第3話

らせん【ろく

 

 そのころ、らせん市の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように〈いぶりくるったばんだあ・すなっち〉のうわさをしていました。

 〈ばんだあ・すなっち〉というのは、日ごとに新聞紙面をにぎわせている盗賊のことです。ちょっとかわったクセのある盗賊で、そのクセというのが、狙いさだめた家に予告状を送りつけるというものでした。送りつけられる家というのは決まって、政治家や高級官僚、富豪、財産のある宗教家などで、ごくふつうの生活を送っている人たちはその点ではひとまず安心なのですが、盗み出すものがまたふるっていて、古いサーカスのポスターだとか、壁掛けのカッコウ時計だとか、赤い風船といった、およそ価値のあるとは思えないものばかりなのです。

 つい先日、鬼月おにづき廿日はつかにも、〈ばんだあ・すなっち〉は首都警察長官の執務室から、秘蔵のはちみつ酒を盗み出す旨の予告状を送りつけ、しかもそれを成功させたのです。嗚呼、なんと大胆不敵なことでしょう! 市民たちは、ことのなりゆきを、息をとめて見まもっていました。この時点で、かの賊には、不敬罪を含め十三もの罪状が課せられたのでした。でも安心してくださいね。これからするお話で、悪者がひどくこらしめられることが、わかるでしょう。悪のさかえたためしなし!

 

 夕ぐれどきのことでした。だいだい色にそまった道を、初等科五年生のリテル君は、肩かけカバンをななめにしょって、歩いていました。

 でも、ただふつうに歩いていたのではありません。道の両側は高いブロック塀が続いているのですが、リテル君は、背中を塀にピッタリと貼りつけるようにして、慎重に、ソロソロと足をすすめているのです。 

 じつはリテル君は、前に歩いている女のあとをつけているのです。尾行のやりかたはーー尾行というのは、気づかれずにあとをつける探偵術のことですーーゆうべ寝るまえに読んだ探偵小説で、べんきょうずみです。

 リテル君は、どうしてそんなことをしているのでしょう。それにはわけがありました。リテル君のおうちは、らせん市の北東の高台にありました。おうちはなんのへんてつもないふつうの平屋で、屋根のうえに古い風見鶏があるのがめじるしになるくらいです。裏手と右どなりは空き地で原っぱですが、左どなりはりっぱな、古くからある、二階建てのお屋敷でした。

 お屋敷は、ここしばらくだれも住んでいなかったのですが、最近、人が引っ越してきました。というより、お仕事のかんけいで遠くの国に行っていたカムストックさん一家が、つい先月帰ってきたのです。

 カムストック家のおじょうさんは、旦那さんじまんのひとりむすめで、アイリスさんという、とてもキレイなおじょうさんです。奥さまはだいぶ前におなくなりになっていて、そのせいかカムストックさんは、それはそれはおじょうさんを大事にしていました。

 アイリスさんは、おだやかで、やさしいお姉さんで、リテル君がもっと小さいころは、にこにことごあいさつをしたり、お呼ばれしてお茶をいただいたこともありました。リテル君はアイリスさんが大好きでしたが、お姉さんのまえに出ると、なんだかきゅうにはずかしくなって、いつもモジモジして、くちがきけなくなってしまうのです。それはお姉さんが、ちょうどそのころ読んでいた、外国のおとぎ話のさし絵に出てくる、盗賊にとらわれたお姫さまによくにていたからでした。

 そんなわけで、カムストック一家が、またおとなりに帰ってきたと聞いたときには、リテル君はうれしくてとびあがりそうになったものでした。

 

 リテル君の子ども部屋は、家の裏手の原っぱに向いた側ありました。窓からはカムストックさんのお屋敷の塀や、原っぱのむこうの雑木林と、そのうえにニューッとあたまをつきだしている〈お化け鉄塔〉がよくみえました。

 〈お化け鉄塔〉というのは、町外れにある火力発電所の三連鉄塔のことです。らせん市の地面の下にはたくさんの水が流れていて、燃料をもやして地下水をわかし、発電に使っているのです。その発電所の送電用の鉄塔はとても高く、大きく、近くで見上げると首が痛くなってしまうほどです。まるで雲をつく巨人がならんで立っているみたいーーじっさい発電所はしじゅう煙突からモクモクと煙をはきだしていたので雲のようでしたーーとリテル君はいつも思うのでした。

 でも、この鉄塔が〈お化け鉄塔〉とよばれているのは、高く大きいからだけではありませんでした。北から南から西から東から、鉄塔はらせん市のどこからでもみえましたが、見るほうがくによって、三本あるはずの鉄塔が、二本に見えたり、三本に見えたり、ときには四本に見えたりするからなのです。それどころか、リテル君が窓からながめていると、みるまに二本になったり、四本になったりすることがありました。こうふんして、おとうさんとおかあさんにそのことを言うと、バカをいっちゃいけない、ととても怒られてしまいましたけど……。

 さて、その日の午後もリテル君は、子ども部屋の窓から、外をみていました。学習机が窓にむいているので、学校の宿題をしているリテル君は、しぜんと外むきになり、ときどき顔をあげてはいつも鉄塔をながめるのでした。

 すると、いつも誰もいない原っぱを、その日はだれかが歩いているのに気がつきました。その人影は、原っぱを横ぎって、鉄塔のほうからこちらへ近づいてきます。

 よくみるとそれは女の人でした。はじめわからなかったのは、その人が、おかあさんのような女性らしいスカート姿でなく、工員さんみたいなツナギの作業着を着ていたからです。

 女の人の顔は、ちょうど陽がうしろからさしてかげになっていてよくわからなかったのですが、リテル君がぼんやりとながめていると、足どりがギクリ、とした感じで止まりました。どうやら向こうもリテル君がみていることに気づいたようでした。そしてきゅうに、歩くほうこうを変えて、どこかへそそくさと消えさってしまいました。

