第7話

図書館3、

 

 眠りの訪れを切望して、寝床の中で悶々と展転反側てんてんはんそくし続ける時間ほど、神経をささくれ立たせ、心を削ることはない。眠りたい、眠るべきだ、という強迫的な想念と焦燥がジリジリと精神をき、やくたいもない想像が亡霊みたく脳内を徘徊する絶望感は、苦行以外のなにものでもなかった。

 睡眠導入剤による入眠には、助走がなかった。人によって効き方は違うだろうが、少なくともぼくの場合はそうだ。

 予告も何もなく、意識がブラックアウトする。翌朝の、蒲団にくるまれた覚醒で初めてそれが、眠りの訪れだったと事後的に認められるのみだ。

 コントロール不能なそれを恐ろしいと思う反面、ひとつの恩寵なのも確かだった。とりわけ昨夜のように、いやおうでもスウを想ってしまうときは。

 薬に頼る向きを、良しとしない人もいるかもしれない。ぼくと同じ悩みを抱えていても、そういう考えの人は存在するし、そのことを特に否定はしない。みなそれぞれ、大切にしているものが違うのだから。

 ぼくは躊躇なく薬を服用した。少しでも眠って身体と心を休ませたかったから。彼女を見つけるために、頭をスッキリとさせておかねばならなかった。

 身支度をすませるべくぼくは、布団をはねのけ、どんよりと重い頭をひとつ振ったのだった。

 

 やっとこさ睡眠を確保したあとの日曜日、朝イチの図書館で訴え出ると、図書館員はインターホンで通報をした。二人の男が、すぐさまエントランス・ホールにやってきた。当然、〈渦巻町〉の警察署員ではなく、〈図書館警察ビブリアチェーカ・パリーツィヤ〉だった。

 その二人組の警官は、そっくりな顔立ちをしていた。見間違いではないのかと我が目をこすったのだが、やはり相似形だ。ブルーの制服を着ており、白人男性で、髪はアッシュブロンドだった。背は高く、肩幅はガッチリとしていた。瞳の色は氷のように薄く、鼻の頭が少し赤かった。相違点はといえば、胸ポケットに差したボールペンが、一方が赤で、一方が黒な点くらいだろうか。

「双子?」

 思ったことがつい声に出てしまい、ぼくはうろたえた。

「そうです」

「違います」

 二人は同時に答えた。真っ向からぶつかる主張に説明を求めたかったのだが、片方ーー赤ペンが、端末を取り出して、事務的に話を進め出したので、それきりになった。

「女性が見当たらなくなったとうかがいましたが、どういったことでしょう」

 ロシア人とみていたが、警官たちは流暢な日本語をあやつった。ぼくは、姿を消したのは恋人のスウ・ローだと告げた。二人は同棲しており、二十時間前、一緒に図書館を訪れたのだと。

「基本的な質問ですが、図書館の外に出られたのでは?」

 黒ペンが口を挟む。

「でも、誰も彼女が出ていく姿を見ていないんです。図書館から外に出られるのは、一箇所と聞いてるのですけど」

 そう、図書館に出入りするには、玄関口から伸びる通路以外にはない。つまり彼女はエントランス・ホールを通らなければ〈ジッグラット構造〉には出られないはずなのだ。

「しかし、ずっとこちらにいらしたわけではないでしょう」

「ええ、ですが、ぼくが席をはずしたり家に帰りかけたときは、図書館員の方が見ていただいてるはずなので、たぶん、間違いないと思います」

「そうですか」

 黒ペンは納得のいかない様子だったが、赤ペンはさらに質問を続ける。

「携帯端末に連絡を入れましたか」

「彼女は携帯端末を持っていませんでした」

「本当に?」

 あり得ないという表情で、黒ペンが両目をぐるりと回した。ではーーと赤ペンが、あらためて訊ねる。

「彼女のフルネームは?」

「スウ・ロー、だったはずです」

「華人ですか?」

「いいえ、確か北米に移住したモン族だったはずです。だからアメリカ人になるのかな、たぶん」

 たぶんねぇ、とまた、納得いかない風に首を傾げる。

「スウさんの特徴は」

「特徴、ですか?」

「では年齢から」

「二十四歳、といっていました」

「外見はどんな風でした?」

 わずかな胸の痛みとともに、ぼくは彼女を思い浮かべる。鼻歌を唄いながらキッチンで料理しているスウ。真剣な表情で趣味のハンドメイドアクセサリーを作るスウ。布団に寝っ転がっていびきをかいているスウ。

