第2話
神殿Ⅰ.
母は
このちょっとした、しかし決定的な産み分けは、必然として、わたしたち姉妹に役割分担をもたらした。すなわち、妹は神殿の前面に立ち、巡礼や民草や諸侯らに語りかける表の貌を受け持ち、わたしは神殿の
だからといって誤解をしないで欲しいのだが、わたしたち二人は、とても仲のよい姉妹だった。我が身にのしかかる運命を、お互いをたった一人の血を分けた肉親として、支え合い、乗りきろうとしていた。
あのおとこに出会うまでは。
*
「未だーーご託宣はいただけませぬか、巫女どのよ」
将軍の声は、交合の名残をとどめてまだ幾分うわずっていたが、存外にはっきりとしたものだった。
わたしは内心舌を巻いた。部屋に立ち込める甘い薫香には、心を混濁させる秘密の配合がしこまれている。幼少期より馴らされたわたしは無事だが、並の男であれば、意味のとおった質問を発することすら難しいだろう。
窓のない
「神意は、人の都合で図れるものではござりませぬゆえーー」
そう答えるわたしの体を引き寄せ、将軍がのしかかってくる。唇をふさがれ、荒々しく吸われた。武骨な指先が肌をまさぐる。賊など到底入り込めぬ〈大神殿〉の最奥部とはいえ、一糸纏わぬ裸形を晒す豪胆さは認めねばなるまい。
やがて貪るような接吻をとき、マナン将軍は耳元に口をよせ、こう言い放った。
「お前は大巫女どのではないな、何奴だ貴様は」
わたしは息をのんだ。
「何を仰せでございましょうや……」
「口を慎め。妙な手妻さえ効かなければ、お主の体と、あの巫女どのの細腰を見紛うはずはあるまい」
ふいに凶暴さを露わにして、将軍の声が尖る。マナンの言うとおりであった。妹ゼフィールは、たおやかな、水辺の野花をおもわせる優美な肢体であるのに対し、わたしはといえば骨太の体つきといい、たっぷりとした太り肉といい、およそ蒲柳の質とはいいがたい。
口ぶりそのままに、わたしは乱暴に突き放された。にゅっと伸びてきた太い指が首にかかり、咽喉が押さえつけられる。たちまち息ができなくなった。
「ーーっ将ーー軍、どの……お止めに……っ」
わたしの苦悶を、マナンは無視した。
「いい気になるな。ネルガル神殿が、あらゆる権威と世俗権力の上に立って
万力のような力が指に込められ、さらに苦しくなった。
がーー。
うごご、と
「ぐげげ」
将軍がのたうち回り、ついには寝台から転げ落ちたのが感じられた。ようやく目を開けることができた。
毛皮の敷き物の上、
ハッと気づいたわたしは、慌てて神へ、この不敬者に慈悲を乞うた。まだ、マナンを死なせるわけにはいかない。
わたしは目を閉じて、自らの指を女陰に這わせた。まだ湿りがある。わたしは心を
それはふつうに想像される〈祈り〉とは異なるものかもしれない。だがわたしはすぐさま神が、心に直截触れるのを感じた。瞬間、わたしは黒い影に己が貫かれたのを、まざまざと感じた。現実の世界ではほんのわずか、手のひらから雫が床に落ちるほどの長さであるが、別のどこかでは一昼夜ほどの神々との交歓のあと、わたしは帰還した。
ごふっ、という音がして、将軍のもがきが止まる。
わたしはすぐさま、寝台からおりて近寄った。よかった。まだ息がある。わたしはぐったりとなっている将軍の背中に手を当てた。男の浅黒い肌は、氷室に閉じこめられたかのように恐ろしく冷えている。暗い外宇宙から招聘された神力のなせる業である。
口元で聖句を唱えた。いまいましいが将軍の持つ軍事力が必要なのだ。ことにいま、東に興った強力な帝国アグラーヤが、ヤン河流域への領土的野心を隠さなくなったからには、なおのこと。
気息を整え、意識を集中していると、手のひらが熱を帯びてきた。その熱をわたしは、将軍の体に送り込む。マナンの体がしだいに温まり、血が通ってきた。〈神の力〉を借りずとも、この程度ならばわたしにだってできる。というより、そうせざるを得ないのだ。〈名づけえぬ神〉は、〈力〉を与える替わりに見返りを求める。〈神〉の要求する見返りが、どんな見積りのもとに弾き出されるのかは、神のみぞ知る。迂闊に利用しないに越したことはなかった。
そうして熱を注ぎ込むことしばし、安全な状態にまで持っていってからわたしは、寝台わきの吊り紐を引いた。ほどなく警備隊長のサルマが、控えの間からやって来た。
「ゾラ様!」
サルマは一瞬にして状況を見てとり、わたしに駆け寄った。同時に袂から懐剣をとりだし油断なく将軍に向ける。かつて傭兵稼業で諸国を遍歴していた時代の習いである。
「その男はもう無力よ」
わたしの言葉にサルマは一応刃を引いたが、警戒は緩めていないようだった。
長身で黒檀の肌をもつ南方人のサルマは、無口なこともあって、ともすれば表情のない人形めいた印象を与えがちだが、その実、焔のように激しい熱情を秘めており、なによりわたしたち姉妹に忠実だった。妹とわたしのこと、つまりネルガル神殿の真の大巫女たるわたしと、代理として表舞台に立っている妹ゼフィールの関係を知る数少ない者のひとりだ。
わたしは意識のないマナンの巨体を見下ろして、
「どうやってこの男を運ぼうかしらね」
と相談した。
「
「でも、何て言ったらいいと思う」
サルマは肩をすくめ、答えた。
「
一瞬、冗談かと思いサルマの顔をまじまじと眺めたが、その表情があまりに鹿爪らしいので、つい吹き出してしまった。
「そうね、そういう話でいきましょう。あとをお願いしていいかしら」
サルマは屈強な神人たちに将軍の身柄を渡し、神殿の西の〈王の館〉で休ませるように指示をした。しばらくは起きあがれないだろうが、おとなしく寝ていれば元通りに回復するだろう。
これに懲りて、将軍の暴走が止めばよいのだが。
わたしは、そう願わずにはいられなかった。
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