。おかみさんは、退屈しのぎにすぐに話にのった。

「なになに、教えておくれよ」

 揚げ物屋が声をひそめて、ほら雨季の初めに酔いどれの神人がひとり死んだろう、といった。

「あれねえ、どうやら事故じゃあなかったらしいんだよ」

「へ、どういうこと」

「ひとごろし、さ」

「ひとごろし!」

「ちょ、大きな声でお言いでないよ」

 揚げ物屋が宿屋の口を、大慌てでふさいだ。

「なんだって、そんな妙ちくりんなことになるのさ」

 興味津々に、おかみさんが声を低める。

「パン屋のオロじいさん、いるだろ。あのじいさんが見たんだってさ。あの日、神人と衛兵が、いっしょに歩いているのをね……」

「衛兵? 〈王の館〉の?」

「そうなんだけどね。それがさ、じいさんが言うには、その衛兵はよりによって、禁軍から出向してきた男じゃないかって言うのさ。ね、怪しいだろ?」

 門前町の人びとはむろん、神殿びいきである。彼らからしてみれば、禁軍やその司令官であるマナン将軍は、ネルガル神殿に対して穏当な敬意を欠く〈罰当たり〉であった。

「はん! あのうすらボケの、オロじいさんの言い草だろ。自分の服と下着の区別だって、怪しいもんさ」

 疑わしそうに、おかみさんがいう。

「じいさんは昔、ギゼイで商売してたんだよ。だから、兵隊さんの服は見わけられるって言ってたけど。それと、目はまだまだはっきりしてて、悪くなってないよ」

 言下に否定された女房は、気を悪くしたみたく口をとがらせた。

「はっきりなんか、してるもんか。毎日飲んだくれてるんだ。ありゃあ、目にかさがかかってるね」

 そのとき店の奥から、若い娘の声がおかみさんを呼んだ。

「ねえ、おっかさん。おとうさんを知らない。聞きたいことがあるんだけど」

 その声はおかみさんの長女で、しっかり者で評判のマサリクという娘だった。

「なんだい、いなくなっちまったのかい? どこほっつき歩いているんだい、あのひょうろくだまは!」

 それから二人の話題は、亭主連中の悪口に移ってしまい、それ以上を知ることはできなかったのだが、噂が真ならば、確かめずにはいられない問題をふくんでいた。わたしはその晩、さっそくゼフィールに相談した。

「どうやって調べたらよいかしら」

 ゼフィールは、考えこんだ。大巫女の権威をもってすれば、近衛兵であっても、ゼフィールが問いただすことは容易だし、向こう側も調べずにはいられないだろう。しかしそれでは、王や将軍との間にいらぬしこりを生む可能性もある。

 考え考え、わたしは言った。

「だとすると、わたしが調べるしかないわね……」

 しかし、当てがあるわけではなかった。あいにくと禁軍の関係者に、わたしと〈徴〉で繋がっている者はいない。だから、歩き巫女をつかって、間接的に訊くことになるだろう。

「でも、〈ふつうの民びと〉に、そんな役割を持たせて不自然ではないかしら」

 ゼフィールは、眉根をよせた。妹の懸念ももっともだった。歩き巫女は、庶民に身をやつして窺見うかみを行うことが多かった。場合によっては身分の高い人物をよそおうこともあるが、これには危険がともなう。彼らは狭い集団を形成しているので、露見しやすいのだ。

 難しい任務になるだろう。ごくふつうの町民が近衛兵たちに気軽に話しかけたり、何かを聞きだしたりする機会はほとんどないからだ。ちょっとしたことで、なさぬ罪に問われないとも限らない。

「近衛兵たちに近しくて……こっそりと調べる……」

 考えこんでいた妹の眼が、煌めいた。

「あの者はどう?」

「……あの者?」

「モロクよ。神人の」

 わたしの胸に光がさした。ゼフィールの挙げた案を、様々な角度から検めた。結果、確かに適役であることを認めずにはいられなかった。モロクはもともと禁軍の出身であり、近衛兵たちと面識がある。それに〈大氾濫〉以来、町の民びとからも信頼を持たれてもいた。つまり、さまざま場面で動くことができる。またモロクが頭の回転が速く、度胸もあることは、すでによく知っていた。

