第25話
「角田のこと、上司にも相談したの。あと、同性の先輩にも。そしたら、勘違いさせたあたしが悪いんだって言われたの。どうしたら高橋さんと鷹岡くんみたいに勘違いなく人と人として付き合えるの?」
「えー。相手が男だからって立てない。そしたらだいたい色んな対象から外れる。鷹岡くんはそんなの気にしないからアレが稀なんだと思う。そもそも今どき男を立てろとかいうの、オッサンかしょーもないやつしかおらんて。役割はあっても、それ以上のこと強要してくるのはろくな奴おらんやろ」
「だよね!?」
よし。掴んだ。茉莉は少しホッとした。男と付き合ったことが無いので、歓送迎会の飲み会で、酌やきめ細やかな気遣いを要求してくる男のウザさくらいしか知らないが、まあこの際良しした。
会話の呼び水になればそれでいい。が、思った以上の効果を発揮し、佐々木の恨み節が止まらない。小さな頃からなにかしら性的に不快な思いをさせられ、高校受験に向かう途中の電車での痴漢被害でまともに対応して貰えなかったのが、警察官になる決め手だったという。魅力的であることの不幸をこれでもかというくらい聞かされて、頭が混乱してきた。
「ねえ。知ってる? 女が死んだら、初めての人に背負われて三途の川を渡るんだって」
突然降って湧いた言葉が、今までの呪詛の渦を一掃する清廉さを持って耳に残る。が、次の言葉で濁った。
「あたしの初体験の相手、好きでもない奴だったんだ。もしこの伝承が事実だったら本当に最低」
「もし、それが本当やったら、警棒でボコボコにしてやれば? 棺桶にいれとくよ」
茉莉がいうと、佐々木はふっと笑った。
「高橋さんはどう? いい人におんぶして貰えそう?」
「まだわからん」
上瀧の背中の鳳凰を思い浮かべる。鳳凰か。お神輿みたいやな。と思いついてちょっと吹き出してしまった。自分の名前の音は“まつり”だし、なんだか間抜けていて、馬鹿みたいだ。
「まだって、まだってこと?」
「うん。まだ」
「そっか……。好きな人とできるっていいね」
佐々木の感傷に笑顔の振りしかできない。不思議と、好きな人、という言い方はあまりしっくりこなかった。上瀧に対する感情は、もっと生々しくて、濁っていて、ドロドロしている。
「まだわからんけど、なるようになったらいいな」
と言って佐々木のほうに身を乗り出す。
「佐々木さん、鷹岡くんのこと、どう思っとるん?」
佐々木が目を丸くする。
「好きっちゃないと? もし、必要なら協力するけん、いつでも言って」
「……ありがとう……」
佐々木は小さな声で答えた。
「あたしでも、鷹岡くんのこと、好きになっていいのかな……」
茉莉には佐々木の迷いの理由がわからなかった。
好きになることに悩むだけの問題があって、佐々木はそれに苦しんでいる。初体験の話にしても、訊くのを躊躇う暗さがあった。迷信さえ恐れてしまうくらい、嫌な思い出だったのだろう。自分のことではないし、体験したこともないが、無性に胸がざわついた。悲しい気配に、一緒になって悲しくなった。別に親しくもないが、佐々木の放った痛みが、釣り針のように胸にくい込んだ。
「逆になんで好きになったらいかんと?」
「え」
佐々木は戸惑った顔をしている。
「いいやん。誰を好きになっても。鷹岡くん根なし草やし。付き合っとう人おらんよ。多分。っていうか、佐々木さん、鷹岡くんのこと好きなん?」
佐々木の目が仔猫のように丸くなる。ふわっと頬が紅潮した。
その表情が信じられないくらい可愛い。そしてそんな顔をさせたのがあの鷹岡(おとこ)だと思うと本当に信じられない。茉莉はあんぐりと口を開けた。
「え? 嘘やろ。鷹岡くん? もっといい男おらん? あ。あれよりマシなん、うちの会社におらんか」
いや、これ以上自分の立ち位置から鷹岡をとやかく言ってしまうと、嫌な女だ。と思い直し、茉莉はグッと口を噤んだ。
「……実は、その、高橋さんと鷹岡くんが付き合ってないのかちゃんと確認したくて。秘密の社内恋愛だったら……、あたし、ただのおじゃま虫でしょ。それに、その、高橋さんにまで、嫌な女だって思われたくないし……。でも、高橋さんはアレだよね、好きな人がいるんだよね?」