「彼女は典型的なアジア系の見た目でーー」

 剥いた茹で玉子みたいな、つるんとした顔を、真っ直ぐな黒髪が縁取っていた。切れ長の眼は生き生きと内面を伝え、薔薇色の頬はちょっぴり高かった。形のよい小さな鼻の下の唇は、いたずらっぽく、すねたような形をしていた。平均的なプロポーションの持ち主だったけど意思の強さが(気の強さではなく)あふれ出ていて、内側から照らしているよう彼女を輝かせていた。

 ぼくの描写を事務的に書き留めた赤ペンは、さらに質問を続ける。

「ご職業は?」

「彼女は小説家でした」

「小説家……ですか」

 二人の警官は顔を見合わせた。無理もない。その困惑ぶりは手に取るようにわかる。

 小説を書くことが廃れた文化となって久しかった。AIが発達して、人間は機械の創った物語で充分満足がいくことが証明された。少なくとも、ジャンル小説と呼ばれるエンターテイメント作品に関してはそうだ。いまどき自分の頭をひねって、さして独創的でもなく、ましてマネタライズもできない小説を書く物好きなど、いないのだ。この傾向はコンテンツ産業全般に及んでいて、マンガやアニメ、実写映画(俳優をスキャンしたアバターを使用する)なども、無料コンテンツはすでにAI制作に移行している。

 今となっては信じがたいことだが、かつて、物語コンテンツ内の登場人物が、〈自分の考えた最強の最適解〉の行動をとっていない、と欲求不満をつのらせる人びとがいたらしい。

 自分ではない〈他者〉が創った物語なのだから、受け手の思い通りに登場人物が動いたり、思い描いた最高の結末になることなどあり得ないし、描かれた作中のリアリティが、受け手にとって違和感を抱かせることは当たり前のことなのだが、当時の人びとはそうは思わなかったようだ。

 あるいは、小説ロマン漫画ベデ映画シネマで、《犬が死なないかどうか》をあらかじめ教えてくれるサービスがあったという。どういうことかというと、愛犬家の受け手が、物語の中であっても、犬が死んだり虐待される場面シーンを観たり読んだりしたくないので、そういう場面が出てくるのかどうか、あらかじめ知りたいというわけなのだ。

 いずれにせよ現代では、そんなことを気にする人間は存在しない。パラメータをいじるだけで、幾らでも望み通りのストーリー、プロット、キャラクターを〈設定〉できるからだ。みすみす危険に飛び込んで足を引っ張るヒロインや、合理的な選択を取らないヒーローにイライラすることもない、というわけだ。

「わずかですが、愛好家がいるんです」

 ぼくは解説する。少し力が入った。

「〈サロン〉、と彼女は呼んでいましたが、集まりがあって、そこで朗読会などをして報酬もらうんです」

 〈渦巻町〉の上流階級の奥様方のあいだには、近代ヨーロッパのひそにみにならって、そのような典雅な社交の場が存在するのだ、とぼくは話した。

「ほう……」

 黒ペンは、納得がいった様子ではなかった。当然だろう。ぼくの親の世代でも、文字情報だけのコンテンツが、ひいては、個人の想像力そのものが娯楽になるなどと素朴に信じている者がーー特にこの国ではーーどれだけいるかすら怪しかった。

 かろうじてまだ、〈先進国〉だったころの名残をとどめている関東地方以外の本邦では、半世紀前には想像もできなかった、映像、音響その他の感覚をも刺激するVRデバイスが普及している。それを使えば、安価で充分なクオリティを持った〈物語〉がいくらでも手に入る。

「ところで、あなたのご職業もうかがってよろしいですか?」

 思わず口ごもった。

 ぼくもまた小説家だった。あくまで心の中ではだが。ただし誰にも認知されていない。つまり小説家見習い、小説家志望、あるいは自称小説家。より悪くいうなら、スウのヒモと言えなくもなかった。ぼくはモゴモゴと言い訳のようにアルバイトをしていますと答えたが、警官たちはとくに関心を示さなかった。

「彼女を、最後にみたときの服装は?」

「上は白い薄手のスプリングコートを着ていました。襟元にピンクのマフラーを巻いていて……青い縞の帽子をかぶっていて……下は黒っぽいパンツで、スニーカーです。コートの中は、たしか緑のシャツでした」