 が、賢妹の慧眼を誇らしく思う自分の心に、わずかなかげりがふくまれていることに、わたし自身は気づいていた。かの楽師の能力を疑っているのではなかった。そう、しいていえば、ゼフィールの彼に寄せる信頼それ自体が、わたしの胸を騒がせていたのだ。

 その正体に気づいたときには、すでに手遅れだった。


 モロクが、報告をたずさえてわたしたちの居館に伺候しこうしたのは、数日後の深更であった。

 砂漠の短い秋は深まりつつあり、西の穀倉地帯では小麦の穂が黄金の海原となってうねっている、そんな季節に入っていた。人目をはばかる秘事である。余人をいれぬよう、即席の謁見は、居館のゼフィールの私室にて執り行われた。わたしは、隣室で会見を視ていた。

 じつはわたしは、密かにモロクに〈徴〉を繋げて一部始終を見聞きしようと試みていた。だが、上手くいかなかった。神威力といえども、万能ではない。相性というものはどうしてもあって、〈徴〉をつけられないこともある。それにモロクの調べの足どりは、〈ルナルの丘〉を離れて、ギゼイにも及んでいるようだった。どのみち、神域を外れれば〈徴〉の権能もおぼつかなくなるのだった。

 モロクは訥々とした口ぶりで、報告した。

「三月前に、禁軍より〈王の館〉に配属された、ナナルという者がおります。当時は特段、人手が不足している折でもなかったようなのですが、なぜか追加で参ったようなのです」

 その男のやって来たいわれに、えもいわれぬ不可解さを感じて、わたしの胸はどよめいた。

「本人は、儀仗兵であったと申しているようなのですが……少なくとも、わたくしは見知っておりませぬ」

「そのように、素性の不確かな者を禁軍が寄こすとは、不審ではないのかえ」

 モロクの眼には、眉を吊り上げたゼフィールのかんばせが、映ったであろう。わずかの逡巡は、古巣を難じる苦衷くちゅうのあらわれであろうか。しかし結局、彼は、

「御意にございます」

 と、こうべを垂れた。

 いまや完全に、わたしの疑惑の眼は、ナナルという男にそそがれていた。

「しかし、その者はなぜに、神人を手にかけたのであろうや」

 ゼフィールが、ほとんどひとり言のように疑問を口にした。この場面では、わたしよりも妹のほうが冷静だった。妹の問いにはむろん、言葉以上の意味が込められている。神人の死に、個人的ないさかいや偶発的な故殺以上の、はっきりいえば、ある種のはかりごとが存在しているかどうか、そのことを問うているのである。

「畏れながら、力及ばずにございまする」

 さらに深々と叩頭した。そこまでは確認できなかったといういらえである。

 妹はしばし黙考ののち、「大神殿に近衛兵たちを集める」といった。

「大巫女さま!」

 モロクが、驚きに顔をあげた。

「今しばらく、確信をつかむまで調べた方がよろしいかと……」

 隠密行動のわけは、モロクも承知している。王や将軍と、あからさまにことを構えるのは得策でない。そうした事情をおもんぱかっての進言である。しかしーー。

「心得ておる」

 ゼフィールが、きっぱりと言い放つ。モロクは、絶句したようだった。それは、大巫女の決然とした言辞のゆえにでは、おそらくなかった。彼は、瞋恚しんいのほむら燃える妹の双眸の、あまりの美しさに打たれたのだった。


 毎年この時季に催される祭礼に、北のアスカランテから使者が大神殿へとやってきて、ン・ナ女神と大地に収穫を感謝し捧げ物をするというのがあった。これは遥かないにしえ、まだこの地が古アスカランテ帝国の版図であったころからの習わしである。

 儀式では往古をしのび、軍装に身を包んだ者たちが門前町をねり歩き、神殿へと至る。これは、アスカランテが強大な軍事国家だった古帝国時代に、神殿側が帝国の顔を立てて、例外的に認めた措置である。とはいえ隊伍の装備は、もはや実用からかけ離れていた。美麗な鳥類の尾羽をふんだんに仕様したそれは、失われた帝国の威厳をなんとか取り繕う必死さの表れであった。

