第24話

 まだ目覚めていない巽は酸素マスクと点滴、心電図が装着され、足元からも管が伸びていた。西日が白い顔を照らしている。巽の胸が微かに上下するのを確認し、ようやく人ごこちがついた。全身の力が抜け、上体を倒し、ベッドの端に額をつける。自分でも意外なほど安堵した。馬鹿みたいだと苛立ったが、気が緩んで眠気に襲われた。


 不安混じりに出勤したのだが、なにがあるでもなく、書類処理をしたり雑用をこなした。そういえば鷹岡の姿を見ないなと思ったが、昼食の弁当を注文する時に、同僚から初めて鷹岡が調査に出たと聞いた。なんの調査かそれとなく訊いてみたが詳細は知らないようだった。

 今日も今日とて偽電話詐欺だの空き巣だの暴行傷害から果ては殺人と、事件は至る所で起きている。茉莉は三浦に呼ばれ、新たな詐欺グループの被害者に事情聴取をし、書類をまとめて、配達された弁当を受け取り、自分のデスクで食べていると佐々木がやってきた。

「突然でごめんなさい。連絡先交換してくれませんか」

 緊張した面持ちで、キッチリ着こなしたパンツスーツスタイルは相変わらず綺麗だったが、どことなく頼りない。

「いいよー」

 と、茉莉もスマホを取り出す。

「ありがとう!」

 と佐々木が破顔すれば、そこだけこの世の春が来た。互いのスマホをむけあい、連絡先を交換する。

「うれしい」

 にこにこと無垢な笑顔に見蕩れてしまう。ピコンと手元のスマホが鳴った。

『このあと時間ありませんか? 抜けられたら、お茶しませんか』

 敬語! お誘いが敬語! 茉莉は目を丸くして佐々木を見上げた。佐々木は少し不安げに眉尻を下げる。キレイで可愛いのだ。茉莉はスマホのメッセージアプリのスタンプを押す。劇画タッチのムキムキのボディビルダーが両手を上げてOKを支えるポージングしている。お前こういうの好きやろ、と鷹岡に貰ったものだ。別に好きではないが、せっかくなので使っている。スタンプを見て佐々木がくすりと笑った。再びピコンと鳴る。

『高橋さんセンスいいね』

 嘘やろ!? このしょうもない、一目見てわかる、あざといシュール狙いのどこが!? とは言わず『鷹岡くんにもらったw』と返信しておく。

『本当に付き合ってないの?』

 佐々木の質問にちょっとうんざりしてしまった。

『ありえん』

 むしろ佐々木が鷹岡と付き合えばいいと思った。またピコンと鳴る。ウケる、とピンクの文字が、笑うウサギのキャラクターの上で踊るスタンプが送られてきた。

『いつ頃出られる?』

『一時間後に。頑張る』

 そう送りあって、一旦別れた。茉莉はチキンステーキ弁当を平らげ、やっておくとよさそうな書類の作成と報告書に目を通して、三浦に適当なことを言って部屋を出た。エントランスを出てすぐに連絡を入れると、近くのビルの一階にある喫茶店を指定された。今朝のぐずついた天気が嘘のように真っ青な空が広がり、太陽がギラついている。なるべく日陰を歩いて喫茶店へ向かった。


 店内は薄暗く寒いくらいに冷房が効いていた。見渡すと奥の壁際のソファ席に佐々木が座っており、茉莉に気づくと、サッと手を挙げた。

「おまたせ」

 といって席に行くと佐々木は立ち上がった。

「こっち座る?」

「んーん。椅子でいい」

「そっか」

 水とおしぼりを持ってきた店員にアイスコーヒーを注文する。佐々木はコーヒーフロートを飲んでいた。

「来てくれてありがとう」

「んーん。いーよ。どうしたん?」

 とりあえず氷の浮かんだ水を一気に半分の飲む。チキンステーキ弁当のおかげで喉が渇いていた。

「んと、昨日はありがとう」

「いやなんもしとらんけど」

「すごく楽しくて……。本当にあんなに楽しかったの初めてで」

「そこまで?」

 茉莉は驚いて佐々木を見る。佐々木はこくりと頷く。

「あたし、同性に好かれるタイプじゃないから」

「まじか。そんな?」

「なんか、結局嫌われるっていうね。よくあったのが友達の彼氏があたしのこと好きになるとか、引き立て役にされたとかいわれたり」

「あー。なるほどね、ありそう」

「やっぱりわかる?」

「うん」

 ふと頭に姉の菫が過った。彼女は自分の魅力をフルに使い、嫉妬も羨望も鼻で笑うような強かさがあった。

「美人すぎるのも大変やね」

 そういうと、佐々木は困ったような、落胆したような顔をした。佐々木は自分の魅力を持て余しているのだろう。優しいというか、弱いというか。他人の言動にいちいち傷ついてきたのが想像できた。もしかしたらなにか危害を加えられてきたのかもしれない。

「好きでこう生まれてきたわけじゃないけどね」

「私も。好きで美人すぎない顔に生まれてきたわけじゃないんやけどね〜」

「……あたし、気に障ること言った?」

「いや、気に障ること言ったの、私やろ?」

 佐々木は少しムッとして口を噤んだ。なにか言葉を探している。

「綺麗とか、美人とかって、あたしにとって呪いの言葉なんだ」

「そうなん? ごめんね」

 地雷を踏んだ。茉莉はそう思って、再び水を飲んで佐々木の対応を待つ。

 強かな方の美人に慣れているせいか、若干めんどくさく感じる。共感できない分、卑屈な不美人より対応に困る。諸事情があるにせよ、よく言われる。とにっこり笑って肯定された方が楽だ。そもそも美人でもブスでも普通でも、ちょい美人でもちょいブスでも何でも、みんなそれぞれ呪われている。言い出したらキリがない。なら、はっちゃけて、開き直ってると言われるくらい好きに生きたほうがいい。いじけられても、慰めるのは得意じゃないし、なにか解決してあげられるわけでもない。話を聞くくらいしか出来ないから吐き出したいことがあるならはやくぶちまけて欲しい。

 これを角を立てずに伝えるにはどうしたらいいのだろうか。茉莉はテーブルの上の紙ナプキンと佐々木の間くらいを眺める。

「こちらこそいきなりごめんなさい」

 謙虚に、人に優しく、主張しすぎないように。佐々木は護身術に折れることを選んでしまったようだ。

「でもさ、それはそれとして、モテるのはモテるやろ? 同性から嫌われる、あるいは異性から恨まれるレベルで」

「どうして、そういうこというの?」

「美人すぎるが故になんかあったっちゃないと? 私になんか相談したいっちゃないんかなー? って思って」

 佐々木の表情が少し軟化した。

「一つ言わせてもらうけど、高橋さん、可愛いよ。あたしのこと美人すぎるとかいうけど、高橋さんこそモテるでしょ?」

「……え。なに……。え。仕返し? モゾモゾするんやけど……、なんなん? やめよ?」

「ちがうもん。思ったこと言ったの」

「へー。ああそう」

 ちょうどアイスコーヒーが運ばれ、ストローで一気に吸い上げた。こめかみにキィンと痛みが走る。

「相談したいならしてよ。こう見えて私市民の安全を守る仕事しよるっちゃん」

「本当に?ならちょうどよかった」

 佐々木がにっこり笑った。

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