第22話

 市川が唾でも吐くように言い、上瀧を上から下に眺め回す。

「親父さんの看板捨てて坊のケツ追っかけてくるつもりか。赤川さんも浮かばれんのう。なァ、上瀧よ」

 市川が不満げに上瀧を斜に睨みつけながら宣う。

「何の話かわからんのですけど、俺がイロに見えるのは、兄貴の目が問題なんやないすか」

「貴様(きさん)コラなんちか!?」

 上瀧の胸ぐらを掴んで引き寄せる。

「病院ではお静かにしましょうや。ほら、市川の兄貴、迫力がおありですから」

 ぽんぽんと肩を叩いて口の端だけで笑う。市川は憤怒の目で睨みつけながら荒く押し返して手を離した。

「相変わらず口の減らん奴よの。赤川(アニキ)が一緒の時はおとなしゅう黙っとったクセに」

 松原が可笑しそうにニヤつきながら上瀧を下から睨みつける。

「あんま調子乗っとったら潰すぞ糞ガキ」

「……松原さんとこも気ぃつけとったほうがよかですよ。マル暴からうちに電話が来てました。俺ァなーんも知らんけん、どちらさんにも協力のしようがなかですけど」

 肩を竦めてみせると松原が鼻を鳴らす。

「いちいち癪に障るやっちゃのう」

「そら心外ですね。叔父貴に言われるとは」

「アァ!?」

 下っ端が詰め寄ってきて凄む。まだハタチやそこらのガキだった。親を小馬鹿にされて腹が立ったのだろう。気持ちはわかる。かつて自分も同じ、否、それ以上の屈辱を味わった。

「落ち着け。あんまイキると躾が悪いって親が笑わるうぞ」

 怒りの漲った眼を見返しながらなだめるように言ってやったが、当然逆効果だった。掴みかかろうとする下っ端の頭を松原が殴りつけた。

「上瀧はの、人をおちょくって煽るようなイヤらしい奴ぞ。乗せられんなボケ」

 思わず笑ってしまった。

「クハッ、さすが松原さん。よお解っとらっしゃあ」

「あんま年寄りば煽るなよ。気ぃ短うしてなんするかわからんぞ」

「そらァ恐ろしか。肝に銘じときます」

 恭しく頭を下げてみせ、松原たちが来た道を行く。


 病棟のナース室の前で見舞者名簿を記入していると、巽がやってきた。心做しか顔色が悪い。目で尋ねると、別府がいる個室の隣の空きの個室に呼ばれた。

「今日明日かもしれんって」

 空いたベッドに並んで腰掛ける。巽はそういうと大きな溜息をついた。

「松原と市川が仲良うお買い物しに来とったぞ。市川には俺がお前のイロに見えるらしい」

「ふふっ。ウケるやん。言わせとけ」

 巽が上瀧の胸に倒れ込むようにもたれ掛かり、腹の近くに潜めたスマートフォンの画面を見せた。

“だれかおるよね?”

 巽に寄り、声を潜めて耳打ちする

「どうするや?」

“とりあえず泳がして様子見”と、打ち込み、小さく笑い声を漏らす。

「くすぐったいって。諒平くん」

 身を捩り、子供のようにくくくと笑う。そうしながらも淡々と文字を打ち込む。

“だれかつけられた?”

「しらん」

 とはいえ、離れたところからこちらを窺っている気配を感じる。その気配が誰のものか見当がついているのだが、巽がわかっていないなら違うのかもしれない。

“このあと、少しごたごたするけど、諒平くんは俺と一緒におって”

「ん」

“とりあえず出よう”