 その晩、お夕食の席でおとうさんが、お隣にカムストックさん一家がもどってきたと教えてくれました。それでリテル君は、あの人影は、アイリスさんにちがいない、と思いました。

 次の日、下校とちゅうでリテル君は、原っぱに寄り道しました。しばらく小石をけったり、草で笛をつくったりしていると、ちょうどそこにきのうと同じ人影が通りかかりました。リテル君はうれしくなって、人影によっていきました。

「お姉さん、おひさしぶりです!」

 せいいっぱい、キチンとしたあいさつをしようと、リテル君はひっしです。ところが元気よくごあいさつしたのに、アイリスさんは答えてくれません。立ち止まりはしましたが、ジロリと、まるで知らない人にであったみたく、よそよそしいのです。

 みた感じ、アイリスお姉さんはむかしのままでした。ほっそりしていて、色が白くて、大きな目がキレイです。でもちょっと、やせすぎなきもします。ご飯を食べていなかったのでしょうか。

「アイリスお姉さん、ボクです。隣のリテルです」

 ひょっとして、ボクのこと忘れてしまったのかしら、とドキドキしながら自己紹介までしたのに、やはりお姉さんは口をひらきません。それどころか、とても恐くて冷たい目でにらまれてしまいました。そしてプイッと顔をそむけて、昨日と同じように、歩きさってしまいました。お姉さんの行く手には、カムストックさんのお屋敷のレンガ塀があります。塀には裏口の木の扉がついていて、そこからお屋敷の敷地に出入りができるのです。

 それにしても、あのおやさしかったお姉さんはどうしてしまったのでしょう。

 リテル君はとほうにくれてしまいました。本当にリテル君のことをわすれてしまったのでしょうか。いや、リテル君のことをキライになってしまったのかもしれません。そう考えると、リテル君はなんだか、とてもかなしい気持ちになってしまいました。

 そんなこんなで、次の日のにちようび、居間で一家団らんしているというのにリテル君はうかない顔でした。会社がお休みのお父さんは、いつものように新聞を読みながらひどくプリプリと怒っています。

「なんてことだ、また税金が上がるのか。それもこれも野党がだらしないからだ!」

 お父さんの顔は真っ赤になっています。

 リテル君にはむずかしくてわからないのですが、おとなしいお父さんが毎回口をきわめてののしっているくらいですから、ヤトーというのはよほどわるいヤツなのでしょう。

 となりではお母さんがせっせとハガキを書いています。なんでもお国にはんこうする〈反体制派〉のわるい弁護士がいるので、そいつらをやめさせるためにちょうかいせいきゅうのハガキをたくさん書かなければならないというのです。これもリテル君にはむずかしすぎましたが、お国に文句をいうなんてとんでもないヤツがいたものです。ハンタイセイハというのも、わるものにちがいありません。

 さて、よみおわった新聞をていねいにたたんでいたお父さんが、ふとお母さんに話しかけました。

「ところで母さん、カムストックさんの入院先はわかったかい」

 お母さんは手を止めて答えました。

「それがですね、どうにもハッキリと教えてくださらないんですの。なにか、はばかることがおありなのでしょうかしら」

 二人の話をそしらぬ顔で聞くことでリテル君にも、事情がのみこめました。

 外国からもどってらしたのは、アイリスお姉さんだけで、カムストックの旦那さまはご病気で病院に入っているらしいのです。お屋敷はアイリスお姉さんと、カムストックさんがやとった執事のルキーンという大きなからだをした男の人と、通いの家政婦さんがいるだけだそうです。

 お父さんとお母さんは、カムストックさんのお見舞いに行こうとルキーンさんに入院先をたずねたのですが、なにかわけがあるのか、教えてはもらえなかったらしいのです。

 ルキーンさんは、ひどく無口でぶあいそうな執事で、リテル君も苦手でした。どんよりとにごった目をしていて、くちびるがみにくくマクレ上がっていて、それに、からだがひどくぶかっこうなのです。昔話に出てくるせむし男みたいに、両方のうでがみょうに長くて、まるで南洋の大猿のようです。

 その話を聞いて、リテル君の頭にひとつの考えが浮かびました。

 リテル君は居間から子ども部屋にいって、本棚から一冊のご本をとりだしました。それはつい先だって学校の図書室から借りてきた探偵小説でした。

 いそぐ心のままに本をめくっていくと、おめあてのかしょが見つかりました。

(ああ、まさかそんな。)

 そこはまさに名探偵が、凶悪な、おそろしい犯人を指さしている場面でした。犯人は外地から二十年ぶりに帰ってきた富豪の息子で、しかも本当は息子と入れ替わっていた赤の他人の悪漢だったのです。

 リテル君のむねは、にわかにドキドキしてきました。しかしそう考えれば、あのお優しかったお姉さんがきゅうに冷たくなってしまったことや、カムストックさんの姿を見られないことのつじつまがあうのです。

 ひょっとしてお隣にやってきたのは、ニセモノのカムストック一家なのではないでしょうか。一見、同じ顔に見えますが、じつはお姉さんは別人に入れ替わっているのではないでしょうか。

 リテル君の頭には、そんなぶきみな考えがうかんできてしかたがありませんでした。

 しばらく考え考えして、リテル君はけっしんしました。ご本の中の名探偵の助手は、ちょうどリテル君と同い年ですが、とても勇気があって知恵も働きます。悪漢と一人で対決したことも一度や二度ではありません。リテル君はそんな少年探偵にあこがれていました。

(ようし、ボクがこのふしぎななぞエニグマをあばいてやるぞ!)

 リテル君はそう決心すると、武者震いをひとつしたのでした。

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