 そんななか、民びとの目を最も惹きつけたのは、アスカランテ騎兵がうち跨がった、二脚歩行の騎獣であった。騎獣と言ってもその動物は、明らかに爬虫類の特徴を備えていた。あおぐろい鱗に覆われた体表を持ち、短い前肢の鉤爪は、鋭く彎曲している。人びとはこの冷血動物を、物珍しさとともに、嫌悪の入り交じった眼差しで出迎えたのだった。

 さて、今年の儀式にかこつけてゼフィールは、ナナルを含む近衛兵を、神殿内へ入れることとした。武装解除が原則の神殿において、むろんこれも特例的な措置である。

 通常、近衛兵は〈王の館〉及び聖域周辺の警備をするだけで、神殿内に足を踏み入れることはない。だが、今年は祭礼の始まりより百二十年の節目の年として、謁見の間における儀式に参加するようゼフィールは宣した。

 これが、わたしと妹の仕組んだ罠であるのは言うまでもない。かの者の狙いが奈辺にあるのかは判然としないが、わたしたちが推測している通り、その正体が将軍側の間諜であるならば、神殿の内情を探る絶好の機会を逃すとは、思えなかったからである。

 儀式そのものは、つつがなくとり行われた。アスカランテの使者どのは例年にない物々しい雰囲気を訝しむふうであったが、関わっては無益とばかりに、役目を終えるとそそくさと退出していった。使者どのが見えなくなってからが、本当の始まりであった。

「そなたたちに、ただしたき義があります」

 ゼフィールが厳かな声音で切りだすと、謁見の間にそれまでにない緊張がはしった。神聖娼婦、神人、近衛兵たちがみな、息をころした。

 ゼフィールは、神人の死の経緯から始めて噂の真偽、疑惑について淡々と述べていった。無論、一足とびに下手人を名指しすることもできたが、上からの一方的な断罪では、無用な反発を招く恐れもある。そこでゼフィールは、あくまで〈ルナルの丘〉をしろしめす者の責を強調した。そうして邪心のないことを示しつつ、論理を積み上げたのだった。

 その企図は、正しく達せられたようだった。近衛兵たちは激しく動揺し、猜疑の視線が飛び交った。そしてそれが一人の男ーーナナルのもとに収斂したのだった。

 注目の的となったナナルはしかし、面憎つらにくいほどの無表情であった。ひょろりとした長身痩躯の男で、彫りの深い、仮面めいた顔と相まって、山岳地帯に棲まう地獄鳥めいた印象である。

「申し開きはあるか」

 ゼフィールが、凍るような声で詰問した。

 すると、思いがけずナナルがーーわらったのだった。

「ぬしのごとき淫売と話す口は持たぬ」

 そう言って出入り口へ向かおうとする。だがその道行きは、たちまち同僚の近衛兵に取り囲まれた。近衛兵たちも、必死である。大巫女への暴言は、不敬罪にあたる。そのまま放置しては、自分たちにもとばっちりが来ないとも限らない。

 すると、悠々とした足どりであったナナルが、にわかに身をひるがえした。

 ナナルはそのまま、獣じみた俊敏さで、ゼフィールに殺到した。颶風ぐふうのような、凄まじい威勢いせいであった。

 妹と眼差しを共有していたわたしは、あっという間に視界に広がったナナルの兇相に、なすすべもなく立ちすくんだ。ゼフィール、と叫んだ刹那、視界の端から、大きな体が覆いかぶさってきた。

 それがモロクの巨体だとわかったのは、妹が彼の名を絶叫したからだった。ぐうっ、という呻き声が耳朶じだを打ち、モロクが傷つけられたのが察せられた。だがこの勇敢な行動が、ゼフィールの生死を分けた。

 我を取り戻した近衛兵たちが、一斉にナナルに襲いかかった。モロクが、ゼフィールをかばいつつ死地を脱したときには、すでにナナルは近衛兵たちの手にかかって、斬り伏せられていた。

「モロク!」

 ゼフィールが、鮮血のしたたるモロクの右腕を、必死でおさえる。

御身おんみが……御身おんみが、けがれまする……」

 ぜいぜいと荒い呼気をもらしながら、モロクが気丈にふるまう。救護の者が駆けつけるまでのあいだゼフィールが、あふれそうな涙を、懸命にこらえているのがわかった。

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