 巽の肩を叩き、了承の意を表す。

「お前、顔色悪いぞ」

 上瀧がいうと、巽は曖昧に微笑む。

「ちょっとね」

「無理すんなよ?」

「大丈夫って」

「本当や?」

「うん」

「なら、よかばってん。あ。これ、オヤジさんの見舞い」

 と、懐から封筒を差し出す。

「気ぃ遣わんでよかとに」

「いや、少ないけん、気にすんな」

「ありがとう。オヤジもう死ぬけど」

「縁起でもないこというな」

「本当の事やん。でも、諒平くんが考え直してくれて良かった。俺、頑張るけん」

 ヘラッと笑ってみせる。昔一度別れた時もこんな笑顔だった。同じような笑顔で施設を去った。再会するまで、そして、したあとも、どれほどの苦痛の中で生きてきたのだろうか。自分がいたところでなにか巽の役に立つのだろうか。巽の前を歩き、外の様子を窺い、部屋を出た。別府の部屋の前には巽のボディガードと秦が立っていて、上瀧に気づくと頭を下げた。秦の表情には動きはない。

 病室の中は白とピンクを基調としていて、ここに来た輩の誰もが場違いに思える。仰向けに横たわり、酸素吸入器をつけて目を閉じたままの別府は、ずいぶん痩せこけている。規則的な機械音が静けさを意識させる。

「坊。飲み物買うて来たぞ」

 市川が病室に入ってきて、巽にプラスチックカップ入の冷たいドリップコーヒーを渡す。

「ありがとう。市川さん」

 微笑みながら受けとり、フタのふちの飲み口から直接飲む。上瀧を除く三人でぽつぽつと他愛もない談笑をしてしばらくすると、巽の様子がおかしいことに気づいた。微かに震えながら上瀧を見る。

「りょ、うへい、く……、」

 咄嗟にぐらりと揺れた身体を抱きとめる。

「看護師呼べ!!」

 上瀧が怒鳴ると秦が走って病室を出た。市川は目を白黒させて狼狽え、ボディガードの男も同じように慌てふためいている。

「ヒッ……! カハッ……!! うぐ……、ウゥッ」

 悶絶しながら身を捩り、目を剥く。全身から力が抜け、巽の全体重がのしかかってくる。

 バタバタと足音がして、秦が看護師を連れて戻ってきた。何があったのか、どうしたのかと訊ねられたが誰も答えられない。コーヒーを持ってきた市川を見るが、狼狽えるばかりで役に立ちそうにない。意識のない別府の隣で、その息子が苦しんでいる。

「おい! 松原は!?」

 上瀧がボディガードに向けて怒鳴ると、ハッとして顔を上げ、病室を出ていった。馬鹿めと舌打ちをしたが、上瀧自身は動けない。ようやくストレッチャーを押した数人の看護師がやって来て、巽をのせて連れていった。

「誰かこの状況を説明できる方はおらんとですか!?」

 看護師がいうと、秦が答える。

「コーヒーを飲んで少し話をしてました。そしたら、急に苦しみ出して……」

 秦の説明を聞いていた看護師は他の看護師に呼ばれ、慌てて部屋を出ていった。上瀧は市川を見る。市川は顔をひきつらせて頭を振る。

 秦から尋常ではない殺気が立ち上っている。しかし、違和感を感じる。殺るなら毒を盛るなどまどろっこしいことをせずとも、ドスか拳銃チャカで片付く。どうせなら巽だけでなく、ここに居る全員を殺った方が別府組に与える打撃は大きい。松原の差し金か、それとも他の奴らの仕業なのか。ちがう。俺は関係ないと喚く市川が煩くて思考が邪魔される。この様子では、多分、嘘ではないはずだ。しかし。

 不意に巽が話していた事を思い出す。ひょっとしたら、巽は過去に報復をしたいのではないだろうか。上瀧は市川の胸ぐらを掴む。

「貴様(きさん)コラ。テメェがしたこと誤魔化す為に巽ば消そうってか、あァ?」

 役者には向いてないなと内心思ったが、市川は更に狼狽した。

「な、なんの、ことや」

「あァ?! なんのことか忘れとんのか? ガキのアイツにテメェがしたこと忘れたって言うとや!! ァ? そんなにガキの方が好みかこのクサレ外道が!!」

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