第21話
「花や?」
「うん。クチナシ。八重咲きやった」
巽は少し遠い場所を眺めるように呟いた。
「へえ」
「俺、あれ好きなんよ。家の庭に植えてもろうたヤツはもう花が終わったっちゃけど」
「ほう」
おざなりな返事で煙草をくわえた。すかさず巽が火をつける。
「俺、十二の時に施設出たやん」
ひやりとした。煙を吐きながら一瞬息が止まった。また取り乱さないかと危惧したが、巽は普通の顔をして前を見ていた。
「別府の本宅には居(お)られんかったけん、住込みの奴らがおる詰所に行かされたっちゃん。組長の息子っていっても、愛人に産ませたぽっと出のガキやん? しかも、貧弱でなよなよしい。だーれも味方がおらんやった」
今まで触れてこなかった、巽のその後の経緯を聞かされた。市川が村八分にされていた巽に近づき手篭めにしたことは、何となく察しがついていたが、改めて聞かされると思った以上に気分が悪かった。
海辺の近くから都市高速にのり、南へ一時間半かけて県境の田舎の病院へ向かう。途中サービスエリアに立ち寄り、飯を食う予定だったが食欲が失せた。感情を揺さぶられているあたり、巽に嵌められていると思わなくないが、どうしても妙に感情がざらつく。巽は秦とボディーガードとサービスエリアの食堂へ行った。一人で車に残り、煙草で時間を潰していると携帯電話が鳴った。
「なんや」
「伊川ばってん。元気しとうとや?」
「……おかげさんで」
事務所からの着信だと思っていたが、そうくるとは。舌打ちを寸でのところで堪えた。
「本部の伊川さんが俺のようなチンピラになんの御用ですかね?」
「なんばご謙遜を。赤川組の組長さんやろうもん」
「今にも消えそうな末端ですよ。いじめんで下さい」
「なんしおらしかこと言いようとかて。組長さんにうちの若いもんを紹介したかったとやけど、今日は戻らんとね?」
「これから伯父貴の見舞いに行かなとですよ」
「アンタのオジキちゃ誰ね?」
「別府の伯父貴ですよ。ご存知でしょうもん」
「松原は元気しとると?」
「そりゃ、伊川さんの方がようご存知でしょう?」
「薬院駅で女引っかけたらしいやん? 色男」
「誰とお間違えですかね?」
「愛らしか女子(おなご)やったと思うばってん、忘れるほど女とっかえひっかえしようとか」
「俺みたいな男に引っかかる女やらおらんでしょ。藤崎なら今一緒に病院に向かっとりますよ。後で電話させましょうか」
「いーや、よか。アンタと話がしたかったとばってん、時間を改めよう」
「そうしてもらえると助かります。新人さんには申し訳ないですけど」
「夜には帰って来(こ)うもん?」
「日付けが変わってもよかなら喜んでお会いしますよ」
「偉うなったやん貴様(きさん)」
「勘弁してくださいよ。末端はそうそう帰られんとです」
伊川が面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「たまにはアンタも警察(おれら)に協力してもらわんとな?」
「いつだって喜んでご協力致しますよ。俺にできることなら」
「なら松原んとこのジャリタレどものこと、俺に教えんか」
「教えられるようなネタがあればすぐに御報告します」
「上瀧」
「はい?」
「うちの可愛い部下に手ぇ出しといて知らんっちゃなんか?」
「ははは。俺ァ人違いって言ったんですけどね」
「あんまふざけよったら引っ張っちゃるぞ。ネタはどうとでもなるっちゃけんな」
「まあまあ伊川さん。そう怒らんで下さいよ。もし仮に俺が伊川さんとこの愛らしかお嬢さんに手ぇ出したとして、こんな日陰モンと関係を持ったって表沙汰になったら困るのは誰ですか? 明るみになって困るのは、そちらさんやないですかね? それともなんですか? 美人局でもやるおつもりでしたかね?」
伊川の腹立たしげな舌打ちが聞こえた。この様子ではどうやら美人局ではないらしい。だったらあの女は自らのプライベートを誰彼構わず喋りまくるのだろうか。いくらなんでも、と思い直そうとしたが、なまじありえそうだから頭が痛くなる。
「ほんにお前は食えんのう。まあ、よか。明るみになったら困るのは本人だけたい。とはいえ嫁入り前の娘を路頭に迷わさんごとアンタも気をつけちゃり」
「俺がですか? 俺ァ関係なかでしょ」
「うちの部下を誑し込んだのは、どこぞのヤクザ者(もん)の男前んごたぁけのぉ」
「俺の知ってる限り男前だの色男だの言われとるのは藤崎くらいなもんですよ」
「藤崎な。そろそろ跡目継ぎそうか?」
「そうですね」
「お前ら静粛に穏便に節目ば過ごせんとや?」
「少なくとも俺と巽はそうしたいと思っとるとですけどね」
「そうはいかん奴がおるってか」
「伊川さんのことやけん、目星はついとるとでしょ?」
「お前はのらりくらり躱すけん好かん」
伊川の苦虫を噛み潰したような顔が浮かび、思わず笑ってしまった。なん笑いようとや、と難癖をつけられたが、いやいや何もと濁してなんとか電話を切った。女のことを持ち出したのは撒き餌にしても、警察も動き出しているということは、近々事が大きく動くという事だ。舌打ちをして自分の迂闊さを呪う。サービスエリアと病院の中間地点くらいに事務所を構えている昔馴染みがいるのを思い出し、すぐさま電話をかけ、拳銃を売ってもらえないか打診してみる。新品のアメリカ製のコルト・ガバメント、弾丸六つで五十万と言われた。あいにく手持ちは三十しかない。弾丸二発で三十でどうにかならないかと訊いてみたが駄目だった。少し待ってもらうようにいい、電話を切った。ちょうど巽が戻ってきて事情を話すと、持っていた革製のバッグから百万の束を出した。
「拳銃なら持っとるけど、相手も今苦しかろ? これ、持ってって買(こ)うちゃり」
唖然としていると、巽はにっこり笑って首を傾げる。
「諒平くんには借りしかないけん、こんくらいさせて」
余程怪訝な顔をしていたのだろう。巽は表情を曇らせる。
「……諒平くん、言わんけど、宇田川に殴られすぎてちょっと耳悪くなっとろ?」
確かに聞こえは微妙によくないが、いつ頃からか原因が何かなど考えもしていなかった。
「関係なかて。いや、俺、別に」
「これも、必要経費やけん、色々言わんでよかよ」
巽は束を押しつけてシートベルトをしめた。電話を取り出し、秦に用事があるから先に行くよう告げる。上瀧はなんとも言えない気持ちで車を発進させた。
昔馴染みの片岡は巽を見ると借りてきた猫のように大人しく縮こまっていた。これが上瀧一人だったとしたら、ここぞとばかりに金の無心をしてきただろう。拳銃を手に入れ、病院に着いた頃には昼をすぎていた。巽が拳銃を貸してくれと言うのでひとまず預けた。病室の場所を聞きいったん巽と別れ、病院の地下の売店に行った。お見舞いと書かれた封筒とペットボトルの緑茶を買い、廊下の長椅子に座った。緑茶を飲み、一息入れていると、松原とその下っ端が市川を挟むように並んでやってきた。上瀧は腰を上げ、頭を下げる。
「ご無沙汰しております」
「なァんや。坊のイロやないか」
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