「これまでにもこんなことが? つまり家出をしたことが?」

「とんでもない! 調べものに夢中になって時間を忘れてしまうことはありましたけど」

「図書館で……調べもの……」

 伝説上の珍獣でも目撃したかのような目つき。それはそうだろう。携帯端末で幾らでも世界中のアーカイヴを見ることができるのだから。

「スウもぼくも、本が好きですから」

 ふむ、と赤ペンは首を傾げながらも、うなずいた。

「それではーースウさんのお友だちやご家族、それにお仕事関係の人たちには、行方をおたずねになりましたか」

「ええと、まずスウは天涯孤独でした。そう聞いています。ーー戦災孤児だったそうです」

 ああ、と警官たちはうなずいた。

 北米大陸が一時期、内戦状態に陥ったのも、やはりぼくが子どものころの話だ。

「つまり、ご家族や親類はいらっしゃらない」

「はい。彼女はしばらく児童養護施設で育ってやがて養父母に引き取られたようなのですが、折り合いが悪かったらしく、十代のうちにその家を出てしまって……日本にやって来てから、いや、成人してからは一切、連絡を取っていなかったようです」

 つまりそこに身をよせる可能性は、限りなく少ない。第一、ぼくは養父母の名前すら知らなかった。

 漠然とだが、彼女が端末を持たない理由は、そこら辺にあるのではないかとぼくは勘ぐっていた。端末を持ち、クラウドにアクセスすれば、いずれ何らかを経由して過去へと繋がってしまう、それを恐れていたのではないか。

「ではご友人は」

「それが……」

 出会う以前のスウの交友関係について、まるで知らないことにぼくは改めて気づかされた。あるいは彼女のほうで、あえて知らせないようにしていたのかもしれない。そんな単純なことにすら、ぼくは思いいたらなかった。だがそれを警官たちに認めるのは癪だった。

 わずかなりとも覚えがあるのは、今の仕事の繋がりだけだった。

「そちらには連絡してみました」

 ぼくが連絡したのは、サロンの主催者であるローレル夫人というロシア系の女性だった。通話口での夫人はまったくの寝耳に水といった口ぶりだったと、ぼくは答える。

「そのほかには」

「同じサロンに出入りしている人なら。二、三人ですが」

「では思いだせる限りで結構ですので、スウさんの知人と思われる方をリストアップしてください」

 黒ペンが、端末と胸の黒ペンを差し出した。端末に表示されていたのは、【行方不明人届】という書式だった。黒ペンはタッチペンになっていて、手書きの内容が電子的に記録されるようになっていた。

 ぼくは項目を埋めていき、行く先の心当たりの欄に、スウの知人で知っている名前と連絡先を書き綴った。もちろん協力を惜しむつもりはない。しかし納得がいかなかった。

「でもですね、スウは図書館から外に出てはいないんですよ」

「あくまで可能性の話です」

 赤ペンがとりなすように言う。

「図書館の内部は、われわれ〈図書館警察ビブリアチェーカ・パリーツィヤ〉が捜査いたします。ですが〈ジッグラット構造〉に関しては、市警に協力をあおがなければなりませんので……」

 口をついて出そうになった不満を、ぼくは呑み込んだ。渦巻町の住民なら〈図書館警察〉がいかに特殊な機関のか知っているからだ。むしろ、彼らが市警を使うことだってできるんじゃないか、そんな考えが頭をかすめる。

 〈図書館〉は行政上は単なる私有地であり、〈渦巻町〉の一部にすぎない。したがって当然、治外法権など「制度上」は存在しないのだが、にもかかわらず、〈図書館〉は渦巻町側の警察の介入を「慣例的」に排除してきた歴史がある。

 かつて関東に首都をおいていたころ、日本は今よりずっと中央集権的な警察機構だったらしい。しかし、事実上の棄民地域である関東においては、ほとんど古い西部劇映画の保安官のような、〈自治警察〉に置き換わっていた。

 理由の一つは、震災以前から行政の各領域で進められてきた官業の民営化だ。それがここ二十年でついに、警察にまで及ぶようになった。正確には、警察業務のうち、地域課、交通課、生活安全課の一部業務などを、民間にアウトソーシングするようになった(刑事課や警備部はさすがに無理だった)。

 だが震災後の〈関東放棄〉によって、この地域ではその流れが、さらに加速していた。ここでも〈そんな奴らに税金を使うな〉というわけだ。今や関東地方各地に存在するのは、個別に警察庁から委託契約を請けている業者ーー〈委託警察〉である。

 ただ〈委託警察〉の中で〈図書館警察〉と〈渦巻町市警〉が、特殊な関係なのは、先に関西の警察庁から警察機能委託の許可を取りつけたのが〈図書館警察〉で、渦巻町の〈市警〉は、そこからさらに分離した経緯に由来する。

「では、ひとまずおうかがいするのは以上になります」

 端末を受けとりながら、黒ペンがいった。

「連絡先を教えていただきましたので、すぐに市警からも捜査員がうかがうと思います。そうですね、恐れ入りますがご自宅などで待機されるとよいかと存じます。ご協力願います」

 くるり、と並んで振り返り、警官たちは去って行った。結局、双子か双子でなかったのか、わからずじまいだった。

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