「うん。だから大丈夫。私はただの同僚だから気にせんでね」
念押しに笑ってみせると、佐々木も微笑む。
「ありがとう」
美人が笑うと空気が変わる。茉莉は眩しさを感じて目を細めた。今、心から鷹岡を恋愛感情で好きではなくてよかったと思う。
人は見た目なのだ。姉のおかげで思い知らされた。全然似ていない姉妹だから、姉のジェネリックにならずに済んだ。佐々木の顔を見ながら、久しぶりに仄暗い感情が湧いていた。佐々木と菫と自分が並んでいたら、上瀧はどれを選ぶのだろう。多分、佐々木だな。私が上瀧さんなら、そうするもんな。
喉の渇きに水を求めたが、グラスはどれも空だった。
並べてみたいな。空になった自分のグラスと佐々木のグラスを見ながら思った。そして、上瀧が佐々木を選び、移行していく様を思い浮かべる。もちろん、二人がそうなるとは到底考えられない。けれど、
好かれてないことはわかっている。自分がただ執着しているだけなのだ。上瀧に他に女が何人いても知ったことではない。全部蹴落として一番になれたら、今までの自分が薄れて、女としての劣等感が、少しはマシになれるのではないかと思ってはいる。
それ以外の一個人としては今のままで充実している。満たされていて、満たされていない。自分自身ではどうにも解決できない欲求不満を満たすのは、やはり他人なのか。
しかし、この欲求不満の正体も姉という他人から与えられたものなので、結局は独りでいるのがいいのか、他者と共存していくのがいいのかわからない。一人でいたいし、誰かといたい。我儘を持て余している。うちのめされたいのか、救いあげてもらいたいのか。上瀧を通して何を求めているのかわからない。十年の執着はただの自己実現、あるいは認証欲求なのだろうか。では、この身を焦がすような欲情は何だろう。恋なのだろうか。恋愛感情なのだろうか。持ち続けてきたこの想いはとっくに甘酸っぱさとはかけ離れた。
佐々木と鷹岡がくっついたら面白そうだ。鷹岡VS角田が見てみたい。鷹岡なら上手くやるだろう。しかしそれとは別に角田は機会をみて一発殴ろう。忘年会辺りを狙おうと思った。鷹岡が佐々木と付き合ったら自慢してくるんだろうなと思うと今からムカついてきた。しかし、佐々木には幸せになって欲しいと思う。
お茶会を終わらせ、会社に戻ると、夕方前に一本の知らせが入り、暴力団係がざわついていた。別府組の若頭の藤崎巽が、組長の見舞いに行った病院で何者かに毒を盛られたという。すぐさま会議が開かれた。三浦も会議に出席していた。一気に緊張感と慌ただしさが増した。残念ながら茉莉は会議には呼ばれなかった。呼ばれるほどの立場にない。三浦の指示を待つしかない。しばらくすると伊川班の数名が慌ただしく廊下を歩いていくのとすれ違った。
上瀧はどうしているのだろう。自分は末端だからと言っていたが、藤崎巽は幼なじみだったはずだ。関係ないはずが無い。今からでも事務所に行きたいと思ったが、今朝の鷹岡の言葉が引っかかる。上瀧へのアクションは置いて、経過観察に回ろう。色んなことを差し置けば、ただただ上瀧に会いたいが、そうもいかない。茉莉は蚊帳の外で一時間の残業後、帰宅した。
ふと、鷹岡に連絡してみようかと思ったが、佐々木の件もあるのでやめた。
近所のコンビニに寄り、いつ呼出がきてもいいようにノンアルコールビールにして、アラビアータとハムチーズのブリトーを購入した。途中、雑誌コーナーで女性ファッション誌の『フェロモン女子の作り方』なるものに惹かれ、雑誌を手に取ってみたが、土台が違いすぎて危うくコンビニの立ち読みで悪態をつきそうになった。濡れツヤチークも生っぽキメ肌も自分がやったら馬鹿にされそうな気がする。そもそも
呼び出しはないまま、普通に寝て朝が来た。
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